18.深淵と救世_03
力無く地面に座るアタシの目の前には、下卑た笑顔でアタシを見つめる偽物のマースの姿があった。
「何を、するの?」
「それは勿論、こうするのですよ」
偽物マースは本物のマースと全く同じ声でそう言って、左手をアタシに掲げ、続けて言った。
「日高千歳に命ずる、立て」
-キィィィン-
偽物マースの指輪が赤く光る。そしてアタシのチョーカーの星飾りも赤く光った。
「えっ?」
驚くアタシの声など構わずに、アタシの身体がアタシの意思と関係なく勝手に動き、立ち上がった。
偽物マースは左手を翳しながら、アタシに命令を続ける。
「日高千歳に命ずる、悪魔になれ」
-キィィィン-
また偽物マースの指輪が赤く光り、アタシのチョーカーの星飾りも赤く光る。
「あっ?ああっ!?」
アタシの両手が勝手に動き、腹部と胸間に指を当てる。そして、
-バチィッ-
(アタシの身体が、勝手に、変わる)
静電気の流れるような感覚と共に、触れた部分から全身に向けて熱い感覚が身体を巡る。勝手に変わっていくアタシの身体。手と足が青くなり、目が悪魔の目になった。
まだアタシの身体は止まらない。アタシの右手が無理やり自分の口に当てられる。
「んんっ!?」
-バチィッ-
(変わっちゃう、アタシが全部変わっちゃう)
-メキメキ-
「んくっ!?」
頭の軋む痛みにアタシは仰け反る。痛みと共にアタシの頭蓋骨がメキメキと音を立て角が生えた。角が出る時の頭の痛みに涙目になるアタシ。アタシの手足以外の部分も一気に青くなっていく。そして背中に生える大きな翼。髪が金色に変わる。さらに黒装束の隙間から身体中に浮き出てくる黒い模様。
アタシの身体はアタシの意思と関係なく、偽物マースの命令によって強制的に完全悪魔化した。
そんなアタシを見上げながら、偽物マースは命令を続ける。
「日高千歳に命ずる、私の前に跪け」
-キィィィン-
また偽物マースの指輪が赤く光り、アタシのチョーカーも赤く光る。
「い、いやぁっ!?」
悪魔化したアタシの身体は、嫌がるアタシの意思など関係なく、偽物マースを前に勝手に片足を地面につけて跪いた。
「ククククッ、アハハハハハッ!ハハハハハハハッ!!やった!やったぞ!悪魔の力が、悪魔が私のサーヴァントになったッ!!ハハハハハッッ!!ミス千歳!これが私の目的ですよ!?指輪を奪い!マースに化けて!貴女を手に入れる!貴女の悪魔の力ならばジェボードの王座を奪う事など容易い!貴女はジェボードの王座を雷帝ロカから奪い!ジェボードの女王として君臨する!!獣人達の王としてあの国を支配するのです!そして!私はこの指輪の力で貴女を従える!ジェボード女王を私が操るのです!そう!これでジェボードと言う国の全ての権力をこの私が握る事が出来る!素晴らしい!素晴らしい!!貴女もジェボードも私のモノだ!!もうアイツらに卑怯モノのウルペス族などと蔑まれる事も無い!私がアイツらをコキ使ってやる!!ギャハハハハハハーーーッッ!!」
ジェームズは指輪の力で跪かせたアタシの前で、偽物マースの姿のまま、マースの声で下品な笑いを上げつつ異常なまでに喜び飛び跳ねる。
「おっと、はしゃぎすぎました。クククッ……この命令を忘れてはいけませんねえ。日高千歳に命ずる!ルロイ・ルドー・ウルペスへの危害を加えることを禁止する!!魔眼も、魅了の力もだ!!日高千歳への全ての命令権はこの私、ルロイ・ルドー・ウルペスに!日高千歳の思想、精神、その他一切を私の一存でのみ決定する!日高千歳に自由は無い!!この命令は最優先事項である!!ハハハハッ!!これで良い!!」
「やっ!?やだっ!!そんなのっいやああーーっっ!!」
-キィィィン-
-プツンッ-
彼の前で跪いたままのアタシの悲鳴など関係なく、掲げた偽物マースの右手の指輪が赤く光る。アタシのチョーカーも赤く光る。
そしてアタシの頭の中に響いたのは、糸の切れるような音。そしてしばらくして指輪の光が収まった。消えていくアタシの思考。アタシへの全ての命令権は、アタシの前に立つ偽物マースの一存によって決められる。アタシはついに自分の事すら自分で決められなくなってしまった。
