気球船と闘争
6月になると、北半球の殆んどのエリアでは降雪は止み雲は薄くなって、晴れることが増えてくる。
こうなると分厚く積もった雪は一斉に溶け始め、雪が溶ければそこら中で『洪水』が発生しだす。
『穴』である地下街の防水、排水機構は万全だったけど、ホール外の陸路はこの『雪解け』が収まるまでは殆んど使い物にならなくなる。
「・・実習ぶりだけど、凄いね」
落下防止のストラップ付きカメラで地上の様子を興味津々で撮っているナツミ。ナツミ自身にも落下防止の安全帯が付けられてる。
未だ雪で覆われた地上の巨木の森にはいく筋もの『大河』が発生し、あちこちに大きな湖も発生していた。
春と秋に多目的キャタピラ車を走らせる公道の多くはこの大河の発生を破綻なく誘導する為に整備されている。
「ちゃんと座標刻印してる? 精度低いと、再調査だよ」
俺は『操縦士役』を担当。俺とナツミが乗っているのは水晶気球船だ。飛行船じゃない。
水晶気球船は球皮上部の排気口に『熱風石』と呼ばれる熱を風に変換するよう加工した水晶を取り付けた気球。
普通の気球は上下移動以外は風任せだが、熱風石の推進力を使えばある程度は方向を任意で操作できる。イカの泳ぎ方みたいなもんだよ。
欠点は熱風石はすぐエネルギーが溜まってしまうので、風の『放出』の間隔を計算して航空計画を練る必要がある。
まぁいよいよヤバくなったら安全帯を切って、パラシュートで脱出もできるけど、水晶気球船1機当たりの価格がヤバい。
加えて洪水期の地上は、場合によって白魔の天国になってる冬季の地上よりヤバかったりする。それは、
「あっ!『龍』、来たっ!!」
大河の1つから、ヌッと巨大な龍のようなシルエットの不定形の怪物が姿を表した。
白魔の洪水期の形態だ。
同種の無数の白魔が集まって『龍状耐性個体』になって、水没と避け難いヤツらには猛毒の『日光』と『月光』から身を護ってる。
この形態に変化し、維持するだけで相当消耗するが、龍形にならずに安全に洪水期を乗り切れる場所を確保するのは難しく、大半の白魔は龍化する。
龍になっても明確に縄張りはあるので、それらの記録解析も気球船の観測のおける重大な任務だった。
「ナツミ、はしゃぎ過ぎだって。そろそろ風を放出すっからっ!」
まぁ龍より、洪水の経過観測が一番大事な任務なんだけどさ。
白魔は龍だろうがなんだろうが対処可能。倒せるから。ただ、天変地異級の洪水のホールへの直撃はお手上げだ。
諸々の調査は洪水期後の待望の『夏期』のホールごとの行動計画にも大きく影響するっ!
「あ、待ってっ、ユキヒコっ! 放出の『軌跡』撮りたいっ!!」
「関係無いのばっかり撮ると、ホント怒られるよ?」
実はここ2週間くらい任務がバラバラでロクに顔を合わせてなくて、正直俺も少し浮かれてけど、こんな空の上で2人で浮かれだしてらガチで落下事故起こしそうだった。
「はいはい、真面目真面目。・・放出、どうぞっ!!」
「なんだかな、・・傾くよっ?」
自分も吊り革に片手はしっかり掴まって、進路のレバーを引いた。
パシュウゥゥッッ!!!!
開いた上部排出口から熱風石に反応して光る風が排出されるっ!! 大きく傾く気球船っ! 反動もあるっ。普通の人じゃ操作不能だから俺達が乗ってるっ!
吊り革に掴まりながら、器用に片手で光る風に向かってシャッターを連続で切るナツミ。
「綺麗だよっ! ユキヒコっ!!」
「ああっ!!」
高度は下がり、進路も変わる。風向きも悪くない。また、別のエリアの撮影だ。
・・他の班はどうしてるかな?
ウチ、ノッカ・フルシアードは乗り込んだ水晶気球船で『撮影』を担当してる。延々撮って、ちまちま座標刻印しなきゃならないし、座標の確認作業もあってせわしないから、操縦士の方をやりたかったんだけど。
「貴女は人として大雑把なので操縦させませんっ!」
と、エミソンに拒否られて撮影担当だよっ。くっそぉぉっ、相方がボグなら丸め込めたと思うっ!
