14.蜜月_06
「あ、居た。って言うか普通に居たんだ、気付かなかった」
まるで普段からそこにあった置物のように、彼女はそこにいた。アタシはテントに入ってから今の今まで彼女の存在に気付いていなかった。もっとも、テントに入る前も入ってからもマースの事ばっかり考えていたので単に周りに気を配っていなかっただけなのだが。
アタシは椅子から立ち上がり、ヴァルキリーの方へ近付いて彼女を観察する。
「鎧来てないとホントただの綺麗なお嬢さんだよねえ」
ヴァルキリーはアタシの声に反応して視線だけアタシに合わせる。白いワンピース、水色の長い三つ編み、黒い翼、ほんのり膨らみの分かる胸、エメラルドグリーンの綺麗な瞳。鎧と兜は脱いでワンピース一枚で黙って椅子に座っている。
アタシは彼女の前にしゃがみ込み、目線を合わせて話しかける。
「ねえヴァルキリー、アタシの質問に答えてくれる?」
「はい……」
アタシはサティさんからの話題変更も兼ねて、ダメ元でヴァルキリーから情報聞き出す事にした。相手はこの世界、オードゥスルスの人形。生き物ではなく、吸精するにはまず他の魂を無理やり突っ込む必要があるような相手。素直に話してくれるかは怪しいが、意志疎通が図れるか程度はやっておくべきだろう。そんなアタシの問いかけに、相変わらず抑揚のない声で返事するヴァルキリー。もっとも、大人しくしてろと命令したのはアタシなのだが。
「んーと、じゃあヴァルキリー、まずは貴女の名前、教えて?」
「ヴァルキリー・アリアーヌ……」
意外とすんなり名前を答えてくれた。だがアタシのは彼女の名前に既視感を覚えてしまい、しばし考え込む。
「アリアーヌ、アリアーヌ、アリアーヌ?どっかで……?」
アタシはどうしてもヴァルキリーの答えたアリアーヌと言う名前が気になり、何か思い出せないか手掛かりになるものが無いかと周りをキョロキョロ見渡した。アタシの目に入ってきたのは、キートリーの衣装棚、仕切りとその奥でキートリーが寝ているベッド、天井に吊され光るリュミ灯、椅子とテーブル、椅子に座って不思議そうな顔でアタシを見てるサティさん、キートリーが飲み散らかした空のワインボトル、食いかけの堅いパン、道具棚、テントの膜材に立てかけられたサティさんの青い宝石の付いた杖。
(……ワインボトル……ワイン……?)
ワインボトルを見て何か思い出せそうになったのだが、喉元まで出掛かったところで霧散して消えてしまった。
「うーん、うーん、なんだったっけ?ダメだ、わかんないや」
どうにも思い出せないのでアタシは考えるのを止めた。じっくり考えても思い出せないモノは思い出せない。こういうのは一晩寝れば以外とアッサリ思い出したりするモノだが、今は名前ついては後回しにするしかない。
(いつもならスマホでちゃちゃっと調べて終わっちゃうからなあ、ああ、文明の利器の有り難みよ)
アタシはサラガノの飛龍に持ち逃げされた自分のスマホ思い出し、哀愁に浸る。どうせ電波の届かないこの世界でスマホなんて持ってても役には立たないのだが、ほぼ毎日常に身に付けていたあの身近な情報端末が無いとどうも落ち着かない。
アタシが今は無きスマホの感触を思い出しつつエアスマホでエアスワイプしていると、サティさんがアタシの顔を覗き込み聞いてくる。
「千歳様、ヴァルキリーに何を?」
「えーっと、捕虜尋問、ってところかな?サティさんも一緒にやってみる?」
「宜しいのですか?」