「千歳、顔を上げて私を見ろ」
「はい……」
生気の無い返事をしたアタシは、ゆっくりと顔を上げ、偽物マースを見つめる。
「クククッ、いいぞ。そのまま私の唇に口付けしろ」
「はい……」
ゆっくりと立ち上がり、一歩前に出て、目の前の偽物マースの前に跪くアタシの身体。そして、アタシの身体はアタシの意志と関係なく、彼の頭を両手で引き寄せ、その唇に自分の唇を合わせた。
「んっ……ちゅっ……ぅ……」
昨日の夜感じた、マースの優しくて柔らかくて暖かい唇の感触、見た目はそれと全く同じなハズなのに、どこか拭えない違和感と、湧き上がる嫌悪感。だけど今のアタシは自分の思考を制限されていて、自分では舌ですら自由に動かせない。偽物マースの舌に自分の舌を蹂躙されているアタシの目からは、涙がとめどなく溢れていた。
「ジュルルッ、ククッ、悪くないが……もういい、離れろ」
「はい……」
偽物マースの命令を聞き、アタシの唇が彼の唇から離れる。
「後はそうだ、私の事はルロイ様と呼べ。本物のジェームスは3年前に私が殺したんだ、そんな奴はもういないんだからな」
「はい……ルロイ様……」
ジェームスでは無くルロイと名乗る偽物マース。本物のジェームズを殺したと言うルロイに、本来なら怒りの感情の一つでも湧いて来るところだが、アタシはそれになんの感情も感想も抱くことを許されていない。アタシは最早ただの操り人形、このルロイ様の操り人形。
「さて、それではまず、そこの本物の……いや、今は私が本物のマースになのだから、そいつが偽物だな。千歳、そこに倒れている偽物のマースを、ころ……」
ルロイがアタシにそう命令しきる寸前だった。
-シュッ-
一陣の風が吹く。風と共に何かが、アタシとルロイの間を横切った。
「ぐあっ!?」
-ブシュゥッ-
マースに変身しているルロイの左手が、何モノかによって手首からズッパリと斬り落とされた。ルロイの左手首から赤い鮮血が迸る。
「シャァァァァァーーッッ!!」
アタシから数メートル離れたそこに、一陣の風の主は居た。背中に杖を背負い、全身の体毛を逆立て、大きな威嚇の声を上げ、四つ足で低い姿勢を取りながら、黄色い猫のような縦長の瞳でルロイを睨む、ケリコの姿が。
「ぐっ!?ぐああああっっ!?こ、このっ、薄汚いフェレス族がああああっっっ!!!」
マースの顔と声で苦痛と怒りに歪んだ醜い表情して叫ぶルロイ。一瞬、霧が彼を包み、そして霧の晴れた次の瞬間にはルロイは狐獣人の姿に戻っていた。狐獣人に戻った彼の左手首は切り落とされたままだ。どうやら変身しただけでは傷の修復までは出来ないらしい。
「千歳ッ!そのフェレス族を殺せッ!!出来るだけ苦しませてから殺せよッ!!」
「はい、ルロイ様……」
ルロイ様の命令に従い、ゆっくりと立ち上がる悪魔のアタシの身体。そのままゆっくりとルロイ様を威嚇するケリコの方に向き直るアタシ。
ぎょっとした目でアタシを見上げるケリコの表情がアタシの目に入る。彼女は迫るアタシの姿に一瞬怯み耳を伏せたが、直ぐに耳をアタシの方に向け、強い意志が込められた綺麗な猫目でアタシの目を見つめて叫ぶ。
「千歳サマッ!こんなヤツの言う事聞いちゃっ……」
-ドンッ-
喋っている途中のケリコの声をかき消すように、空気の割れるような音が周囲に轟く。両足に橙色の闘気を纏わせたアタシの青い巨体が地面を蹴り、四つ足の低い姿勢のケリコへと一瞬で接近する。ケリコが反応する暇も無く、そして容赦なく、彼女の背中へアタシの橙色の闘気を纏った右足は振り落とされた。
「フ゛ギャ゛ッ゛!?」
-グシャッ!-
-ビチャッ!-
ケリコの液体混じりの濁った悲鳴が響く。ケリコの背中にはアタシの闘気混じりの青く太い足が振り下ろされ、彼女の杖と、背骨から内臓までを諸共、豆腐でも踏んだかのようにあっさりと地面まで踏み砕いていた。
「ゴブッ゛!?」
ケリコの口から真っ赤な鮮血が吹き出た。周囲にはケリコの腹から踏み砕かれ飛び出したハラワタが飛び散っている。
「クソッ!フェレス族如きが、私の腕を切り落とすなど……おい千歳、私は出来るだけ苦しめてから殺せと言ったハズだが?その様子ではもう間も無く死ぬじゃないか」
