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12.マースの独白

マースくん視点です。

 僕が初めて千歳姉様と会ったのは、昨日の昼過ぎ、シュダ森の奥、ゴブリンによって滅ぼされたシュベルホ村のさらに西の砂浜。千歳姉様はそこで倒れていた。独断専行したシュベルホ村出身者の一団を救出するため村へ向かった救援部隊の生き残りであるパヤージュと一緒に。


 あの時僕は配下の魔術師小隊と共にシュベルホ村へ進軍中だった。僕の小隊の元々の目的は、パヤージュ達の救援部隊の捜索だった。救援隊の生き残りから、パヤージュ達が二次災害にあったと聞いて僕の小隊で直々に救援に向かうことにしたんだ。僕ならその場で治療が出来るし、少しでも皆を助けたかったからね。

 小隊がシュベルホ村に到着した時、村には生きている者は無く、ただ滅んだハズの村で何者かとゴブリンが争った跡があった。最初は先行したシュベルホ村出身者の一団が戦ったモノだと思っていたけれど、どうも様子が違う。一部の弓ゴブリンが風魔法で切り裂かれていたのを除けば、死んでいるゴブリン達のほとんどが何か強力な打撃を受け身体を潰されていたのが分かった。先行した村出身者の一団も、パヤージュの救援隊も皆剣と槍で武装していたから、何か変だなと、僕の知らない誰かがいるぞ、と。まあ、後でそれは千歳姉様がパヤージュと一緒に戦ったという事が分かったんだけどね。

 それで僕らは何者かが争ったらしい跡をつけて、村を抜けて砂浜に向かった。そこに居たんだ、千歳姉様とパヤージュが。今思い出しても異様な光景だった。裸の千歳姉様と、その周りには大量の骨と皮になったゴブリン、少し離れて大怪我を負ったパヤージュ。浜辺には白い皿のような異様な物が浮かんでいたけれど、今思えばあれは千歳姉様が島から乗ってきた船だったのだろう。勿論あの時の僕はそんなことを知る訳もなく、ケガを負っていたパヤージュと、見知らぬ異世界人である千歳姉様の救出に忙しくて船に構っている暇は無かった。


「パヤージュ、今治すからね。水の女神メルジナよ、その慈悲深き力を持って彼の者の傷を癒せ、ヒール!」


 -キィィィン-


 僕は治癒魔術でパヤージュの応急処置を行った。彼女はただケガを負うだけでなく、ゴブリン達に汚されていたのがわかった。ゴブリンとはそう言う生き物だ、捕まった以上こうなっていることは予想出来たのだが、実際に目にするのは初めてだった。


「酷い、ここまでやってしまうんだ、ゴブリンは」


 パヤージュはもう少し助けるのが遅ければ命を落としていたかもしれない。だが彼女は辛うじて誰かに救命措置を受けた後があった、これのおかげで命を繋いでいた。パヤージュには僕の知っている人の魔力の残光があったのだ。その魔力の残光は、サラガノ・サランドラ、国王陛下直轄の飛龍騎士団の団長、彼の魔力だった。後で千歳姉様に聞いて判明したのだけれど、千歳姉様はサラガノから強精剤を貰っていたらしい。それをパヤージュに応急処置として使っていたとのことだ。

 さて、ボーフォート軍はジェボード国との闘いで、サラガノ率いる飛龍騎士団からの援護を何度もか受けている。飛龍騎士団の操る飛龍の空戦能力と、そこから放たれる飛龍騎士の武器、ドライブランスは強力だ。飛龍騎士団が援護にやってくると、ジェボード国の鳥人部隊から瞬く間に空を取り戻し、空中からドライブランスの雨を降らせる。僕も実際に何度か彼らの支援を受けているのでその場を見ているが、回転する槍の穂先が雨の如くジェボードの獣人達に降り注ぐと、一瞬で獣人たちは穴だらけになり、味方の兵達から歓声があがるのだ。空戦部隊を持たないボーフォート軍に取って、本国の飛龍騎士団は非常に頼もしい存在だ。

 それで、パヤージュからサラガノの魔力の残光がするのが不思議で仕方がなかったのだが、もし彼がこの場に来ているのであれば、傷を負ったパヤージュをこのまま残していくとも思えない。彼ならば必ずパヤージュを救出していくだろう。だから彼じゃない、彼はこの砂浜には来ていない。

 では何故パヤージュがこの砂浜に居たのか?何故見知らぬ生地で出来た服を一枚羽織っている?そうして僕の目に入ったのがゴブリンの死体のど真ん中で裸で倒れていた茶髪で長身の女性、千歳姉様だ。後で千歳姉様本人に聞いて分かったのだけれど、千歳姉様がパヤージュの応急処置を行い、服を羽織らせ、村から逃げてきていたらしい。

 この時の僕にもこの茶髪の女性が何かやったであろう事は想像付いたのだが、何故裸で倒れているのか?周りで大量に死んでいるゴブリン達はなんなのか?これがわからなかった。だが、このままこの女性を砂浜に放置しておくのは危険だ。放っておけば女性の匂いを嗅ぎつけたゴブリン達に連れ去られるであろうことは容易に想像できる。だから僕は配下の小隊員に、


「そこの茶髪の女性も連れて帰ろう、このまま放置はできない」


 パヤージュの他に茶髪の女性の救助も命じた。彼女が伝心の儀をやっていない流着の民である可能性は十分に予想出来たけれど、だからと言って放置なんて出来ない。例え三国協定で伝心の儀を行っていない流着の民との交流が禁止されていても、人命救助をしてはいけないなんてことはない。交流、会話さえしなければいい、僕はそう判断して彼女を、千歳姉様を救出し、ボーフォート軍の前戦キャンプまで連れて帰った。


