表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

上・機械天使

 駆動天塊アンへリアル・上


「機械天使」




 その日──天使が舞い降りた。


 世界の全ての人々が見上げた。


 雲の隙間から陽の光とともに降り立つ、虹色のヘイロー、天女の羽衣のようになびく衣服、完璧な肉体、微笑みと慈悲の表情のみの顔、何対もの翼をただ広げて見せる為だけに広げていた。


 初めて見た天使は、美しかった。


 細い目の瞳は、空の全てがそこにあるかのように、あるいは全ての海がそうであるように深い青を溶かしている。


 美しい女性だった。


 少なくとも、女に見えた。


 無粋な戦闘機がスクランブルして、住宅密集地上空にまで進出して、天使の周りをジェットエンジンを唸らせながら絡みつく。


 初めて見た天使は、美しかったのだ。


 戦闘機が航空燃料を破裂させ、翼に吊るしたミサイルが誘爆して火の玉になり落ちてきた、破裂した瞬間も、天使は微笑みを崩すことはなかった。


 あぁ、美しいよ。


 美しいのだろう。


 だって……こんなにも恐ろしいのだ。


●──●


 普通の世界なのだから、普通の町、普通の平和だと思っている日常の日本で、東京ほどではないけど県内では市街の端にある学校で、普通の学生をやっていたのが伊庭結弦という男。


「暇だ……」


 鍵をかけられ入れないことになっている屋上、ペントハウスの上で、貯水タンクの落とす影で体育座りしながら、どこか遠い町を、ぽんやりした目線を落とす。


 曇る空を鳥が飛んでいた。


 なんて鳥か、結弦にはわからない。結弦は足で歩く生き物なのだから、空の事情は知らなかった。鳥の名前などわかるはずがない。


「結弦ー!」


「やっべ……」


「聞こえてるぞ、この不良男ー!」


 屋上への扉が蹴り明けられた瞬間、声の主人が誰かを知る結弦は貯水タンクに隠れたが、あっさりと、タラップを登ってきた人物に引き出される。


 子犬のように持たれている結弦は、


「眼鏡に学ランのホックを首まで締める不良はいない」


 結弦は胸を張ったが、


「授業をサボる留年候補生が生意気な。オマケに喧嘩好き! 九割不良だよね!」


「僕、喧嘩好きじゃない」


「嘘ばっかり」と結弦の首根っこを離し、スカートのお尻を前に寄せながら腰を隣に置いたのは、


「綾乃さんこそ、授業は?」


「私、今、腹痛だからさ」


 本西綾乃は、にしし、とウェーブのかかるミディアムの黒髪を指で巻いた。


「サボりじゃん! 委員長のやることじゃない」


「物静かだけど頭が悪い、成績が悪い、態度がなんとなく気持ち悪い結弦よりも圧倒的に、そう、圧倒的に信頼のある私様だからこその特権だ」


 いひっ、と綾乃は笑う。


 あっけらからんというには邪悪だ、と結弦は思いながら、彼女の笑いにはつられてしまった。


 結弦は、それに嫌な感覚はなかった。


「その笑い方、やめたほうがいいかもね」


「なんでさ! まったく失礼だな」


 同学年である結弦と綾乃は、しかし同級生ではない。クラスメイトではないなら、不思議と疎遠になる。学校ではあまり話す機会のない二人が、同じようにサボりてペントハウスで並んでいるのは、そう望んだからか。


「あっ、猫渡重化学のロボて知ってるかな、メカオタク」


「オタク言うな。……知ってるけれども」


「ほら、やっぱりオタクだ、結弦は」


「メカが好きなだけー」


「結弦んちにこの前、遊びに行ったときはメカ美少女フィギュア置いてたくせに。エロだ、変態だ」


「あれはチョコ合金のオモチャ、三頭身くらいのでしょ。そんなのにも気にしてちゃ過敏だ」


「オタクだから感覚が麻痺しているんだよ」


「そうかな。でも、綾乃の家も一階はドールショップなんだから似たようなものでしょ」


「……正直、似てるからやだ」


 下では授業中であるのに、サボり組はペントハウスで声を出して話す。もしかしたら教師に叱られるかもしれない。しかし、それは『かも』の可能性でしかなく、少なくとも結弦はその可能性を忘れることができた。


「本当はさ」と綾乃は少し間を作る。


 結弦は彼女の絞る次の言葉を急かさない。


 綾乃は少し、言葉に迷っただろうか。


「……天使て、信じるかな?」


(綾乃、別の何かを呑みこんだな)


 綾乃は、やっと言葉したと思えばおもむろ、ペントハウスの端で不安定に立つ。足の半分が外に出た。


「天使。神さまの使いで六肢くらいある化け物だよ。でも、どういうわけか綺麗で美しいて言われる何か」


 綾乃は、憎々しげだ。


「……危ない、綾乃」


 結弦は綾乃の手を掴む、強く、緊張が伝わる程度には。


「答えて」


 綾乃は、懇願するかのように。


「天使はいると思う?」と訊いた。


「……わからない、わからないんだ」


 綾乃は手をほどいた。


「正直すぎるよ、結弦」


 見てて、と綾乃は空へ落ちた。


 屋上のペントハウスは高さが三メートルほど。落ちて死ぬ可能性は、屋上から地上へ何十メートルも重力加速して頭を打ち付けるよりは少ない。結弦の目には、動かない綾乃だけがはっきりと見えていた。


●──●


 クラスメイトの視線。


「本西、伊庭に突き落とされたのか?」


「一緒にいたって。自殺なんてありえないし、ペントハウスなんて半端なところから踏み外したなんて……」


「命は無事? なんでしょ」


「うん、回復したて話だよ」


「心中未遂て噂あんだけど、綾乃と伊庭の」

 友人ではない、知り合いではあるが名前を知らない誰かたちが結弦を指差して言う。


 人殺し!


「おい、人殺し野郎!」


 結弦は学校の廊下で、不良に絡まれた。


 本西綾乃のボーイフレンドと名乗っている、よく日焼けした肌と筋肉質で太さのある男だ。自称彼氏は、綾乃の、綾乃が、綾乃を何度も周囲に伝えるように連呼する。


 結弦の癪に触っていた。針で刺しているようだ。言葉の全てが、本西綾乃の彼氏を名乗っているということで、不快にさせた。


「何、堂々と歩いてやがんだ、綾乃を──」


 威圧的に詰め寄られ、自称彼氏の腕が伸びる。襟首を掴もうと狙っている。


 自称彼氏は周囲の視線を気にしている。周囲の『観客』を見ながら、『後ろめたさでサンドバック』になっているだろう相手を使うことで効果的に、パワーバランスの調整を謀っている。少なくとも、結弦の目にはそのように見えていた。


(彼氏、ね)


 結弦は、綾乃の言葉を実行する。


 優しい性格ではない。結弦は問答をする気はなくジャブを鼻に打つ。肘から先だけのコンパクトな打撃が自称彼氏の鼻腔から出血させ、痛みから鼻を抑えかがんだことで丸見えになった後頭部の髪を掴み押し下げながら膝で顔面を抉る。


 不良は死にかけたエビのように折れ曲り廊下をのたうつことも出来ずに固まった。結弦は見下す。まだ動いている。自称彼氏は上手く丸まり腹を狙えないので、頭を狙おうとしたとき、教師が来た。結弦は逃げた。


 喧嘩をしたからと、教師からは両成敗されるのが精々だ。結弦は気にしていない。半殺しでさえないなら誤差だ。少し、荒れていた。


「綾乃……」


 結弦はポケットの中にしわくちゃの便箋を忍ばせている。それを無意識で掴んでいた。


 綾乃がペントハウスから何故か飛び降りた日、いつのまにか結弦のポケットの中に捻じ込まれていた便箋だ。


 手紙には、何も書かれてはいなかった。


「意識、戻ってるんだ」


 クラスメイトの話を思い出し、便箋のことを聞くんだ、と言い訳して病院行きのバスを待つ。ペントハウスのことは、触れないで良い、そう思いながら。


●──●


 総合病院、本西綾乃が救急で運びこまれたその廊下、破裂するような音が響く。結弦が見舞いの御礼を、父本西から喰らった音だった。

 高まった殺意の濃度を結弦は捩じ伏せ、綾乃と会うことなく病院の外へと足を運ぶ。


 追い返された。


 病室の前では息を巻く中年が立つ。


「いてぇ……」


 父本西から殴られた痕を、結弦はさする。窓に一瞬、反射した姿は確かに腫れていた。


 学校での噂は、本西家では真実に変わっているようだ。つまりは、伊庭結弦のせいで綾乃は重傷を負った。死のうとした、無理心中説が本西家では採用されているようだ。


 そして、本西綾乃は心中する性格ではないと両親が信じているならば、それに引きずりこんだ……。


(僕しかいないわけだ)


