石鹸騒動5
「わたし、わたしの無魔力素材ポーションを再現してくれる錬金術師を見つけたいんだよね」
イザークが言うカレンの最新の論文とは、ジークの論文だ。
あそこには熱を下げるポーションをはじめ、体の弱った血筋の祝福持ちの子どものためにできることの一つとして、清潔を保つための石鹸のレシピも載せている。
肌荒れしないよう選び抜いた無魔力素材の石鹸だ。あの通りにつくれば、ポーションとしての魔法効果は付与できずとも、肌の健康を守り清潔を保つための石鹸として十分機能するだろう。
カレンの思惑通り、ぜひともあのレシピで魔法効果を発揮する石鹸ポーションをつくれる錬金術師を探し出してほしい。
もしかしたらレシピを無視して、魔力素材を使えば石鹸がポーションになることに気づかれるかもしれないが、その時はその時である。
研究を奪われるリスクを負ってでも、カレンが最優先するのは才能ある錬金術師を見つけ出すことだ。
「今はわたしがいるからいいよ。だけど、わたしが死んじゃったら、血筋の祝福持ちの子どもたちはどうなるの? 今だって、わたしだけじゃ足りてない。きっと苦しんでいる人は、王都の貴族の子たち以外にもいるはずなのに」
エーレルト領から戻ってきてからこちら、サラと共に貴族の屋敷を巡りたくさんの子どもたちを見ながら、カレンがずっと思い悩んできたことだった。
サラが溜息のように言った。
「カレン様……そこまで深いお考えをお持ちだったのですね。それなのに生意気にも差し出口をしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「サラはわたしを思って言ってくれてるだけだからいいんだよ。むしろ、サラなら甘いって言ってくれるだろうし、それを聞いたイザークが淡い希望を持ってくれるだろうっていうのも、わたしの計算のうち、みたいな」
カレンのとってつけた理由をサラは頭から信じ込んだ様子でこくりとうなずいた。
「カレン様の深謀遠慮に感服いたしました」
「うん、まあ、そんな感じでね……わたしの寿命がきたあとも、これからもずっと、血筋の祝福が重すぎる子どもたちは生まれ続けるよね。その子たちのためにも、わたし以外もわたしの無魔力素材のポーションをつくれるようにならないといけないのに、何百年生きてるんだかわからないエルフの師匠にすらつくれない。このままじゃいけないんだよ」
ナタリアによれば、錬金術ギルド所属の錬金術師の中で、カレンの研究については評価が真っ二つに分かれているらしい。
イザークのように前提からして不備のある研究だと思う人もいれば、カレンが何か重要な事実を書き忘れているだけだと考える人もいる。
後者の人たちはカレンの師匠となってカレンの研究成果を奪い取ろうとしていたし、それが叶わなくても、カレンの論文に足りない重要要素をカレンより先に見つけてやろうと、追加研究をしている錬金術師もいるそうだ。
ただそれも、他にも取っている弟子たちのうちの一人として。
他にも同時並行で研究している無数の研究のうちの一つとして、でしかない。
できれば、今すぐ、真剣に。
命がかかっているぐらい必死に研究してもらいたかった。
「早く、わたし以外にも無魔力素材ポーションをつくれる人間を確保しなきゃいけない。そのために、わたしは手段を選ばないことにした」
むしろ無魔力素材ポーションをカレン以外でもつくれる普遍的なつくり方を見つけてくれるなら、これまで積み重ねてきた研究成果を盗まれてもいい気持ちにさえなってきた。
これが長命のエルフたちの気持ちなのかもしれないとカレンは予想している。
ユルヤナあたりは大賛成してくれそうだ。
そこで、カレンはふっかけられた喧嘩をありがたく利用することにした。
レオニーに煽られながら、むしろこの貴族や国王の寵愛の深い側妃たちも全力でイザークに加担してくれたならと願っていた。
だが、レオニーと相対したカレンの感覚だと、そこまでカレンを叩き潰すために全力を尽くしてくれそうな様子ではなかった。
ヴァルトリーデにも伝えた通り、残念ながらこれは単なる小手調べだ。
なので、イザークとグーベルト商会に頑張ってもらわないといけない。
「――つまりあんたは、自分が死んだあとの遠い未来のことを考えて、イザーク兄さんとグーベルト商会を利用したっていうことなの?」
マリアンは茫然とした顔でカレンに問う。
「そう。これだけ煽れば、死に物狂いで探してきてくれるよね? たとえば、ダンジョンの最下層にいるSランクパーティーの錬金術師を呼び戻すことさえしてくれるっぽい。きっと心臓に悪い思いをしてるだろうから申し訳ない気もするけれど、わたしだって潰すって言われたわけだし……わたしだけじゃなくエーレルトやヴァルトリーデ様まで巻き込もうとしてきたし」
