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16.決戦の朝_02

 森に囲まれた前戦キャンプに、斜めから朝日が降り注ぐ頃。


「なぁにぃ?4両目のバヤールの操舵を代わってほしいってぇ?」


 ボースが部下の陳情を受けて、困ってつるつるの頭を掻いていた。

 元の手筈では、メグの救出作戦に参加する9人の内、ボースを除いた、アタシ、マース、キートリー、サティさん、パヤージュ、ジェームス、ショーン、エメリーの8人を乗せたバヤールの4両目、その操舵をマダツと言う魔術師が担う事になっていたのだが、そのマダツが嫌だと言ったらしい。理由は一つ、その4両目に乗るアタシだ。


「は、はい、ボース様……」

「マダツよぉ、千歳にゃマースのサーヴァントチョーカーが付いてるだろうが、それでも嫌だってぇのか?」


 そう言って部下であるマダツに聞き返す。


「申し訳ながら私には……」


 言いにくそうにしながらもハッキリと拒絶の姿勢を見せるマダツ。困ったボースはつるつるの頭をガリガリ掻いて唸る。


「あ"ー、しょうがねえな、マダツ、お前は5両目と交代だ」

「旦那様、それが……」


 部下に交代を命じたボースだったが、そのボースに執事のセルジュさんが近づき耳打ちする。


「あ"あ"!?皆嫌だとぉ!?なんだお前ら!?千歳の件は昨日ので納得したんじゃなかったのかよ!?」


 辺りにボースのイラ付いたような叫び声が響いた。主人の怒りの声を聞いて萎縮する周りの部下達。彼らにはよっぽど昨日のアタシの悪魔の力が目に焼き付き恐怖に映っているらしい。マースの首輪が付いて尚、アタシと同行するのは嫌だというくらいにだ。


(まあ逃げ場のある外なら兎も角、この逃げ場の無い鉄板荷馬車の中でアタシと一緒になるのはやっぱ嫌か)


 既に4両目のバヤールの中の木製の椅子に座って出発の準備を終えていたアタシは、外から聞こえるボースの怒鳴り声を聞いて事情を理解した。昨日の一件でもう受け入れられたと思っていたが、事はそう上手くは行かないらしい。


「うん……まあそうだよねぇ……」


 アタシがボーフォートの兵達にまだ怖がられている事実に肩を落とし俯いていると、


 -ガタッ-


 後ろに座っていたマースが立ち上がり、アタシの横を通り過ぎてバヤールの出口へ向かいだす。その表情に笑みは無く、昨日部下達に見せた冷酷無慈悲な真顔。アタシの為に怒ってくれている、それは嬉しいのだけれど、


(ヤバイヤバイ、その怒り方はまたひと悶着起こすレベルの怒り方だからちょっと待って)


 焦ったアタシは彼を止めようとバヤールの扉に手を掛けたマースの後に立った。そしてアタシは少し屈んで彼に思いっきり抱き着く。


「マースっ!」

「……うわっ!?と、止めないでください千歳姉様!」


 アタシに抱き着かれたマースは瞬時に冷酷無慈悲の表情からいつものマースの表情に戻った。


「ダメ、また怒りに行くつもりでしょ?アタシは全然気にしてないから大丈夫」

「しかし……っ」


 アタシはアタシでホントは全然大丈夫では無いのだけれど、揉めてまた嫌な雰囲気になるのはもっと嫌だったので虚勢を張る。マースはそんなアタシの気持ちを悟ってか、アタシの顔にそっと手を合わせて言う。


「……わかりました。でも必ず、必ずいつか皆にも受け入れられる日が来ます。僕が受け入れさせて見せます。だからそれまでは……」

「ありがと、マース」


 優しいけれど決意を秘めた声でそうアタシに告げるマース。そんなマースに心のもやもやを少し晴らして貰ったアタシ。アタシはマースへの拘束を解いてそのまま二人ともバヤールの元の席に戻ったのだが、さて、バヤールの操舵手がいないこの状況はどうなるのか。

 そのまま何が進行する訳でも無く、ただしばらく待っていたところ、


「はぁ……ゴブリン狩り目的の義勇兵が大半とは言え、勇猛果敢で知られるボーフォートの兵たるものがこの体たらく、まったく嘆かわしいにも程がありますわ……」


 反対側の席に座っているキートリーが頬杖を付きながら呆れたような表情でぼやいた。いつの間に結んだのやら、彼女の長い緑色のロングヘアは1本のポニーテールに纏められている。キートリーはそのまま席を立ち上がり、バヤールの覗き窓から外を伺う。


