Ⅱ部 第二章 8
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クエエッという鳴き声が、繰り返される。
平田さんが、ザッとカーテンを勢いよく引いた。
[私]の焦点が、曇りガラスの向こうに黒い影を捕らえた。ベランダの手すりに止まっている。羽を動かしている。
部屋の中で安全なはずなのに、[私]は、さらなる被膜が出来るのを感じた。
黒い影が、ベランダに降り立った。羽が広がるのが見えた。やけに大きく見えた。
平田さんは、ガラス戸を叩いた。
飛び立たない。クエエッ、ギエエッとも聞こえる喉を締め付けるような鳴き声が、リビングの空気を切り裂く。
「もうっ」、平田さんは、部屋を出て行き、水が入ったボールを持って戻って来た。ガラス戸を開けると、「カラス」とひと言、ボールの水をひっかけた。バシャっというコンクリートに弾ける水音と飛び立つ羽音が重なった。
平田さんも塚本さんと同じ表現を用いた。
痩せたカラス。
目が怖かったとも言った。
ピンクのネコが、再び、ペット用ケースから出され、話題が、こちらに移った。
平田さんは、ピンクのネコの名前をレンと決めたと言い、そもそもは捨てられていたのだと塚本さんに話した。
レン、[私]と同類なのだと焦点を合わせる中で、平田さんは、このピンクの美しい毛並みを有したネコが、転勤に伴って飼うことが出来ないから引き取ってもらえないかと頼んで来た人の関係者に起こったよくない出来事を塚本さんに話して聞かせた。
そうして、平田さんの口から「不吉なネコ」という言葉が出たのだった。
拾って来た人のまわりに起こったよくない出来事のことなど、[私]の記憶には残らなかったが、「不吉なネコ」というフレーズだけがしっかりと残った。
一〇三号室に戻った塚本さんは、[私]に「痩せたカラスに十分注意しような」と言った。
その夜、[私]は、変貌した。
円錐形の尖がりが出来たのだった。場所は、五角形や六角形の凹みがある部分だった。
[私]の思考は、その鋭い円錐の尖がりを戦いのための武器である、と認識した。倒すべき敵は、痩せたカラスに他ならなかった。