サティさんはアタシの提案に興味を持ったらしく、メイド服のロングスカートを抱えて足取りも軽くしゃがみ込み、アタシの隣に並んだ。そしてじっくりとヴァルキリーを観察し始める。その顔はサティさんにしては珍しい、ちょっとそわそわした興味津々な表情。マースもキートリーもアタシの世界の物や話をすると似たような顔をして話題に喰いついてきたものだが、この世界の人達はみんな好奇心が強いのだろうか?それともこの3人が似た者同士で特別好奇心が強いだけなのか?因みにヴァルキリーはアタシの世界のモノではなくこの世界のモノであるが、そもそもヴァルキリーを捕虜にする事も、そのヴァルキリーを尋問出来る機会もそうそう無いので珍しいのだろうけど。
対して尋問される側のヴァルキリーはアタシをガン見中である。この世界に捕虜の扱いを定めた法律、ジュネーヴ条約やら戦時国際法があるかは知らないが、少なくともヴァルキリーはそれの適用外だろう。相手は一般的には神様の使いで、実情は魂の無い人形、人間じゃあ無い。だからって何をしても良いって訳でも無いけれど。
「千歳様、次は何を聞くのでしょうか?」
そわそわしながらアタシに尋問の続きを急かすサティさん。だがアタシは先にサティさんに聞いておきたい事がある。
「サティさん、アリアーヌって名前、聞いたことあります?さっきこの子が自分はアリアーヌだーって言ってたんですけど」
「アリアーヌ?いえ、サティには聞き覚えのない名前です。申し訳有りません、お力になれず」
「あっ、いいのいいの、ちょっと聞いてみただけだから気にしないで」
アタシが既視感を覚えたヴァルキリーの名前、サティさんなら知ってるかもと思い聞いてみたが空振りに終わった。アタシの疑問に答えられずしょんぼりするサティさんを励ましつつ、アタシはアリアーヌに次の質問をする。
「で、アリアーヌ、貴女の他にも黒い翼のヴァルキリーが居たけど、貴女達は何者なの?」
「私達は、ヴァルキリー・アリアーヌ、不死者の魂を解放するモノ」
「私達は……ねえ?」
アタシの質問に無表情のまま視線だけ合わせて答えるアリアーヌ。
アタシは既に、目の前のアリアーヌを合わせて5人の黒いヴァルキリーに遭遇している。最初にキートリーにぶっ飛ばされた白いヴァルキリーを合わせれば6人だ。その内訳、1人目はキートリーの一撃で消滅、2人目はフライアに百舌の早贄にされて消滅、3人目はアタシに喰われて消滅。ここまでが昨日の事。それで今日、4人目はヒルドに転生、5人目はプレクトに転生、そして6人目のアリアーヌが今アタシの目の前に座っている。
「原典の北欧神話ならヴァルキリーの人数は10人前後。既に半分やっつけちゃってるんだけど、大丈夫かなぁ?」
神の使いを半壊させた不死者、悪魔の面目躍如と言いたいところだが、そんなことしてもどう見てもアタシに利点が無い。
「原典?北欧神話とはなんでしょうか?」
サティさんが不思議そうな顔でアタシを見ている。アタシに取っては北欧神話が原典でも、ここは異世界だ。この世界のヴァルキリーの原典は違うのかもしれない。
「アタシの世界での神話の一つだよ、ヴァルキリーがその神話に出てくるの」
「まあ、それでは千歳様の世界にもヴァルキリーが居ると?」
両手を軽く合わせて興味深そうに聞いてくるサティさん。
「うーん、どうだろ?まあ神話だからねー。アタシも実物を見たのは昨日が初めてだし」
「そうだったのですか。でも千歳様、この世界のヴァルキリーは10人よりずっと多いと思いますよ?」
「えっ?」
アタシはサティさんの発言に疑問を浮かべる。神の使いであるヴァルキリーが10人よりずっと多いとはどういう事だろう?