「しかし、このままでは出発が出来ませんわねぇ……」


 するとキートリーの後方の席に座っていたサティさんが立ち上がって言った。


「お嬢様、私が操舵すると旦那様に伝えて来ます」

「サティ?あっ?貴女ちょっと」


 サティさんはキートリーが聞き返す前に席を離れ、バヤールを出て行こうとする。と、バヤールの出口扉に向かったサティさんの前にジェームズが立ちふさがり、サティさんを止めた。


「ジェームズ、何用ですか」

「サティ様。サティ様は今回の作戦、マース様補助の要、魔力の無駄遣いは極力避けた方が良いでしょう」

「それは分かっています。ですがこうやって何時までも待たされていては」


 突然進路をジェームズに塞がれ不機嫌そうな顔を彼に向けるサティさん。さっきのマースやキートリーもそうだが、何時までも出発しない事にみんな苛立ってピリピリしている。元はと言えばその原因はアタシなのでどうにも居たたまれない。


「あ、アタシは降りて走れば……」

「ダメです」

「ですわね」


 この雰囲気を何とか打破しようと告げたアタシの提言は、マースとキートリーの二人によって速攻で却下された。


「お二人の仰る通りです。千歳様、クラーケンとの戦いの前に余計な体力を使うべきではありません」

「うう‥…」


 サティさんにまで諫められて、アタシは最早どうしたらいいのかと完全に凹む。

 そうしてアタシはあーでもないこーでもないと言い合う外の兵士達の声を聞きながら、沈んだ気分で俯いていた。


「なぁちとせー、まだ出ないのかー?」

「まだー?」


 バヤールの上に乗っていたプレクトとエメリーが、覗き窓から逆さまの顔を覗かせて無邪気な発言をする。ただプレクト達的には無邪気でも、今のアタシにとっては極めてクリティカルな発言なワケで。


「あ、ご、ごめんね……もうちょっと掛かるって、もう少し待ってて……」


 自分でも情けなくなるような、か細い声で返答することしか出来なかった。


「千歳?なんか元気ない?」


 エメリーがアタシの落ち込みように気付いたのか、小さな羽をパタパタさせながら覗き窓からアタシの近くに飛び寄って来る。


「う?ううん、げ、元気だよ?元気元気」

「んー……」


 我ながら下手だなあと思いつつもカラ元気丸出しでエメリーに答える。エメリーはそんなアタシの返答を聞いて少し考えるような仕草をした後、また覗き窓から外に出て行った。


「はあ……」


 外に出て行くエメリーと一緒に覗き窓から顔を引っ込めバヤールの上に戻ったプレクトを見送りながら、思わず付いた溜息。まだ外からは揉めている兵士達の声が聞こえる。悪魔化の影響なのか、アタシは人間状態のままでもやたら聴覚が鋭くなっていて、やれ、密室で暴れられたらどうするんだだの、俺じゃなくてお前がやればいいだろの、そういう聞きたくも無い言葉だけが耳に残る。

 だけど立場が逆ならアタシも嫌がっただろうなので、ボーフォートの兵達を責められない。


(馬鹿だなあ、アタシ。なんであんなことやったんだろ)


 そう今更自分の昨日の所業を後悔していたところ、また覗き窓からプレクトとエメリーが逆さまの顔を覗かせて来た。


「ちとせー、ほい、これ」

「えっ、何?っっと?これって?」

「千歳、果物、美味しい」


 プレクトがバヤールの覗き窓からアタシに向けて何かを投げ来る。何かと思ってキャッチしてみれば、割と見慣れた果物。エメリーの言う通り、赤くて丸い、ちょっと酸味が強いけど甘い馴染みの果物。


「それは……ポムの実ですね。プレクト、どこから採ってきたんだ?って、うわっとっと!」


 プレクトがバヤールの中のマースに向けてひょいっと赤い果実を投げ入れてくる。突然赤い果実を投げられて、両手でちょっと落としそうになりながらもなんとかキャッチするマース。


