17【第四歌】《娘》3/4 ルカと日蝕
《日蝕とルカ》
食事のあと、麟太郎とホテルに行った。まだ早いので時間はたっぷりある。
「今日は、マッサージをしようか」
「嬉しい!」
全裸になり、うつぶせになった私に彼はシーツとタオルをかけ、足裏からマッサージをはじめた。
足裏マッサージは苦手だった。足つぼマッサージは痛いだけで効いている気がしない。「内臓のどこそこが悪いですね」などといわれるが、「本当に内臓と足裏が本当につながっているの」なんて思ってしまう。だからといってソフトに足裏をマッサージされると、くすぐったくて足を引っ込めてしまう。
でも、麟太郎の足裏のマッサージは今までに体験したことのない気持ちよさだった。しっかりと圧はかかっているが、まったく痛くない。足裏の筋に沿って、その間を縫っているようだ。
両方の足裏にじっくりと時間をかけている。気持ちよさに、うつらうつらしていると手はふくらはぎに移った。
「ねえ、おしゃべりしてもいい?このままでは眠ってしまいそうで」
「眠っちゃってもいいのに」
「せっかく一緒にいるのにもったいないから」
「それもそうだね」
「ハワイ島に皆既日蝕を見に行ったって言ってたでしょ。やはり皆既日蝕ってすごかった?」
「実はその日は曇りで皆既日蝕を見ることができなかったんだよ」
「まあ、それは残念だったわね」
「いや。それがよかったんだ」
「どういうこと」
「もちろん最初は曇りで残念だと思った。コロナやダイヤモンド・リングを肉眼で見ることができると期待していたからね。ハワイ在住の友人からは、車で数十分走ると晴れているところがあるから行こうと言われた。でも、そのときね甲骨文のことを思い出したんだ。古代の中国では月蝕は見るものではなく、聞くものだったんだよ」
「月蝕を聞くってどういうこと」
「僕もその甲骨文を読んだときには何のことか全然わからなかった。でも、それがこの日蝕で初めてわかった」
「聞くことができるの?」
「僕たちは日蝕の観察場所として晴れているところではなく、曇っているところをわざと選んだ。海岸の近くだ。空は一面の雲に覆われているけれども、雲はそんなに厚くなく、どこに太陽があるかはわかった。でも、太陽はまったく見えないので、やはり晴れているところに行けばよかったかなと思っているときに、突然、鳥たちが大声で鳴き出したんだ」
「鳥が?」
「そう。いままでは鳥の声などまったく聞こえなかったのに、突然鳴きだした。それも聞いたことのないような大きな声で。遠くの樹の葉の間にいる鳥なのだろう。声はするが、姿は見えない」
「すごい」
「すると今度はその声が止まった。ピタッと止まった。突然、静謐が訪れたんだ。時計を見ると、ちょうど日蝕が始まる時間だった。背筋が冷たくなった。
押しつぶされるような静謐の中、波の音だけが聞こえる。無音の間を縫うように聞こえる波の音は、まるで死者の声のようだった。気がつくとあたりが暗くなってきている。いや、辺りの暗さは最初は気がつかなかった。それに気がついたのは遠くの稜線を見たときだ。
キラウェア火山の噴火の名残で稜線が紅く輝いでいる。日蝕といっても、漆黒の闇になるわけではない。そうだな。羊羹のようにぬんめりとした闇の向こうに紅い稜線が蛇の舌のようにちろちろとゆらめいている。ヤマタノオロチというのは火山のことではなかったかとこのときに気がついた。
そして、その静謐と暗闇の中、僕は無意識のうちに低く唸っていた。おそらく何かの歌を歌っていたと思うんだ。でも、それはいわゆる歌ではなかった。ハワイのチャントのようでもあり、能の謡のようでもあり…。足の裏から湧きおこってくる歌だった」
私はマッサージされていることを忘れて彼の話に聞き入っていた。しかし、彼は着実に、しかし淡々とマッサージを続け、その手はふくらはぎから太ももに移っていた。
「ふと気づいて隣にいるルカを見た。ルカは呆けたように紅い稜線を見つめていた。その目があまりにうつろだったので、ルカ、と声をかけてしまった。しかし、ルカはその声が聞こえないかのように、じっと稜線を見つめ続けていた」