というか、作業単調過ぎて本格的に飽きてきた・・。『大空のロマン』とか、ウチ、無いわ~。
「ねぇ」
「嫌です。ちゃんとして下さい」
「まだ何も言ってないんですけどっ?!」
面倒臭そうな顔でこっちを見てくるエミソン。バンドで止めてる眼鏡の位置をクイっと直してきた。なんか理屈っぽいこと言うつもりだっ。
「なんですか? 作業効率悪いですよ? 熱風石はすぐチャージされるんですから。モタモタしてると同じ所をグルグル2回廻るハメになりますよ? 既に『2ヶ所』で『2周』してますけどっ!」
「だからウチ、撮影向いてないってぇ? 操縦と代わってよぉ、エミソンちゃあんっ」
「嫌ですっ! ノッカ、教練所の水晶気球船演習で貴女に2回殺されかけましたっ! お断りしますっ!!」
「そんなの一年前の話じゃん? エミソン、『人は変わるもの』だぞ?」
ちょっと『いい顔』で言ってみる。
「貴女は全然変わってないでしょうがーーっ?!!!」
「ええっ?! そんなバチキレするぅうっ??!!!」
「・・そろそろ熱風石のチャージ限界です。このエリアの撮影は明らかに不足なので周回しますっ!!」
「ちょ、待っ」
「放出っ!!!」
パシュウゥゥッッ!!!!
「うぱぁああっ??! 舌噛むってぇっ?!!!」
え? 今、『一年越しに報復されてる』んじゃないのぉっ???
気球船はよくわかんない方角へブッ飛んでった・・。
「やぁ、いい景色だね。空はいいもんだよ」
「オッサンみたいなこと言うなよ?」
「ふふっ」
僕、ボグ・ドネスはナッシドと組んで水晶気球船に乗り込んでた。僕は撮影担当。
「龍の個体数、配置、大きさ、後は洪水河川と湖の配置や規模も去年と変わらないね。この辺りの『白魔の主』は安定してるからね」
「なんも改善してない、とも言えるんじゃねーの?」
丸い棒付きキャンディーを咥えてるナッシド。バレたら公社に怒られちゃうから撮らないでおこう。
「そんなことないよ? 今は沈んで見えないけど、篝所は去年より2ヶ所増えたし、洪水時の公道の過剰氾濫対策も少し進んでる。あそこなんて、樹上篝所の工事始めてる。少しずつ、よくなってるんだよ、この世界は」
「んなもんかな」
ナッシドはキャンディーをガリガリ齧って砕いてしまったようだ。
「・・ジロモンさんから手紙着たって、聞いたけど?」
何気なく聞いてみた。
「大人の泣き言はみっともない。退院したら出身のホールに帰るんだと。俺には関係無いぜ」
「そっか・・よかったね」
「何がだよっ?」
ちょっと赤面してるナッシド。いいヤツだよ。
僕は少し笑ってしまいながら、意外と手堅いナッシド操縦で安定する水晶気球船で、少しずつ変わり行く地上の撮影を続けた。
不意に突風が吹いて、熱風石の放出後に水晶気球船が不安定化したが、なんとか立て直すことができた。
俺、ルンボー・ミネータは操縦士を担当し、冷や汗をかいていた。
「安定化しました」
「・・ああ」
平然と撮影を続ける1級公社兵のフツネ・シズモリ氏。
撮影が速く的確で、1つのエリアの作業をすぐ終わってしまうから、俺は慌ててしまい、結果、風を読み間違えてしまった。
何よりこの人、初めて組んだけど聞いてたより『5倍』は無口だぜっ。
ユキヒコが妙に懐いているらしいが、気が知れないな。
「・・こういう作業は珍しいんじゃないですか?」
1級公社兵は洪水期、稀に発生する凶暴化した龍の始末なんかを担当しているはずだった。
「年に一度は水晶気球船での撮影と操縦を行う規定がある。守らない者も多いが」
「あ、そうッスか」
「・・・」
「・・・」
会話が続かんっ! 別に無理に話すことはないのだが、このまま引き下がるのも負けた感じだっ。
「自分っ、『近接戦特化型』なんですがっ、1級のシズモリさんから、戦い方のコツを教わりたいですっ!」
「・・今?」
ホントだぜっ、なんで今聞いた俺っ?!
「すいませんっ。強くなる心構えみたいなのでいいんでっ!」
「・・・」
シズモリ氏は考え込んだ。うむ、確かに美人ではあるな。ユキヒコが信奉するのも無理はない。
「結局、得意を伸ばすしかないが、足掻くことは止めない方がいい。私はそうした」
「・・うッス。同期の他のヤツらにも言っときますっ! ユキヒコにもっ」
「ユキヒコ、・・あの子か。元気にしているか?」
「はいっ! ユキヒコ・グランピクシーは元気であると思われますっ!!」
「そうか」
シズモリ氏は薄く笑みを浮かべた。冬の森の奥で人知れず咲く花のようではないかっ・・・なるほどっ、ユキヒコっ! お前は正解だっ!!
