13.アタシの報連相_01
「千歳ぇ、お前なぁ、いきなり空から落ちてくるやつがあるかぁ?俺ぁ、まーたお前が暴走したのかと思ったぞぉ?」
「ご、ごめんなさいボースさん……」
腕組して仁王立ちするボースの前で、正座してシュンとしている青肌の悪魔。アタシは今丁度、ボースのテントをぶっ壊した件でボースに叱られている。
「ボースの旦那ぁ、いったいなんの騒ぎで?って千歳のねーちゃん、またその格好なのか」
「ミス千歳、やはり貴女でしたか」
騒ぎを聞きつけてショーンとジェームズやってきた。他にも兵士達がぞろぞろと集まってくる。
「千歳姉様!お帰りなさい!!って、ちょっ……ああもう!道を開けろお前たち!」
集まった兵士達をかき分け、白いローブ姿のマースがアタシの傍に走り寄ってくる。
「お姉様?帰っていらしたんですの?」
「千歳様、お帰りなさいませ」
赤いドレスを来たキートリーと、いつものメイド服を来たサティさんもアタシの傍にやってきた。
「みんな、た、ただいまーなんて……ははは……」
アタシはボースの前で正座したまま乾いた笑いを上げつつ後ろの皆に向けて帰宅の挨拶をする。
「あーあー、お前らぞろぞろ集まってきやがって。ちょーっと俺のテントが吹き飛んだだけだ。おら、野次馬は持ち場に戻れ、しっしっ」
ボースが集まった兵士達を持ち場へ追い払う。集まっていた兵士達は流石に主人の言う事には逆らえないのか、素直に帰って行く。
「ボースの旦那が言うならしょうがねえや、千歳のねーちゃん、また明日な」
「ミス千歳、また明日会いましょう」
「あはは、みんなお騒がせしてごめんなさい……」
ショーンとジェームズも他の兵士達と一緒に戻って言った。アタシとボースの他に残ったのはマースとキートリー、サティさん。あとは数人のボースの従者。
ボースの従者な人達は、アタシがめっちゃくっちゃにしたテントとテントの中の家具やらなんやらを今必死になって片付けている。こんな夜にこんな作業を、申し訳なさ過ぎて頭を上げられない。
と、思っていたら、マースが座ってるアタシの顔ごと抱きしめてくれた。
「お疲れ様でした千歳姉様。いろいろと大変だったようですね、今日はもう休みましょう?」
マースがアタシの頭を抱えながら背中をぽんぽんと優しく撫でてくれる。アタシが今日ずっとして欲しかった事だ。アタシはマースに身体を預けながら彼の手の感触を味わう。暖かくて気持ちがいい。不安な心も溜まっていたストレスも全部抜けていくような、そんな幸せな感じ。
「マース……」
「時折聞こえていました、千歳姉様の僕を呼んでいる声が」
マースはそう言ってアタシの首筋、チョーカー優しく撫でる。
「傍にいられなくて、助けに行けなくてごめんなさい」
「へ?」
確かにチョーカーを触りつつマースに会いたいとか、助けを呼びかけたりした覚えはあるのだが、マースのこの言い様はどういう事だろう?まるでアタシの心の声を聴いていたみたいだ。不思議に思いつつ、アタシはアタシのチョーカーを触っているマースの手ごと、チョーカーに触れた。
(なんか、まるでマースがアタシの心の声を聞いていたみたい)
そう思っていると、マースが少し言いづらそうに答える。
「その、今も、聞こえています」
「えっ?……じゃあ、あの、もしかして」
何かを察し始めたアタシ。アタシの首筋を汗がタラリと垂れる。
(アタシはマースの物とか、マース大好きとか、ぎゅーって抱きしめて寝よう!とか思ってた覚えがあるんですけど?まさか全部伝わっていたんですかマースさん?)