「伊庭さん」とナースステーションの前を腫れた頰で歩けば、若い看護婦が目線のやりばに困りながら、


「下のテラスでお待ちください、と本西綾乃さんから」


 それと、で看護婦は救急箱で頰を軽く治療する。頰に大きな絆創膏ができた。少しシワが寄っている。


●──●


「父さんがごめん」


 海の見える、潮の匂いを運ぶ風が吹くテラスに本西綾乃が立つ。薄暗い病院の廊下、陽の光が際立つ。入院しているからかパジャマ姿だ。


 結弦は椅子を引いて綾乃を座らせる。パジャマ姿の無防備に、少し目線に困る。


「ありがと」


 机の上には、何も書かれていない手紙。それを見た綾乃は、


「ちゃんと書いたんだけれどさ。天使について」


「天使、綾乃がペントハウスに来たときにも言っていたね」


「うん、言っていた。君を巻き込んだペントハウスからの飛び降りで」


 他に、テラスを使っている人間はいない。海の見えるテラスで、あまり長居すれば髪がベタつくからかもしれない。


「どうして、天使なんて突然に?」


「──天使って信じてる?」と逆に綾乃は訊く。


 結弦は鼻から息を吐き、


「わからない。綾乃は天使を見たの?」


「死にかけたから? 面白いフリだよ」


 天使は見えなかった、と綾乃は言う。


「でも、天使は見たことがある、かも」


 結弦は眉をしかめるのを自覚した。


 綾乃は小さく笑う。微笑むと言うには優しすぎる目が……結弦には不気味で仕方なかった。人間ではないような表情だと直感する何かだ。


「天使てなんだと思う?」


「良い印象はない。神の使いで……」と言いかけて結弦は切った。酷い言葉になる。


「良いことを聞けた。やっぱり、本西綾乃が好きになった相補は信用を預けられる」


「綾乃、何を……」


「例えば──」


 本西綾乃?は言葉を区切らせることを許さない口調で、


「天使狩りをするとしたら、君は見逃してはくれるかな?」


 空間が慟哭する。


 綾乃と結弦の間の空気がではない。世界そのものが身じろぎし、『出産の苦しみかのように痙攣を繰り返し』、震えた。


「……?」


 そう、『なにかが変わったわけではないのになにかが変わってしまった』と結弦の無我が自我に語るが、曖昧ななかで違和感としかならない。


「デリケートなのかな。敏感だね」


「綾乃、なんだか空気が変わった感じがする」


「確証がないことを素直に口にする。良いね」


「綾乃!」


 変わったと意識すれば『なにもかもが今変わったと』違和感が押し寄せた。取り残された、なにかから! 結弦は混乱した。


 本西綾乃は何かがおかしい、いや、本当に『本西綾乃』なのか結弦にはわからなくなった。ペントハウスから落ちたとき、別人になってしまったのではないか。


「結弦、一緒に天使と戦って」


 結弦の知らない綾乃が言った。


「どうしてそうなる」


「天使が生まれるから」


「だからどうして、生まれるなんてわかるんだ」


「私が天使の卵だからだよ」


「意味がわからない」


「わかる必要なんてないんだ。この世はいつだって知らないことのほうが多くて、知ってから動くなんてことはありえない」


「信じるか信じないかなら、信じたい」


「契約はなったね」


 何を、結弦に訊く時間は許されなかった。足が、大地が揺れる。地震だ。違う、『なにかが浮上しようとしている』のだ!


 地面でさえない、世界から……なにか、違うなにかだ。


「私は心臓、天使の卵」


「綾乃!」


 結弦がもう一度呼びかけようとして気がつく。綾乃の目が、青い火を灯し揺らめくのを。


「綾乃……目が」


「ごめんなさい、綾乃じゃないんだ」


 直後、顔が寄る。


 キス──。


 唇を奪われた。


 結弦よりは小さな背の綾乃が足先を伸ばし、前歯をぶつける下手なキス。結弦の逃げる舌を、綾乃が追いかけ回した。


 綾乃が主導の蹂躙を終えたとき、


「合体しよう」


 綾乃の全てが、結弦の中に溶けこむ。侵食して、細胞や骨格を犯して、目や思考にまで汚染を伸ばす。だって、自分が自分を失う瞬間だと言うのに、『結弦の中ではまったく不安がなく、むしろ不幸を消し去った』のだ。


「う、うぅ……」


 呻き、綾乃だったもの、彼女だったもの全てが崩れ『マシーン』が結弦の全身を喰い尽くす。


 皮膚の下で虫の大群が行進しているような暴走、結弦を結弦ではない何か、複数の単眼が浮かび、尻尾が生え、全身を、分厚い装甲外皮が発達する。細胞の一つに至るまで金属の殻が被覆する。


「なんだ、なんなんだ!」


「落ち着いて結弦!」


 結弦の前で綾乃は消えてしまった。しかし彼女は幽霊のように結弦へ姿のないまま話しかけてくる。


「これは……落ち着いて、落ち着いてはいられない! 人間じゃなくなったんだぞ!?」


「でも見て、ロボットのようではないかな」


「見えなくは……」


 結弦は自分の体だったものを見た。


 猫か虎のような肉食獣が立ち上がり、尻尾があり、豊かな毛皮の代わりに金属、目かセンサーかわからない毛穴のような孔がある。


「綾乃、ロボットではない。マシーンではあるけれども。ロボットはチェコかどこかの言葉で奴隷が語源だ。ハンマーを奴隷と呼ばないように、スーツと呼ぶべき」


「余裕だね。でもロボットだ。私という機械天使を装着した。マシーン兵器だけど私がいる」


「綾乃は──綾乃でしょ」


「…………うん」


 病院で騒ぎが大きくなりつつあった。ロボットの一部に取り込まれた結弦を指差すのは、患者や医者に看護婦だけではない。


 結弦の顔は晒していない。少なくとも『結弦という人間の顔』はだが。『鉄の怪物』が、テラスにいるだけだ。


 P i i i!


 脳を突き刺すような警報?


 結弦は頭の中に響いたものに唸る。


「結弦、敵が来る!」


「敵!?」と綾乃の警告に結弦が反応する暇もなかった。強力な一撃が、結弦の顎を打つ。


 人間の足ではなかった。


 人間の結弦にはなかった新しい『尻尾』が、顎に『その足』が吸い付いたままテラスの床で叩き割られかけた窮地を救う。


 結弦の目が、センサーが青に光り、肘からイオンを推進に槍の穂先のような指を揃えた貫手で返したが、外れた。


 反撃は結弦の意思だが、ロケットパンチになったことに小さく驚き、それ以上に、


「クッソが!」


 結弦は難しいことを全て、一瞬で、捨てた。目の前の敵に集中した。いきなりの挨拶だが、即死ではないので結弦の思考には余裕が残る。本当に危険ならもう死んでいる。


「綺麗だな……」


 揺れた脳、最初の考えある言葉はそれだった。


 裸の女──。


 いや、猛禽類の鉤爪の足、爬虫類のような鱗のそれは人間ではない。裸の女は、結弦を打ち上げるように下から上のしなるような蹴り、鉤爪がナイフも同然に結弦を再度襲う!