「んしょ……キートリー、これ!」

「ワタクシにも頂けるんですの?」

「あげる!」


 エメリーも小さな身体で赤い果実を両手に抱えながらパタパタと飛び、キートリーに果実を渡す。エメリーの降ろした赤い果実を両手で掬うように受け取るキートリー。キートリーはエメリーから果実を受け取るなり、皮ごとシャリシャリ音を立てて食べ始めた。


「あら、良い実り具合ですわね。甘くて美味しい」


 モグモグと咀嚼しながら、口元を手で覆っているキートリー。心なしか彼女の眉間に寄っていた皺が解消されたような気がする。


「メイドのねーちゃんもそっちの魔術師のにーちゃんも食うだろー?ほい、ほい」


 プレクトは続けてサティさんとジェームスにも赤い果実を投げ入れてくる。


「えっ?きゃっ、っと、あ、ありがとうございますプレクトさん」

「むっ?これはこれは、ありがとう翼の少年」


 ちょっと驚きながらも両手で果実を受け取るサティさん。対して片手で卒なく受け止めるジェームス。

 プレクトとエメリーは一旦覗き窓からバヤールの上に戻り、また再度覗き窓に顔を出す。


「エメリー、これそっちの耳長のねーちゃんのなー」

「うんプレクト、んしょ、んしょ、パヤージュ!これ!」

「あっ、っと、ありがとうございますエメリー」


 プレクトから赤い果実を受け取ったエメリーが、また両手に抱えながらバヤールの隅っこに座っているパヤージュに向かっていった。そして両手を合わせて待っていたパヤージュの手の上に果実を降ろして受け渡す。

 アタシを除き、赤い果実を受け取った各人は各々席に戻ってシャリシャリ音を立てながら果実を食べ始める。


「ん、美味しい。故郷の味を思い出しますね」

「うん、美味しいねパヤージュ。しかしこれ結構大きいな、なんて種だろう?」

「マース様、これは恐らくブレバーン種の亜種かと」

「確かにこの果肉の甘さと水水しさ、ブレバーン種なのは間違いありませんわね」

「ほほう、シュダ森にポムの実が自生しているとは知りませんでした」


 研究者気質なのかなんなのか、果実談義を始めるマース達。ピリピリした空気がなんとなく和やかになった車内で、アタシはほんの少し胸をなでおろす。


「後は~、ちとせー、アリアーヌってこれ食えんのー?」


 また覗き窓から逆さまの顔を覗かせたプレクトが、アタシの後のマース、の更に後ろの席に黙って座っているアリアーヌをチラっと見た後、彼女が果物を食えるのかとアタシに聞いてきた。


「えっ?アリアーヌ?ううーん?」


(そう言えばフラ爺にアリアーヌの事聞くの忘れてた)


 アタシはプレクトにアリアーヌの事を聞かれ、昨日寝る前にサティさんにアリアーヌの事についてフラ爺に聞いてみると言っておいてすっかり忘れていたのを思い出す。もう本当にすっぱりと忘れていた。夜中に眠れなくてフラっと女神像に祈りを捧げフラ爺に連絡を取った時に、アリアーヌの事についてもついでに聞いておけばよかったのに、全く頭に無かったのだからアホらしい。

 今朝は今朝でアタシはメルジナの女神像に祈りを捧げてないのでフラ爺に連絡を取っていなかった。今朝は女神像に祈りを捧げようにも周りには作戦参加の兵士達がいっぱい居たのだ。アタシが祈りを捧げると昨日のサティさんのようにアタシ目掛けて振ってきたフラ爺の魔力が近くの人に直撃し被害が及ぶのでつい避けてしまった。

 それで人が引いてから祈ろうかと思っていたら、メルジナの女神像はアタシが乗っているバヤールの一両前、前から三両目の車両に積み込まれてしまったので祈る機会を完全に逃していた。