「あ」
こんな話の最中に、と思いながらも、思わず声が出てしまった。太ももをマッサージする麟太郎の指がわたしの性器に触れたのだ。
「ごめん」
「ううん、いいの。感じちゃった。それで、それからどうなったの」
「それがどのくらい続いたのか覚えていない。永遠に続く時間のようだったとも、あるいは一瞬だったような気もする。また、突然、鳥が鳴きだし、淡い光がゆっくりと戻って来た。
驚いたのはそのあとだった。ルカが舞い出したんだ。あれは決して踊りではない、舞だ。スローモーションのようなゆったりした動き。僕はちゃんと見たことがないけれども、能の舞ってあんな感じじゃないかな。闇から光に戻る、そのスピードにあわせて舞っているような動きだった。
ルカの口から微かな声が漏れていた。それは”יהי אור(イエヒー・オール=光あれ)"だったんだ。”יהי אור”を何度も何度も低吟しながらルカは舞っていた。その顔は昂揚して、だんだん真っ赤に変わっていった」
「感情を失くしたルカ君にとっては、日蝕は精神の復活をうながすものだったのね」
「うん、そうだね。さあ、話はこれくらいにしてマッサージに集中するね」
わたしも目を閉じて意識を彼の指先の動きに集中した。愛撫のときとは違って性的な感じをまったく感じさせない確信的な触れ方は、ちょっと残念な感じがするが、それでも深いリラックス感に陶酔する。
背面が終わると仰向けになり、脛のマッサージになった。
「前脛骨筋が固いね。脚が疲れるでしょう」
前脛骨筋というのがどこの筋肉なのかは知らないが、確かに15分ほど歩くと脚の前面がパンパンになる。彼はゆっくりとほぐしてくれた。
脛が終わると彼の手は、ももの前面に移動する。長く大きなストロークでももをマッサージする。性器周辺は注意深く避けている。ちょっと物足りないが、しかし安心感がある。前面のマッサージは、背面と違って眠くはならない。
ももが終わるとお腹になった。内臓の位置を確かめ、調整するような繊細なマッサージだ。お腹がきゅるきゅる鳴る。胸になる。胸も乳首は避けられる。デコルテも終わると「ちょっと待ってて」と彼は言い、からだから手を離した。これまでの一連の流れの中で、彼の手が必ずどこかに触れていたことに、このときはじめて気がついた。
「これから顔をマッサージするから、手を洗ってくるね」
そういって顔のマッサージをしてくれた。自分でも気づかなかったが頬のあたりがかなり疲れていた。
マッサージのあとは指と舌を使って愛撫をしてくれた。性器を挿入するかどうかはどうでもいいと思った。彼の愛撫に、わたしは充分に満足した。レズビアンの恋人たちの気持ちがよくわかる。ただ、麟太郎に申し訳ないという気持ちはあった。
「少しだけ、わたしもしていい?」
「うん、いいよ」
唇と舌を使って彼の首や胸を愛撫した。麟太郎は気持ちよさそうに、わたしの愛撫を受けた。下着に手をかけた。前のときはそこで拒否をされたが、今日は止められなかった。
「一緒にお風呂に入ろうか」
「うん。お風呂の中で続きをしてもいい?」
「いいよ」
彼は笑って答えた。ジャグジーのついた大きなお風呂をバブルバスにして向いあって入った。彼のマネをして、足裏からマッサージした。麟太郎と違ってマッサージの仕方を知らないので、軽く擦るだけだ。内くるぶしからももの内側を擦っていくと睾丸がある。
「ここはいやじゃない?」
彼は黙ってうなずいた。睾丸を優しく包んで軽いタッチでマッサージをする。睾丸と男根との間を擦る。
麟太郎は目を閉じて、その感触を楽しんでいるようだ。
しばらくすると麟太郎の息が深く、定期的になっていった。眠ってしまったのだろうか。構わずマッサージを続けていると、わたしもうとうとしてきた。暗い浴室で、暖かいバブルバスにつかっていると、意識の境が曖昧になる。半覚半睡の意識の中で、子どもの頃に祖父に聞かされた話が、夢のように思い出された。
もうれいゆっさの話だ。
(続く)




