石鹸騒動2
ヴァルトリーデはレオニーに抗議した。
「イザークとやらの味方側であるそなたらの陣地に連れ込んでカレンに無実を証明させようなど、罠に嵌めると言っているようなものではないか。カレン、行かなくてよい。ベネディクタ様とは私が話をつけよう」
「まあ、殿下、そう警戒なさらないでください。当日、その場には国王陛下もいらっしゃいます」
「陛下も、だと?」
「ええ、陛下の御前で不正などするはずがございませんでしょう? どうぞ安心なさってください」
ヴァルトリーデは勢いを失い、不安に翳る目でカレンを見やった。
「確かに不正はないだろうが……だが、陛下の前でもしも嘘を吐いたと断じられた場合、カレンが……」
まずいことになるらしい。
口ごもるヴァルトリーデに、レオニーはおっとり微笑んだ。
「やはりその者は他者のレシピを盗むような人間なのですか?」
「そうではない! だが、そちらの者が濡れ衣を着せようという者ならばすでにその準備を万全に整えているに違いないではないか! それに比べてカレンは丸腰も同然だ!」
「証明できないとおっしゃるのでしたら、仕方ありません。陛下には、こうお伝えすることとなるでしょう。ヴァルトリーデ王女殿下の社交を助ける錬金術師は、古くからアースフィル王国を助けてきた商会のレシピを盗んでいないということを証明する気はないようですし、ヴァルトリーデ王女殿下もそれをよしとされるようです、と」
「な……っ!」
ヴァルトリーデが泣きそうな顔をする。
家族に見捨てられたような身の上だが、父親だけは優しいとヴァルトリーデは言う。
それはヴァルトリーデの華麗な容姿を愛でてのことだろうとヴァルトリーデは自覚しているが、それでもヴァルトリーデは嬉しそうに微笑むのだ。
そんな父親にさえ見放されるのではないかと、隠しきれない不安にその瞳は揺れていた。
カレンがヴァルトリーデをいざこざに巻き込んだと思ったのはカレンの思い違いだったらしい。
ベネディクタは的確にヴァルトリーデの弱点を突いてきている。
「大丈夫ですよ、ヴァルトリーデ様」
「カレン……」
カレンはヴァルトリーデの前に出てレオニーに訊ねた。
「証明はどのように行われるのですか?」
「あなたとイザーク、それぞれに鐘半分の時間を与えます。持ち時間の間に、己の無実を各々のやり方で証明していただきます」
「方法は指定されていますか?」
「いかようにもご自由に」
「それを見て、無実かどうかを判断するのはベネディクタ様と国王陛下ということですね?」
「左様です」
これだけ聞くと、カレンを嘘つきにするためにいくらでもゴールポストを動かされてしまいそうな気もした。
「ヴァルトリーデ様、国王陛下はどんな方ですか?」
「……公正、ではある。だから私は、ああなったのだ」
娘は可愛いが、可愛いというだけでは貴重な魔道具は使ってやらない冷徹さの持ち主である、とカレンは解釈した。
つまり、国王はベネディクタを寵愛しているとはいえ、ベネディクタのために真実を口にする者を貶めることはない、という意味だろう。
だがもちろん、巧妙な策略があれば国王はそれに騙されてしまうかもしれない。
どちらにせよ、レオニーのせいでカレンたちには注目が集まりすぎていた。
「この話をお受けするしかなさそうですね。でも、証明のためにも準備の時間をいただきたいです、シーレ伯爵夫人」
「そうですわね。素材を集めるにも時間がかかる場合もありますでしょう。どれぐらいお時間をさしあげたらいいかしら?」
「……ダンジョンの最下層に潜った冒険者を呼び戻せるぐらいの時間がほしいです」
「ダンジョンの最下層の素材が必要なのか……助けを呼ぶおつもりなのかしら?」
レオニーは哀れむようにくすりと笑うと言った。
「一週間もあればよいでしょう。最下層に潜れるような方なら転移石を持っていらっしゃいます。呼び戻すには十分な時間です」
カレンは少し考えてからうなずいた。
「でしたらそれでお願いします」
「私も同行するゆえ、心しておけ!」
「もちろんいらしてくださいませ、殿下。ベネディクタ様は殿下の訪問をいつでも歓迎していらっしゃいますよ」
レオニーは本当に歓迎しているかのように微笑んだ。
「殿下は陛下の寵愛される愛娘でいらっしゃいます。困難に打ち勝ち王都に戻っていらした殿下のためにできることはないかと、ベネディクタ様はお心を砕いていらっしゃいます」
