師の教え2
ティムの方はユルヤナに対して当然思うところがあるようだったが、ユルヤナはティムを完全無視している。
むしろ、存在に気づいていない可能性すらあった。
何しろユルヤナの視線がカレンにしか向かわない。
貴族たちが使用人を空気のように無視する姿はこれまでも見てきたものの、それとも違って、本当に視界に入っていないように見える。
「昔私が使っていた中古なんですけど、まだまだ使えますのでぜひ受け取ってください!」
「うわっ!?」
ユルヤナがカレンに差し出したのは、錬金釜だった。
それは真っ黒な素材でできていて、重くて受け取れずにカレンはその場に置いてしまった。
ただでさえ錬金釜は重いものの、この重さは群を抜いている。
漆黒の重たい金属に心当たりがあり、カレンはひっと悲鳴をあげた。
「まさかこれ、アダマンタイトの……? そんなの受け取れません!」
別名、黒鋼。恐ろしく高価な魔法鉱物製の錬金釜である。
ユルヤナはほとんど錬金術ギルドに住み込んでいるものの、カレンに修行をつける前に一旦家に帰るとかで、待たされていた。
何をしに家に戻ったのかと思っていたら、カレンに自分の中古の錬金釜を贈ろうと持ってきたのだと言う。
遠慮するカレンに、ニコニコしていたユルヤナは笑みを深めて言った。
「わかりました。言い方を変えましょう――受け取りなさい、カレンさん。師匠として弟子がいつまでも家庭用の鉄鍋を使ってポーションをつくっている状況を看過できません」
カレンは未だに家庭用の鍋を使ってポーションを作っている。
恐らくは魔力的にものすごく非効率ではあるんだろうな、とカレンもよくよく理解はしている。
「錬金釜を買うためにわたし、お金を貯めているところなので……!」
「何を買う予定なんですか? どうせ耐魔力コーティングが施された金製の錬金釜あたりでしょう?」
「金は高すぎるので鉄……いえ、奮発して銀にしようかな?」
「ありえません」
ユルヤナは笑顔できっぱりとカレンのお買い物計画を却下した。
「最低でもアダマンタイトですよ、カレンさん。魔法鉱物製の錬金釜以外でポーションをつくるなんて、魔力と素材の無駄です。弟子なら師匠のお下がりを喜んで受け取り、何よりも修行に励みなさい」
「ありがたく受け取らせていただきます……」
カレンは諦めて受け取った。
ユルヤナが親切心で言っているのではなく、修行の効率を上げるための措置だとはっきりとわかった。
ここで遠慮するのはカレンの自己満足で、いたずらにユルヤナの時間を奪うだけになるだろう。
「錬金釜のためにお金を貯めているのなら、あと百倍貯めてミスリル製の錬金釜を購入するように。百倍で足りるかはわかりませんが」
「ひぃ~! そんなにするんですか!?」
「魔法鉱物は貴重ですからね。貴族たちでも中々手に入らないそうですよ」
「そんな貴重なものを……! ありがとうございますっ!」
「新ポーションでお返ししてくださいねっ!」
「頑張ります……!」
カレンはプレッシャーに半泣きになりかけたあと、あっと気がついて声をあげた。
「そういえば今つくってるポーション、論文には載せなかった解熱のポーションですよ」
「どうして載せないのですか!?」
「蜂蜜レモンはさすがに馬鹿にしてると思われそうなので……」
本当に蜂蜜レモンでポーションをつくれば解熱のポーションになるのに、論文にそう書いてもポーションの再現ができない以上、信じてもらえないだろうというナタリアのアドバイスである。
カレンもそう思ったので、論文にはこの世界では食用としてすらあまり知られていない、ハーブ系のブレンドティーでつくった解熱ポーションのレシピを載せてある。
「新しいレシピ……はぁ」
ハートのつきそうな甘い声でささやく師匠に苦笑しつつ、カレンはサクサク蜂蜜レモンに魔力をこめていく。