アタシがチョーカーを触ったままそんなことを思うと、マースが少し恥ずかしそうな顔をしたまま頷いた。そして右手の人差し指に付けた赤い宝石の付いた指輪、マスターリングをアタシの目の前に差し出す。そのマースの指輪を見てみれば、宝石が赤く輝いている。その指輪の光は、マースがアタシに命令をするときみたいなバァーっと強く輝く光じゃないけれど、蝋燭の光みたいに仄かに輝いている。
「えっと」
アタシは何かを察し、指輪を見つめたまま、チョーカーから手を離した。すると指輪の赤い光がすぅっと消える。
「ええーっと」
アタシはまたチョーカーに手を当てた。すると指輪がまた赤く光り出す。
「あっ、あー、そういうこと?はは……」
大体理解した。どういう原理か知らないけれど、チョーカーを手で触っているとアタシの思考が指輪を通じて全部マースに筒抜けになるらしい。
(何考えてたか全部マースに筒抜けだったとか、恥ずかしすぎる)
途端にカアァっと熱くなっていくアタシの顔。完全に上気した顔のままアタシは固まった。そんなアタシの目線の先で、マースがアタシに視線を向けたり逸らしたりしている。彼の指輪はまだ赤く光っている。
「あー、まあ、なんだ、俺のテントはこっちでなんとかするし、明日の作戦も大体立ててあっから、今日は寝ろ、千歳」
ボースが空気を読んでアタシに休めと言ってくる。そう言ってくれるのは嬉しいのだが、アタシは今恥ずかしさで頭が真っ白で何も考えられない。恥ずかしさで誰の顔にも視線を合わせられず、目を泳がせながら虚空を見つめていた。
するとふと、アタシを指差してプルプル震えているキートリーが目に入る。
「お、お姉様……?それはサーヴァントチョーカーではありませんの?だ、誰にそんなものを……?」
どうもアタシの首のチョーカーを見て驚いている様子。だがそこまで大げさに驚くものなのだろうか?フライアがマースとアタシの魂の連動の件でキレ気味だったのは覚えているが、この件でキートリーがここまで驚く要素が見当たらない。
「マース様です、お嬢様」
プルプル震えているキートリーを余所に、隣のサティさんがさらっと答えを言う。
サティさんの答えを聞いたキートリーは、アタシとマースを交互に見た後、
「マ、マース!?貴方っ!お姉様になんてモノをっ!?今すぐ!今すぐに外しなさいっ!!」
キートリーはマースに詰め寄り、割と強い口調でマースを問いただす。
語気強めに狼狽する彼女の声に我を取り戻したアタシは、
(そう言えば、キートリーはアタシのやらかした今朝の騒動知らないんだっけ?)
キートリーは今朝、アタシが兵士達の前で唐突に悪魔化して一騒動になった経緯を知らない。彼女は朝テントでアタシに吸精された後、そのまま失神してしまったのであの場には居なかったのだ。アタシがなんでマースにこのチョーカーを付けて貰ったのかも知らないだろう。
「キ、キートリー姉様、これは……」
マースがキートリーの勢いに圧倒されて返答に困っている。どこかばつが悪いというか、気まずい雰囲気で言葉に詰まっている。アタシから見るとマースらしくない、彼ならもっとスパッと言い返すと思っていたのだが、相手が実姉のキートリーとなるとそうも行かないのだろうか。一人っ子だったアタシとしては、この姉弟に限らず兄弟姉妹の力関係はよくわからない。
「マースっ!これをお姉様に付けさせると言う事がどういう事か!わからない貴方ではないでしょう!?これは奴隷の……何故!?答えなさい!マースっ!」