 速い、避けそこねた結弦の鉄の外皮を、センサーに深い傷が刻まれる。


「擬似天使!」


 知っているのか綾乃、と結弦が訊く余裕はない。


「敵だ!」と綾乃は断言。


 裸の女は足を大胆に開いて上から下へ、斧を叩きつける一撃で結弦を打ちのめす。鋭い以前に、破壊的な衝撃力だけで結弦はよろけた。そして素早く、回転するように、上下を激しく入れ替え、上からかと想えば下から足を加速装置に腹に拳が捩じ込まれる。


「つ、強い」


 結弦は勝手のわからない自分の体と、裸の女の人間ではない動きに神経がついていけない! 反撃も、いたずらに大気を殴る感触、敵はせせらわらうこともなく、深い無我、獣のごとき意思の冷徹さで追い詰めてくる。


「駄目だ、肉弾戦で勝ち目はない、何か武器はないのか?」と結弦が考えた。野生の獣な生肉の怪物であればともかく、マシーンなのだ。『視界にリストアップ』された。見たことのない文字、知らない言葉、だが彼が『武器が無いかと考えて現れたのだから武器なのだろう』と信じた。


 融合した本西綾乃を信じた。


「えぇい、これだ!」


 何かわからないなら、一番上の何かを選ぶ。

 結弦の装甲外皮が裂け、無数の、鰭の生えたミサイルのようなものが全身から射出される。蜘蛛の糸のように伸び、データを入れたわけでもないのに当然のように裸の女へと全て誘導された。


 連続する炸裂音、爆風と炎が包み、残骸が破片として飛び交いガン、と結弦の装甲にも当たり続ける。


「やったか?」


 残る爆煙のせいで視界が悪い。


「可視光から目を切り替えたり──」


 まだ熱を持つ煙のベールを引き裂き、鋼鉄の、黄金色の蛇のようなものが結弦の腹部を貫き……いや、弾いた。弾いたが激しい衝撃に息が僅かだが止まる。


 煙が晴れる、払われた。


 ジェットエンジンの甲高い、圧縮された燃焼ガスの排気音、漣に、小刻みに触れる金属の翼は固定翼機とは明らかに異なる鳥類のそれであるが確かにマシーンであり、少なくとも半鳥の人間だと思っていた裸の女は今、


「駆動天使だ」


 機械化していたのだ!


「……」


 無傷ではない。


 ミサイルの衝撃力が高いのか、裸の女が柔らかだったか。ミサイルの斉射で裸の女は酷く損傷していた。


 ひときわ、ジェットエンジンの出力が高まれば、あっという間に遥か上空へと飛び上がって行く。


「逃げた、のか?」


●──●


 ゆゆしき事態だ。


 綾乃と融合して、人間に変身することで元の姿に戻れても、本西綾乃は結弦の中に居続けている。


 人間ではない何かへと不可逆の変化。


 人間へは変身しないと戻れない。


 人間ではなくなった。


「……僕の中には、本西綾乃がいる?」


「間違いありませんね」


「では、目の前にいるのは、誰なのさ」


 結弦の中に綾乃だ。


 だが、結弦の前には人間の綾乃がいる。


「本西綾乃ですね」


「……よくわからない」


「逆に質問ですが、仮称・裸の女は人間でしたか?」


「人間ではないでしょ」


「では、伊庭結弦の体に今起こっている状態は普通の人間ですか?」


「たぶん、違う」


「引き起こした、融合合体した本西綾乃を起因とするわけですが、本西綾乃は人間と言えますか?」


「少なくとも今日までは人間だった」


「つまりは、今日から人間ではなくなったか、人間ではない本西綾乃がいるわけですね」


「こんがらがってきたようで話はシンプル、『本西綾乃であって本西綾乃ではない』わけだ、僕の中にいる彼女は」


 綾乃は、正解とも不正解とも言わなかった。


 結弦と融合していない本西綾乃は、『普通の学生として通学している』のを遠目に見ている。だが、結弦の中には少なくとも融合前には本西綾乃だったものがいる。


「世知辛い」


 結弦はペントハウスの淵から足を投げた。


 人間の足をしていた、学ランを着れていた、学校で授業を受けられていた。だが、皮膚の下で騒ぐ無数の金属片の虫の足があらゆる普通を引き裂く。頭の中の本西綾乃も。


「綾乃は僕を知らないと、初めから覚えていないみたいに」


 退院してからすぐ、会った時を思いだす。


●──●


 伊庭結弦……いえ、知りません。


 聞き覚えもない、ナンパだね。


 私、そういうのはいっちゃん好かん。


●──●


「知らないと思うが、僕は学校だと人殺しで通ってるんだ。今も、こんな何も考えていない顔かもだが、居づらい心がある」


 結弦は、自分でもどうして帰ってきたのかわからない。だが、たぶん普通だったからだろうと考えた。普通の日常、パターン化され、最適化されたと思い込んでいたものが学校だった。


「変わったのなら、変わったと考えなければいけない、か」


「適応の試行を繰り返すのは良い傾向です」


「お前のせいだからな、お前の」


 目の前に居たのなら、デコピンで突いていた。


「綾乃Ⅱ」


「不本意な名前ですが……」


 二人めの綾乃ということで綾乃Ⅱ。


「残った居場所が『これ』なら知っておかないとだよね」


「軽い動機なら死ぬ危機の際、戦えない可能性もありますが」


「それは、どんな理由でもだ」と結弦は、誰もいないペントハウスの上で独り、合金の自分へと回帰する。変身ではない。結弦はわかっていた。


「なにを食べるんだろ」


「栄養摂取は生身に依存しているでしょう」


「トイレも風呂も同じか」


 裸の女を撃破した装甲下のミサイル群を迫り出す。補充されていた。結弦はなにもやっていない。


「弾がある」


 腕や胸だけでなく、背中にも、全て。


「不思議だ」


 使える武器は全身のミサイルくらいだが、

「誘爆したら即死するのでは?」と結弦がもっともな疑問を投げるが、綾乃Ⅱは答えない。


「即死するんだな……」


 結弦はミサイルを元の位置まで下げ、ハッチを閉めた。少なくとも小石を投げられて誘爆はないと信じた。


 ペントハウスの上でロボットの武器を展開する結弦は、


(学校に撃ち込んだら、たぶん消滅するな)


 ロボットなのかマシーンなのかはともかくと考えながら、結弦は訊いてみた。


「天使なのか、あの裸の女」


 応えるかは半々だが、今回は綾乃Ⅱも気が向いたらしい。


「より正確には機械天使かもです。天使虫戦闘変異種のどの型かまでは不明」


「さっぱりだ、くり抜いたピーマンくらい」


「天使ではあるんだ」


 綾乃が言っていた天使なのだろうか。結弦は知りたいと思った。天使についてはもう、綾乃には聞けない。だが、ペントハウスから始まった天使への謎は、結弦の中に今残された唯一の生きる理由だ。


 天使を、知りたいと思った。


「……」


「少し、綾乃Ⅱの感情も読めるからな、言いたいことはあるだろう」


「いえ、何も言えません」


●──●


 天使を探している。


 天使の翼は背中から生えていないが、足が鳥の女性型の天使だ。マシーン兵器でもある。


「鳥てのはどこかに巣を作るものだよね」


「あらゆる生物がそうでしょう。しかし天使は巣を作らないかも知れません」


「探してみるか、いきなり核攻撃されてわけもわからず蒸発しましたでは悲しいというもの」


「……実体化しないことには、綾乃の天使レーダーは反応しません」


「天使レーダー?」


「天使を見つけられるというわけです」


「わかりやすい。でも電磁波を出したら、逆にこっちの位置を読まれるとかないのかな」


 ペントハウスの上、貯水タンクの上、それなりの高さでは風は遮られず少し強い。


 天使を探す、他にやりたいこともない。天使を知るには天使と会わなければだ。


「綾乃Ⅱ、僕は何をやれば良いと思う?」


 下校時間、夕焼けにはまだ早い、長い昼間のなかには本西綾乃の後ろ姿が見えた。


「戦えますか?」


 結弦は、武器庫になっている胸を叩きながら、


「死ぬときは死ぬ」


 死ぬほど痛いのは、まだマシなのだ。苦痛は、死ぬよりも辛いことがある。死ぬときに死ねればまだ良いことだろう。


「……」


「綾乃Ⅱは死にたくないのか」


「だから、貴方に寄生したのです」


●──●


 結弦の頰が少し、波打つ。


 小学生の女の子が目を丸くしながら首を傾げた。


「まだ慣れない。ボロがでなければいいけど」


「早過ぎる適応とも思いますが」


「現代人はせっかちなんだ、僕はのんびり生きたいけど」


 電気屋の前で、展示されたテレビからニュースが流れた。何十とあるテレビは同じ番組にチャンネルを合わせ、同じ話題を声で語っている。


 病院を襲撃した怪物と同じものが、化学プラントを襲撃していると速報だ。


 カメラが回されているが、映るものと言えば炎と黒煙に包まれる化学プラントだけだ。立て続く爆発音はプラント設備の誘爆ではない。倒壊は内側から不自然な力が加わっていて、『まだ中にいる』ことがわかった。


「綾乃Ⅱ」


「圏外だ」


 天使レーダーの効果はないらしい。


 特撮か、事故として、忙しい誰もはニュースを見てはいなかった。


●──●


 綾乃Ⅱのイオンジェットが空へと、重力を撥ね退けて鉄塊を空へとあげている。あまり速くはないが飛んでいる。


「天使とレーダーコンタクト」


「目視のが早かったぞ!!」


 炎上する化学プラントの黒煙を引きながら無数の高速飛翔体が飛び出す。シーカーの目があり、結弦を狙っていた。ミサイルだ。


 B i i i!!


