第二章 5
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お世辞も働いたかも知れないが、感心されるのは、いい気分だ。紙くずのリモコンで動く玩具のアイディアは、独りよがりの突飛なものではなかったみたいだ。
「おい、うまくいったなあ。一〇一号室の平田さんだ」
塚本は斜め後ろを転がってついてくる紙くずに言った。
まっすぐな舗装された道。両側が住宅の一方通行の道だった。道幅は余り広くないが、歩行者のために白線が引かれていた。並んでも余裕があったが、紙くずは、左側、斜め後ろを転がった。
小さくはあったが、カラカラという音を塚本の耳に届かせた。普通の紙だったら、転がる音がここまで聞こえることはないのではないか。一晩で表面を大きく変貌させた紙くずだが、地面を転がる時は、擦り切れたり、破れたりしないように変質するのだろうか。
角に差し掛かったところで、塚本は止まって、手作りリモコンを取り出した。紙くずの前で「止まる」ボタンを押した。
周囲に人影はないが、慣れさせるためにそうした。
「こっちに曲がる」
塚本は広い通りを左に曲がることを指で示したが、疲れたのではないか、と両掌の甲をアスファルトの上につけた。
「公園まで休憩するか?」
そう語りかけた。広い通りは、両側が歩道になっているが、歩道の端は段差ではなく、傾斜になっている。紙くずは、同意しなかった。塚本の掌を迂回して、自ら転がり上がったのだった。
「大丈夫らしいな」
塚本は歩き出した。すぐに、塚本が前に紙くずが斜め後ろに従う形になった。
バスが過ぎて行った。私鉄の最寄り駅始発のバスが出ているのだ。停留所は、塚本の散歩コースにはなかった。
公園まで数百メートル、出来れば誰にも会わずにたどりつきたかったが、そうはいかなかった。
前から男の人が歩いて来る。自分と同じ程の年齢だろうか。余り目立ち過ぎるのも問題だ。
「何か聞かれるかも知れんぞ」
塚本は、俯き加減に小さな声で言った。
すれ違ったが、何も言われなかった。多分、視界にはいったろうし、音にも気づいたかも知れないが何も言われなかった。
公園の入り口の石の坂は先刻の歩道のものより長く、しかもデコボコしている。しかし、紙くずは、難なくコンクリートの坂を上りきった。
塚本は、いつものベンチに腰をおろす。体操でもしたくなるいい日和である。公園には、誰もいなかった。紙くずは塚本の足元でじっとしている。
「遊びたかったら、転がっていいんだぞ。うまくやってやる」
塚本は、偽のコントローラーを紙くずに向かって左右に振った。
紙くずは、止まったままだった。
「隣に座るか?」
塚本はハンカチーフを取り出した。
見た目はきれいだが、土がついてないわけはない。ハンカチを取り出したのは、紙くずのためよりベンチを汚したくない気持ちからだった。
紙くずは、拒否するように三十センチばかり離れた。
自分に気を使ってくれているのだろうか。どう考えたって、紙くずと並んでベンチに座る老人の姿はまともには見えない。
「無理には勧めんよ」
塚本は公園を見渡し、見慣れた景色を眺めた。
紙くずに逃げる気持ちがなさそうなのに安心する自分がいた。
十分程休んで、塚本は「行くぞ」と紙くずに声をかけてベンチから立ち上がった。
ここまでは、紙くずの動きについて、知らない人から声を掛けられることはなかったが、ここから、先は分からない。公園を出てからも塚本の緊張は続いた。
出入り口を出て歩道を左に進む。向こうから、前に体を折り曲げたおばあさんが、公園の壁沿いに歩いて来る。
どうしようか。
塚本は、歩道の右側に寄った。紙くずも合わせて右側に来る。
おばあさんは、すれ違った後、「アラァ」と声を出した。
塚本は、逃げ出すように歩調を速めていた。紙くずは、軽やかな音を立ててしっかりついて来る。
道を左に曲がる。通りの幅は狭くなり、塚本と紙くずは、ガードレールの内側を進んだ。ここでは、誰ともすれ違うことはなかった。
左に曲がると、榊コーポの前の道である。向こう側を歩く男性がいたが、こちらを見ることもなく歩いて行った。
結局、散歩初日のこの日、紙くずについて、質問して来た人はいなかった。
玄関のタタキに紙くずを待たせて、雑巾を二枚上り口に置いた。
斜めの所を転がりあがれても、上り口にジャンプする能力までは出来ない。
塚本は、紙くずを雑巾の上に置いた。
出る時と全く変わらない形と白さを保っていたが、あれだけ転がって土をつけないわけがないだろうとの気持ちがそうさせた。
「この上で転がれるかな」
塚本は往復運動をするよう腕を左右に動かした。
紙くずは、塚本の意図をすんなり理解してくれた。五回も雑巾の上を右から左、左から右と横断した。うっすらと雑巾に色がついたが、ごく狭い範囲だった。
そうだ、転がっても土を付けないんですね、などと公園で聞かれたりしたら、強靭な土なども付着させない特殊な被膜をコーティングした材質で出来ているんですよ、と答えよう。
リビングの隅に向かって転がって行く紙くずに塚本は思った。