キートリーが狼狽を通り越して怒りを見せ始めた。マースはその小さい両肩をキートリーにガッシリと捕まれ、逃げることすら出来ずに前後に揺すられている。
「姉様っ、僕はっ……」
キートリーに気後れして言いよどむマース。だがあの勢いと迫力で身体を揺さぶられては仕方のない事だろう。キートリーとマースの体格差は歴然としている。マースの力では逆立ちしてもキートリーに敵わない。
「お、おいキートリー、ちょっと落ちつ……」
「お父様は黙ってっ!」
「おう……」
キートリーが口を挟もうとしたボースを一喝し黙らせる。父親の威厳はどこへやら、娘の一言で萎縮するボース。
そんな怒るキートリーの顔を見ていて、このまま放っておくと手が出ると思ったアタシは、キートリーを止めに入る。
「キートリー、キートリー、ほら、少し落ち着いて」
「んなっ!?お姉様!?ちょっと!何をするんですのっ!?今大事な話をっ!」
アタシはキートリーを後ろから羽交い締めしてマースから引き離す。マースから見たキートリーは大柄だけど、アタシから見ればキートリーも小柄なもんである。アタシはアタシの行動に抗議するキートリーを掴んだまま、彼女に事情の一端を話す。
「キートリー、これはね、アタシが付けてってマースにお願いしたの」
キートリーはアタシの声を聞き、ピタッと抗議の声を止めてアタシの目を見る。
「そんな、お姉様が?」
「キートリー、これはアタシのせいなの、マースは悪く無いの、事情があるんだ、聞いてくれる?」
「は、はい、お姉様……」
アタシの返答を聞いて困惑顔のキートリー。アタシはキートリーの拘束を解いてそのまま近くに置いてあった椅子に座らせた。どうもキートリーが騒いでいる間に、ボースの従者さん達がアタシ達の分の椅子を用意してくれていたようだ。ボースとマースにも従者さんから椅子がさしだされ、二人も椅子に座る。テントはまだ直って無いので上を向けば月夜が丸見えだが、落ち着いて座って話せるのは有り難い。
アタシにも若い女性の従者さんが椅子を持って近寄って来てくれたので、椅子を受け取って座ろうとしたのだが、
「あの、ちょっと?遠いんですけど?」
女従者さんは何故かアタシから少し離れた位置を維持したまま椅子を離そうとしない。アタシはそんな女従者さんの顔を見て、
(凄い怯えた顔してる。て、あっ、アタシ悪魔化したまんまか)
女従者さんの怯える原因を察した。と同時に、
(やっぱり、怖いよね)
改めて自分が恐ろしい悪魔に変わっている事を認識し、少し落ち込んだ。まだ慣れない、アタシ自身だけじゃなく、アタシを見た周りの人の反応にもだ。いっそ心まで悪魔になってしまえば楽なんだろうけど、アタシの心は以前と変わらず弱い一般人のままで、こんな些細なことでショックを受けている。情けないったらありゃしない。
そんな落ち込んだまま突っ立ってたアタシを見ていたサティさんが、ずいっと椅子を持ったままの女従者さんに近寄った。
「シェリー、下がって良いですよ。後は私が」
「も、申し訳有りませんサティ様……」
サティさんはシェリーと呼ばれた女従者さんから椅子を受け取り、アタシに椅子を差し出した。
「千歳様、どうぞこちらに」
「ありがとう、サティさん」
サティさんから差し出された椅子に座って一息ついたアタシ、の隣に立ったままピッタリくっ付くサティさん。
「サティさん?」
「千歳様、ご夕食がまだでしたら」
頬を上気させたサティさんがアタシの前にすっと座り込み、後ろ髪をかき上げてうなじを差し出してくる。
「サティを、どうか頂いて欲しいのです」
(こんな人前で?)