「レーダー照射されています、警報」


「綾乃Ⅱは遅過ぎるんだ」


 迎撃に結弦もミサイルを放つ。


 ミサイルとミサイルの群れは、ちょうど中間の距離でお互いを喰らいあい残骸と燃える燃料として降り注いだ。


「そうか、破片は消せないんだ」


 破壊されたミサイルの弾頭が、建物の一部を押し潰した。火事も起きている。だが、そんなことがどうしたと、


「第二派接近」


「ッ! 綾乃Ⅱ、ミサイルの割り振りを頼む」


 長期戦に引き伸ばせば、間違いなく町は火の海だ。結弦はジェットの出力をあげた。一直線に、化学プラントへと突入する為だ。接近戦なら、少なくともミサイルよりは周辺への被害は少ない、筈だ。


「くそっ、本当に天使なのか、天使なんてつけるんじゃない」


 ミサイルとミサイルがまた激突する。


 唸るジェットが破片と黒煙のベールを突き抜けようとした瞬間、強烈なタックルが腹部を衝撃、結弦の体くの字に折りながら住宅街に叩き落とした。


 だが、『天使はまだ組み付いている』!


 結弦は両肘を揃えて、腰を締め上げる天使の背中へ落とした。背中、砕けた装甲の破片が散り、亀裂だ。


 白亜の翼ではない、合金の翼が腰を手放す。


「裸の女、病院以来だ」


「……」


 天使は応えない。


 金属の鉤爪が軋むように音を立てる。


「どうしてだ、僕は、お前がこんなにも酷いことをしているというのに、戦わないというなら、何もしないなら戦いたくないと思っている。


 綾乃Ⅱ、僕の精神に割り込んでいるのか?」


「器用なことはやりません」


 天使は翼をはためかせ、土埃を巻き上げると消えていた。病院の時と同じように。


●──●


「綾乃Ⅱ、天使とはなんだ」


「天使とは、翻訳の関係で表現された単語」


「つまりは、天使という天使ではない、妥当と判断して使っている程度の意味しかないわけだ」


 天使の言葉、その可能性が結弦を重くする。彼には理解ができるか、認知できるか怪しいからだ。人間が獣の言葉や自我を持たないからこそ、その理解が幻想と妄想の類に寄る他ないように、天使の言葉がわからない。


 なぜ、化学プラントを襲ったのか。


 何を目的に今、現れているのかも。


「天使を知りたいものだな。敵だとしても」


「……美しいから?」


「穿ってものを見過ぎ、綾乃Ⅱ」


 結弦は、ペントハウスの一件から変わってしまった本西綾乃を付けていた。そして、『彼氏』を名乗る男に捕まった。綾乃の彼氏は多い。彼氏だと言えば、綾乃が信じてしまうからだ。物忘れも激しい。


「綾乃に彼氏なんて初めて聞いた」


「俺の彼女を下の名前で呼び捨てするな、殺すぞ」と、自称彼氏は言った。


「人殺し野郎に説明する気はないね。ましてや、その人殺しが殺そうとした被害者と合わせるなんて、彼氏として許すわけにはいかないさ」


 結弦に青筋が浮かぶ。


「正義しちゃう?」


「人殺しはいちゃいけねーよなー?」


「俺ら正義の味方だからよ、お前を殺すわ」


 数は……三人だ。


 結弦は宣言などしない。


 足先の力だけで滑るように間合いを詰めて、体重と加速をかけた両の掌底を腹に沈める。男の両足が浮いた。もう一人には肘をコンパクトにコメカミに打ち込みつつ、最後の男の足を払い落ちる頭に拳を抉りこみながら床に叩きつける。


 聞くに堪えない呻き声など聞かないものだ。


 結弦は学ランの襟を正すと、鼻を鳴らした。


「最低……」


 ハッ、と結弦が振り返れば、本西綾乃が立っていた。彼女は結弦の頰を容赦なく張り手し、暴力された三人を気遣う。


「……」


 張られた頰は、熱い。


●──●


 伊庭結弦には、隣に誰かがいる居場所など無いのだ。ペントハウスの屋上に寝そべりながら、空を仰いでいる。


「毛布まで用意したのですか」


「学ランが汚れるというか削げるからな。防災用、役立てなくちゃ、煤を被ってるだけでは可哀想というものだ」


 そういえばさ、と結弦は空をあおぎながら、


「綾乃Ⅱは、学校を辞めて天使狩りに集中しろとか言わないの?」


「辞めたいのですか?」


「わからん、本当にわからない」


 貯水タンクの落書きを消した跡が見えた。下品な書き込みだ。狡い、腰抜けが声にできないことが全て書かれている。


「辞めると、本西綾乃が心配なんだ。だけどそれ以外だと、別に好き好んでいたい場所じゃないんだ」


「私に相談は不向きです」


「うん、知ってた。だからこれでおしまい」


「……」


 貯水タンクが軋む。


 パラパラ、煤が落ちてきた。


 結弦は顔に掛かった煤を払いながら、


「トンビか何かが留まったかな?」


 ひょっこり、なにかが貯水タンクの上から覗きこんだ。そして引っ込んだかと思えば……落ちてきた。


「うおぉぉぉ!?」


 必死の横回転で、顔面を破壊される恐怖から逃げることに成功する。直前まで結弦の頭があった場所には今、硬い足が刺さっている。


 人間の形をしている。だが首はまるで鳥が獲物を探すように小刻みに忙しなくうかがっていて、何よりも『足は鉤爪』だ。


「天使!」


 結弦は腕だけを変身させて、即座にやってくる一撃に盾した。


●──●


 ペントハウスから足が伸びている。


 一組は人間、もう一組は人間サイズの猛禽類。


 結弦は警戒心からマシーンに戻っているが、天使は油断しきっているのか生身のままだ。


「お前、会話を試みたから、私も応える決心した」


「こ、言葉が通じるんだ」


「口は食べることと……愛すること? だけに使うものではないと知っている」


 結弦は言葉に困りながら、


「天使は敵対しているのか?」


「敵対するから敵対するのだろう? そうではないのなら、そうではないのだ」


「なにもしなければ、お互いは傷つけあう理由はないと」


「当然のことだな」


(綾乃Ⅱはこの交流を怒るだろうか)


 結弦は心配したが、不思議なことにも綾乃Ⅱが会話に挟まってくる雰囲気はなく沈黙している。


「迷惑はよくない。プラントを攻撃したり、家に被害も出ているんだ。仲良くはできないのかな」


「秘密にすべきことは語れない。すまない」


(プラント襲撃には秘密があるのか。つまりは理由だ。もしかしたらプラントそのものを攻撃したわけではないということだってある。

 僕は天使を何も知らないのだ)


●──●


「無駄話ばかりしたな」


 貯水タンクを揺らして舞い上がった天使を見送りながら、結弦は、天使がわからなくなった。天使は、地球の文献の天使ではなく天使に近いから天使と呼ばれているに過ぎないと、綾乃Ⅱに聞いた。


 天使の口からは、積極的に敵対する意思がない、受動的な存在であるらしいことを聞いた。


 ではなぜ、綾乃Ⅱは敵だと言って戦わせるのかという疑問だ。敵と認識した綾乃Ⅱの意思を反射して、天使も攻撃的な反撃をしているという可能性が浮かんだ。


「綾乃Ⅱ……は、いいや」


 天使に襲撃されたプラントを結弦は調べた、普通の化学プラントだ。肥料を作っている。一般公開のニュース、ホームページ、資料として集めた口コミなど。


「猫渡重化学工業、テクノミカド社傘下……大きい会社だ。初めて知った。確か、ロボットとか面白いものを作っていたのがテクノミカドとかだったはず。化学系の系列もあったんだ」


 ホームページを調べていれば、工場見学の案内を見つけた。メインの化学プラントは天使に破壊されて中止だが、『もう一つのプラント』を公開するので募集している。


「参加、と」


 結弦は迷うことなく申し込んだ。


●──●


 ガイドに従って広大な化学プラントをバス観光だ。


 写真撮影は禁止されているが、目だけマシーンにして録画をしている。綾乃Ⅱが。


「……」


 気不味い相席は、本西綾乃。彼女も猫渡重化学プラントの社会見学ツアーに申し込んでいたのだ!


