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海辺の家  作者: 魚住申太郎
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01【序歌】娘 父に対する娘の不満、そして新しい恋人と夫との新しい関係

散文である娘の語りと、詩の形式を取るレビー小体型認知症の父の『日記』、散文と韻文のふたりの語りによって物語が進んでいきます。

父の『日記』は韻文なので、小説だと思って読むと読みにくいと思います。「詩」だと思ってください。


《注意》性的な描写、性器の描写、暴力の描写などがあります。

【序歌】

『海辺の家  ~カ・ノホナ・ピリ・カイ~』

Lauele ka mana'o i ke aumoe

深夜にさまよう我が思い

Hia'ā i ka 'ūlāleo o ke kai

海の霊の声に目が冴える

Ka'iawe ka hā'upu aloha

甘き思い出はゆらゆらと漂い

E ho'omālie mau nei

我を静謐に誘う

『カ・ノホナ・ピリ・カイ(Ka Nohona Pili Kai)』(Keali'i Reichel)より


▼《娘》

 坂の途中で振り返ると木々の間から海が見える。坂道を覆い隠す鬱蒼たる樹木は空を消し、空のない海に月の光がきらめく。青く光る波頭によって階段のように区切られた月の光は、不可視の月へと心を導く。


「月の階段というんだ」


 子どもの頃、そう教えてくれたのは父だった。

 その父は六十九歳になり、わたしたち家族が住んでいた家にひとりで暮らしている。かつては父と母、三人の兄弟(私が長女)、そして祖父母と暮らした家だ。それでもじゅうぶんな広さのあった家はひとり暮らしには広すぎるだろう。マンションへの転居や、老人ホームの入居も勧めたが、父はあの家から離れたくないと言う。身の回りの世話はお手伝いさんやヘルパーさんがやってくれている。父の気がすむまでは、住んでもらっていてもいいだろう。

 私はあの家がきらいだ。

 高校卒業と同時に飛び出し、ときどき戻ることもあったが、何世代にも亘って漬け込まれた記憶の澱が発酵したような臭いに吐き気をもよおした。故郷は懐かしいものだという人もいるが、そんなことを感じたことは一度もない。

 私だけではない。弟たちもあの家には寄り付かない。


娘が幼児だったとき、あの家に連れて行ったことがあるが、娘は怖いといって泣いた。それ以来、娘はあの家に近づこうとはしない。その気持ちはよくわかる。だから、無理に連れて行くことはしなかった。両親が娘に会いたいといえば、東京の家に来てもらった。

 だが去年、母が急逝し、父がひとり暮らしになったいま、父の話し相手になるために時々、この家に寄る。


「これじゃあ、芳名帳だ」


 自叙伝を書きたいから和紙のノートを買ってくるように言われたので、近所の文具店で見つけたものを持って行ったが、気に喰わないようだ。

 自叙伝といっても、父に書くことなどあるのだろうか。

 東京で学生生活を送った父は、卒業するとすぐに郷里の公立高校の教員になり、近隣の学校を転々としつつ、最後は母校の校長としてその職業生活を終えた。再任用の話もあったが、それを断り、買い溜めた本を、この家で読む生活に入った。誰もが嫌うこの家を父は好きなのだ。ときどきひとりで旅行をすることはあったが、一年の大半を家で過ごした。

 そんな父がどんな自叙伝を書くというのだろう。


「じゃあ、今度の日曜日に鳩居堂まで行ってくるわ」


 めんどくさそうにいってしまったが、外出の言い訳ができたことは嬉しかった。

 恋人と会うことができる。

 彼との逢瀬を考えると体の芯が熱くなる。

 大学卒業と同時に結婚をした夫とは、もう何年もセックスをしていなかったし、したいとも思わなかった。夫だけではない。男自体が、もうどうでもよかった。娘も成人し、私の女としての人生は終わったと思っていた。

そんなときに出会ったのが彼だった。


 娘は大学を卒業して家を出て行った。夫は家を仕事場にしていた。一日中家にいる夫とふたりですごすのは息苦しい。

 学生時代に専攻していた英語を活かしたことができないかと週一回通い始めた日本語教師養成学校の、彼は先生だった。斯波しば麟太郎りんたろうという名前にもひかれた。斯波という姓は、破壊と創造の神、シヴァ神を想像させ、麟太郎という名は古代中国の聖獣、麒麟を思い出させた。夫とふたりの息詰まる日常を破壊して、どこかに連れ去ってくれる救世主のように思った。

 あまり知られていない映画監督をふたりが好きだったことから話がはずんだ。その監督の映画が、岩波ホールで上映されているということでふたりで行った。

 抽象的な絵を撮る監督にしては、エロティックな場面が多い映画だった。


 「やだ、映画を観て興奮している」


 唾を飲みこむ音を彼に聞かれはしないかと心配だった。

 そのときに右の手の甲に、彼の指が触れた。薄絹を一枚隔てているかのような触れ方だった。思わず声が出そうになった。下半身が熱くなり、何年も枯れていた私の泉から滾々と水が湧き出すのを感じた。


 「生命の水だ」


 玄妙の門が開かれるのを感じた。その帰り、私から誘って湯島のラブホテルに行った。

 

 その夜、久しぶりに夫とも交わった。これも私が誘った。


 「どうしたんだ、とつぜん」


 驚く夫に彼のことを話した。

 彼のことを話そうかどうかはまったく悩まなかった。夫の性格だ。殴られることはないだろう。しかし、理解してくれるとも思わなかった。娘が独立したいま、離婚してもいいと思っていた。いまの息づまる生活を続けるよりは、その方がずっと楽だ。

 しかし、夫はこのことを受け入れた。それだけでなく、むしろ喜んだ。


 驚いた。


 結婚前にもなかったような激しいセックスをした。気持ちはよかったが、正直にいえば、これで夫とのセックスは、もうなくてもいいとも思った。

 そしてそのあと、夫も恋人を作る宣言をした。

 いまは夫にも恋人がいる。夫も、彼の恋人も、そして私の恋人も、お互いにパートナーがいることを受け入れている。父も、母も、正直になっていれば、あのような苦しみを味わうことはなかったろうにと思う。

母の急逝によって日本語教師になるための勉強はやめたが、彼とは月に一、二度会っている。


(つづく)

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