「おーい、ちとせー?アリアーヌのはどうりゃいーい?」


 今朝の事を思い出してぼーっとしていたアタシに再度確認の言葉を掛けてくれるプレクト。アタシはハッと我に返って彼に返答する。


「あっ、ごめん、とりあえず渡して上げて?」

「りょーかい、アリアーヌこれ受け取れー?ほい」


 プレクトがひょいっとアリアーヌの前に赤い果実を投げ入れる。危なげなく両手でパシッと投げ入れられた果実を受け取るアリアーヌ。


「はい、ヴァルキリー・プレクト」


 アリアーヌは相変わらずの無表情でプレクトの名前を呼ぶ。


「その呼び名、なーんか変な感じなんだよなあ……ま、いいけど」


 プレクトはそう言ってバヤールの覗き窓から頭を引っ込めて車両の上に戻って行った。エメリーもそんなプレクトを追っかけてパタパタと宙を舞いながら車両の上に飛び去る。

 プレクトが引っ掛かっていると言うのは、アリアーヌがプレクトの事をヴァルキリー扱いしていることだ。


(まあ元の身体がヴァルキリーなんだから、アリアーヌが今のプレクトの事をヴァルキリーって呼ぶのは分からないでもないけど)


 アタシがそんなことを思っていると、車両の上からプレクトとエメリーの仲良さげな話声が聞こえてくる。


「プレクト、エメリー達もポムの実食べる!」

「あいよ、エメリーにはちょっと大きいだろ?待ってな、これ細かくしてやるから」

「わーい」


(ありゃ、いつの間に仲良くなったんだか)


 あの二人、大きさは違えど同じ有翼人だから気が合うんだろうか?いやどうだろう、鷲とハトが仲良くするか?とは言え普通に仲良くしてる分には問題ないので不問とする。

 アタシは上の二人を微笑ましく思いながら、果実を受け取ったまま微動だにしないアリアーヌに近寄り、声を掛ける。


「アリアーヌ、今渡したその果物って食べられる?食べられるなら食べちゃって。ダメそうならプレクトに返すけど」

「はい、日高千歳。対象、果物、通称、ポムの実。海竜の月のポムの実は甘みが強く水水しい。栄養価は高く、エネルギー補給に有用」


 アリアーヌも研究者気質?なのかは知らないけど、やたら詳しく果物の分析を呟きながらシャリシャリと果実を食べ始めた。

 アタシはそんなアリアーヌが普通に果実に齧りついているのを見ながら、


「ヴァルキリーって果物食えるんだ……」


 と、感心していた。ヴァルキリーはオードゥスルスの操るお人形、フライアもそう言っていたけど、こうやって目の前で果物をシャリシャリ食べているのを見ると本当にただの人形には見えない。

 アタシはアリアーヌが無事に果物を食えることを確認した後、自分の席に戻って自分の持っている赤い果実をマジマジと見つめる。そう言えばさっきから皆これの事を聞いたことの無い名前で呼んでいたけれど、


「ポムの実?あれ?これってリンゴじゃないの?」


 アタシはアリアーヌを含み皆がこの果物の事を聞き慣れない名前で呼んでいた事についてふと口から漏らす。すると、後ろで両手で果実をモグモグ咀嚼していたマースがすすっとアタシの隣りに並んで説明してくれる。


「んっ、んっぐ、ごくん、はい、これはポムの実です。千歳姉様の世界中ではポムの実の事をリンゴと言うのですね。甘くて美味しいですよ」


 そう言ってアタシの隣りの席に座り、また新しいリンゴ、いやポムの実に皮ごと齧り付いているマース。


(2個目?いつの間に)


 マースは育ち盛りなのかお腹が減っていたのか、誰に貰ったのか両手に一つづつポムの実を握りしめて食べている。因みに反対側のキートリーはとっくにもう食べ終えており、残った芯の部分をバヤールの覗き窓からぽいっと外に捨てていた。


「う、うん、食べてみるね……」


 マースに勧められてポムの実に食べようとするアタシ。正直アタシは乗り気ではなかった。リンゴ、いやポムの実が嫌いってワケじゃないし、むしろ元の世界に居た時は好んで食べていたくらいだ。だがこの世界に来たアタシは、悪魔になったアタシにはある感覚が抜け落ちている。

 それでも勧められた以上一口くらいはと、自分の右手のポムの実をマジマジと見つめるアタシ。


(何だろ、この凄く妖しい感じ。ただの果物なのに)


 やたら強烈な妖しさを感じさせる果物。これもアタシが悪魔になった影響だろうか?ともあれただ見つめていても果物が無くなるワケではなく。アタシは意を決めてガブリと右手に持ったポムの実に齧りつき、シャリ、っと音を立てて食べる。


(水水しい、のは分かるけど、うん、味がしない)


