17.獣が来りて炎を吹く_06
-ゴウゥッ-
-ボヴァァァッ!-
森の中で何かが赤く光ったと思えば、衝撃と共にガダガタとバヤールが激しく揺れた。
「ひゃっ!?」
突然の轟音と揺れに悲鳴を上げたアタシは、吃驚した拍子に隣のアリアーヌに思わず抱きついた。アリアーヌは相変わらずの無表情で、黒い鎧を着込んでいるので彼女の胴体に抱きついても柔らかみとかはまるでない。のだが、アリアーヌは何故か両手を広げてアタシを抱きしめ返してくれて、首と肩に回された彼女の手の柔らかみを感じてアタシは少しだけ平静を取り戻す。
「来やがったな狼共ォ!!反撃だお前らァ!各車一斉射撃!よぉぉーいっ!!」
まだ揺れる車両の中、連絡管からボースのやかましい声が飛んだ。それを聞いて杖を構え出すマースとサティさんにケリコ。三人とも今まで見たことも無いような表情、獣が牙を向くような攻撃的な笑みを浮かべている。ケリコに至っては本当に鋭い牙を剥いて、毛を逆立てながらフゥゥーッと猫の威嚇するような声を上げて怒っている始末。アタシはその表情をする三人を見て少し恐ろしくなってしまって、また動揺し始めてアリアーヌを抱き締める腕にも力が入る。
そんな車両の後方でアリアーヌに抱きついたままのアタシをよそに、
「マース、サティ、ケリコ、あなた達は引き続き待機ですわよ」
と、涼しい顔をしたまま車両の前方で仁王立ちしているキートリーがその三人を言葉で制した。キートリーの命令を聞いたマース、サティさん、ケリコはキートリーを見ながらスンッと真顔に戻り、何も言わず杖を下ろし、視線を再び車両前方に向けた。
前の4人のやり取りを見ている間に、左右の車両から詠唱の声が聞こえてくる。
「「「「水の女神メルジナよ、その冷たき怒りを持って我が敵を切り刻め……」」」」
左側からはやたら野太かったり、落ち着いた感じの声。逆に右側からは若干甲高かったり、落ち着きのない感じの声。
そして彼らの詠唱が途中まで進み、一呼吸置いた後、連絡管からボースの発射命令が響く。
「撃てーーーェッ!」
ボースの射撃の号令を受け、左右の車両から一斉に魔術詠唱の締めの叫びが聞こえてくる。
「「「「アイスバースト!」」」」
-キィィィン-
-ヒュヒュヒュッ!ヒュゥゥンッ!-
左右側の車両から猛然と反撃の氷の刃が東西の森の中の何者か達に向けて発射され始めた。アタシ目には、バヤールの覗き窓から以前サティさんがアタシに向かって撃ってきたモノと同じ、円錐形の氷の氷柱が何十本も立て続けに森の中目掛けて飛んでいくのが見えている。爆発こそ無いモノの、この光景はまるで戦争映画の射撃戦を見ているようだった。
「ぎゃあっ!?」
「がふっ!?」
「げはっ!?」
「ロッコ!?イーヴォ!?ウーゴ!?このっ!畜生ぉぉっ!!!手を止めんじゃない!撃ち続けなァッ!!」
-ゴゴウゥッ-
-ボヴァァァッ!-
また森の中から赤い光が飛んできて、再びバヤールを激しく揺らす。
その最中、遠くから、森の中から聞こえる、少し低い声の男達の悲鳴と、少し高い女性の怒声がアタシの耳に入る、入ってしまう。本来ならば戦闘の轟音にかき消されて聞こえないハズの声だ。それが何故かアタシの耳には鮮明に聞こえてしまう。
(人が、死んでる)