 結弦はガイドブックとバスからの景色に夢中で、居心地の悪い顔をする本西綾乃がいた。


「化学プラントなのにロボットを製造しているのですね。イメージだと肥料とか、塩とか、そんな感じでした」


「ははは。確か……伊庭結弦くんだったね」


 結弦はガイドと話しこむ。


「確かに化学プラントだと、ガソリンや農薬、肥料とかが多いね。化学物質や化学製品でも化学合成分野は多岐なんだ。例えば──」


 ガイドが地図から、ある場所を探して指差した。


「化学的に、素材に記憶させて形状を作りだすということも不可能ではないんだ。そうだね……雪の結晶と言えばわかるかな」


「ルビーの結晶を育てるキットで遊んだことがあります」


「なら、話は早い。同じようなことを、このプラントでは鉄でやっているんだ」


「製鉄ですか?」


「良い質問だ。だけど、もう少し、猫渡重化学のテクノロジーを高く見積もってもらいたい。

 我々がやっているのは、鉄鉱石やレアアースを直接、化学物質で溶かして、精錬、結晶構造を成長させて商品まで、『素材側で勝手に反応させて作る』ことなんだよ」


「高音の精錬所や、圧延機などがなくても……」


「少しは化学反応で熱も出すが、人体で触れられる程度の温度。うん、大型の機械は本来はいらないんだ。素材と薬品だけで、合金を作れる。形状も自在だ」


「良いものを見せてあげる」とガイドは、

「本当はもう少し後でビックリさせる為のだけど、見せどきがあるからさ」


「スカスカの金属、ですね」


「発泡金属だよ。驚くほど軽く、複雑な構造は大きな圧力にも耐えられる。ぎっちりとした鉄骨など、中身が全て詰まっている鉄とは別物だ」


「軽い……」


 軽いこと以上に、結弦はその独特の断面を知っていた。


(綾乃Ⅱも、似た構造だった)


「さて、やっぱり工場の機械よりも、なにを作っているのか具体的なほうが喜ばれるだろうね。安心してほしい、出迎えはきっと、期待して損はない」


「期待ですか」


「勿論! ロボットは好きかい?」


 プラントの敷地の中でも、お土産や猫渡重化学工業の歴史など、プロモーションの為の区画に立っていた。


「ロボットだ!」


 ロボットそのものは珍しくもなんともない。無人兵器は実戦に投入されて長い年月を積んでいるし、家庭用の掃除ロボットや、スマート家電など、店舗のロボットウェイターなど普及が進んでいる。


 だが、『日本の言葉での意味でロボット』だった。


「人間が乗れるんだ!」


 人型をしている三メートルほどの巨人は、背中にランドセルのようなものを背負っている。一八メートルもある核融合炉搭載のロボットアニメと違い小さいそれは、コクピットが独立しているのだ。頭がある、手と足も、間違いなき『ロボット』だ。


「綾乃Ⅱのが全てにおいて優秀です」


「嫉妬しないで綾乃Ⅱ」


 臍を曲げている綾乃Ⅱを嗜めながら、しかし結弦は、ロボットに目線を奪われていた。ロボットなんだ。


●──●


「まるで子供みたい」


 猫渡重化学工業の社会見学ツアーの帰り、当然に隣の席にいる本西綾乃が言葉で刺してくる。ロボットに一番に試乗して、誰よりも『上手く動かして見せた』結弦への毒を含んでいるだろう。


「男の子だからロボットが好きなんだ」


 結弦はあえて、男の子と言葉を選んで、子供みたいと言う綾乃を否定しないように理由だけを口にした。


 綾乃の眉が、少しだけ跳ねる。


「喧嘩もするし、古い、凶暴な人間なのね。見た目と大違い」


「喧嘩はするよ。誰でもする」


「でも、相手を叩きのめすような喧嘩は、理性的な人間がやることじゃない」


 綾乃の自称・彼氏を名乗っていた男たちのことだと結弦はすぐにわかった。


 皮膚下でマシーンが波打つ。顔には出していない。だが、押し込んだ腹から太腿にかけて不愉快なまでに百足が肌の下で動いたようだ。


(綾乃Ⅱは、僕の肉体の中にいるとは言え、男が腹に入れるなんてね)


 綾乃は不機嫌を崩さず、窓の外、結弦とは逆に顔を向けた。


(難しいな)


 結弦は、今の綾乃に冷たくあしらわれるどころか、嫌われている。だが結弦は、今の綾乃と、前の綾乃との区別がつかない。


 声を掛けようとして、やめた。


●──●


 日曜日。


 伊庭結弦が、天使戦に備えた戦い方を模索していた。戦う必要性があるのかはともかく……。


「肉弾戦とミサイルだけじゃ、なんだか寂しいロボットだね」


「結弦はゴテゴテしいフルアーマーが好みなのですね」


「男のロマンがある。火力で捩じ伏せるのは、生身ではできないことだ」


「……スペルマレールガンでも増設しましょうか。精巣で製造されるスペルマは人体でもっとも小さな細胞ですが亜光速まで加速してぶつければ、それなりの破壊力を望めるでしょう」


「やめろ」


「先の重化学工業ツアーで、装甲配置と構造を再編しました。最適化により強度を維持しつつ、二〇パーセントくらい向上したかもしれません」


「ロボットなのに曖昧だ」


「曖昧性推論エンジンを搭載しています。人間のように、確定しない意思決定が可能ですよ」


(それって、綾乃Ⅱはマシーンということか)


 戦い方は、手数がある方が勝つ。


 結弦は、ミサイルマンなわけだが、ミサイル以外での勝手の良い武装はない。ミサイルを外せば、残るのは肉弾戦だ。天使は鳥の骨のように容易く倒せるものではない。対等かそれ以上の能力があるのは、二度の交戦でハッキリした。


「安全圏から一方的に蹂躙するのが理想」


「スペルマレールガンですね」


「僕を玉無しにしたいのか」


「少し、精巣にも電気が流れるだけです」


「恐ろしいことを考える『女の子』だ」


「……訂正を要求します、『女の子』ではありません」


 綾乃Ⅱとは一心同体ではないが、融合している関係で四六時中一緒だ。結弦は心を許しているように話すし、綾乃Ⅱの会話のレパートリーにも少し冗談が増えた。


(……冗談だよな?)


