29話 虚構の自信
「あらお早いご帰宅で」
それは腰を曲げたミルボナの姿だ。
よかった……!
屋敷はどうやら無事のようだ……!!
「ミルボナ婆様! 大丈夫? なにか変なことされてない?」
「――? いまいち意味が分かりませんね」
ミルボナの淡白すぎる返答に一瞬固まるヴァニラ。
「ミ、ミルボナ婆様! あ、あのね、ヴァニラ頑張ったの。野宿の時はお手伝いしたりね、イノディクトを倒してエリーモアの街を助けたんだよ……!」
ミルボナは皺だらけの目を細めてチラッと足下のヴァニラを一瞥する。
「そうですか。野宿は知りませんが、イノディクト討伐は大方マリナの手柄でしょう。アナタ様に討伐出来るはずがないのですから」
「――! た、たしかにマリナさんにも手伝ってもらったけど……最後はヴァニラが……」
「それは本当にアナタだけの力ですか? マリナやシュントの助けなしにイノディクトを討伐出来たとでも?」
「――そ、それは……」
俯いて言葉が詰まるヴァニラ。
俺も流石に我慢の限界だ。
「な、ど、どうしたんですかミルボナさん! たしかに全てが独力ではないですがヴァニラ様はイノディクト討伐に大いに貢献してくださいました!」
ヴァニラを睨んでいた細い目がこちらを向く。
「私は野宿の際、ヴァニラ様に突然襲って来たドーベルファングからお守りいただきました!」
「そうですか」
冷たく流す5文字が憎たらしい。
「――お嬢様。本当にエリクス様がアナタを信頼してエリーモアに向かわせたとでもお思いで?」
「――え……? だってあの時お父様は良くやったって……」
「エリクス様は才能が無いアナタ様を後継者にしたくないが為にイノディクト討伐に向かわせたのです。まぁ残念なことにその思惑は外れたようですが」
その瞬間。
俺は無意識で【沈黙魔杖】に手を伸ばしていた。
「――まぁこの話は終わりにして食事にでもしましょう。シュント、アナタは泥だらけなので風呂にでも入って来なさい」
そう言ってミルボナは屋敷に入って行ってしまった。
俺たちの言い合いを見ていた庭師達もひそひそとヴァニラの方を向いて話している。
どうなっている……?
俺たちがいない間にヴァニラの株が急激に下がっている……?
いや、あれはもはや嫌悪にすら見えた。
「ヴァニラ様……大丈夫ですか?」
俯いたまま動かないヴァニラ。
「――うん……ヴァニラよかった。ミルボナ婆様が無事で」
「じゃあシュントはお風呂はいっておいで。ヴァニラはお部屋に居るから」
「き、危険です……! マリナの裏切りで屋敷も安全とは言えないのですよ!?」
陽が落ちかけた屋敷前。
森に帰るカラスの鳴き声が遠くから聞こえる。
「――シュントも……ヴァニラの事信じてくれない……?」
充血した瞳で俺の方に振り向くヴァニラの姿はいつぞやのエリクスとの訓練後を思い出させる。
「い、いえ」
「ありがとう。ヴァニラ先にいくね……」
トボトボと屋敷に入っていくヴァニラの背中からは今まで俺と積み上げた虚構の自信など微塵も感じることが出来なかった。
「はぁぁぁぁーー! 気持ちいいーー!!」
なんだかんだ二日ぶりの風呂だ。
それも濃ゆい濃ゆい二日。
しかし何度顔をお湯につけても、ヴァニラのあの表情が脳裏から離れてくれない。
「でもしょーがないよなー……」
おそらくヴァニラが屋敷で信用していた二人だ。
いつも側で世話をしてくれたマリナは実の父親を裏切っていて、娘である自分の事を脅す道具としか見ていなかった。
そして、裏切りに巻き込まれていないか心配で馬を飛ばして帰った瞬間、その心配していた人物から心無い批判を受ける。
最もヴァニラに自信をつけたはずのエリクスは実は自分に全く期待などしていなかった。
むしろ後継者に選びたくも無いとさえ思っていた。
この三連コンボだけで一生人間不信になってもおかしくない。
次の瞬間。
爆発音のような音と共にお湯がバシャバシャと揺れた。