アタシはその悲鳴が、敵とされるルプス族の断末魔の声だと理解した。左右に感じる何者か達の気配が、一つ二つ三つと、次々に消えていく。アタシがゴブリン達にやったような、魂を喰い糧とする、そんな感じじゃない。明らかに相手を排除する、殺す、それが目的の行為によって命が消えていく。
この世界に転移してから非日常の連続ではあったが、ここまで多数の強い殺意のぶつかり合いは初めてで経験が無かった。アタシは戦争なんて勿論知らない世代の人間だ。現代でも戦争と言うか紛争をしている地域があるのは知っていたけど、そんなところに足を運ぶことはなかったし、おばあちゃんにアタシが昔の戦争について聞いた時もは多くを語ろうとしなかった。だから、何も知らないアタシは今、アタシのいるこの戦場を支配する怒号と絶叫と轟音、この狂気の戦場の雰囲気にアタシは呑まれ、恐怖して足が竦んでしまう。
(これが、命の奪い合い。何がアタシの力が必要な時はいつでも言って、だ。馬鹿かアタシは。何の覚悟も出来てないじゃない)
アタシは恐怖に震えながら、アタシを抱きしめてくれているアリアーヌのちょっと堅い鎧の胸元に顔を埋めつつ、苦い顔でぐっっと歯を食いしばる。
アタシは戦闘が始まる前、キートリーに何か手伝えることは無いかと聞いた。そしてキートリーに戦場で命の奪い合いをする覚悟について問われ、アタシは何も答えられなかった。それでも、アタシには悪魔の力が、人を超える力がある。だから何か出来るんじゃないかって、ずっと思ってた。なんならキートリーに頼って貰えないのが少し悔しく思っていたりもして、キートリーに手伝えと言われたら即座に悪魔になって敵を退けてやろうとすら思っていた。
でもそれはアタシの完全な思い上がり、自惚れだったと言うのが今ハッキリと分かる。もし今悪魔化して戦場に立っていたとしても、アタシはこの戦場の雰囲気に呑まれ、戦場のど真ん中で恐怖に立ちすくんでキートリー達の足を引っ張っていただろう。若しくは、恐怖の余り狂いだし、力の下限無く戦場を荒らし、敵味方の区別なく暴れまわってキートリー達に危害を加えていたかもしれない。なまじ半端に力がある分、こっちの方が厄介かもしれない。
例え人を超える悪魔の力を持っていたとしても、所詮アタシはアタシなワケだった。ちょっと武術を齧った程度の、ただ現代日本の一般人であるアタシが所轄チートな能力を手に入れたところで、何が成せるワケでも、誰に威張れるワケでも無いと言うのが現実、実情だ。アタシに取っては悪魔の力は今だ過ぎた力、アタシの力にアタシの心が追い付いていない。アタシがアタシとして、人として成長しなければ、アタシのこの悪魔の力も宝の持ち腐れでしかない。まあまず悪魔の力が宝か呪いかは議論の分かれるところではあるけど。
そう一通り思案して自分の自惚れを反省しつつ、恐怖心をぐっと心の奥に仕舞い込む。アタシは続く衝撃と揺れにまだ少しびびっているが、とりあえずアリアーヌに抱き締めて貰いながら何が起きているのか状況把握の為に勇気を振り絞って前を向く。そうして目にしたものは、ボーフォート軍の氷の刃でなぎ倒される木々と、そして、
(あの赤い光は、違う、火だ、火の玉が飛んできてる)
アタシが赤い光だと思っていたモノは燃え盛る火球だった。シュベルホ村の北西と北東、左右の森の中から断続的に火球がこちらのバヤールに向けて発射されている。その火球はバヤールの少し手前の、透明な何かに当たって衝撃を残しては弾けて消えていた。
(さっき張った結界?)