 不安もあるが。


「綾乃Ⅱは、本西綾乃の姿をしていたな。擬態していたの? 病院で初めて会ったとき」


 綾乃Ⅱという呼びも、綾乃の姿をしていたからではある。だが、よく考えればおかしい。なぜ綾乃なのか、天使を知っていた。だが、今の綾乃は天使どころか別人である。


「情報を開示する段階にありません」


「……気長に待ちましょ」


 綾乃Ⅱは結弦に寄生している。


 うっかりで、心臓を破壊されて処分だってあるえるのだ。人間のように受け答えして、人間のように感じられても、果たしてどこまでが人間かは……結弦は必ず守るべき一線を引いていた。


●──●


「結弦」


「敵?」


 変わり映えのないペントハウスの屋上で跳ね起きる。イオンエンジンを自然に展開するほどにはルーチンが組み上がっている。しかし、


「空は危ない、推奨しない」


「何かいるの?」


「陸上自衛隊の戦闘ヘリコプターチームが急行中、既にレーダー圏内」


「……どうしてだ?」


 考えても仕方がない、結弦はイオンジェットのノズルを引っ込める。陸路、徒歩で行く他ないだろう。


(自衛隊がもう出動するのか? ヘリコプターなんて高々しれている距離しかないのに、どこから飛んだんだ。まさか、民間のビル屋上のヘリパッドで待機していたわけでもないだろうし)


●──●


「市街戦になってる!」


 避難は間に合ったのか、それを結弦が気遣う余裕はあまり残されていない。


 攻撃ヘリコプターが、有線の対戦車ミサイルを地上に撃ち込み、ビルの一角が火炎に包まれて焼き尽くされた。機首のガトリングが獲物を探すように下を向き、回転する三本の銃身から次々と弾丸が吐き出されている。


 だが……だが、過剰な火力ではなかった。


「あっ!」


 攻撃ヘリコプターの一機が、突如、串刺しにされ炎を吹いて破裂、地上へと重力のままに、破壊されてしまう。


「あれも天使、なのか!?」


 クラゲを頭から被っているようなパワードスーツの女性型が、揺らめき立っている。足は宙に浮いていて、クラゲから伸びる足が支えて、歩いている。触手のようなものだ。それには結晶状の物体を射出する器官もあるらしい。


(クラゲやイソギンチャクには、毒針を出して獲物を仕留める器官があると聞いたことがあるけれども)


 海月型天使は、すぐそばで逃げる一般人には目もくれず、攻撃してきたヘリコプターばかりに注意を向けていた。


「どうしてこんなことを!」


 攻撃ヘリコプターのタービンエンジンが撃ち抜かれて落ちてくる。結弦はイオンジェットで瞬間的にブースト、地上で圧壊する前に攻撃ヘリコプターを支えた。コクピットを素手で剥ぎ取り、衝撃で意識を失ったパイロット、重症で死にかけているコ・パイロットを救出する。


「そこの人!」


 自動車で逃げていた車を強引に捕まえた。エンジンを吹かして逃げようとするが、結弦はそれを許さない。


「この人たちを病院に連れて行け、もしいなかったら、お前を地獄まで追い詰める」


 綾乃Ⅱは、感知したときなんて言った。


 複数いると言っていたのだ!


「早く出して」


 頭上、ビルの強化ガラスを割り、無数の破片をキラキラと太陽光で反射させながら海月型天使が飛び出してきた。


 ミサイルハッチが、結弦の本能に従って開きかける。


「駄目だ!」


 結弦は今まさに発射されようとしたミサイルを手で押さえて封じると、


「天使、こちらからは攻撃しない! 退け!」

 海月型天使は目の前に降り立ち、結弦の顔や首を嗅ぐように顔を寄せる。何度か威嚇、脅すようにしても、しかし他はなにも。


「……あっ」


 舐めるようなガトリングの機関砲弾が雨と降る。結弦の綾乃Ⅱの装甲は跳弾した。破片が擦り傷も寄せ付けない。だが、海月型天使はそこまで分厚い装甲ではなかったのだろう。装甲は飴細工のように捻れ、ひび割れ、血を流させた。


 少し離れた場所では、攻撃ヘリコプターの誘導する対戦車ミサイルの直撃を受けたクラゲ天使が、燃えた。


●──●


「聞いたか!? 自衛隊がモンスターを仕留めたんだって! ほら、例の化学プラントを襲撃したやつ」


「ちげーよ、別種だ。対戦車ヘリコプターのコブラを出したんだ。そのうち、一六式機動戦闘車も来るかも。線路で運んでいる写真が投稿されてた」


「さすが軍事オタク」


「ロボットも投入されたて本当?」


 結弦の人殺し騒動は、自衛隊と怪物退治の話題で洗い流された。


 だが……。


「本当に、あの瞬間に殺さなければならなかったのかな」


 天使が飛んでいる。無用心に、彼女は貯水タンクを止まり木にした。マシーン兵器としての姿をしていたから、無用心ではないのだろう。


「空間が歪んでる。電磁波やデジタルな光学での観測は困難だからさ、飛んでいるからといきなり撃ち落とされる危険性は少ない」


 と、天使は言っていた。


 鳥の姿だから鳥型天使だ。


「天使てのは……」


「新しい情報を望みますか」


「綾乃Ⅱ?」


 結弦は少し迷いながら、「求める」と答えた。


「天使虫は、既存生命体に寄生し補助外殻としての機能を持つマシーンです」


「天使はロボットなわけだ」


「正確には、摂取した細胞をガン化、複製して各種機能を自己修復、自己改変可能な励起人工意思の付随物です」


「さっぱりわからないが、少なくとも天使は複合して初めて天使になっているわけだ」


 結弦は、


「どこで製造されたかについては?」


「先進培養金属研究所で最初の天使が観測されました。以後、増殖を続けて現在の活動理由は不明」


「僕が、綾乃Ⅱと融合した理由は?」


「本西綾乃の天使虫が分離することで、アンへリアル計画の素体一号を確保する為です」


「アンへリアル計画とは?」


「対天使交渉有機端末です」


「天使との対話が目的、ね」


「目標は達成され、褒賞としての真実だと考えてください」


「僕はどこかで人知れず消されるのかな」


「綾乃Ⅱにも自己保存の欲求があるので、その場合は極めて達成困難な選択であり、最終手段、まず実行されることはないと推測します」


「後ろ盾がない僕は、綾乃Ⅱと一連托生なわけだ」


「結婚式でもあげますか?」


「病めるも健やかも一緒だろ」


 綾乃Ⅱが次々と情報を開示した。天使の問題は、超常現象だとか、異世界からの侵略ではなくもう少しは人類寄りの出来事だ。


「綾乃が天使の卵と言っていたのは、天使虫がいたからか……綾乃はどうして天使にならないんだ。綾乃Ⅱだけが、アンヘリア計画とやらで後付けのロボットスーツというのも謎だ」


「……」


 綾乃Ⅱの親切はここまでのようだ。


 結弦は見上げた、天使が降りてくる。


●──●


 本西綾乃は、結弦の幼馴染でなければ恋人でもないし、親友というわけでもない、知っていることが多いわけではない。ただ、友人と呼べるだけの人間だ。


「アンへリアル計画で、本西綾乃の中の天使が僕に寄生した。僕はロボットスーツを埋め込まれ……いや、違う、『ロボットにされた』のか。人間に戻るのではなく、『人間に変身する』わけだし」


 まあ『そんなことはどうでもいい、と結弦は考えながら、


「綾乃は人が変わったように振る舞う。綾乃Ⅱは綾乃の行動や記憶にも影響していた、違うか?」


「否定も肯定もしませんが、無意識のなか、お互いを正確に分離することは不可能です」


「綾乃Ⅱの中にも綾乃本人の影響はあるわけだ」


 結弦は通り過ぎたショーウィンドウの前に戻る。人形が飾られていた。


「綾乃Ⅱは、綾乃から分離したように人形とかに入れないのかな。分離してそのまま勝手に動けるなら、動けば良いのだけれど」


「お言葉ですが、綾乃Ⅱは全身の血中と細胞に定着していて、伊庭結弦の細胞が分裂するたびに綾乃Ⅱもまた複製されています」


「……僕の子供や、僕自身は普通に死ねるのかな、相当な変異だよ、ロボットのやることじゃない」


「遺伝子と言っても、不変のパーフェクトジーンではありません。ただ、人間の世代間では未知数です」


「人間以外では受け継がれなかったわけだ」


 人形の目が、結弦を見つめる。


 綺麗な、翡翠色だ。


「興味がおありですかな」


 結弦の肩が驚きで跳ねた。ショーウィンドウの奥から店主らしいのが、いつのまにか見ていたのだ。


 綺麗と女性だった。


 少し本西綾乃に似ている。


 あれよと引き込まれて、店内で人形たちと対峙する。少し不気味だ。明るいのに、ぶら下げられた人形やそのパーツは、美しく、人形であるのに、人間の食肉加工のラインの印象を受けた。