「……それがこの仕打ちか」
「もしも殿下が詐欺錬金術師の術中に嵌まっているのであれば助けてさしあげたいと、ベネディクタ様は深い慈愛のお心で思っていらっしゃるのです。陛下も同じお気持ちのはずですわ」
ホントの本気でそう言っているように見えるのが恐くて、カレンは身震いした。
この底知れない女性が仕えるベネディクタ。
国王の寵愛を欲しいままにしているというその女性がどんな人物なのか、若くてケバい愛人秘書のようなものを想像していたカレンの予想は外れていそうだった。
「あのぉ、ひとつよろしいでしょうか?」
カレンの質問に、「何か?」とレオニーは微笑んだ。
「そのイザーク商会のイザークという方は、グーベルト商会の関係者ですか?」
「やはり心当たりがあるのですね。被害を訴え私たちに助けを求めた者の名は、イザーク・グーベルト。冒険者向けの商品を中心に商品開発して長らく王国に貢献し続けてきたグーベルト商会から枝分かれした商会で、貴族向けの商品を商うグーベルト家の長男です」
「やっぱりそうですか」
レシピを盗んだと言われたときから、頭の片隅にチラホラマリアンの顔が浮かんでいたのだ。
マリアンの兄の仕業であるらしい。
「イザークさんが盗まれたと言っているレシピは石鹸ですか?」
「身に覚えがあるのでしたら、国王陛下にお披露目するより前に内々で解決した方がよろしいかと思いますが……ベネディクタ様にご相談されてはいかがですか? 錬金術師カレン。ベネディクタ様は殿下をお助けしたいだけで大変寛大なお心の持ち主ですので、たとえ罪を犯した平民であろうとも、広い心でお許しくださり、おとりなしくださるでしょう」
そう言うと、レオニーはカレンたちから離れていった。
それ以降、客足は戻らなかった。
カレンがつくるポーションは、これからもしかすると国王によって断罪されるかもしれないポーションになってしまったのだ。
みんなカレンたちを遠巻きにしている。
「……商売あがったりですね。今日のところは帰りますか」
「では、まずはユリウスに助けを求めなくてはな」
「なんでユリウス様!?」
ヴァルトリーデの言葉にぎょっとするカレンに、ヴァルトリーデは困惑顔をする。
「何だその反応は! 先程言っていただろう! ダンジョンの最下層にいる冒険者を呼び戻せるほどの時間がほしい、と!」
「言いましたけど、呼び戻すのはわたしじゃないですよ?」
きょとん、と目を丸くするヴァルトリーデと共に、カレンはサロンを抜け出した。
ヴァルトリーデの馬車に乗り込んだところでカレンは言った。
「ヴァルトリーデ様、国王陛下にこうお伝えしてもらってもいいですか? 自身の名誉のためにもこのような言いがかりは決して受け入れられないって。断固として戦うって。そして、名誉の回復のために相手側が決して逃げ出すことがないようにしてほしいとお願いしてください」
「そんなことを伝えて大丈夫なのか?」
「少なくともヴァルトリーデ様は大丈夫です。これはヴァルトリーデ様の勢力を測る小手調べのようなものです。国王陛下はヴァルトリーデ様を試そうとしているんじゃないでしょうか?」
「……陛下はベネディクタ様の企みに乗ったわけではなく、私を試している?」
「そう思います。わたしが師匠に試されたときと同じにおいがするので」
ベネディクタとレオニーにはヴァルトリーデに対する害意があるのかもしれない。
だが、その刃はカレンにしか届いていなかった。
誰かがその切っ先をヴァルトリーデからずらしたなら、それは国王なのだろう。
「陛下の期待に応えるためにも、ヴァルトリーデ様は断固たる態度を取ってください」
「私は構わないが、カレンも決して逃げられなくなるぞ」
「大丈夫だと思います。……ヴァルトリーデ様には陛下と交渉してもらい、逃げたら王都追放! くらいまで持って行って、相手方が決して雲隠れすることがないように追い込んでほしいです」
「自信があるのだな、カレン?」
「だからシーレ伯爵夫人の提案をお受けしたんですよ」
「ならばさっさとそう言え! 心臓に悪い!」
「すみませ~ん」
半泣きになるヴァルトリーデに軽い口調で謝ったあと、ヴァルトリーデから顔を逸らしたカレンは馬車の窓の外を見つめた。
貴族街の通りを駆ける子どもたちの姿を見て、カレンは唇をきゅっと引き締めた。