ボーフォート軍はこの射撃戦が始まる前、魔術で結界を張っていた。輪形陣を組んだバヤールを丸ごと包むその結界が見事に役割を果たし、敵から放たれた火球を全て防いでいる。
(すごい、要塞みたい)
ただアタシが気になったのは、結界が弾いた火球の火の粉が空中を舞い、シュベルホ村のあちこちで火事が起き始めていることだった。
(だけど村が、燃えて)
正直このシュベルホ村にいい思い出は無い、ゴブリンに襲われてたパヤージュを見つけただけだし。なんだけれど、壊滅した村だとは言え誰かが住んでいた村が、戦火に巻き込まれて燃えて行くのは気持ちのいいモノじゃない。道端に転がったままの村人の白骨死体も、奥で燃えている壁に穴が開いて植物まみれになっている家、髪長い女の人の白骨死体があった家も、パヤージュが汚されて倒れていたボロい木の家も、何もかもが燃え始めて火の中に消えていこうとしている。
アタシは痛ましいこの光景に、この村で会った、最初に出会った異世界人である、車両右後方に座っているパヤージュを見た。彼女は肩にエメリーを乗せ、悲痛な顔をしたまま自分の腕で自らの身体を抱きしめるように震えていた。
「パヤージュ、大丈夫?パヤージュ?」
エメリーは心配そうな顔をしてその小さな体でパヤージュの頭を抱きしめている。
(そうだ、平気なワケない、怖いのはアタシだけじゃ無いんだ)
アタシはパヤージュが恐怖に震えているのを見てふっと恐怖が薄らいだ気がした。怖いのはアタシだけじゃない、アタシよりももっと恐怖に怯えている人がいる。どうしようもない、頭にこびり付いた最悪な記憶に苛まれながら、それでもアタシの為に、ただ彼女を連れて一緒に逃げただけのアタシの為に、見た事も無いアタシの友人を救おうと一緒に付いて来てくれたパヤージュ。
アタシはそんなパヤージュを見て、大したことないことで怯えてる自分が恥ずかしくなってきてしまった。
(パヤージュがあんなに辛い思いを、辛い事があったのに、なんでアタシはこんな事で震えてんのさ?情けないにも程があるでしょうが。守らなきゃ、パヤージュを)
そう思いながら、依然として戦闘で揺れる車両の中、アタシを抱きしめてくれていたアリアーヌからそっと離れて立ち上がり、パヤージュの側に寄って身体を震わせる彼女を両手で抱きしめた。
「千歳?」
「ち、千歳さん?」
「パヤージュ、大丈夫。アタシも怖いけど、まあ、根拠は無いんだけどさ、きっと大丈夫。キートリー達がなんとかしてくれるよ、だから大丈夫」
ホントに何の根拠も無い、ただの慰めの言葉。だけど、
「あ、あの……ん……ん……」
最初少し遠慮がちだったパヤージュが、観念したのか黙ってアタシを抱き返して来た。アタシの背中に回された彼女の手が、ぎゅっと引かれて互いの身体を密着させる。
「よしよし、大丈夫、大丈夫だよ、パヤージュ、大丈夫」
「ん……千歳さん……」
アタシの名前を呼びながら、アタシの胸に顔を埋めるパヤージュ。これは別に狙ってやったワケじゃなく、アタシとパヤージュの体格差的に、抱き締めるとパヤージュの顔がジャストフィットするのがアタシの胸元なだけ。特段やましいところは無いです。
そんなパヤージュを抱き締めつつ、アタシのは自分の着ている薄い黒装束越しに彼女の暖かな体温を感じる。パヤージュの身体はまだ微かに震えていた。
「ん、怖いよね。わかるわかる。でも大丈夫、大丈夫」
「んう……」
すっかり無抵抗なパヤージュの頭を優しく撫でつつあやすアタシ。パヤージュも嫌がる様子も無く黙ってアタシに撫でられている。そうしていると、パヤージュは安心してくれたのか、段々と彼女の身体の震えが治まっていく。
そのまま未だ揺れる車両の戦火の中、彼女と暫く抱き合った。そして震えも完全に無くなり満足したのか、パヤージュは彼女を抱きしめるアタシの腕からゆっくりと離れる。そして目元の涙を拭いながら、アタシをじっと見つめて言う。
「……千歳さん、あ、ありがとうございます。私もきっと、大丈夫だと思いますっ」
と、アタシに抱きしめられたのがよっぽど恥ずかしかったのか、パヤージュは耳まで真っ赤な顔に染めつつも精一杯の笑顔を返してくれた。
「パヤージュ!エメリーも付いてる!だから大丈夫!」
エメリーもパヤージュの耳元で小さな身体で健気にガッツポーズを取りながら彼女を励ましている。
「ふふっ、エメリーもありがとう」
そっと肩のエメリーを撫でながら礼を言うパヤージュ。なんとか元気を取り戻してくれたようだけれど、アタシはまだパヤージュが少し心配だ。なので、さっきまでアタシを慰めてくれていたあの子にパヤージュの守りを頼む。
「アリアーヌ、パヤージュを守ってあげて」
「はい、日高千歳。パヤージュ・パヤヴェールを最重要護衛対象に設定。これより対象の護衛任務に入ります」