魔力をこめ終わった蜂蜜レモンに鑑定鏡をかざせば、カレンの思った通りの熱を下げる効果のあるポーションである。
「ふむ。やはり変化はしないんですねえ」
「魔力素材のポーションが溶けるのと同じような変化ってことですよね?」
「はい。機序的にできると思うのですよねえ。カレンさん、もう一度やってみてください」
「え? は、はい!」
カレンは新しい蜂蜜レモンを用意して、ユルヤナの言葉に耳を傾けた。
「恐らくカレンさんは無魔力素材のポーションをつくる時、料理を想像していると思われます。ですが今回は、回復ポーションをつくるのと同様の錬金術であることを意識してください」
「確かにわたし、料理のつもりでやっていました……錬金術として……」
「蜂蜜レモンに魔力をこめてください。その素材についてのあらゆる知識を総動員し、理解し、ポーションに変化するように願うのです」
「わかりました……!」
手を翳すと目を閉じて、ユルヤナの指示通りにカレンは想像をした。
蜂蜜レモン。これを素材に、魔力をこめる。
あたかも回復ポーションをつくるかのように変化を願う――
「成功しましたよ、カレンさん!」
「……わっ、本当に液体になってる!?」
蜂蜜めいた色をしてはいるものの、中に入っていたレモンの形跡がどこにもない。
液体は蜂蜜のような粘性はなく揺らすとさらさらの水のよう。
鑑定鏡を翳してみれば、その効果は熱を下げる解熱のポーションとなっている。
「師匠! できました! ちょっと飲んでみますね!」
「是非そうしてみてください。でも私の分も残しておいてください」
カレンは蜂蜜レモンポーションを一口飲み、しょぼんとした。
「蜂蜜レモンの味……するけど……なんかちょっと違う」
「あんまり美味しくありませんねえ」
前世のお菓子にあったような蜂蜜レモン味ではない。
蜂蜜レモンの皮や種の雑味までもが滑らかに加わった、なんとも言えない味である。
完全に液体の中で味が均一化されてしまっている。
「まあ、無魔力素材のポーションも普通のポーションと同様液体になるとわかったことは収穫ですよ。つまりは魔力素材のポーションも、ともすれば固体のままポーションにできるかもしれないということです」
「回復ポーションの場合は薬草のままポーションになるかもしれない、ってことですね」
「あ~やっぱりカレンさんは面白いですねえ! カレンさんから学んで私も早く無魔力素材ポーションの奥義を会得しなければいけませんね!」
「学ぶのは私の方ですよ?」
「もっちろん、それはわかっていますとも」
カレンに教えるついでにユルヤナも楽しく学ぶ予定らしい。
「師匠って、本当に無魔力素材のポーション、つくれないんですか? わたしがレシピを公開しているのも?」
「家に帰って一度全力全開で魔力を使い尽くしましてカレンさんのレシピでポーションを作成してみましたけれど、それでもポーションにはなってくれませんでした。一体、カレンさんと私の違いは何なんでしょうねえ」
「まだ作れていないですか……」
「作れないままでいてほしいですか、カレンさん?」
ユルヤナが意地悪くにやりと笑うも、カレンはきょとんとした。
「いえっ、早く作れるようになってほしいです! わたしのレシピのうちのいくつかって、みんなも作れるようになったら飛び級できるかもってナタリアに言われているんです!」
王女の推薦状という手札はあるが、切り札は多いほどいい。
カレンが目指しているのはDランクやCランクではない。Sランクなのである。
カレンの勢いに眼鏡の奥で目をまたたいたユルヤナは、にぱっと笑ってうなずいた。
「わっかりました! 作れるようになったらまっさきにカレンさんに報告しますねっ!」
「お願いしまっす! 応援してます!」
「応援までされちゃいましたか! 頑張りますね!」
ユルヤナは目を細めて照れたように笑うと、さっさとカレンの錬金工房をあとにした。