昨日の夜や今日の朝と違って、今はアタシ達の他にもボースの従者さん達が見ている。そんな状況で自分を喰えと言うのかサティさん。流石に人前は恥ずかしいんじゃなかったのかサティさん。現にシェリーと呼ばれた女従者さんがアタシ達からちょっとだけ離れたところでサティさんの所行をガン見している。
「サティ、貴女と言う人は……」
またキートリーが頭を抱えている。
「今、ワタクシがお姉様に諸般の事情を伺おうと」
「お嬢様、お食事しながらでもお話は出来ましょう?」
「それは……出来ますけれど」
(食事するのはアタシな訳で、喰われる方のサティさんが堂々とキートリーに答えているのはなんなんだろう)
キートリーがちょっと不服そうにしつつもサティさんに言いくるめられている。その様子を黙って見ていたところ、
「おっ、じゃあ俺ぁワイン飲みながらにすっかなー」
キートリーに一喝されて縮こまっていたボースが従者にワインを頼み出す。
「おーいセルジュ、ワインだ、ワイン持ってきてくれ、全員分なー」
「ちょっとお父様!?」
「畏まりました、旦那様」
またキートリーの抗議が入ったが、セルジュと呼ばれた執事風の白髪老齢な男性従者さんは、ボースの言付けに従いもうワインの準備に入ってしまった。そそくさと動くボースの従者さん達。崩れたテントの中からどうやら無事だったらしいそこそこ大きなテーブルが取り出され、アタシ達の前に配置された。その上に並べられていくワインとグラス、そして丸くてバツ印の入ったパン。
(出たな、しいたけ、じゃなくて固いパン。なんだっけ、ブール?とか言うんだっけ?)
昨日、キートリーのテントで頂いた、口の中の水分を根こそぎ持って行く、ぱっと見が鍋に入れる前の切れ込み入りのしいたけっぽい、やたら固いパンである。普通の食パンと違って保存は効きそうなのだが、飲み物が無いと食いきれそうにないやつだ。
そんなパンが目の前に並べられて行くのを見ていた時にふと気付く。
「あの、セルジュさんアタシこと怖くないんです?」
悪魔化したまんまなアタシの前に食事を並べていくセルジュさん。シェリーさんや他の従者さんは怖がって全くアタシに近寄れていないのだが、このセルジュさんだけは平気な顔してパンもワインも持ってきている。
「はて?何か怖がる事でもありましょうか?」
アタシの質問を惚けた感じで流してみせるセルジュさん。失礼な話だけど、別にご老人だからボケているって訳でもなさそうだ。今のアタシにとっては怖がらないで居てくれる事、ただそれだけで有り難い。
「セルジュさん、ありがとうございます」
「おお千歳様、勿体なきお言葉、このセルジュ、恐悦至極に存じます」
アタシの感謝の言葉をにこやかに流すセルジュさん。そんなアタシを見てサティさんもセルジュさんに礼を述べる。
「セルジュ、助かります」
「いえいえ、サティ様。それよりも……」
セルジュさんがテーブルの手前の地面に座りっぱなしのサティさんを見た後、チラリとキートリーとボースに目配せした。
「おぉ?あーそうだな、キートリー?」
「はぁ……サティ、貴女もテーブルに付きなさい。そのまま地面に座っていられると落ちつかないですわ」
セルジュさんの目配せの意味を理解し、そのままこの場の決定権をキートリーに流したボース。しょうがないなと言った感じでサティさんに椅子に座るよう促すキートリー。
「ありがとうございます、旦那様、お嬢様」
立ちあがって二人に軽くお辞儀をした後、
「サティ様、どうぞこちらに」
「ありがとう、セルジュ」
セルジュさんの差し出した椅子に座ったサティさん。なんでかその位置はアタシの真横。
「近くないですかサティさん?」
「千歳様、近くでないとサティを食べられませんでしょう?」
「いや、確かにそうなんですけど」
ニコニコ笑顔のサティさんは、両手でアタシの青い右手を握ったまま離さない。セルジュさんはそんなアタシ達の様子を確認しつつ、すっと下がっていく。
さて、改めて付いたテーブルを見てみれば、アタシの向かいには既にワインを飲み始めているボース、左側には両手を組んだままマースを睨みっ放しのキートリー、右側にはキートリーに睨まれただでさえ小さい身体をさらに縮こまらせているマース(可愛い)、そして真横に今すぐにでも喰えと言わんばかりにアタシの手をうなじへ当てているサティさん、が座っている。
(家族会議かな?)