 無い、味がしない。分かっていた事だがそれでも少し凹む。今のアタシには味覚が無い。正確には、普通の食物に対する味覚が抜け落ちている。悪魔化の弊害の一つだ。人間体の今のアタシですら普通の食べ物に対する味覚が完全に無くなっていた。この事を知っているのはアタシ以外では、同じ悪魔であるフラ爺と、サティさんだけ。

 アタシは凹みつつも確かめるようにポムの実をもう一齧りする。シャリっと音を立てるポムの実。確かめるまでも無く当然のようになんの味も無い。その時、アタシの噛み痕からつつーっとポムの実の果汁が一滴垂れて、アタシの右手の甲を濡らした。左手でその果汁を撫で取って、人差し指と親指をくっ付けたり離したりしていると水分が飛び、指先がほんのりベタベタと粘ついて来る。これは果汁に含まれる果糖の粘りだ。


(ホントなら凄く甘いんだろうなあ、この果物)


「あむ」


 味覚が無いなりにこの果物の甘さを指先で確認したアタシ。味のしない果汁でベタ付いた手なんて不快なだけなので、自分の指先に吸い付き舌でベタベタを舐めとる。


「ん?」


 なんとなく誰かから見られているような気がしたのでチラッと横のマースに目線を向けてみれば、彼はアタシの指先と口元に熱い視線を送っていた。マースはアタシに見られているのに気が付いたのか、少し焦った様子ですぐに自分で持っているポムの実に視線を戻し、また自分のポムの実を食べ始める。


「んふっ」


 アタシはマースの可愛げのある仕草に思わず軽く笑いを漏らしながら指を舐め続けていた。そんな時、口に含んだままの自分の指先に少し違和感を感じた。しないハズの、無いはずの味覚。だが舐めとった自分の指からはじんわりと甘い感覚がある。


(アタシの指、甘い?)


 不思議に思って自分の左手指を口から出して見つめてみるも、なんてことのないこれはアタシのただの指。今は悪魔化もしてないので、ただの人間の、大してネイルケアもしてないアタシの平凡な爪、年相応にハリがあるんだか無いんだかな手肌の指があるだけ。どこも可笑しいところは無い。


(え、今のなんだったんだろ?)


 不可解に思いつつも、つい最近までの味覚があった頃の癖で右手のリンゴ、じゃなかったポムの実にまた齧りつく。


 -ガリッ-


「ン゛ッ?」


 アタシの歯に、石にでも齧りついたかのような固い感覚があった。思いのほか勢いよく齧りついたので、歯にガリッと固い嫌な感覚が走る。だが勢いよく行き過ぎたらしい。アタシの歯はその石らしきモノを、


 -パキンッ-


「ン゛グッ?」


 パッキリと割ってしまった。しかも吃驚した勢いで口の中のポムの実の果肉ごとその石らしきものをそのまま飲み込んでしまう。


「ン゛、ごくんっ」


 こんなことをやってれば隣のマースも当然気づく訳で、彼は心配した様子でアタシを見ていた。


「千歳姉様?大丈夫ですか?」

「……ん、う?ああ、うん、ちょっと喉を詰まらせただけだから。あはは、もう大丈夫」

「そうですか?ならいいですけれど」


 喉を詰まらせただけど誤魔化すアタシと、それを聞いて安心したのかまた自分のポムの実を食べ始めるマース。

 そう、アタシは誤魔化した。実は割と大丈夫では無く、いや、喉を詰まらせたのは大丈夫なんだけれど、味覚の無いハズのアタシの口の中に、何故か広がる甘い感覚。喉を通って行った固い石のようなものの感覚。そしてそれが胃の中で炭酸飲料でも飲んだかのようにパチパチと元気よく弾けている。


(なんじゃこりゃ!?)