「君が見ていたのは、この娘だろう。三〇センチ、緑の瞳、髪は薄い青。珍しいこともあるものだ」


 何が、珍しいのか、結弦は訊かなかった。


 カウンターに置かれた人形は、ショーウィンドウ越しとは違う印象を受ける。


「天使のような可愛らしさですね」


 店主は、ぽかん、とした顔で、しかしすぐに表情を崩せば、


「取られたな。その娘は、天使のように、と作られた。私の作品ではない。妹が最初で最後、天使とはどんな姿なのだろうと作った唯一のドールさ」


 結弦は、天使を想って作られた人形から離れられなかった。一目惚れとは違う。


「まいど」


 財布の中身が軽くなる。


「天使、か」


「ドール趣味でも?」


「実はちょっとねー」


 結弦の手にはドールが納められた箱。


 けっきょく、一目惚れなのだろう。ショーウィンドウを外したカウンターで見た、緑の目からは逃げられなかった。


●──●


 伊庭結弦は、天使と戦った。


 戦わないという術もあった。


「きっと、人間と同じ存在だと誤解していたんだ。自然界が、過剰に残虐ではない人間とは違う動植物の世界こそ理想だと、正しいと見る人間のように、僕も天使を擬人化して見ていた」


 だから、と結弦は唇を噛む。


「こんなにも悲しい」


 天使が死んでいた。鳥の足を持っていた。交通事故という、間抜けな死にざまらしい。トラックの速度と質量の運動エネルギーは、強力とは言えない鳥型天使には致命だ。


 ペントハウスに天使が来ることは、なかった。


●──●


 天使狩りがおこなわれていた。


 自我の薄い無我の天使は、人間と一部が似ているからと人間ではなく、害獣駆除と同じように一掃されることが決まったようだ。


 町からの自主避難と入れ替えて、自衛隊が展開している。近々の、大規模駆除作戦への備えだ。


 伊庭結弦は、町に残っていた。


 疎開する場所など、どこにもない。


「学校も休みで、今はただ、待ち」


 やることは、綾乃Ⅱの動作確認くらいだ。


 今のところ、一度として異常があったことはない。


「よし、吹っ切ろう」


 考えてどうなる?


 考えるべきことと考えないで良いことがあるのだ。あれもこれもと考えて並列してもしょうがない。


「敵は倒す、可愛い子は助ける、このスタンスで行く!」


「最低の変態男を目指していますか?」


●──●


 列車が天使に襲われていた。


「嫌な天使だ、『話せた天使』と同種だよ」


 イオンの尾を引きながら、ミサイルを斉射する。


「当てるな綾乃Ⅱ、列車にも、天使にも」


 綾乃Ⅱから返事はない。だが──信じた!


 ミサイルが死の舞いを空へ刻みあげ、炸裂。


 破片と炎を撒き散らしたが、楔でしかない。


 死傷者は誰も出てはいない。


 列車の車窓に、引きつった顔が見えた。


 結弦を見ていた。みんな怯えていた。


「引き付けて剥がす」


 鳥型天使と列車の中間に割り入る。


「空中戦だ」


 マシーン兵器の群れだ。柔軟な鉄の翼を変形させながら、綾乃Ⅱと同じイオンジェットエンジンから、イオン粒子の尾を磁力で弾きだして飛んでいる。


 初めての戦闘と同じセオリーだ。


 ミサイルで仕留めようとお互いにミサイルを発射する。こんなものではお互い、仕留められるとは思っていない。破片と黒煙のスクリーンが形成され、格闘戦へともつれこむ。


「綾乃Ⅱ、囲まれないようサポート頼む」


 鳥型天使の捻れる翼が、ギロチンのごとく水平に飛んでくる。結弦は背中から倒れるように頭と足の出力に差を作り、鼻先を掠め火花が飛ぶ瞬間をセンサーアイに反射させる。


「お前ら死なないだろうし」


 鳥型天使のカッコいい足を掴む、縺れ合い目を回させて地上へと落とした。砲弾の加速で激突、土煙が立ち昇る。


「少しわかってきた。本当に鳥なんだ」


 鳥型天使は目だけを動かさず、頭全体で目線を合わせようとする。見ようとすれば必ず頭が動く、結弦は動きを読んで鳥型天使の機先を簡単に制することができた。見ずに翼や鉤爪を振るうことは至難だ。


「!」


 開かれた鉤爪の足が目の前に迫っていた。大きく開かれた足の股、足というよりは顎門だ。頭に喰い込み骨から捥ぐ力が首に負担するが、結弦は咄嗟、頭を掴む鳥型天使の足に組みつき、鳥型天使の首に足を引っ掛け挟み込む。


「!?」


 鳥の握力は、維持する為にストッパーのような構造で力を入れ続けることができる。逆に言えば、力を抜けば外れる構造ではない。結弦は自分の頭を鷲掴ませて固定し、鳥型天使の首を絞め地上へと落とす。


「ワイルドですね」


「ロボットの戦い方じゃない」


 風切りの音、頭上で腕を交差させた直後、凄まじい衝撃が垂直に『かかり続けている』!


 墜落、撃墜された。


 結弦の腕にはまだ、鉤爪が固く喰い込んでいる。軽い、結弦は片腕で鳥型天使を持ち上げ振り落とす。後頭部を衝撃した鳥型天使は昏倒したように動かなくなる。


「五時から接近」


 綾乃Ⅱが背中から二発立て続けにミサイルを放つ。時間差、最初の一発は迎撃され、より至近まで接近したミサイルが爆炎を突き破り鳥型天使に命中した。近接信管が作動して、散弾が撒き散る。


 動きが止まり、結弦の直線的でコンパクトな後ろ蹴りが刺さる。


「三人か、綾乃Ⅱ」


「付近に敵影なし」


 戦闘そのものは一瞬だ。まだ、列車のお尻が視界にあった。数秒とかかってはいない。


「少し、傷を貰ったかな」


 綾乃Ⅱの関節が軋む。イオンジェットから火花が散った。眼球を上書きするセンサーにノイズが少なからず発生している。


「時期に自衛隊のヘリコプターが来ます。撤退を」


「……三人を連れて行こう」


「殺すべきでしょう」


「いや、連れて行く」


「……」


 駄目か、結弦は綾乃Ⅱの意見を無視してでも回収しようとして、


「ジーンシードを摂取してください。少しは飛べるように変われます」


 綾乃Ⅱが言う。


「ジーンシード?」


「体液交換、キスです」


「わかりやすい」


 結弦はマスクを外す。


 鳥型天使の唇を見つけるのは簡単だ。結弦と違って、外装は少ない。遥かに軽装。口も露出していた。


●──●


 綾乃Ⅱは、立ち上がった虎のような重厚なフォルムのマシーンだった。だが今は、華奢で巨大、なによりも荘厳で合金の翼を背中から生やした。変態したのだ。


「キスで変形するロボットは破廉恥では?」


「……変質したジーンシードを再吸収することでの適応と言ってください」


「チューして強くなるロボット、綾乃Ⅱ」


「体液交換をしたのは伊庭結弦であって綾乃Ⅱではありません。録画していました、証拠です」


 結弦は、変わった特性だなと考えていた。


(天使虫はなんらかの生物に取り付いてマシーン兵器化させるマシーンだと、綾乃Ⅱの話だった。では、僕の中にいる綾乃Ⅱという天使虫はなになんだ?

 ジーンシードとやら、動物との合成で作られた情報を再吸収して強化するシステムがあるんじゃないか。初めから想定していたんだ)