「・・ここの撮影は終わった」
「ハッ! 次のエリアに向かわせて頂きますっ!!」
「・・普通に話して構わない」
「っ?!」
何っ! 普通っ??
「ふっ、普通に話すぜっ!!」
「砕け過ぎだ」
「失礼しましたぁーっ!! 放出しますっ!」
グダグダになってきた俺は、熱風石の風を放出させた。とんだ事故だ・・。
水晶気球船による観測作業が終わって、俺達と、1時間も遅れたノッカとエミソンが仕事上がりを『捕獲した』という私服のジムコは、4番ホールのとある寿司食堂に来ていた。
個室もある。公社割引も使えた。
昔は養殖の技術が未発達で、寿司のネタは『鱒』と『川海老』と『食用藻』しかなかったそうだけど、今は海洋水産物まで食べられる。
「お疲れぇ~っ!!!」
俺達はソフトドリンクで乾杯した。全員同い年で、4番ホールは数え年18歳が成人だ。あと一年っ!! ノッカは普通に小瓶のリキュールも別に頼んでたが・・
「お前達っ! もっと鍛えねばならないっ、『結局、得意を伸ばすしかないが、足掻くことは止めない方がいい。私はそうした』とシズモリ氏は仰ってたぞっ?!」
脈絡が無いルンボー。
「何? ルンボーまで『フツネ信者』になったの? とんだ魔性だねっ!!」
憎々し気に海老の寿司を食べるナツミ。怖っ。
「ユキヒコはマザーコンプレックスだが、俺は『マドンナ』と認識したっ!!」
何っ?!
「マザーコンプレックスってなんだよっ?!」
「はいはい錯覚錯覚っ!!」
「・・オメェら落ち着けよ」
「そうそう」
生魚の類いが苦手なので『玉子焼き寿司』『ハンバーグ寿司』『ツナマヨ寿司』みたいなのばかり食べてるナッシド。
シメサバとか穴子を好むボグ。
「ユキヒコ、今日は水晶気球船だったんだよね?」
「まぁ」
ジムコは当然のように俺とナツミの間に座ってる。ややこしいっ!
「ジムコ、なんで居るの?」
また視線が絶対零度になってるナツミ。
「アフターサービスでぇす」
トートバッグから『うさみみバンド』を取り出して頭に装着するジムコっ。
「ああっ、誰かさんのせいで倍疲れたっ!! マグロ丼頼もぉっ!!」
「寿司のディナーで丼なんて邪道ですねっ?!」
「あーん?」
「何か?」
「ユキヒコぉ、サーモン1個ちょうだぁい」
「いいけど・・」
「鮭食いたいなら『桶』で頼みなよっ?!」
「梅昆布ハモ、頼もうかな?」
「オイっ、事件だ。『西瓜のコーラ浸し』がメニューにあるぞっ?」
「シズモリ氏も誘えばよかったぜ」
「いらないよっ!!」
お疲れ会は混沌の様相を呈してきた・・
母さん。ナツミじゃないけど、ルンボーがフツネさんに入れ込むのは意外でした。いやー、どうなんですか? 彼はもう少し、『ゆっくり』考えてみた方が良いと思いますっ!!
・・
・・・・私、フツネ・シズモリは、寿司ショップのカウンターに来ていた。端の席に1人で座ってる。
あまり自宅に帰らないから、冷蔵庫の中身は調味料の類いと無糖炭酸水と酒くらいしかない。
昨日、肉を食べたから今日は魚を食べようと、なんとはなしに通り掛かった店に入った。
「・・・」
個室に、2級の子達がいる。食堂の子もさっき入った。気配の氣を完全に絶っていたから気付かれてはいない。
大声で話しているのと、マカを使わなくても私の耳はいいから、全て聴こえてしまう。私はあの子達より先に店にいた。
「・・・」
気まずい。異性や、なぜか『母』として見られてしまっているようだ。速く帰りたい。
だが、今日は昼食を食べ損なったので『店長の超オススメっ! 大盛り特上コース・キラ星っ!!』をうっかり注文してしまい、後から後から皿が運ばれてくる。
「・・・」
美味しいが、辛い。ここ数年で一番辛い・・
「へいっ、お待ちっ!! まだまだですよぉっ!!」
店長自らまた一盛り運んできた。まだ続くようだ。
「・・・」
これも、闘争。足掻くより他無いか・・