窮鼠と子猫たち
「あっれ……この薬草、魔力が通りにくいな……」
「それ、ティムが採取してきた薬草です」
「おれっもう魔力込めてねぇよ!?」
ハラルドの言いつけにティムが慌てふためく。
喧嘩をふっかけられたせいで、カレンはいつもより更に忙しかった。
これから血筋の祝福持ちの子たちの家々を往診したあとは、エーレルト伯爵家でアリーセから王族向けの礼儀作法を叩きこまれる予定である。
忙しすぎるので、素材の採取を雑役人として雇っている二人の子どもたちに任せてみたのだ。
最近のダンジョンは孤児院の子どもたちが言っていたとおり、薬草が本当に少ないので、朝一番に採取に行かないとほとんど採取できないのだ。
孤児院から直でダンジョンに入り、薬草採取から戻って来た二人の薬草をカレンが出かける前に検分してみたところ、この調子である。
どちらも嘘を吐いている様子ではなかったので、カレンはこれまで疑問に思っていたあることが腑に落ちた。
「なるほど……ティム、これ持ってて。魔力はこめちゃダメだよ」
「持つだけだな。わかった!」
ティムに元々うちにあった別の薬草を十分間持たせた。
そのあとで、再び魔力をこめてみたカレンは溜息を吐いた。
魔力は通るものの、明らかに抵抗が増している。
「これまで孤児院の子たちが納品してくれた素材に妙に魔力が通りにくいものがあると思ってたんだよね……」
「もしかしておれ、また何かやっちゃった?」
「ティム、無意識に体から滲み出てる魔力だけで素材が染まっちゃってるねえ」
「えーっ!! おれ、そんなつもりないのに!」
「うん、悪気があるとは思ってないよ。でもこれからの採取はハラルドにお願いしてもいい?」
「お任せください、カレン様。僕なら魔力がほとんどないので素材を無駄にさせずに済むでしょう」
「えーっ、そうだったのか……うえー、どうしよう。ギルドに納品もしてたのにさあ」
「わたしより魔力が多い錬金術師にとっては問題ないと思うよ。むしろ、薬草が長持ちして喜ばれるかも?」
「魔力が多いのも一長一短、ということですね」
ハラルドがすました顔で言うが、喜びが隠しきれずにニヤニヤしていた。
自分担当の分野が増えることが嬉しくて仕方ないようである。
「よろしければ薬草の選別をいたしましょうか? 自分が摘んだ薬草とティムが摘んだ薬草の違いは切り口や葉脈の形などで判別可能です」
「そんなことできるの!? すごい! お願いするね!」
「かしこまりました、カレン様」
ハラルドに任せてみたところ、薬草入れの箱からハラルドはほとんど迷いなく分類していく。
カレンは試しにハラルドがティムの薬草として分けた薬草に魔力をこめてみたが、本当に魔力をこめづらかった。
魔力が少なく、魔法的な才能のないハラルドが魔力で判別できたはずがないので、これは本当に切り口や葉脈などの、薬草の形を覚えているということである。
「えっ、すごい……記憶力良すぎない? もしかして素材の形とか名前、これまで教えたのって全部覚えてる?」
「もちろんです。一度お聞きしたことはすべて覚えております」
ハラルドは真面目な顔でうなずいた。
その手はよどみなく薬草を分類し続けている。
以前も、ハラルドはカレンから聞いたことは一度で即座に覚える、と言っていたことがある。
その時には、それぐらいの心構えで仕事をする、くらいの心意気の話だと思っていた。
だが本当に、ハラルドが覚えているのだとしたら、それはすごいことだ。
「ハラルド、これ、何だかわかる?」
「カモミール、でございますね」
カレンが錬金工房から待ってきた花を見て、ハラルドはよどみなく答えた。
「効果はわかる?」
「鎮静作用、消化作用があり、眠れない夜や風邪、消化が悪い時などにお茶にして飲むとよいとおっしゃっていたかと思います。蒸留すると炎症を抑える効果もある、と」
偶然かと思いきや、カレンが次々に花や草を見せても、ハラルドはすべて答えることができた。