 全て、結弦は不信を心の奥底へ沈めた。疑えばキリがない。どこまでも疑う他なくなってしまう。


「綾乃Ⅱ・イカロスと名付けよう」


「……」


 猫から猛禽類だ。少し貧弱になった。綾乃Ⅱのフォルムは細く、装甲の厚みも比べ物にならない。


 代償を払った変身は、速く、正確、鋭い。


「余剰出力を捻出できましたが、レールガンを絞りあげて生成できます」と綾乃Ⅱが言ったことを試す。腕ではなく、細く長い足に小型レールガンのユニットが取り付いていた。


「試射をするけど、ほんと大丈夫なのかな綾乃Ⅱ」


「空中からでの姿勢制御も兼ねてください。飛びながら撃つということです」


「綾乃Ⅱ、聞いてた?」


 イオンジェットで飛ぶのは変わらない。だが、綾乃Ⅱ・イカロスは翼を小刻みし、空中に縫い付けられたように静止する。


「撃つ」


●──●


 確認した天使は二種類。


 鳥型天使、海月型天使。


「松葉杖……」


「足を挫いた」


 天使の数は増えているが、対応できない強者ではない。結弦と綾乃Ⅱ・イカロスの練度が上がるほど多少の数も圧倒できる。結弦には自信があった。


「ご愁傷様」


「本西綾乃はなにを買いに? 人形趣味とは意外」


「姉の家なんだ」


「なんと」


「こっちこそ意外だよ。伊庭くんがドール専門店にいるんだから」


 天使虫の飽和による決定的な破滅を引き起こす一線を越える日を過ぎれば、自壊プログラムの時限装置が起動して天使虫は絶滅する。


 天使虫は遅かれ早かれ滅ぶ。


 問題は、天使虫が消える瞬間にも町が残っているかどうかだ。


「あぁ、結弦ちゃん、今日も寄ってたんだ」


「こんにちは。ドール用の型紙を探してまして……」


 町は、確実にダメージを溜めていた。


 店内からショーウィンドウの先を見れば、そこにあった筈の建物がいくつも消えていた。


「煎茶だったよね」


「姉さん!」


「なんだい綾乃。前に話したろ、うちじゃちょっと珍しいドール好きな男だ」


「どうせ汚いことに使ってる」


「お迎えした家の中まで覗くな、綾乃。ましてやそれはお前の妄想だ」


「本当かも知れない」


「それを妄想と言うんだ、馬鹿」


「ッ! うるっさい」


「また逃げる。そうやって言い返せなくなれば、耳も口も閉ざして相手が折れるのを待つだけなのは、母さんにそっくりだな!」


 伊庭結弦には──何が残され、何ができる?

「悪いものを見せたかな。妹とは仲が良くなくてね。しかし同級生とまでは思わなかった」


 人形の吊るされた店内で、姉本西は気怠げにリラックスしている。


「あの子は元気?」と姉本西の言うそれがドールのことだと察して、


「埃を被ってしまわないよう世話をしています」


 結弦は、煎茶飲み干した。


 その様子を姉本西はジッと見ている。


「綾乃が自殺未遂なんてものを起こしてからつるんでる男とは、違うね」


 湯呑みを持つ手に、力が入った。


●──●


 自衛隊と天使が交戦している。


 急行する結弦と綾乃Ⅱ・イカロス。


 雲が低く、一雨来そうな空だった。


「鳥型天使が三、海月型天使が二です。数が多い、気をつけてください」


「仲間が欲しくなるな、まったく」


 市街に──出た。


 林立する高層ビルの隙間を縫うように飛ぶ。


 地上では、串刺しされ擱座した装甲車から、緑の服を着た自衛官が脱出していた。攻撃ヘリコプターがビルに縫い付けられていた。ライフル弾では効果が薄いからか、歩兵まで無反動砲やグレネードランチャーの爆発物を使い、町に深刻なダメージを与え続けている。


 天使らに「退け!」と言おうとして、結弦はやめた。代わりに足のレールガンで海月型天使を撃つ。海月型の分厚い装甲は、高加速の飛翔体の衝撃で硬い弾頭が流体に崩壊、激しい熱量と衝撃波……直撃、しかし立っていた。


「装甲が分厚くなってる。なんでそう伸ばす!」


 武器を進化させる必要があったのか。結弦は海月型天使に空中からタックル、鳥型天使よりも重量型で装甲もあっても、綾乃Ⅱ・イカロスのイオンジェットの加速と重力による落下を積んだ速度は流石に押し倒した。


 いや、攫った!


 浮かぶ足の海月型天使を、鉄筋の入る耐震構造、分厚いコンクリート壁を、貫通……勢いを止めず、寧ろ貫通し何棟も崩し、遂には活動を停止した。


「ミサイル警報」と綾乃Ⅱ。


 翼を畳み、イオンジェットの出力に物を言わせて垂直に機動した。白煙を引きながら、戦闘機のミサイルよりはずっと小さなミサイルが冷たい目で、結弦を追いかけた。


 空に止まってレールガンで迎撃なんて暇はない。結弦はミサイルとレースをする。後ろへ向けられたレールガンを低出力で起動、磁気で加速された弾が撃ちだされた。


 レーダーに新しい対空ミサイルだ。結弦が回避に旋回している更に内側から、ミサイルが四発。


「うぐぅ……」


 高度を上げる。綾乃Ⅱ・イカロスの加速度は、結弦の体を軋ませた。今まで感じたことのない、速く動くだけでの苦痛。速さが壁になって、ハンマーとして振り下ろされた。


「当たる」


 ミサイルは、加速による負担など感じない。冷たい目、シーカーの誘導装置には、結弦が反射していた。


──直撃。


 空中で、何発もの火球と破片が綾乃Ⅱ・イカロスを襲う。焼け焦げた翼が高度を失い、パラパラと身を千切りながら落ちていく。


「自動制御します」


 だが、結弦が地上に叩きつけられ破裂する直前、綾乃Ⅱのサポートが入った。翼を広げ、地面を抱きしめ土に還る前に突き返される。


「撤退を推奨します」


 さらにミサイル群が接近。ビルの隙間から、意思を持っているのと同じくらいは執拗に狙ってくる。


●──●


 雨が降り始めた。


 焼け焦げた綾乃Ⅱ・イカロスは、ほとんど大破だ。熱をもった装甲が雨に打たれ、音をたてながら冷えていく。


「死にかけた感想はありますか?」


「次を考えてる。天使は強くなってる。僕は、それに追従できてない」


 学校のペントハウスへ着陸を試みる。学校は……もう随分と長いあいだ休校している。


 怪物が闊歩しているからだ。


「言うのもなんだけど、他にアンへリアルはいないのか?」


「確認されているアンへリアルは、伊庭結弦ただ一人です」


「……そっか」


 綾乃Ⅱ・イカロスのあちこちからショートして漏電、火花を散らしながら貯水タンクの上へと足を降ろした。雨粒が、装甲から滴る。


「……」


 雨の霞のなか、本西綾乃が見上げていた。


●──●


 ミサイルにミサイルをぶつけられないのは厄介を極めていた。数が多く、誘導して、追ってくる。


「綾乃Ⅱ、弱体化したんじゃない?」


「心外です」


「レールガンで撃ち落とす他ないか」


「対空散弾の構造は、外付けラーニング中。しかし多目的な砲弾にすると単純な貫通能力が下がります。レールガンの高い初速に耐えられるレベルも低くなります」


「弾も、戦っている最中に、自在に変えられるわけではないし、問題か」


 結弦は、ネットからミサイル迎撃に使える砲弾の仕組みを調べていた。マシーンである綾乃Ⅱのほうがコンピューターとして優秀そうなものだが、彼女はできない、と調べたものをイカロスでシミュレートするだけだ。


(進化を制限するものでもあるのか?)


 ペントハウスの扉が開く。


 咄嗟、結弦は息を殺した。


 誰か、ペントハウス上、貯水タンクの下まで登ってくる。


 本西綾乃だ。


「……何してるの?」


「玩具のメンテナンスですよ」


「子供みたい──」と言いながら、綾乃は言葉を別のものへ強引に変えた。


「──疎開、そろそろだって」


●──●


『ご覧ください。猫渡重化学工業のマシーン警備隊が超法規的解釈で、対天使作戦へ参加しています。民間人の戦闘参加の是非は激しい議論を巻き起こしましたが、遂に承認されたようです』


 誰が想像できただろうか。


 変わらない昨日、変わらない明日、信じていた明日が瓦礫と炎、天使とロボットの衝突であることを。


「航空自衛隊のステルス戦闘機です。誘導爆弾を投下しました」


 翼で制御された爆弾が、落ちた。


 建物よりも巨大な土煙が昇った。


「続いて大口径榴弾砲の弾着です」


「自衛隊は本気で町ごとやる気だ」


 鳥型天使が一斉に飛び上がる。カラスかハトの大群のように、天使虫によりマシーン兵器となった軍団が声をあげてイオンジェットで飛ぶ。


 民間人の避難はまだ、終わってはいない。


「想定を遥かに凌駕する規模です。天使の個体数を大幅に上方修正しました」


 望んでいた世界とは違った。いや、それだけならば、過去、も今も、未来も変わらないことだ。後戻りができたならば、『あらゆる戦いは拡大させない努め』が必要になる。機会はあったはずなのだ。


 天使とは、本当に話せない存在だったか?


 本西綾乃は天使とどう繋がりがあったか?


「全ては流れたわけか、取り返しようがなく」


>systemshutdown

>nowloading…


●──●

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