石鹸騒動4
ユルヤナにもつくれると発覚したのは、カレンがスパイダーシルクを魔法的に粉に変化させられないかとウンウンうなっていたときだった。
『カレンさんの魔力がそもそも素材に通っていないみたいなので、もっと魔力を出力できませんか?』
『限界ぎりぎりです……!』
『でしたら、スパイダーシルクを一度水に入れ、その状態で魔力をこめるといいですよ』
『わたしこれ、粉にしたいんですけど……! 粉にしたいのに水に濡らしちゃうんですか?』
『水は万物の根源、アルケーです。一度水を経由することで、あらゆるものは変化しやすくなるのですよ』
『アルケー! 聞いたことあるかも!』
前世の世界にいた大昔の哲学者も同じようなことを言っていた。
そんなことを思いだしながらユルヤナの言う通りにしてみたところ、シルクは見事に濡れた粉になり、粉を乾かせばきめ細やかで美しいパウダーになった。
その美しい白粉の鑑定結果は『紫外線を反射する、肌を保湿する』という、二つの魔法効果を持つこととなった。
カレン的に、二つの魔法効果が同時に並ぶのははじめての成果だった。
ユルヤナも我が事のように新たな成果を喜んだあとで言った。
『私もつくってみたいです』
『師匠がポーションをつくっているところ、わたしも見たいです!』
両者の意見が一致して、カレンはユルヤナに場所を譲ってポーションづくりを見学した。
すると、スパイダーシルクはあっさりと形を粉に変えた上に魔法効果がついた。
『おや? 魔法を反射する効果があると出てますね?』
『あれ?』
『シルクスパイダーが身を守るときにつくる繭は魔法を反射しますし、こういう効果がつくのは納得ですね』
『そんな効果があるんですか……』
『どうしてそれすら理解していないのにカレンさんの白粉に魔法効果がついたんですか??』
ただの絹にさえ紫外線をカットする効果があると理解していたからだろう。
魔法さえ反射するなら、紫外線を反射するぐらいお茶の子さいさいというわけである。
スパイダーシルクはその性質ゆえ、魔法防御力をあげるために冒険者の服に使われることも多いらしい。
その効果を大魔力で完全に引き出した場合は魔法反射の絹白粉となることが発覚した。
そこで、カレンもユルヤナも気がついたのだ。
素材が魔力素材なら、カレンのポーションはユルヤナでも再現できる、と。
「論文を錬金術ギルドに提出すれば、わたしの研究結果は早晩認められることになるでしょう。正式に、わたしこそが石鹸の発明者となるんです」
「そ、そんな馬鹿な話があるか! 先につくっていたのはうちだ! 考えついたのはおまえが先でも! 先に石鹸を売っていたのはうちなんだ!!」
「でもポーションというものは、先に論文を認められた人の発明となっちゃうらしいんです。ずっと研究していた人にとっては不満ですよね? でも世の中、そういう仕組みになっているんですよ」
「な……!」
たとえどんなに理不尽だと感じられても、これが国をまたいで大陸中で定められた錬金術の掟である。
つまりこの戦いは、最初からカレンの勝ちで決まっていた。
「この石鹸はわたしの師匠がつくったものなんですよ」
カレンは玄関に入ってすぐのところに置いてある、手を洗うための水の盥の側の石鹸を手に取った。
石鹸の材料は草木の灰と油である。
カレンは薬草を焼いた灰と、トレントの実を絞った油を用意して、石鹸の仕組みをユルヤナに教えた。
ユルヤナはあっという間に石鹸ポーションをつくってみせた。
傷口を消毒して癒やす効果を持った素晴らしい石鹸の誕生である。
そしてユルヤナは、これならAランク錬金術師でも再現可能だろう、と太鼓判を押した。
他の錬金術師でもつくれる有用なポーションの発明なら、必ずや功績として認められるだろうと言った。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ!!」
「わたしはいずれSランク錬金術師になるつもりです」
「Sランク、だと……?」
イザークは掠れた声で復唱する。
