石鹸騒動
「ヴァルトリーデ殿下のシルクパウダーはとても素晴らしいですわね。手に入りにくいのがとても残念です」
「錬金術師によれば随分魔力を消耗するらしくてな。だが、それだけに肌の仕上がりもよく、日にも焼けず、他にも肌に良い効果があるのだ」
ヴァルトリーデは得意げに言った。今日も立派に広告塔の役目を果たしてくれていた。
そう言うヴァルトリーデの肌は陶器のように滑らかで白く、シミ一つない。
化粧品のおかげではなくこれまでほとんど邸内に引きこもっていたためだと思われる。
今日ヴァルトリーデが招待されたのは、美の研究をするためのサロンだった。ヴァルトリーデは招待を受けカレンを連れてきた。
他にも、化粧品をつくらせている錬金術師や商人を連れている貴族がいた。
「ヴァルトリーデ殿下の白粉ほどではありませんが、私の知る店も絹でできた美しい練り白粉を売っているのですよ。そちらには回復ポーションを練りこんでいて、肌に塗ると荒れた肌が蘇るのです」
「まあっ、蘇るですって?」
「素敵な響きだわ。その店を紹介してちょうだい」
お互いが持っている美の最新情報を交換する社交の場となっている。
カレン以外にもシルクで化粧品をつくる人がいるんだなと、カレンも耳をそばだてて情報収拾に励んだ。
しかも、シルク自体をポーション化しているわけではないものの、ポーションを壊れないように加えて、無魔力素材ポーションのような効果を演出しているらしい。
確かにポーションに汗一滴が入ったからといってすぐに壊れるわけじゃない。
臨界点があるはずである。
そういう方法もあるのかと、油断してふんふんとうなずいていたカレンは虚を突かれることとなった。
「実はその商会の会長から相談をされていて……開発した商品が次々と真似をされてしまって、困っているらしいのです」
「まあ、業務妨害だわ」
「開発者の邪魔をするだなんて許せないわね。なんという商会の者なのかしら?」
「商会ではなく、錬金術師の仕業らしいのです――長らくFランクであったにも関わらず、急に名前が売れ出した錬金術師がいると聞けば、何も事情を知らない私でもおかしいとわかりますわ」
そう言って扇子の影からカレンを盗み見しようとした婦人と、無遠慮に聞き耳を立てて普通にそちらを見ていたカレンはまともに視線がかち合った。
「えっ!? 私のことですか!?」
「嫌だわ、盗み聞きだなんて」
「あれではレシピを盗んでいてもおかしくありませんわね」
「みなさん、一方の意見だけを聞いて疑うのもよくありませんわ」
とある商会からの相談を受けていると切り出してカレンへの悪意を誘導した婦人が、その口で場をなだめた。
彼女は緑の髪の、柔らかな微笑みを浮かべた二十代後半の既婚婦人だった。
黄緑色のドレスを着ていて、裕福そうな身なりをしている。
微笑みを浮かべてカレンを見つめるその表情からは、害意が一切感じられないのが逆に恐ろしく、カレンはごくりと生唾を飲みこんだ。
場の空気に異変を感じたのか、離れていたヴァルトリーデが戻ってくる。
「どうしたのだ、カレン?」
「申し訳ありません、ヴァルトリーデ様……私の問題に巻き込んでしまってもいいですか?」
「構わぬ」
ヴァルトリーデは何も聞かずに即答した。
「私も巻き込んでいるゆえな。で、何があった?」
「それはこれから教えていただけるみたいです」
「そなたは……シーレ伯爵夫人だな」
「お初にお目にかかります、ヴァルトリーデ王女殿下。ご存じいただいていたとは恐縮です」
カレンと相対する人物を見てヴァルトリーデはすぐに誰だかわかったようだった。
シーレ伯爵夫人はトラブルの渦中にいるとは思えないほど優雅にお辞儀をして、はにかんだ。
ヴァルトリーデはカレンに耳打ちした。
「側妃ベネディクタの筆頭侍女、レオニー・シーレだ」
「なるほど」
つまりヴァルトリーデの、正確には母親の敵が、ヴァルトリーデの明らかな弱点に見えるカレンという平民に狙いをつけて攻撃を仕掛けてきたらしい。
ヴァルトリーデの本当の弱点は魔物なのに。バレていなくて幸いである。
「ベネディクタ様が愛用されている化粧品を生産しているイザーク商会が、あなたにレシピを盗用されているのではないかという懸念を私に打ち明けてくれたのですよ、錬金術師カレン。心当たりはありますか?」
「ありません」
「そうですわね。たとえ心当たりがあったとして、正直に言えはしないでしょう」
悲しげに眉を顰める憂い顔のレオニーを、ヴァルトリーデは高い視線からねめつけた。
「シーレ伯爵夫人、その口ぶりではまるで私の錬金術師がレシピを盗用していると決めつけるようではないか?」
「ああ、申し訳ございません、殿下。つい近しい者に感情移入してしまいました。殿下も、近しい者の潔白を信じたいでしょう。お気持ちはよくわかりますわ」
やんわりとした口調ながらにやはりカレンの罪を決めつけている。
言い返そうとしたヴァルトリーデを、カレンは制止した。
「シーレ伯爵夫人は私の無実の可能性を信じてくださっているのですよね? だからこうして訊ねてくださっているのだと思います」
「ええ、もちろんです。可能性はいつだって残っていますわ。真実を白日のもとに晒すまでは――」
「それでは、私かシーレ伯爵夫人の友人であるイザーク商会の会長か、どちらが嘘をついているのかを証明するための場を用意してもらえないでしょうか?」
多分これは、そういう話だった。
だからそれ以上話を長引かせることなく、カレンから本題に入った。
いい人面をしているために、言葉を遮られたことにレオニーは不快感を示したりはしなかった。
我が意を得たりとばかりに嬉しげに微笑んだ。
「実はすでにその場は用意されているのですよ。こちらをご覧ください」
そう言ってレオニーはカレンに封筒を差し出した。
薔薇模様の封蝋が捺された封筒だった。
ヴァルトリーデは顔をしかめた。
「第一側妃の印ではないか」
「これはベネディクタ様が錬金術師カレンを招待するものです。イザークも招待しますので、ベネディクタ様の前でどちらが真実を口にしているかを証明する余興を催していただきます」
「余興、ですか」
いきなりレシピの窃盗を疑われたカレンからしてみれば軽く人生がかかっている。
だが、貴族にとっては二人の平民のうちどちらが嘘を吐いているのかを証明する場は、単なる余興であるらしかった。