あそこまで言われると、カレンも巻き込んでもいいや、という気持ちになれた。
だが、たとえ敵対する人物であろうとも、その妹に利用したのかと問われると、居心地は悪いものである。
もじもじするカレンに、マリアンは目を瞠って言った。
「あんた――すごいじゃない」
「へ?」
聞き間違いかと思ってカレンはマリアンの顔をじっと見つめた。
だが、マリアンは間違いなくカレンを見ていて、これまでに見たことのない顔をしていた。
「未来のために、そこまで考えられる人間だったの? 自分だけがつくれるポーションじゃないと命を落とす人間が大勢いるなら、値段をつり上げようって思わないの? それを何よ、自分以外にもつくれる錬金術師を増やそうって、見つけ出そうとするなんて――あんたがそんなことを考えられる人間だなんて、知らなかったわよ」
「マリアン?」
頭を抱えるマリアンの顔が見えない。
けれど何か様子がおかしかった。どうしたのだろうと問いかけたカレンだったが、床にボタボタと落ちる水滴を見つけて言葉を飲みこんだ。
「ごめんなさい、カレン。ごめんなさい、私、本当に許されない罪を犯したんだわ」
それはカレンがはじめてマリアンから受ける、心からの謝罪だった。
カレンは虚を突かれてきょとんと目を丸くしたあと、寛大な気持ちになって言った。
「マリアン……でも、あのね? マリアンはマリアンで、大勢の人たちの命を救ったわけだから――」
「うちの石鹸が救った命は低ランクの冒険者が圧倒的に多かった! 強者たちは、最上級の回復ポーションを持ってるんだもの。石鹸なんかに頼らなくたってよかったの!」
「助けた人のランクは関係ないでしょ?」
「あんたにとっては強者も弱者も命の価値は等しいんでしょうよ。だけど、私にとっては違うの! その価値観で、私は私が正しいと思って生きてきたのよ!!」
慰めの言葉を口にしようとしたカレンの言葉を、マリアンは髪を振り乱して拒絶した。
「私があんたの発明を奪わなくても、どうせあんたはたいしたことはできなかったろうって、心のどこかで思ってた」
「うっ……」
カレン自身も心のどこかでそう思わなくもなかったので、反論はしなかった。
石鹸のレシピをマリアンが奪わなかったら、カレンだけの力で、あれだけ早く普及させられただろうか?
正直、カレンにはそんな自信はない。
「だけど、あんたは偉大な先祖を持つ貴族の子どもたちを次々と癒やしていくし、化粧用のポーションも開発して、あっという間にイザーク兄さんの一番の商売敵になって……あんたはできるんだって、私に見せつけてきた……あんたが正当なお金を受け取っていれば、もっと早くに何かが変わったかもしれないって思わせられる度に、思い知ったわよ……!」
サラの側で働いているから、マリアンはカレンの動向を把握していたらしい。
指をくわえてみていてほしい、とカレンは以前言いはしたものの、サラは本当にそうさせていたらしかった。
「だから、私は今、自分の人生から罰を受けているのよ……あんたが私を許したって、この罪が軽くなることはないのよ!」
マリアンの価値観では、大勢の人間の命を救える方が正しい。
この世界を守る冒険者たちの命を救える方が、もっと正しい。
更に言えば、より強者の命を救える者が正義なのだ。
カレンはこれからも幼い子どもたちの命が救われることを願って行動した。
だが、マリアンから見ればカレンにしか救えない強者たちの利益のための行動だった。
だからマリアンにとってはカレンが正しくて、マリアンが間違っている。
カレンが何を言おうと、マリアンの中で絶対的にそうなってしまっていた。
それは、マリアンが自分自身にかけた呪いだった。
「わたしには理解できない価値観だけど、マリアンが自分を許せないと思うなら、許せるように償えばいいと思うよ」
「よく言うわ。償わせる気も、ないくせに……! でも、あんたに償って許されたって、私は自分を許せないわ……こんな人間、死ぬべきだって、自分で思ってしまうんだもの……!」
「いや、死ぬのは勘弁してね」
マリアンが息を呑んでカレンを見上げる。
カレンは嫌そうな顔をして言った。
「普通に落ち込むから、やめてね」
マリアンは涙で汚れた顔を歪めて笑った。
「はっ……私はあんたの敵なのに、目障りだから死んでいなくなってほしいとか、思わないわけ? あんたのことだから思わないんでしょうけれど……私にさえそう信じさせるんだから、ホント、甘い女ね……」
更に泣き出したマリアンにオロオロするカレンに断りを入れ、サラはマリアンを抱えて帰っていった。