そう言って元のアタシの座っていた席からパヤージュの隣りの席に移動して座るアリアーヌ。何故かそのままさっきまでアタシがやっていたようにパヤージュを優しく抱きしめ始めた。
「えっ?あ、アリアーヌさんまで??」
「パヤージュ・パヤヴェール、貴女は最重要護衛対象に設定されています。このまま護衛任務を続行します」
「えっ、あっ、はい」
「パヤージュ!エメリーも!」
アリアーヌの行動に、きょとんとした顔でアリアーヌを見るパヤージュ。そんなパヤージュを抱きしめつつ、抑揚の無い声のまま事務的な答えを返すアリアーヌ。パヤージュはアリアーヌの行動はよくわかっていない様子だが、とりあえずアリアーヌに抱きしめられる事に拒否感は無い様で、そのままアリアーヌを受け入れて抱きしめられ続ける事にしたようだ。
そんな二人と、アリアーヌに対抗してパヤージュの頭に抱き着くエメリーを見ながら、アタシはほんのり笑顔を浮かべながつつ、
(あれ?パヤヴェールって?あー、パヤージュの苗字なんだ?なんで知ってんのアリアーヌ?アタシ知らなかったんだけど??うーん、まあいいか。アリアーヌってほんとよくわからないところがあるなあ。なんか優しい感じだし?さっきも何でかアタシを抱きしめてくれてたし?ホントにお人形さんなの?実は中に誰か入ってたりしない?)
などとアリアーヌの謎っぷりの疑問を思案する。
と、答えの出なさそうな余計な考えは一旦中断して、アタシはそのまま衝撃で揺れる車両の中を歩き、さっきまで座っていた車両の後ろ側の席に戻って、席の前で両足を開いて仁王立ちする。
(パヤージュはアリアーヌとエメリーに任せた。後はアタシ、腹は決めた。自分の身くらいは自分で守って見せるし、手の届く範囲の人は守れるだけ守る。怖がってなんて居られるもんか)
完全では無いがそれなりに肝を据えたアタシ。アタシは空いた両手を胸間に当てた。そしてイメージする。悪魔へと変わるイメージを。
(自分にやれることはやるよ、悪魔に変われ!変われ、アタシ!)
-バチィッ-
アタシの胸間に静電気の弾けるような感触と共に、触れた部分から全身に向けて熱い感覚が身体を巡る。変わっていくアタシの身体。手が青くなり、爪が伸びて、目が悪魔の目になる。
両手と目だけの中間形態、半悪魔状態へと変わったアタシ。
「お、お姉様?」
そんな突然半悪魔に変身したアタシを見て、目を見開いて少し驚いているような表情で振り向くキートリー。そんな彼女にアタシは自分なりの覚悟の答えを返す。
「キートリー、アタシ人は殺せないけど自分の身は自分でキッチリ守る。あとパヤージュ達も守る。アリアーヌにパヤージュの護衛に付いて貰ったから。キートリーはアタシ達を気にしないでそのまま続けて」
「えっ?ええ、わかりましたわお姉様」
多少困惑気味なキートリーにそう告げて、青くなった両腕を組んだままドカッと多少勢いよく席に座るアタシ。
(なるようになれ、だ。ガタガタ震えてるよりずっとマシ。アタシの心がアタシの力に追いついてなくったって、やるしかないんだったら、やってやる)
さっきまでの臆病なアタシの心はどこかへブッ飛ばして、太々しく振る舞うことに決めたアタシ。いつまでもビクビクしているより、自分に出来る精一杯をやって、あとは流れに身を任せとけばいい。アタシはキッと悪魔の目に変わった自分の目で、バヤールの覗き窓から見える戦火を見つめ、周りの戦況を再度探る。
依然として、双方の射撃戦、ボーフォート軍の氷の刃と、ジェボードの獣人達の火球の応酬は続いている。ボーフォート軍は強固な結界で敵の火球をから身を守りつつ、反撃で雨のような数の氷の刃を左右の森の中の敵へと見舞う。火力差も防御も、アタシの素人目に見ても圧倒的にこちらの有利だった。今も太い声、ボーフォート軍の男の兵隊達だろうけど、魔術詠唱の声が連続的に響いては氷の刃が森の木々をなぎ倒しながら中に向かって次々と飛んでいく。ただしそれは左側の車両限定の話。
逆側の右側の車両はと言うと、
「め、水の女神メルジナよ、そっ、その冷たき怒りを持って、わっ、我が敵を切り刻めっ!」
「ア、アイスバースト!」
「ア、アイスっ、バーストっ!」
「うわあっ!?」
-キィィィン-
-ヒュヒュンッ-
最初の勢いはどこへやら、どこか頼りなさげで、左側の車両から発射される半分以下の本数の氷の刃、これが東側の森の中へとひょろひょろと飛んでいる状態。ド素人のアタシが見てそう思うんだから、キートリー達や実際に戦ってる敵からしたらもっと一目瞭然だろう。
「ハハッ!こっちに手練れはいないようだなっ!行けるぞっ!撃て撃て撃てェッ!」
半悪魔化で聴力の高まったアタシの耳に聞こえてきた敵の声。ジェボードの獣人達は右側の薄い弾幕を素早くかいくぐり、時にはひょろひょろな動きの氷の刃を火球で相殺しつつ、猛然と火球での攻撃を仕掛けてくる。
(右側、新兵の人達だったっけ?押されてるんじゃない?)