「千歳様、昨日のお嬢様が行ったメルジナの試練を覚えていますか?」
「えっ?あ、あー、あのキートリーを英雄認定して一撃でやられた白いヤツですか?」
「そうです、メルジナの試練はこの世界の英雄の元に必ず現れています。そして歴代の英雄の数はエペカ国だけでも1000人は優に超えているはず」
「なるほど、英雄の前に現れてその度に倒されてるなら10人じゃあ全然足りないかー」
サティさんが白いヴァルキリーについて語ってくれているが、フライアによればこのヴァルキリーはメルジナの試練、神の使いではなく、この世界オードゥスルスの免疫機能の一つだそうだ。免疫機能と言うならばおおよそ人間で言うところの白血球みたいなもので、10や100では全然足りないのは当然の事だろうか。
(北欧神話と違って、ヴァルキリーはもっとワラワラいると。特撮物のザコ戦闘員みたいなモノだったりして?いやいや、あんなのが50も100も一辺に来られたら困るんですけど)
アタシは100人のヴァルキリーが弓を向けてくる想像をして肝を冷やす。一人二人ならどうとでもしてみせるが、それが10倍20倍となると話は別だ。結局のところ数の暴力が一番怖い。
となるとヴァルキリーの総数が気になってきたのでいっそアリアーヌに聞いてみる。
「アリアーヌ、ヴァルキリーって何人いるの?」
「ヴァルキリー・アリアーヌは、現在201体登録中、65334体は消滅」
「6万!?」
6万と言う数字に驚きの声を上げてしまうアタシ。想像の遥か上の数でビビッてしまう。
「千歳様、千歳様、6万の方は消滅と言っていますよ」
「あっ?ああそっか、じゃあ今は201体ね」
サティさんに宥められて落ち着きを取り戻す。6万に比べれば200体程度ならどうとでもなる気がしてくるから不思議だ。
(いや、200体でも同時に来られたら無理だわ)
もう一度冷静に考えて、200体でも十二分に脅威であることを悟るアタシ。200体のヴァルキリーに同時にあの光る弓矢で射られたらアタシは余裕で負けるだろう。近づく暇もない、勝てる訳がない。
しかし、200体も居て今日アタシのところに来たのは3体だけだ。アタシを不死者として認定しているなら、もっとドカッと一辺に送り込んできて倒しにきてもいいだろうに。出し惜しみをしているのか、3体いれば勝てるとでも思ったのか。それとももっと別の理由があるのだろうか?
アタシがそんなことを考えていると、サティさんがアリアーヌに質問し出す。
「アリアーヌ、200体のヴァルキリーが同時に千歳様を襲わないのは何故ですか?」
「……」
だがアリアーヌは質問に答えず黙っている。サティさんは答えて貰えなかったのが面白くないのかムッとした顔になってアリアーヌに再度質問をする。
「アリアーヌ、貴女はどこから来たのですかっ?」
「……」
「アリアーヌっ、ヴァルキリーとはなんなのですかっ?」
「……」
「白いヴァルキリーと黒いヴァルキリーの違いは何なのですっ?」
「……」
「貴女っ!何故私の質問には答えないのですっ!?」
だけどやっぱりサティさんの質問に答えないアリアーヌ。サティさんはふくれっ面をしたまま立て続けに質問をするがやっぱり答えて貰えていない。だが、最後の質問にだけアリアーヌが口を開いた。
「権限が不足しています」
「権限?権限とはなんなのですかっ?」
「……」
「むぅーーっ」
また黙るアリアーヌ。また答えて貰えず完全に不貞腐れた顔をして質問をやめたサティさん。
「おっかしーなぁ?アタシの魔眼でサティさんの命令にだって従うようになっているはずなんだけど」
アタシはアリアーヌに魔眼で"ここの人達の言う事ちゃんと聞いて"と命令を掛けている。なのでサティさんの質問にだって答えるモノだと思っていたのだが、それはどうにも違うようだ。アタシが不貞腐れるサティさんを見つつ軽く笑いを立てて、
「ははは、権限が不足?ってなんでしょうね?」
と言った時、アリアーヌがまた口を開いた。
「コモンには情報閲覧の権限がありません」
「コモン?サティさんが?」
「むう、千歳様の質問には答えるのですね……」
まだ不貞腐れているサティさん。そしてサティさんの言う通り、アタシの疑問には素直に答えるアリアーヌ。コモンとは、一般のとか、普通のとかの意味だ。サティさんがコモンとはどういうことなのか。そして、不死者認定されているアタシもコモンなのか?気になる。気になるなら聞いてみよう。
「アリアーヌ、アタシもコモン?」
「日高千歳は、ヴァルキリー・アリアーヌと判定されています」
「は?」
「え?」
アリアーヌの予想外の回答にアタシとサティさんは間抜けな返答をしてしまう。てっきり不死者は云々言われると思っていたのに、斜め上の回答が帰って来てしまった。なんだ、アタシがヴァルキリーって?