アタシに潰されて四方に液体と共に肉片を撒き散らすケリコを前に、悪態を吐くルロイ様。ルロイ様の言う通り、ケリコはアタシの足に背骨と腹を潰されてもう既に瀕死、内臓は破裂どころか原型を留めないままほとんど外に跳び出ており、上半身と下半身の骨はほぼ切断され辛うじて皮で繋がっているだけ。呼吸も出来ず出血多量の時間も待つことも無くケリコは死ぬだろう。所謂、全身を強く打って、と言うヤツで、ほぼ人としての原型を留めていない。辛うじて上半身の肩から上が無事なだけで、ショック死していないのが不思議なくらいだ。
そしてそんなケリコの身体の上に、アタシの足はまだ置かれていた。彼女を踏み砕いたアタシの効き足である右足は、膝から下の青い足が彼女の真っ赤な血で赤く変わっている。彼女を足で踏んだ時、まるで水風船を足で割ったような感覚だった。何の抵抗も無く、彼女の腹はあっさりと割れて飛び散ったのだ。
「チッ、悪魔め、手加減も満足に出来んとは。いや、クククッ、そうか、強力すぎて手加減が手加減にならんのか。ハハハッ、強すぎると言うのも考えモノだな。まあいいさ、もうすぐ魂が出る。同郷のよしみだ、見ててやるぞケリコ、お前の最期をな」
ルロイ様は右手で左手首を掴み、圧迫止血しながらケリコの側に近寄った。
「ヂ……ゼ……」
血を吐きながら、ケリコが声にならない声を発した。何かを訴える様に、視線だけを動かし彼女を踏みつけたままのアタシを見つめて。
そして間もなく、まだ微かに開けていたケリコの目から光が消える。彼女の口からゆっくりフワリと出てくる白い煙玉。これは彼女の魂、彼女が今まで生きていた証であり、魂を吐くという事は、この世界、オードゥスルスで死んだ証でもある。そのまま彼女の魂はゆっくりと空中に浮いて行く。まるでアタシに別れを告げる様にゆらゆらと左右に揺れながら、木々の間を抜けて空に昇って行く。
アタシの心に酷い悲しみと喪失感、そして強烈な罪悪感が襲いかかる。だがそれを見てなお、アタシは何もできない、アタシに自由は無い。ただ涙を流す事だけしか出来ない。
「バカなヤツだ、向かってこなければ見逃してやったモノを」
ルロイ様はそう言いながら右手で杖を掲げ、魔術の詠唱を始める。ケリコに切り落とされ、未だ血を噴き出している左手首を治療しようと言うのだろう。
「水の女神メルジナよ、その慈悲深き力を持って彼の者の傷を……」
そんな時だ、アタシの耳に少年の、僅かに幼さを残しつつも高潔で強い意志の込められた、彼の声が聞こえてきたのは。
「日高千歳に命ずる!全ての命令を解除!貴女は自由だ!最優先事項!!」
「何ッ!?」
少年の声に咄嗟に後ろを振り向くルロイ様。だけど少年の命令は施行された。
-キィィィン-
-バツンッ-
いつの間に切り落とされたルロイ様の左手から指輪を抜き取ったのか、本物のマースの右手人差し指にはマスターリングが付けられていた。そしてその指輪が赤く光り、アタシのチョーカーも赤く光る。アタシの頭の中に響いたのは何かが勢いよく繋がった音。そしてその音と共にアタシの全ての自由が一気に戻る。自由が戻ったアタシは、
「うわあああああああああーーーっっっ!!!!」
泣きながら全力で地面を蹴り、空に飛び上がった。空の彼方へ消えていこうとしている、彼女の、ケリコの魂を追いかけて。
-バサバサッ-
「ケリコっ!?ケリコぉっ!?」
アタシは全力で翼をはためかせ空を飛び、ケリコの名前を呼ぶ。呼びながら、空へ昇って行く彼女の魂を探す。ケリコの小さな白い魂は、青空の広がる中、僅かに浮かぶ雲に迷彩色のように紛れ込んでおり、アタシの悪魔の目でも容易には見つけられない。
「どこっ!?ケリコぉっっ!?」
-バサバサバサァッ-
どこを見てもまるで見つからないケリコの魂を探して、アタシは上昇し続ける。
-バサバサバサバサッ-
「ケリコぉぉっっ!?」
もうすぐ雲に手が届く、そんな高さまで来た頃、下から来た何かが、アタシの身体をフワリと優しく撫でた。それはまるでアタシに甘えるかのように、アタシの左腕を横にクルリと撫でながら1回転した後、また空に昇って行こうとする。