 正直不可解にも程がある。腹の中で花火大会でも開かれているかのようだ。アタシは左手で口を塞ぎ、その不可解な感覚に目を丸くしていた。

 とは言え、アタシには何もできることはない。ただ時が過ぎるのを待つだけ。と、そのまま腹の中の花火大会を我慢していたら、ゆっくりと花火が収まってきた。


(よ、よかった、ずっとお腹の中パチパチしてたらどうしようかと)


 空いた左手で自分の腹をさすりながら安心するアタシ。が、不可解なことは続いた。アタシの頭の中に、頭の中のイメージに、紫色の禍々しい煙玉が現れたのだ。


(何これ)


 頭の中に煙玉が浮かぶイメージ、これ自体には覚えがある。ゴブリンを喰った時、ゴブリンの魂を取り込んだ時に浮かぶイメージだ。だが、今アタシの頭の中に浮かぶ煙玉は、ゴブリンのモノとは比べ物にならない程に大きく、そして毒々しいまでに鮮やかな紫色だ。


(めっちゃ妖しい、これも何かの魂なの?なんでポムの実の中にこんなモノが)


 やたらデカい紫色の魂。それ自体は、何をするでもなくただアタシの頭の中で浮かんでいた。ゴブリンや、プレクトの魂のように喋る訳でも無い。間違って食べてしまった事を除けば、危険性は無いように見える。見た目は怪しすぎるけど。

 そんな時、アタシの中に残ってるもう一つの魂、ゴブリンの集合体の魂を持つヴァルキリーのヒルド、彼女の魂がアタシの頭の中の隅っこで震えているのが見えた。ちょっと心配になったので彼女に声を掛けてみる。


(あ、ヒルド?大丈夫?)

(あひっ!?ご、ご主人様、これはいったい……?)


 ヒルドは酷く怯えた様子で、紫色の魂に近づこうとしない。


(アタシもよくわかんない、なんか果物食べた時に一緒に取り込んじゃったみたいなんだけど。ねえ、ホント大丈夫?なんかめっちゃ震えてない?なんだったら外出る?)


 アタシはヒルドがあまりにも震えているモノだから、プレクトのようにアタシの外に実体化させるかと彼女に問う。だがヒルドはそれすらも無理な様子で、


(ひっ!ご、ごめんなさいっ!)

(あっ!?ヒルドー!?)


 ヒルドはアタシの頭の中の、奥の奥、アタシのイメージでも届かないような暗い暗い奥の方へ逃げて言ってしまった。


(あちゃー、ダメか、引っ込んじゃった。いや、ホント、なんなのこの紫色のヤツ?紫色の……ん?紫?)


 依然として不気味にアタシの中に漂う紫色の魂。その妖しい紫色に既視感があった。そして察するアタシ。


(もしかして、フラ爺が集めろって言ってた"私の魂"って、これの事?)


アタシがこの世界に飛ばされてきた初日、フライアが言っていた事を思い出した。オードゥスルスによって強制的に分割されたフライアの魂。それを集めきれば、元の世界に返してやれると言い切り、アタシにフライアの魂を集めろと言った事。


(棚から牡丹餅、ポムの実からフラ爺の魂って?あほくさ)


 そんな事を思いつつ、アタシは特に害は無いフライアの魂は放っておくことにした。ヒルドは窮屈してて出てこれそうにないけど、フライアにはまあまた顔を合わせた時にでも渡せばいいだろう。なお渡し方は知らないのでフライアから要聴取するモノとする。

 さて、アタシがポムの実の中に入っていたフライアの魂と格闘し終わった頃、ふとまたマースが不思議そうにアタシを見ていた。


「千歳姉様、ポムの実に何か?」

「うん?ああ、ちょっとね」

「ちょっと?」


 不思議そうな顔をしてアタシを見るマース。フライアの魂が入っていたので食べましたとか言っても変に騒ぎになるだけだ。なのでアタシはまた誤魔化す。


「えー、あー、なんて言ったらいいかなー?」


 アタシは誤魔化しつつ3口程齧った自分のポムの実を確認する。


(そういやフラ爺、アタシはバラバラになったフラ爺の魂を感じ取れるとかなんとか言ってたっけ)


 フライアがアタシに魂を集めろと言っていた時、フライアが"千歳には私の魂がどこにあるかも感じる事が出来るの"とか言っていた事を思い出した。右手のポムの実からはもう食べる前に感じた妖しさはまるで無い。恐らく残っているのはただの果物。アタシが喰ったところで美味しく感じるワケでも栄養になるワケでも無い。

 そんな折、マースがアタシの口元と、さらにアタシの右手のポムの実の両方をチラッチラッと見ているのに気付いた。


(アタシの口が気になるのはまあさっきので分かってるけど、ポムの実がそんなに気になるモノ?って、あ、もしかして食べたいのかな?)