アタシはプライベートではおばあちゃんとメグとしか卓を囲んだことがないので、有る意味貴重な体験だ。別にメグ以外友達が居なかった訳じゃあ無い。ただ家族ぐるみでの付き合いまで行ったのがメグだけだっただけだ。あともう一人、おばあちゃんと顔を合わせるところまで行った男が居たのだが、あの野郎の事を思い出すと腹が立ってくるので止めておく。
しかしてこの場、
(空気が張り詰めている)
キートリーが怒りっ放しなので空気が重い。少し離れたところのボースの従者さん達が落ちつかない様子でアタシの姿をチラチラ見ている。ボースはワインのつまみに干し肉を齧っているが、よく見ればチラチラとキートリーの顔色を伺っている。マースは俯きっ放しで顔を上げない。サティさんは、アタシの指舐めるの止めてサティさん。
アタシはここに来てサティさんの奇行がエスカレートし始めたので、さっさと喰って気絶させてしまおうと決めた。
「サティさん、頂きます」
アタシは右手でサティさんのうなじから吸精を開始する。
「はい……んひあぁっっ♥」
媚声を上げ仰け反るサティさん。そのまま椅子の背もたれにより掛かり、幸せそうな顔をして荒い息を上げ続けている。
(サティさん甘くて美味しくてホント好き)
アタシが右手を伝わって流れて来るサティさんの蜂蜜ような甘い命を味わっていると、ふと重かった空気が軽くなった気がした。重い空気の一大要因であるキートリーを見てみれば、顔を赤らめてアタシとサティさんの様子を眺めている。
「サ、サティも、お姉様も、ワタクシが大事な話をしようと言うのに……」
キートリーはどうもサティさんの痴態を見ているうちに怒りが薄れて来たようで、堂々たる態度で腕組みしていたのが、いつの間にか両腕で自分を抱きしめるような仕草に変わっている。
「んくっ♥あうんっ♥千歳様ぁっ♥」
サティさんは無抵抗で、っていうか積極的にアタシに吸精され続けている。アタシもサティさんが美味しいので吸精が止まらない。
そして少し離れたところのボースの従者さん達のざわめきが耳に入る。
「嘘、サティ様が……」
「サティ様のあんなお顔、初めて見ました……」
「何故あんなに嬉しそうなんでしょう……」
「私も変な気分に……」
サティさんに感化されたのか、従者さん達にも興奮が広がっていく。
「あの青い方の力なのでしょうか?であれば私も」
「何を言って、ああでも、サティ様のあのお顔」
「嬉しそう」
「羨ましい」
次第に従者さん達のアタシを見る目が変わっていく。恐怖の対象から、悦びを授けるモノへと。
(アタシ、サキュバスじゃ無いんだけどなぁ。何?ここの従者さん達って欲求不満なの?)
従者さん達がアタシを怖がらなくなってくれるのは嬉しいが、そういう対象として見られるのも困ったモンである。
(そういう目的でアタシにすり寄ってくるのは、サティさん一人でお腹一杯だよぉ)
「ふふっ」
そんな時、吸精されっぱなしのサティさんがアタシを見て静かに笑った。そしてアタシは気付く。
(あれっ?もしかしてアタシの、ううん、アタシ達の為に?わざと?人前で?)