「千歳様がヴァルキリー?千歳様、これはどういう……?」
「いや、アタシもちょっと意味が分からないんですけど……アリアーヌ、アタシがヴァルキリーってどういうこと?」
「日高千歳は、ヴァルキリー・アリアーヌと判定されています」
困惑するアタシとサティさん。アタシの質問に再度同じことを答えるアリアーヌ。言ってる意味が理解できない。あとアリアーヌってこの子の名前じゃなかったっけ?
「いやいや、アリアーヌは貴女でしょ?」
「私は、ヴァルキリー・アリアーヌ、不死者の魂を解放するモノ」
「うん、それは聞いた。で、アタシは?」
「日高千歳は、ヴァルキリー・アリアーヌと判定されています」
「んんんーっ?じゃあ他の黒い翼のヴァルキリーは?」
「彼女達は、ヴァルキリー・アリアーヌ、不死者の魂を解放するモノ」
「んんんんーっ?」
益々持って訳が分からない。この子の名前がアリアーヌで、アタシは不死者じゃなかったのか?ついでに他のヴァルキリーもアリアーヌ?どういうこった?
アタシが頭を捻っていると、サティさんが困惑顔から復帰して言ってくる。
「千歳様、千歳様、もしかしたらこのヴァルキリー全員が、ヴァルキリー・アリアーヌなのではないでしょうか」
「ん?サティさん、それはつまり?」
「この黒い翼のヴァルキリーが、アリアーヌ、と言う一つの種族なのではないかと」
「すると、ゴブリンみたいに、単体の名前が無いタイプの種族かもと?」
「私はそう解釈します」
「なるほどなるほど、ヴァルキリーのアリアーヌって種族か」
ただのゴブリンと、弓ゴブリンを区別するように、単純にモンスターの区別としてのヴァルキリー・アリアーヌ、なのかもしれないと、アタシはサティさんの解釈で理解する。となれば他にも、ヴァルキリー・ストライクとかヴァルキリー・イージスとか別の名称のヴァルキリーもいるのかもしれない、適当なネーミングだけど。
ただ、それだけだとわからないことがある、何故か同類認定されているアタシの扱いだ。アタシは元々不死者扱いされてこのヴァルキリー達に襲われたハズで、何故今ヴァルキリーとして認定されているのかが分からない。
「それでサティさん、アタシがそのアリアーヌ扱いされてるのはわかります?」
「……すみません、それはわかりません」
「ですよねー」
また困惑顔に戻るサティさん。ただこれはサティさんに聞いたってわかる訳がないのだ。アタシは唯一答えを言ってくれそうなヴァルキリー、いや、アリアーヌでいいのか?まあいいやアリアーヌに聞いてみる。
「アリアーヌ、貴女達はアタシを不死者認定して襲ってきた訳じゃない?それがなんで今ヴァルキリー扱いになってんの?あとなんでアタシの質問には答えてくれんの?」
「日高千歳は、魂を喰らうモノのため、魂の解放を行わなければならない。また、日高千歳はヴァルキリー・アリアーヌのため、情報共有権限が与えられています」
「んんんんんーーーっ?」
頭が混乱してきた。アタシは魂を喰らうモノで、ヴァルキリー・アリアーヌで、情報共有権限とやらが与えられているらしい。不死者属性とヴァルキリー属性が共存してしまっている。おかしいでしょその設定。
「なんなのその混ぜこぜな設定、アタシは堕落したヴァルキリー?大丈夫?バグってない?」
「情報が不足しています」
「情報が不足してるのはアタシもだよぉ」
ついにはアリアーヌすらわからんと言い始めた。この子がわからんのならここにいる誰も分かる訳がない。
「千歳様、一度フライア様に伺ってみた方が宜しいのではないでしょうか?」
一緒に頭を捻ってたサティさんから助け船が飛んで来る。確かに、フライアならアタシのこの訳の分からない状態を解説してくれるかもしれない。今日はもう寝たいので、明日の朝にでもメルジナの女神像からフライアに連絡を取ってみよう。
「そうですねサティさん、アタシもなんかよくわかんなくなってきたので明日フラ爺に聞いてみます」