カレンは次こそ答えられないだろうと思いつつ、棚からすでにドライハーブとして加工済みのハーブの瓶を持っていく。
瓶に貼っているラベルを隠しながら、カレンは訊ねた。
「これっ、何だかわかる!?」
「リンデンフラワー、とおっしゃっていたかと思います。あるいは菩提樹とも」
「じゃ、じゃあこれは?」
「菩提樹という木の別の部分、ですよね?」
「えっ、待って、なんでわかるの? わたし、これの説明した覚えないよ?」
わからないだろうと思って持ってきたものにまで答えが返ってきて動揺するカレンに、ハラルドは首を傾げつつ言った。
「こう……」
ハラルドは何かを高い場所の戸棚から出すような仕草をした。
それはどうやら、カレンの仕草を真似ているようだった。
「カレン様が以前、この瓶が台所の棚にあるのを見て、『これはリンデンフラワーと同じものだから隣に置いておかないと』とおっしゃっていたのを聞いたことがありますので、同じものというのは、同じ木という意味なのだろうと思ったのです」
カレンは呆気にとられつつ、うなずいた。
「……その通り、リンデンウッド、白木の部分だよ。利尿作用がある」
「そうなのですね」
ハラルドは真面目な顔でうなずいた。その手にはメモ帳などあるはずもない。
ただそらで、自力で、記憶しているだけなのだ。
カレンが教えたことから、独り言のように口にした言葉も。
その時にカレンがしていた仕草や動作まですべて。
「ハラルド、すっごいじゃん!」
「カレン様にお褒めいただき恐縮です」
ハラルドははにかんだが、それだけだった。
カレンが思っているすごさの半分も自分で感じている様子がなくて、カレンは首を傾げつつ言った。
「すごい能力だよ。わかってる?」
「人より物覚えがいいとはよく言われます。能力と言ってよいのかはわかりませんが、カレン様のお役に立てたら幸いです」
謙虚で控えめな態度にますます首を傾げつつ、カレンは拳を握った。
「とにかく、そんな能力があるならさすがに今のままの給料では雇えないよ! 昇給してあげる!」
「――ありがたいご提案です、カレン様」
ハラルドは一瞬息を呑んだあと、表情を取りつくろってにっこりと笑った。
「ぜひナタリア様とご相談の上、問題なければお願いします」
「なんでナタリア?」
「カレン様の錬金術ギルドのご担当者様でいらっしゃいますので、ぜひご相談されてください」
「ハラルド、おまえの記憶力はすげーけど、カレン以外のやつはおまえの給料あげるなんて言ったら絶対に反対するぜ? なんで余計なこと言うんだよ」
「馬鹿が。どうせ後から反対されるくらいなら、最初から伝えた方が印象がいいだろう。僕はこれからもここで働いていきたいんだよ」
「反対されるかなぁ……すごい能力なのに……」
この記憶力にハラルドの理解力があれば、前世の学校なら成績はトップだろうし最高学府にも通えるだろう。
教えられずとも見て学ぶことができるし、カレンに役立ちそうな提案を自らすることもできる。
普段の様子を見ていたって、要領が悪いわけじゃない。
カレンに対して気を使いすぎて我慢が行きすぎていることはあるものの、それは要領の悪さというよりこれまでの環境がつくった習慣に見えた。
前々から思っていたものの、カレンの目から見ればハラルドは非常に優秀な人材だった。
「ナタリア様にご相談ください、カレン様。どのような結果になるにせよ、カレン様が僕の能力を買って昇給をお考えくださったことがありがたく、それを支えに生きていけることでしょう」
ハラルドは淡く微笑んだ。
もうすでに、カレンがナタリアの猛反対を受けてハラルドの昇給を断念すると、ハラルドは思い込んでいるように見える。
「……帰りにナタリアのところに寄って、聞いてくるから! 首を洗って待ってなよ!!」
「それって普通、首を切る時のやつだろ、カレン」
苦笑するハラルドと呆れたように言うティムに見送られ、カレンは家を出発した。