石鹸騒動3
カレンは帰宅すると、マリアンを呼び出した。
事情を理解したマリアンはひどく緊張した面持ちだった。
「マリアン、わたし、何かの行き違いならこのまま争うのはよくないと思っているんだ」
マリアンの後ろに控えるサラは、また甘いことを、と言いたげな顔をする。
そんなサラをスルーして、カレンは続けた。
「たとえばさ、ヴァルトリーデ様のあら探しをしていた側妃様側の勢力が、私とグーベルト商会との確執を知って、マリアンのお兄さんを使って無理やり私を訴えさせている、とかさ? これが貴族の横暴なら、グーベルト商会と内々でやりとりして、平和的な解決を目指そうと思っているんだけど」
「……イザーク兄さんは自分の意志でやっていると思うわ」
「そうなの?」
「ええ。元々、私がカレンに謝罪に行くという話だって納得していなかった。先に出した者が勝ちだし、カレンが開発していた証拠なんてないのだからこちらが頭を下げる必要などないと言っていたわ」
「それ、グーベルト商会全体の意見?」
「そうね。父さんも似たような意見だと思うわ」
「そっかあ」
「家族に反対されても私は、実力ある者には報いるべきだと思って年季労働者になったわ。……それでもエーレルトのグーベルト商会への圧力が和らがないと以前イザーク兄さんが怒っていたから、貴族と手を組んで反撃にかかったんでしょうね」
「圧力?」
カレンがサラを見ると、サラは肩を竦めた。
「被害を受けた方々がグーベルト商会を訴えるのを助けたりすることを言っているのでしょう」
「グーベルト商会は私を差し出したのだから、それで差し引きはゼロ、むしろ自分たちの持ち出しの方が多いと思っているでしょうね、兄さんは」
「そういう考え方かあ。でも、わたしに勝つ勝算なんてあるの?」
「むしろ、あんたに勝つ勝算があるの?」
カレンが小首を傾げると、マリアンはサラの意向をうかがうように顔色を確認してから続けた。
「祖父の代から冒険者のための商会としてアースフィル王国の王都で商いをし続けてきたグーベルト商会の完全な後援のもとに運営されているのがイザーク商会よ。あんたに喧嘩を売った時点で、商会が全力をあげて勝つ準備をしているはずだわ」
「でも、私が売ってるのってポーションだよ? 白粉もポーションだし、洗顔用の石鹸もポーションになってる。グーベルト商会が売ってるのは普通の軟石鹸だよね?」
「――情報が古いな、錬金術師カレン」
錬金工房の扉には営業終了の札をかけておいたはずなのに、無遠慮に人が入ってきた。
マリアンとよく似た顔立ちをした、酷薄そうな男だった。
「イザーク兄さん!」
「マリアン、すぐに助けてやるから待ってろよ」
イザークはカレンを上から下までじろじろ見やると、鼻で笑った。
「勝ったな」
「なんでそう思うんですか?」
カレンは努めて冷静に訊ねた。
「あんたがつくれると吹いてる魔法効果のある石鹸は、高魔力素材を使えば錬金術師でなくても再現できる」
「そうですね。効果は違うだろうけど、似たようなものはできるでしょうね」
師匠のユルヤナにも、最初はそれを疑われていた。
だから契約前にユルヤナが用意した素材だけでポーションをつくるようにと試された。
高魔力素材、たとえば世界樹の葉なんかを水に入れるだけで、錬金術師でなくてもそれは魔法効果を持つポーションになるだろう。
「グーベルト商会なら、世界樹の葉も手に入れられそう」
「コネがないとは言わないぜ?」
「他の人から見れば、私も石鹸ポーションをつくっているというより、石鹸に高魔力素材を混ぜたりポーションを混ぜたりしているように見えるってことですか」
「というか、そうなんだろ? 誰もおまえのつくったポーションを再現できないってな。そんなのありえるかよ! たかだかEランクの錬金術師にもつくれるポーションを、Aランクの錬金術師にも再現できないだなんて、ありえるわけがないだろ!?」
イザークが叫ぶのはごく一般的な考え方だ。