アタシが従者さん達に怖がられ落ち込んでいるのを見て、サティさんは従者さん達の前で自ら道化を演じてアタシを見る目を変えてくれた。サティさんの笑顔はそう思わせてくれる笑顔だった。
アタシだけじゃない。キートリーはすっかり毒気が抜けて赤面したまま黙ってアタシ達を見ている。暗い顔で俯きっぱなしだったマースは頬を染めてアタシを見つめている。チラチラとキートリーの顔色を伺っていたボースは美味しそうにパンと干し肉頬張っている。
さっきまでの重い空気はどこへやら、アタシに対する恐怖の感情もどこへやら。サティさんが身体を張って場を和ませてくれたのだ。
(そう言えば今日の朝もサティさんに助けて貰ったっけ)
今朝、兵士たちに取り囲まれ、マースにすら泣かされたアタシを優しく抱きしめてくれたサティさん。そんなサティさんの胸の暖かさを思い出しつつ、感謝の気持ちを込めて全力の吸精をした。
「サティさん、ありがとう。せいっ!」
「んあひぃぃっっっ♥」
サティさんがひと際大きくビクンッと身体を跳ねさせた後、脱力する。アタシの口いっぱいに広がる、サティさんの蜂蜜のような甘い命の味。
「おっと」
アタシは椅子からずり落ちそうになったサティさんの身体を片腕で抱き寄せて支えた。サティさんの身体は火照っているのかとても暖かい。
「スゴい」
「いいな、私も」
「素敵ですサティ様」
「男性でもして頂けるのでありましょうか?」
気絶したサティさんを見てざわつく背後の従者さん達。
「ん、コホンっ」
そんな従者さん達の様子を見てか、キートリーがわざとらしく咳ばらいをする。すると従者さん達は思い出したかのように散らかったボースのテントの修復に戻って言った。
「セルジュ、サティをワタクシのテントへ」
「承知致しました、お嬢様」
キートリーに即されて、セルジュさんが気絶したサティさんを抱える。セルジュさんはぱっと見ご老体なのだが、サティさんを苦も無く軽々と抱えている。
(セルジュさん、意外と力あるな)
セルジュさんはそのままキートリーのテントの方角へ歩き去って行った。
「さてお姉様、そのチョーカーを付けるに至った事情とやらを……の前に、お姉様ずっとその格好のままですけれど、疲れたりしませんの?」
「ん?あっ、ああ、特に疲れたりはしないんだけど、一応、元に戻った方がいいよね?」
「ですわね」
キートリーがそれとなく人に戻ったらと即してくる。アタシとしては悪魔のまんまでも疲れも何もないのだが、悪魔化しっぱなしだったため結果的にサティさんに一芝居打たせるハメになった訳で。不必要な悪魔化は避けた方が無難だろう。
「それじゃー……」
「千歳姉様!僕が!」
アタシが悪魔化を解除しようと考えていたところ、待ってましたと言わんばかりに椅子を下りたマースがアタシの傍にやってくる。例の、人差し指をくるくるする魔力解きでアタシの悪魔化を解除してくれるつもりだったのだろう。だけどアタシはもう自分で悪魔化を解除できるようになっている。
「あ、ごめんマース。アタシ、自力で悪魔化解除出来るようになったんだ」
アタシは両手を広げ、目を瞑った。そして昼の時と同じように、悪魔化解除のイメージをする。
(アタシの悪魔の力、消えて)
-スゥゥッ-
角が消え、翼が消え、髪も青い肌も元の色に、手と目以外の部分が元の人間体の姿に戻っていく。
(もっと、もっと消えて、アタシの悪魔)
-スゥゥッ-
手の色も目の感覚も人に戻って行く。
そうして目を開けたアタシ。目の前のマースの顔を見ながら、彼に聞く。
「ほら、戻ったでしょ?」
普通の黒目に戻った目で、ちょっと得意げにマースに向けてウインクなんて飛ばしてみたりする。これで一々マースの手を煩わせることなく人と悪魔の切替が出来るようなったのだ。アタシとしてはこの一日での成長を褒めてほしいところだったのだが、
「は、はい……」
(アレッ?なんで落ち込むのマース?)