「ケリコっっ!!」
それはケリコの魂だった。アタシは彼女の名前を叫びながら、右手で自分の左肩辺りに有ったケリコの魂を必死に掴んだ。すぐさま右手に左手を添え、つぶしてしまわないよう優しく、でも逃がさないようしっかりと握る。
今、アタシの手の中に、ケリコの魂がある。ほんのり暖かく、ふわふわとした、わたあめのような感覚。手に少し力を入れるだけで、割れてしまいそうな儚い魂。何故魂を追いかけたのかとか、何故魂を掴めたのかとか普段なら考えるところだが、今のアタシは何も考えていない。彼女を失いたくなかった、ただその一点のみ。
そしてアタシは何を思ったのか、ケリコの魂を握ったままの両手をゆっくりと自分の胸元に寄せ、
-キュゥゥン-
彼女の魂をアタシの中に、吸精した。
アタシは即座に自分の頭の中に意識を向け、今喰ったケリコの魂の存在を確認する。ケリコの魂は、確かにアタシの中に存在していた。少し安堵したアタシは、彼女の魂に話しかける。
(ケリコ……ケリコ……)
(……)
ケリコの魂は確かにアタシの中にある。だが、アタシが話しかけても何一つ反応を示さない。プレクトの時のように自らアタシの意識の奥に引っ込むワケでも無く、ただアタシの意識の中に、何も言わずプカプカと浮いていた。
(ケリコ、ごめんなさい……アタシが、貴女を……ごめんなさい……)
(……)
アタシがいくら語り掛けても、ケリコの反応は無かった。彼女の魂は何も言わない、何もしない。
謝ってもどうにもならないことはアタシもわかっている。だけど謝らずにはいられなかった。どう理由を付けようと、彼女を踏みつぶしたのはアタシだ。アタシはケリコを殺した、それが事実だ。
(ごめんなさい……ケリコ……)
(……)
もう一度ケリコに謝ったが、やっぱり反応が無く、アタシは肩を落とす。憎まれているのか、呆れられているのか、言葉すら交わしたくないと思われているのか、それらのどれかなのか全てなのか、何もわからない。彼女は答えてくれない。
ケリコから見れば、自分を殺した相手に強制的に魂を囚われたのだ。答えたくないのが当然なのかもしれない。そう思うと、罪悪感がジリジリとアタシの心を締め付ける。勝手に殺しておいて、勝手に魂を喰う。間違いない、アタシは悪魔だ。
罪悪感に心を押しつぶされそうになったまま、外に意識を戻したアタシ。気づけばアタシはひゅるひゅると空から地面へ落下していた。翼はとっくに動きを止めている、そんなの落ちるに決まっている。だが、最早翼を広げて減速するのもめんどくさくなっていたアタシは、直立不動のまま地面に落っこちて行った。
-ヒュー-
-ドコォォォォンッ!-
まるで隕石か何かが落ちたかのような轟音と共に、立ったまま腰まで地面にめり込むアタシ。ちょっと足がジーンとするけどそれでも別段行動に支障が無さそうな辺り、我ながら無駄に頑丈で厄介な身体である。
と、そんな腰まで地面に埋まっているアタシの前方から、争っているモノ達の声が聞こえた。
「クソガキがぁっ!!早く指輪を寄越せぇぇっ!!」
「がふっ!?い、嫌だっ!絶対にお前なんかにっ!ぎゃっ!?」
声の方に顔を上げて見てみれば、指輪を再び奪おうとマースに暴行を加えているルロイの姿があった。頭と顔から血を流しながら、地面に丸くなりながら倒れ込み、それでも自分の右手を握ったまま左手で指輪を覆い隠して守ろうとしているマースと、マースの上にマウントポジションを取る形で乗っかり、マースの顔に執拗なまでに残った右手でパンチを喰らわせているルロイ。
「早くっ!早く寄越せっっ!!このままじゃっ!?」
「がっ!?ぎぃっ!?いやだっ!!げはっ!?」
空から落ちてきたアタシの姿を見て、焦りながらマースの小さな体へ執拗に暴行を加えるルロイ。ルロイに顔と身体をボコボコに殴られ、それでも絶対に指輪を渡さないマース。
「クソッ!こうなったら殺してでも……っ」
何度殴っても指輪を渡す気配の無いマースに痺れを切らしたのか、ルロイはついに右手の鋭い爪を立てて、マースの首元へ突き刺そうとした。
目の前でマースが殺されるかもしれない、その光景を見た時、