アタシはそう答えてから、アリアーヌに確認の為聞いておきたいことがあったのを思い出し、質問する。
「あっ、そうだ。アリアーヌ、一応確認なんだけど貴女は誰の命令でアタシの魂を狙うの?」
「我らが主、オードゥスルス」
「あー、やっぱオードゥスルスかぁ。ホントはフラ爺の戯言か作り話かじゃないかなぁー?って疑ってたりしてたんだけど、ヴァルキリーから直接聞けたんなら確定かぁ」
この世界そのものが敵、あまり想像したくないがこれが事実なのがその敵の手先から確証が取れた。世界が敵だなんてどうやって戦ったらいいものかわからない。そしてそんな敵に唯一対抗できそうなのがフライア。で、改めて確認するが、アタシがやれることはメグの救出と、フライアの魂集め。明日メグを助けて、その後フライアの魂を集めてフライアの力を取り戻し、フライアの力でメグと一緒に元の世界に帰る。
と、ここまで考えてアタシは気付く。
(アタシが元の世界に戻ったら、マースは?キートリーは?フライアは?サティさんは?アタシは彼らに、もう会えなくなる?それは、やだな……)
異世界で会えたアタシの祖父と、従妹弟達、そしてその従者さん。愉快な彼らと彼女らに会えなくなるのはとても寂しい。特にアタシは戻ってももうおばあちゃんは居ないし、戻る理由よりも残る理由の方が強くなってしまっている。ただ、フライアの魂集めはすぐに終わる物ではない。帰れると言っても人間の寿命が尽きるのが先かどうかと言ったところだ。マース達との別れはそんなに深く考える必要もないかもしれない。
しかしメグは別だ。彼女には待っている人がいる。アタシは何年かかろうと何としてもメグを元の世界に返してあげなければならない。それがアタシが親友としてメグにしてあげられる事だ。だからまずは明日絶対にメグを救出し、話し合う。時間は掛かるけど、必ずメグを元の世界に戻すと。
「それじゃあサティさん、今日はここまでってことでいいですか?」
「はい千歳様、とても興味深い話が聞けました。ありがとうございます」
「どういたしまして。ってアタシが言う事でもないですけどね」
アリアーヌへの尋問を終了するアタシとサティさん。アタシは立ち上がってサティさんに用意してもらったベッドにドスっと座った。仕切りの向こうでは酔っぱらって寝たキートリーの寝息が聞こえる。
アタシの向かい側では、メイド服から白いネグリジェに着替えたサティさんがアタシの支度を待っている。
「サティさん、アタシこのまま寝るのでもう明かり消しちゃってください」
「よろしいのですか?お嬢様のネグリジェで良ければどれでもと仰せつかっておりますが」
アタシは昨日フライアから貰った黒装束を今の今までずっと着ている。今日はゴブリンの巣でぐちゃぐちゃに汚されたプレクトを拭いたり、プレクトの母親に腹に穴を開けられたり、ボースのテントに墜落したり、酔ったマースの吐しゃ物を胸で受け止めたりといろいろ汚れたり損傷したはずなのだが、この黒装束は魔法でもかかっているのか、腹の穴は塞がっているし汚れも綺麗になっている。唯一、プレクトの墓に巻いた右袖だけは無くなったままになっている。デザインが攻めすぎなところ以外欠点が無い衣装だ、そう言う意味では結構気に入っている。
「いやあ、この黒装束結構着心地良くて。ちょっとデザインがアレなんですけど」
「ふふ、承知しました。それでは千歳様、消灯致します。ノワール」
サティさんの"ノワール"の掛け声と共にテント中のリュミ灯の明かりが一斉に消え、テントは暗闇に包まれる。
「お疲れ様です、サティさん。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ、千歳様、また明日」
アタシは毛布を被り目を瞑る。まもなくサティさんの方から静かな寝息が聞こえてきた。今日もまたサティさんに命を吸わせて貰った。彼女は平気そうな顔をしていたが、きっと疲れていたのだろう。ゆっくり休んでまた明日元気な顔を見せてほしい。