がっくりと項垂れ、自分の席に戻って行くマース。その背中はどこか寂しそうだ。
「ふふん」
そんなマースの様子を見たキートリーが、何故か鼻を鳴らしている。
(なんだろう、よくわからないけど二人とも仲良くして欲しい)
アタシがそんな思いを込めてキートリーを訝しげに見つめていると、アタシの視線に気づいた彼女はまるで叱られた子どものようにしゅんとなった。
「あ、あー、なんだ、事情云々の話、して欲しいんだが?」
すっかり萎んだの両隣の子ども二人の前で、黙々とパンを齧っていたボースが口を開く。そうだ、サクッと今日一日の出来事を告げるつもりだったのだ。それだけだったのになんでこんなことになってるのやら。
「えーと、どこから話そうかな……」
そんな訳でアタシは、今朝の騒動をボース達に説明することになった。
----
「……と、言う訳なの」
アタシはざっと、兵士達の前で悪魔化してマースにチョーカーを付けて貰ったところまで説明した。
「千歳ぇ、お前そんなことしたのぉ?まあさっき集まったアイツら、お前を見て大して驚いてなかったからそんな気もしてたけどよぉ。もうちょっと慎重にだなぁ……」
「ご、ごめんなさい」
しょうがねえなあと言った感じで、ボースから苦言が飛んでくる。全く持ってその通りで、返す言葉も無い。
「ず……ぃ……ですわ……」
アタシの説明を聞いて、俯いていたキートリーがボソッと何かを呟いた。だが、余りにも小さい声だったため、アタシの耳でもその呟きを拾う事は出来なかった。
「えっ?キートリー、今なんて?」
「いいえ!別になんでもありませんわ!そういう事情があったのなら、仕方がありませんわね!」
明らかにまだちょっと怒り気味なキートリー。彼女は腕組したままアタシから顔を背けている。だが一応は納得してくれたらしい。
「キートリー姉様、ごめんなさい」
しょんぼりしたままキートリーに謝るマース。
「はぁー……別に、大本の原因は貴方ではないのでしょう?ただ……」
「ただ?」
キートリーはひと際大きなため息を吐いた後、椅子を下りてすたすたと反対側のマースの傍に近寄って行く。そして彼女は謝るマースの両方の頬っぺたを両手で掴み、ぐにぐにと引っ張り出した。
「ぅっ?うええっ?き、きぃーとりぃーねーひゃま?」
マースはなんで頬をつねられているのか分からないようで、困惑している。
「貴・方・ばっ・か・り!お姉様とぉぉ!!」
「うひえええっ!?」
キートリーはマースの頬を掴んだまま両方にぐいぐい引っ張る。キートリーはどうもマースに嫉妬しているようだった。彼女は感情を隠しているようで隠せていない(可愛い)。
「あぅふっ」
そしていい加減つねりまくったキートリーは、マースの頬っぺたから手を離した。つねられて赤くなっているマースの頬っぺた。
「これで許しますの。全く、お姉様を泣かせるなんて……ちょっと実力があるからと、すぐに調子に乗って。それ、貴方の悪い癖ですわよ?」
「は、はい、申し訳ありません、キートリー姉様」
(実力があるのは認めるんだ?)
どうやら鬱憤晴らしも済んだらしいキートリーは、もうすっかり優しい顔つきに戻っている。マースもそんな姉の顔を見て安心したのか、笑顔が戻っていた。
「さて、それでお姉様」
「なぁに?キートリー?」
キートリーはアタシに話しかけつつ、チラっとアタシの後ろのテントの膜材の塊に目線をやった。
「おう、それだそれ、そこの簀巻き、ヴァルキリーだろ?どうしたってのよ?」
「あっ、バレてました?」
ボースもがワインを飲みつつ、アタシの後ろのテント膜材の塊を指差して言う。このテントの膜材の切れ端でぐるぐる巻きにした人物、これはアタシがシュダ森から連れ帰った黒いヴァルキリーだ。アタシはテントに突っ込んだ後、テントの膜材をいくらか千切って抱きかかえていた黒いヴァルキリーを簀巻きにして傍に隠していた。兵士達は気付いていなかったようだが、キートリーやボースが気づかないハズも無く。
「えっと、この子はですね……」
そんな訳で、アタシはボース達に黒いヴァルキリーを捕まえた件を話す事となった。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、ブックマーク、★評価等よろしくお願いいたします。