つい先程までならきっとこの男は嘲笑っていたんだろう。
けれど今は、ただ茫然とカレンの顔を見下ろすだけだった。
「そんなわたしを詐欺錬金術師と言ったあなたたちを許すつもりはありません。ですので、証明の場で叩き潰してあげますよ。あ、逃げないでくださいね? 逃げたら王都から追放されちゃうかもしれないので。そうするように、ヴァルトリーデ様から国王陛下に頼んでおいてもらったんです」
「き、貴様、よくも騙したな……!」
「騙してなんてないですよ。研究は日進月歩というだけで――イザークさん、今の状況わかってます?」
「状況、だと?」
頭が悪そうには見えなかった。用意周到な人物でもあった。
だけど、この展開に混乱しているらしく忙しなく目が泳ぎ続けている。
「あなたは新ポーションを発明した錬金術師の研究の邪魔をして、潰そうとした犯罪者ですよ。このままだとまずいんじゃないですか?」
「カレン様のおっしゃるとおりです。錬金術師の偉大なる研究の邪魔をした者には歴史的に、苛烈な罰が下されてきました」
カレンも、平民学校で習ったことがある。
大昔、薬草をポーションにすることは知らなくても、癒やしの力があることを理解して傷薬として使っていた小さな部族がいた。その部族を訪れた錬金術師が薬草を使ってポーションをつくり、回復ポーションを発明して国に帰り発表し、偉大なる発明者として認められた。部族の者たちは自分たちこそが薬草の発見者で傷薬の発明者だと抗議をしたが、誰も彼らを認めなかった。
魔法薬であるポーションをつくることができたという事実こそが、錬金術師が女神に認められて階梯を昇った証だからだ。
そして、部族の者たちは女神に認められなかったからポーションをつくることができなかったのだ。抗議をした部族の者たちは同情されることもなく、錬金術師の研究の邪魔をした罪で処刑されることとなった。
これは錬金術師の研究の邪魔をしてはいけない、という教訓童話である。
平民学校を出た人間なら、誰でも知っている話だ。
イザークはだらだらと冷や汗をかく。
「わ、悪い。オレが、勘違いをしていたみたいだ……だから!」
「マリアンはちゃんと謝ったし、お詫びの方法も考えてきて、わたしの友だちもそれを認めたから許してます。でも、あなたは許さない」
カレンがぴしゃりと言うと、イザークは青い顔でガタガタ震えた。
「あなたが助かる方法があるとしたら、ただ一つ――お抱え錬金術師に無魔力素材で石鹸ポーションをつくらせて、以前から作ってはいたものの論文を提出していなかっただけだと言い張って、ポーションをつくる姿を国王陛下に披露することです。わたしの論文はまだ正式に認められていないし、これまでに石鹸を販売してきた履歴があるそちらが先に発明したと主張すれば、お互いに論文が認められていない者同士なら、そちらの意見が通るでしょう」
「カレン様! そのようなことを教えてやる必要はありません!」
慌てたように言うサラに、イザークはその目に希望を取り戻した。
「おまえの最新の論文に石鹸のレシピも載っていることを、オレが知らないと思ったか!? Dランクの魔力量のEランク錬金術師にできて、うちのダブルAAランク錬金術師にできないはずがないだろう! うちのお抱え錬金術師どもにできなくても、うちは大勢の錬金術師の伝手があるんだ! 有名な冒険者たちとも! それこそSランクの方々ともな!!」
言い捨てると、イザークは錬金工房から飛び出していった。
マリアンが呆れたように言った。
「あんた、馬鹿? あんなこと言わなければイザーク兄さんは絶望して諦めたでしょうに、草の根をかき分けてでも国中の錬金術師をあたって、あんたのポーションを再現できる錬金術師を見つけ出してくるわよ。父さんも協力するでしょうね。父さんは海千山千の修羅場をくぐり抜けてきた男よ。あんたはそんな男まで敵に回したのよ!」
「そうしてほしくて煽ったんだから、それでいいよ」
「はあ!?」
驚愕するマリアンを余所に、カレンはイザークの出ていった扉を見つめて、「一週間で足りるかなぁ」と溜息を吐いた。