そんなことを思っていたら、暗闇の中、何故か視線を感じる。誰かがアタシを見ていた。
(誰?アタシを見てるのは?ってアリアーヌだ)
アリアーヌが椅子に座ったままアタシをじーっと見ていた。そういや彼女の寝床を用意するのを忘れていた。が、サティさんはもう就寝してしまっており、今更起こすのも気が引ける。ならいっそと彼女に声を掛けてみる。
「アリアーヌ、貴女も寝る?」
「はい……」
アタシは自分の毛布を少し開けてアリアーヌに自分のベッドに寝るか聞いてみる。だがアリアーヌはそのまま椅子を降りて地面に寝始める。
「いやいやいや、いきなり地面に寝ないで、吃驚するから」
「はい……」
アタシの忠告を受けて、今度はすっと立ち上がるアリアーヌ。どうにも抽象的な言い方ではダメらしい。ならばと具体的に指示をしてみる。
「んじゃあ、アリアーヌ、今夜一晩アタシの抱き枕として一緒にこのベッドで寝て?」
「はい……」
(別にやましい事情が有る訳じゃなく、寝てる最中にアリアーヌの魔眼が切れた時の事考えれば、アタシが近くで寝た方が被害は少ないハズ。単純に魔眼の効果時間がわからないだけなんだけど。この辺もフラ爺に聞いとくべきだったなー)
アタシの命令を聞きとととっとアタシのベッドに寄ってくるアリアーヌ。相手は魂の入っていないヴァルキリー、アタシの吸精が効かない相手だ。だからアリアーヌを抱いて寝ても吸精暴発の心配はなく、安心して眠れる。案外アタシの抱き枕としては優秀なのかもしれない。
「ってー、貴女がアタシを抱きしめるんかい、まあいいけど」
アタシのベッドに入り込んで来るや否や、アタシに抱き着き始めるアリアーヌ。ただ嫌な感じはせず、ソフトタッチで抱かれ心地も悪くない。
「アタシも、よっと、キツくない?」
「問題有りません」
「ん、ならよし」
アタシも毛布を被り直しアリアーヌを抱きかえす。アタシに比べば二回りくらい小柄になるアリアーヌだが、なかなかどうして抱き心地は良い。だが一つだけ気に掛かる事がある。
(マースも言ってたけど、ホントに体温が無い。人の形してるのに暖かみが無い。身体は柔らかいけど)
体温がないため、まさに人形を抱いている気分だ。勿論抱き枕なんだからそれでもいいんですけど。
アタシは彼女を抱いたまま、ただこのまま眠ってしまうのもなんか勿体ないと思ったので、軽く質問をしてみる。
「ねえアリアーヌ、アタシ、日本って国から来たんだ。貴女はどこから来たの?」
「わかりません。記憶領域に情報がありません」
(権限が不足だの、記憶領域だの、ロボットか何かなのこの子?)
アタシの質問にわからないと答えるアリアーヌ。意思を持たないハズの、機械的な反応をする人形。
よくわからないことだらけだが、アタシはアタシでもう眠い。深い事は考えずに寝てしまおうと思う。
「ま、いいや、今日はもう寝るね、おやすみアリアーヌ」
「はい……」
アタシはそう言って目を瞑った。が、何故か視線を感じる。
「……」
目を開けてみればやっぱりアリアーヌだ。じーっとエメラルドグリーンの瞳でアタシを見つめている。
「寝ないの?アリアーヌ?」
「寝ています」
「起きてんじゃん、目開けっ放しじゃん。落ち着かないからせめて目瞑って?」
「はい……」
アタシの命令に従い、ゆっくりと目を瞑ったアリアーヌ。この様子では本当に眠っているのかも怪しい。そもそも人形が眠るのだろうかという問題もある。
(やっと眠れる)
だがアタシとしてはもう割とどうでもよかった。今日も疲れたし、とりあえず安心して眠れりゃいいのだ。でも本当ならマースと一緒に眠る予定だったんだけど、どうしてこうなったのやら。
で、アタシはここに来て一緒に寝てる相手の重要性に気付く。
(ん?冷静に考えたらアタシ今本物のヴァルキリー抱いて寝てる?)