バヤールに張られた結界のおかげで未だこちらに被害は無いモノの、明らかに火力で負けている。迎撃仕切れなかった敵の火球がドンドンと結界に当たり、衝撃でグラグラとバヤールを揺らす。
「おっと?キートリー、右の方、大丈夫なの?」
「この程度、どうと言う事はありませんわ。もっとも、このまま撃ち続けられたら話は別ですけれど」
少し右側の車両の兵達が心配になったアタシは、キートリーにそんな質問を投げかける。そんなアタシに向かって涼しい顔のまま問題ないと答えるキートリー。
「じゃあそっちを助けるの?」
「いいえ、不要ですわ」
右側の新兵達を助けた方がいいんじゃないか、と提案するアタシの意見に、キートリーはアタシに向けて平手を向けて断るような仕草を取りつつ、すっぱりと否定してきた。どうして彼女がそんな強気なのかイマイチ理解できないアタシ。そんなアタシを見ながらキートリーは不敵に笑い、チラッと右側に視線を送り、
「このためにわざわざワタクシの車両の戦力を削り、彼らをあちらに回したんですのよ?」
そうアタシを見て言い切るキートリー。何故か自身有り気げな彼女の態度にアタシが頭に疑問符を浮かべていると、間もなくその答えが右の車両から、聞き慣れた彼の声が聞こえてきた。
「水の女神メルジナよ、その冷たき怒りを持って我が敵に凍てつく息吹を、フロストブロウ!」
-キィィィン-
-ヒュゥゥゥゥゥゥッ-
右側の森に吹きつけるドライアイスのような大量の白煙。それが射線上の道中、燃えている村の建造物ごと火を消しつつ凍り付かせていく。
「がっ!?かっ、身体、が……」
「寒い……凍……る……」
遠くで聞こえる冷気の魔術で凍える狼達の声。
「この声は、ジェームズさん?」
「ふふっ、まだありますわよ?」
冷気の魔術を放った人物の声を聞いて、それがジェームズだと理解したアタシ。そのアタシを見つつ、まだ続くとキートリーは不敵に笑っている。そしてもう一人の彼の声が聞こえてきた。
「っしゃあ!いいぞジェームズ!新兵共ォ!ビビってないで俺に続けろぉ!輪唱だァ!!」
「「「はっ、はいっ!ショーンさん!」」」
「水の女神メルジナよォ!」
「「「水の女神メルジナよ!」」」
「その冷たき怒りを持って我が敵を切り刻めェ!」
「「「その冷たき怒りを持って我が敵を切り刻め!」」」
若干こぶしのような微妙なイントネーションの入った魔術詠唱をするショーンの声に続き、新兵達のモノと思われる詠唱が追いかけ続く。
「「「「アイスバースト!」」」」
-キィィィン-
-ヒュヒュ!ヒュゥゥンッ!-
そして一斉に放たれた氷の刃。風を切る氷の刃の音は、半悪魔化したアタシの耳にははっきりと良く聞こえる。
「がっ!?」
「あがっ!?」
-パキィィンッ!-
右側から聞こえてくる狼の悲鳴と、何かが割れて崩れ落ちるような音。アタシは今の氷の刃の一斉射撃で多数の気配が消えていったのを感じた。
「ジェームズさんの魔術で凍らせた獣人達を、ショーンさん達の魔術で一斉射撃して仕留めた、そんなところ?」
「あら?流石お姉様、見なくてもわかるんですのね?」
「まあ、何となくね」
「ふふんっ」
何でか嬉しそうな表情をアタシに見せてから、また前に向き直ったキートリー。そう言えば、プレクトが最初にバヤールの上に飛び乗った時も、キートリーはアタシと同じく誰が乗ったのか分かってたような感じだった。所謂、気配を探るスキル、とでも言えばいいんだろうか、それをキートリーも持っているのかもしれない。
その、気配を探るスキル、過信は禁物だけど、これを使って再び周りの状況を探る。バヤールの後の席で両手を組んだまま目を瞑るアタシ。半悪魔化したアタシの感覚は、声と音と気配だけで前方の戦況をなんとなく把握する。
(白い煙玉が、魂が一気に昇って行ってる。一つ二つ……六つ。右前方側の獣人の数は今のでもう半分以下、4人になった。左前方側はまだ7人残ってる。正面は5人のまま)
上空のプレクトの報告を待つまでも無く、アタシは残りの敵の数を気配だけで感知する。
(あ、そう言えばプレクトは?)