 マースがさっきまで両手に持っていたハズのポムの実が無くなっている。恐らくもう食べ終わったのだろう。そう言えばマースにチョコレートの話をしたとき、甘いお菓子は大好きだと言っていたのを思い出した。こういうところは子どもらしくて可愛らしい。果物くらい欲しいなら欲しいと言えばあげるのだけれど、マースにもプライドがあるのか恥ずかしいのか、目で訴えるだけで特にそれ以上はしてこない。

 因みに今のアタシは悪魔になった影響で味覚が無いワケで、これ以上食べる気も無いワケで。そんなアタシとアタシの持っているポムの実を物欲しそうに綺麗な朱色の瞳で見つめているマース。アタシはふと周りにバレない方法でマースにだけ伝える方法があるのを思い出した。

 そっと自分の首元のサーヴァントチョーカーに手を触れるアタシ。するとマースの指に付けられているマスターリングが赤い仄かな光を放った。アタシはそれを確認してそっと想いを彼に告げる。


(マース、アタシね、今味覚が無いの、悪魔になった弊害だと思うんだけど)


 チョーカーを通じてアタシの想いを聞いたマースが、ハッとした顔をして真剣な表情でアタシの目をまた見つめなおす。

 公に言いづらい事もこのチョーカーを使えばマースにだけは伝えられる。このチョーカー一つで一悶着あった訳だけど、便利なモノだとこの点には感謝している。チョーカーに触っている間、思っている事が全部マースに筒抜けになるのは難点だけど、そこはまあ手を離せば良いだけだし。


(このポムの実、ちょっと齧っちゃったけど、食べてくれる?)


 アタシはマースにそう伝えつつ右手の齧りかけのポムの実をスッと彼の前に差し出す。ニパッとアタシに満面の笑顔を向けて差し出したポムの実を受け取るマース。彼は3つ目となるポムの実を受け取るなり勢いよくシャリシャリと齧りついていく。


「ごちそうさまでした、戻ります」

「ふふっ、うん」


 あっという間にアタシの渡したポムの実を食べきったマースは、アタシに向かって周りに聞こえないようそっと小声で食後の挨拶をして後ろの席に戻って行った。そんな彼の子どもっぽさの残る可愛げのある姿に思わず笑いを漏らすアタシ。

 因みにマースとこんなことをやってる間に他の皆もポムの実を食べきったらしく、各人バヤールの覗き窓や出口の扉を開けて実の芯を外にポイポイ捨てだした。


(ゴミ袋に捨てるって文化は……あははー、まあ無いか、ははは)


 アタシの世界の常識からするとポイ捨てはお行儀が悪いのだけれど、そこはまあ異世界だもの。アタシはツッコミを入れるのは野暮だと止めて頬杖を付きながら苦笑していた。

 さて、プレクト達の施しによって雰囲気が少し和らいだけれど、バヤールの操舵手が決まらない問題が解決したワケじゃない。サティさんはまた立ち上がってジェームスと話し出す。


「ジェームス、バヤールの操舵の件ですけれど」


 そんなサティさんにジェームズは爽やかな表情を向けて言う。


「私が操舵しましょう。マース様との輪唱の協調力は私よりサティ様の方がずっと上。サティ様の代わりを出来るモノはこの部隊にはおりませぬ。なればここは代わりの効く私の方が適任でしょう?」

「しかし……わかりました、お願いできますかジェームス」

「ええ、お任せください」


 自分が、と粘るサティさんだったが、ジェームスの提案を聞いて操舵をジェームスに譲った。そのまま元の席に戻り座るサティさんと、ガララッとバヤールの扉を開けて外へ出るジェームス。


(輪唱?協調力?ってなんだろ?魔術に関係ありそうなのは分かるけど……まあいっか)


 また聞き慣れない単語が出てきた。魔力云々と言ってることから魔術関係の単語なのは想像できるけども、詳細はさっぱりだ。とまあ、分からない事を気にしててもしょうがないのでサラッと流す。

 アタシはなんとなく外に出て行ったジェームズの様子が気になったので、立ち上がってバヤールの覗き穴から彼の様子を伺う。

 その時、覗き穴に顔を出したアタシに向かって横から何かがにゅっと寄って来た。完全に油断していたアタシの頬は、その何かの襲撃をモロに受けたのだった。

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