相手は憧れのヴァルキリー、それも実物だ。体温の無いお人形さんではあるが、一応この世界では本物だ。
(やっべ、本物だやっべ、寝顔めっちゃ綺麗、やっべ、やっべ)
アリアーヌはさっきのアタシの命令でただ目を瞑っているだけなのだが、やたら綺麗で、ヴァルキリーだと意識すると何故かテンションが上がってきた。
(めっちゃ柔らかいこの子、ていうかアタシらめっちゃ密着してる、抱き心地も抱かれ心地も両方凄く良い)
ただの人形扱いから、リアルヴァルキリーへと認識を変えただけで全て尊いものに感じてきてしまう。
(可愛い、ちょっとくらい、キスしてもいいよね)
いよいよ暴走を始めるアタシ。大丈夫、ヴァルキリーは吸精が効かない、暴走してもOK。
「アリアーヌ、キスしていい?」
「はい、あむっ」
「んむっ?んー❤」
(そっちからしてくれるんかい、いや、嬉しいけど)
アタシの唇は柔らかいアリアーヌの唇に塞がれる。惜しむらくは体温が感じられないことだが、相手がリアルヴァルキリーとなれば話は別だ。サティさんのようなグイグイ来る感じではないが、程よく口を吸われている。アタシは一頻り彼女の唇を味わった後、自分から唇を離した。
「んぷっ、もういい、もういいです。ありがとうございます、ありがとうございます」
「はい」
よくよく考えれば魔眼が効いていても口を塞がれたままでは命令が出来ない。割と危険な事をしていたような気がする。
改めて自分が抱きしめているアリアーヌを見てみるアタシ。
(この世界のヴァルキリーはオードゥスルスの人形だってフラ爺は言ってたけど、こうやって抱いてると人形とは思えない。無愛想通り越して無表情だし、体温も感じないけど、息はしてるし、何故かアタシの事抱きしめてくれたし、背中もほっぺたは柔らかいし。魂は無いらしいのに、どこか人間味を感じるんだよね)
すーすーと息をしているアリアーヌ。恐らくは眠っていない、ただ目を瞑っているだけだ。
(オードゥスルスが不死者を始末するために彼女達を作った?何故女の子の姿なの?おかしくない?不死者の始末が目的なら、もっとムキムキなお兄さんの方が適してるでしょ?もっと言えば人間の姿を真似る必要だって無いのに。そもそもオードゥスルスって何?魂を喰う生き物って?悪魔なアタシ達とどう違う?わからない)
アタシは目を瞑り、彼女に触れている感触だけを頼りに思案する。
(アリアーヌ、貴女はどこから来たのかわからないって言ったけど、アタシは貴女が、貴女達どこから来たのかとても気になる。いつか思い出してアタシ教えて欲しい)
ただの人形であるはずのアリアーヌに、喰うつもりだったアリアーヌに、愛着が湧いてきてしまう。敵である彼女にこんな愛着を持っても、きっと後で後悔するだけなのに。
(って、今はアリアーヌの事よりメグの事が優先。メグ、今度は絶対助けるから。待ってて)
彼女の柔らかさに、親友の事を思い出す。メグはアリアーヌ程細くは無いが。
(おやすみ)
誰に向けたともわからない就寝の挨拶と共に、アタシの意識は深く深くへと落ちていく。
こうして、アタシの激動の異世界生活二日目は、終了したのだった。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、ブックマーク、★評価等よろしくお願いいたします。