ここでアタシはすっかり忘れて放置しっぱなしのプレクトの気配を探ってみた。上に意識を向けてもすぐには見つからず、もっと上へと意識を向けてみる。するとプレクトはアタシの予想の遥か上空を飛んでいた。
(プレクト……完全に雲の上だこれ。下手な飛行機より上にいるじゃんもう。まあそこなら攻撃も受けないから安全だろうけどさ。でもそこからキートリーに言われてた戦況把握の仕事、出来るの?って、あー、出来るのか。そこそこ晴れてるし、多分プレクトなら見えるんだろうなあ)
とりあえずプレクトが安全な高度にいる事を確認出来たアタシは、目を開けてまた前を睨む。まだ射撃戦は続いているモノの、最初に張られた結界が依然として敵の火球を防いでいる。このまま行けばこちらの、ボーフォート軍の優勢で決着は付くだろう。
(この結界があるおかげで、こっちが圧倒的に有利だったんだろうってのは予想出来る。じゃあ相手は?特攻?ジェボードの獣人達は全滅するつもりで仕掛けてきてるの?)
なんだってジェボードの獣人達は圧倒的不利なままこちらに仕掛けてきて、尚且つまだ引こうとしないのか?そこが引っ掛かっていた。命が惜しくないのだろうかと、普通は考える。アタシの素人目に見たってどうしようもない不利に感じる。このままじゃ全滅するだけだろうに、だけど獣人達は戦いを止めていない。
アタシが相手の意図がよくわからないので頭を捻っていると、仁王立ちしたままのキートリーが外を見ながらボソッと呟いた。
「どうやら、ワタクシ達の出番は無さそうですわねえ……」
どこか物足りなさそうな、それでいてほっとしているような、複雑な心境のキートリーの呟き。アタシとしてはこの戦いは早く終わって貰った方が良いので、と言うかメグを助けるのがアタシとこの部隊の当初の目的だったハズで、誰も被害を受けずに、安全に、さっさと終わってくれることに越したことは無いんだけど。
と、そんな事を思っていた時、
「千歳サマ……」
「ん?」
いつの間にかアタシの傍にケリコが居た。彼女はぷにぷにの肉球付きの両手をアタシの膝の上に可愛らしくちょこんと置き、さっきまでの牙を剥いての怒り顔はどこへやら、トロンとした酔っている様な目でじーっとアタシを見つめている。
「え、ケリコ?何?」
「うにゃあ……♥千歳サマ……♥もう我慢できないにゃあ……♥グルル……♥」
「え、我慢?どういう?」
ケリコがゴロゴロゴロと喉を鳴らしながら、正真正銘の猫撫で声を上げてアタシにすり寄る。ケリコのモフモフの毛だらけの頭がアタシの二の腕に擦りつけられ、アタシは突然の彼女の行動に困惑した。
「うっひ」
(これって、猫が甘える仕草のヤツだよね?なんで?今?アタシに?)