-バチンッ-
アタシの中で、何か入れてはいけないスイッチが入った。
「お゛ま゛え゛え゛え゛え゛え゛ええええええええーーーッッッ!!!!!」
アタシの腹から、地鳴りのように響く、酷く低く恐ろしい声が出る。
「ひっ!?ひぃぃぃぃっっ!!??」
アタシの咆哮を聞いたルロイは、跨っていたマースをほっぽり出し、真っすぐに道の東側、元居た前戦キャンプの方角へ悲鳴を上げながら走って逃げだした。
何かのスイッチが入ったアタシは、憤怒の形相で逃げるルロイを目で追いながら、
-ドゴゴゴォッ!-
-ドンッ!-
腰まで地面に埋まった状態から、地面を柔らかい豆腐のように両足でブチ割りながら外に飛び出す。そして1秒としない内にルロイの背中に追いつき、彼の首を後ろから右手で掴み持ち上げ、左手で彼の首の前側を掴む。
「ぎっ!?だっ!?だずげでっ!!??ミ゛ズヂドゼっっ!?」
アタシにネック・ハンギング・ツリーの状態で持ち上げられたまま、情けない命乞いをするルロイ。だけどそんなもの、今のアタシの耳には入らない。完全に憤怒の感情に呑まれている今のアタシには、許すなどと言う甘い考えはもうない。
彼を吊り上げたままのアタシの両手が、橙色の闘気で染まっていく。
「あ゛がっ!?じっじに゛だぐな゛い゛っ゛!!だずげっ!?」
不殺だの殺したくないだのは、全ての尻拭いが出来てこその話で、アタシはその尻拭いに失敗した。甘い考えで戦いに参加し、ヌルい考えで戦場に立ち、無様に相手の言い分を真に受けて怯えて、身体を良いように操られた挙句に、ケリコを殺してしまい、勝手に落ち込みまだ終わっていない戦いを忘れ、マースに傷を追わせてしまった。
(何が殺したくない、だ)
アタシは目の前のルロイも憎かったが、それよりも自分へ怒りで頭が爆発しそうだった。だから、両腕で握りつぶすワケではなく、自分の左右の手で、自分の手に怒りをぶつけるような、爪と爪が指の間にめり込むような握り方をしてしまう。そんな握り方をすれば当然、自分の爪で傷付けられたアタシの指の間から、青い血が滴り落ちる。両手から青い血を垂らしながら、アタシは怒りに任せてルロイを吊り上げ続ける。
「う゛う゛う゛う゛う゛う゛ぅぅぅーーっっ!!!」
「げぉっ!だじげ……っ」
またアタシの喉から酷く低く恐ろしい咆哮が響く。
(消えて、消えて、消えて、消えてっ!消えろっ!!)
アタシは頭の中で、目の前の嫌な事全部を消してしまいたいと、ただそれだけを思っていた。マースを傷付けたルロイも、コイツに操られケリコを殺してしまった馬鹿な自分も、両方だ。
そうして自分の手で自分の手に怒りをぶつけているうちに、アタシの両手の闘気の色が段々と変わっていく。元の橙色から、アタシの今の気持ちのような、怒りと憎しみに染まった真っ黒な色に。
同時にアタシの髪がぶわりと跳ね、ショートボブのおかっぱ頭だったアタシの髪が、腰元までのロングヘアに一気に伸びる。更に金髪だった髪色が、色素を無くした銀色の髪色に変わる。
そのまま、黒く色を変えたアタシの深淵の闘気は、次第にアタシの両手を中心に、ハッキリとした真球の形で広がって行く。
(消えろっ!!消えろっ!!消えろっ!!!)
-ブゥゥゥン-
真球の形で広がる深淵の闘気。人一人すっぽり包む程度の大きさに膨れ上がったブラックホールのような真っ黒な闘気が、ルロイの全身とアタシの上半身を纏めて覆い隠す。深淵の闘気に包まれたアタシの視界には、アタシの両腕と、アタシに捕まれているルロイ、それとただ真っ黒なだけな何も無い深淵の空間。
「み゛っ゛!!」
深淵の空間の中でアタシに掴まれたままのルロイが、不思議な悲鳴を上げ絶命した。一瞬の内にルロイの身体が黒いシミのようになって、深淵の空間の黒い背景に溶け込み、見えなくなる。
-シュゥゥゥ-
アタシの両腕から深淵の空間が引いた時、もうそこにルロイの姿はなかった。
お読みいただきありがとうございます。
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折角ゲスい敵が出てきたのに、すぐいなくなってしまった。