カレンだって、どうして他の人たちはカレンのポーションを再現してくれないのだろうと思っている。
「うちの抱えるAランク錬金術師の見解じゃあ、たまたまどっかから手に入れた高魔力素材を使って、新種のポーションをつくりだしているふりをしているってところだそうだが――誰かから高魔力素材を横取りしたりしてなぁ?」
その顔は怒りに歪み、声には義憤が滲み出ていた。
早くに亡くした冒険者の兄を思い出しているのかもしれない。
「兄さん、それはないって言ったじゃない。カレンはそういうことをする人間じゃないわ」
意外にもマリアンからあがる擁護にカレンは目を丸くした。
「おまえはまだバカどもの善性を信じるのか、マリアン」
「信じるとか信じないとかじゃなくて、この女には人を騙す能力がないの! 嘘を吐きたくたって吐けないのよ! ポンコツだから!」
「誰がポンコツか!」
カレンはつい突っ込んだ。
カレンにだって、その気になれば人を騙くらかすことくらいできるのである。
やらないのは、そうするだけの目的も理由もないからだ。
人を騙して、陥れてでも成し遂げないといけないほどの目的や、理由があれば、カレンだってそうすることはある。
標的は誰でもいいわけじゃない。
カレンやカレンの大事な人たちに害をなす悪でなければ、カレンは手出しできないだろう。
「あーはいはい。だったらこの女自身もわかんねえうちに高魔力素材が混ざっちまったのかもな」
イザークは妹の忠告を適当に流し、カレンに向き直った。
「だとしても詐欺は詐欺だぜ、詐欺錬金術師カレン! オレがおまえをぶっ潰してやる。オレたちが石鹸を広めてやったから多くの命を助けられたってのに。ありがたく思って引っ込んでいりゃあよかったものを、妹に手を出しやがって、それでもなお満足しないからこういうことになる。おまえも、エーレルトも、おまえを見出した王女もおまえの道連れだ! ――だが、おまえが罪を認めるっていうのなら許してやってもいいがな?」
イザークは自分の準備によほど自信があるらしい。
お抱えのAランク錬金術師が太鼓判でも押したのかもしれない。
ユルヤナは、ユルヤナの前でユルヤナの用意した素材だけでポーションをつくったら、それだけで信じてくれた。
だが、その気になれば高魔力素材を混入させる方法はいくらでもある。
錬金術に詳しいわけでもない国王と側妃の目の前でポーションをつくったとして、どこまで信じてもらえるのか――理解してもらえるのか?
話を聞く限り、少し前のカレンだったらひとたまりもなく濡れ衣を着せられていたかもしれなかった。
カレンはイザークに訊ねた。
「ヴァルトリーデ様のお名前を借りて売っている、王女の化粧品シリーズの第一弾セットは、取り扱いにちょっとくせのあるポーションは避けて、簡単に扱えるものばかりにしています。化粧水、乳液、入浴剤、シルクスパイダーのシルク白粉、それと洗顔石鹸。このうち、イザークさんがレシピを盗まれたと主張するのは石鹸であっていますか?」
「そうだ! 石鹸は親父のグーベルト商会が長らく作り続けてきた商品だ。それを誰もが知っている」
「ま、そうなりますよね」
けろりとした顔で言うカレンにイザークは警戒の目つきになる。
カレンはそんなイザークを哀れみの目で見つめた。
「わたしの無魔力素材ポーションは今のところ誰もつくれません。けど……石鹸ポーションなら、わたしの師匠がつくれるようになったんですよね」
「――は?」
イザークが目を丸くする。
イザークの計画は、カレンのポーションを誰もつくれないことをもって、高魔力素材による効果と断じ、それであれば先発品をつくっていたのはイザーク商会である、と主張するものだ。
だからカレンのポーションが、レシピさえあれば一定以上の魔力を持つ錬金術師ならつくれるものとなり、そのレシピがカレンの発明と正式に認められてしまったら、イザークの計画はすべて瓦解してしまうのである。