ケリコの立派な毛並み、これを兎角スリスリと擦り付けられて、アタシはこそばゆくて仕方がない。じゃあかと言って彼女を振りほどくとか追い払うとかと言うとそこまでの嫌悪感も無く、アタシも元々猫自体は好きな動物であるので、困惑はしつつもその場から動きはしなかった。
すると当然、彼女の行動はエスカレートする。
「うにゃうにゃ……♥うにゃあん……♥」
「ちょっ?あっ、こらっ、ちょっと?くすぐったいって」
ザラザラの猫の舌でアタシの頬をベロンベロンと舐め始めたケリコ。ケリコは舐めるだけじゃなく、ついには身体全体ですり寄って来た。服と猫の体毛に覆われつつも、外見上そこそこ豊かだなとか思ってた彼女の胸がアタシの左腕に擦り付けられ、
(あれ?ケリコ、胸が6つある?ああ、猫だから複乳なのか)
などと余計な事を考える。
さて、彼女がアタシに甘えているのは猫の行動としてなんとなく理解出来たのだが、なんでよりによってこのタイミング、戦闘中に甘えだしたのかがよくわからない。彼女は引き続き猫撫で声を上げながらアタシに身体を摺り寄せ、アタシの頬をベロンベロン舐めている。
(アタシはマタタビか何かか?いや、イカンでしょ、まだ闘いは終わってないのに。流石にそろそろ止めないと)
まだ戦闘は続いていると言うのに、ケリコの緊張感の無さにアタシは流石にケリコを止めようとする。
「ねえケリコ、後でなら好きなだけ舐めて良いから、今はちょっと遠慮してくんない?」
「にゃあん……♥」
「聞いてる?」
「グルルルル……♥」
「うーん、しょうがないなぁ」
言葉で伝えてもまるで遠慮してくれないケリコに、アタシは仕方なく力で無理やり引き剥がす事にする。と言うのも、さっきから車両の前方でキートリーがアタシ達を不満そうなジト目でずっーっと振り返りながら見ていた。いつから見ていたのかは知らないけど、これはこのままほっとくと怒られそうだ。もうこっちの勝ちで終わりそうだとは言え、今は戦闘中。実際緊張感は大事。
アタシは自分の青い手でケリコの両肩をガシッと掴み、そのまま彼女の身体をぐいっと離す。
「にゃあっ!?にゃんでっ!?もっとしたいにゃあっ!」
「あぁー、後で、後でならしていいからね?今はダメだから、ね?後にしようね?」
「うぅ~」
アタシは苦笑しつつ、駄々を捏ねる子どもをあやす母親みたいなことを言いながら、ケリコを元居たバヤールの操縦席の方に向かって突き放す。ケリコは抵抗したモノの、アタシがちょっと押しただけで半悪魔化しているアタシの腕力ではまるで敵わないのはすぐに理解したらしく、観念したのか自分の操縦席に座りつつアタシを未練がましく見つめている。
「千歳サマぁ~」
「こほんっ!」
「に゛ゃっ!?」
キートリーのわざとらしい咳払いに、吃驚したのか尻尾の毛をブワッと膨らませたケリコ。すぐさま借りてきた猫のように、っていうかケリコはモロに可愛い服を着た二足歩行する猫なんだけど、大人しく操縦席の杖を握り、さもいつでも戦えます見たいな顔をしてさっきまでの事態を取り繕う。ただまあキートリーにはバレバレです。
「はぁー……」
キートリーも長い溜息を吐きながら、やれやれと言った感じで再び前を向いた。アタシもケリコの突然の奇行に付き合わされてやれやれなのではあるが。
さて、戦いは終わっていない。アタシは再び真面目な顔に戻って外の様子を伺おうとした、その時、
-ガチャッ-
突如、車両の後方の扉が開けられた。車両後方の扉は輪形陣の内側に辺り、連絡管が使えなくなった時などの緊急時用に内側から鍵は掛けていないんだとキートリー達から聞いている。そんな緊急時以外開けられない扉が開けられたら、アタシを含む全員が何事かと一斉に後ろの扉に振り向き視線を送る事になるワケで。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、ブックマーク、★評価等よろしくお願いいたします。
今年もありがとうございました。
来年も投稿ペースは維持したいところ。これはリアル事情とモチベーション次第ですけれども。
2021/12/25より、カクヨムでも当作品を掲載始めました。あちらはとりあえず最新話まで順次掲載する予定です。