 前戦キャンプに戻った僕は、父上にパヤージュと新しい流着の民である女性をシュベルホ村西の砂浜で救出したことを告げた。女性がまだ伝心の儀を済ませていない可能性も考え、お師匠様、伝心の魔女であるフライア・フラディロッドに連絡を付けて貰うよう頼んだ。伝令は早馬でボーフォートの街に向かったらしい。ボーフォートに戻って念唱の儀でお師匠様に事態を告げ、伝承の儀が必要であるならば、シュダ森東のこのボーフォート軍ゴブリン討伐隊前戦キャンプに来てもらう手筈だった。

 お師匠様からの返答が来るまで、女性には、千歳姉様には寝ていてもらうつもりだった。だから僕はテントで眠る千歳姉様に睡眠魔術を掛けた。


「水の女神メルジナよ、その慈悲深き力を持って彼の者に眠りを与えよ、スリープインバイト」


 -キィィィン-


 のだけど、まさか水魔術が効かないなんて想像もしていなかった。完全に寝ているものだと思って、僕は千歳姉様に、ちょっと、イタズラしてしまった。ほんの出来心だったんだ。とてもいい匂いで、どこか懐かしい感じがして。なんて、なんの言い訳にもならないんだけど。

 そのままうっかり千歳姉様の胸の上で寝入ってしまった僕は、お母様の、ヌールエルお母様の夢を見ていた。母様が、僕を抱きながら、僕の名前を呼んでいる、暖かくて、安心する、そんな夢。10年前、僕が4歳の時に亡くなってしまったお母様。お母様が亡くなったその時の僕は小っちゃかったのであまり覚えていないのだけれど、父上が凄く沈んだ顔をしていて、キートリー姉様が誰もいなくなってしまったベッドの上でお母様の事を呼びながら泣いていたのだけはよく覚えている。あんな風に大きな声でわんわんと声を上げて泣くキートリー姉様を見たのはあの時だけだ。

 それで僕はお母様の夢を見ながら眼を開けた。すると僕は茶髪の女性、千歳姉様に頬を優しく撫でられていた。千歳姉様は僕の魔術で眠っていなかったんだ。僕のイタズラも全部知ってたらしい。僕は即座に謝った、眠っている女性にイタズラするなんて、謝っただけで許されるようなことじゃないけれど、だからって謝らないのは最低だ。だけど千歳姉様は怒るどころか、ニッコリと笑って許してくれた。でもこれはきっと僕がまだ、子どもだからだろう。

 その後、千歳姉様といろんな話をした。千歳姉様の声を聞いているととても心が暖かくなった。つい調子に乗ってしまって、ホントは流着の民に喋っちゃダメな軍事機密までぺらぺらと喋ってしまっていた。でも僕は千歳姉様ともっと喋りたくて仕方がなかった。もっと千歳姉様の声を聞きたい、頭の中はそればっかり。

 そう思っていたら、千歳姉様は僕の身体を引き寄せて抱きしめてくれた。柔らかくて、暖かくて、良い匂い。千歳姉様のおっきなお胸に挟まれた時は、恥ずかしくて、でも嬉しくて頭がどうにななりそうだった。


 この後僕は、千歳姉様がまだ伝心の儀を済ませていないことを知ってめちゃくちゃ取り乱し、僕の取り乱しようを聞いたグレッグがテントに乗り込んできて、ボーフォートの兵達を巻き込んだ一騒動となる。伝心の儀を済ませていないのに言葉が通じる流着の民なんて居るとは思わなかったんだ。千歳姉様は流着の民でありながらパヤージュを救出し、水魔術が効かない、伝心の儀無しに言葉が通じる、とこの時点で規格外なことがいっぱいあった。でも僕は少しも怪しいとは思わなかった。兎に角僕の事を見て欲しい、もっと話がしたい、千歳姉様の気を引きたい、そんなことばっかり思っていた。今思えば、完全に浮かれていた、この時点でもっと気を付けておくべきだったのだと思う。本当に今更だけれど。


 伝心の儀を済ませていない流着の民と既に会話、それも軍機までベラベラと喋ってしまった僕だ、どうするべきか父上に相談しに行く事になった。グレッグが千歳姉様に護衛としてジェームズとショーンを付けた。彼ら二人とグレッグは僕の小隊の隊員だ。ジェームズは魔術師として、グレッグとショーンは魔術師を守る前衛として働いて貰っている。だからグレッグだけじゃなく、ジェームズとショーンも僕の信頼できる部下だ。だからこそ、あんなことになるなんて思ってもいなかった。

 とりあえず僕はグレッグと一緒に父上の元に報告にいった。伝心の儀をやっていない千歳姉様と思いっきり会話してしまったのだ。何か罰を受けるくらいの覚悟はしていった。が、父上は、


「言葉が通じてんだろぉ?別にいいんじゃねえか?それくらいならフライアも文句は言わねえだろ、特例だ、特例でいい」


 あっさりと許可を貰った。父上はよく言えば豪快、悪く言えば大雑把な性格だ。この性格でよくこの広大なボーフォート領を統治出来ているなとは思ったことはあるけれど、その辺は父上の人柄のなせるところなのかもしれない。僕にはとてもマネできそうにないが、僕はあくまでボーフォート家の次男、家を継ぐのは長男のヤン兄様だ、そこまで考える必要もなさそうで、本当は内心安心している。ヤン兄様には悪いけれど。


 それで父上と話が纏り、千歳姉様に纏った話を伝えようと元居たテントへ戻ろうとした時だった。元のキャンプの周りで、兵達の人だかりが出来ていた。そしてその中心に居る恐怖で顔を引きつらせている千歳姉様。千歳姉様の怯える顔を見た時、僕は周りの兵達に向けて激高した。民を守るハズのお前たちが、何故千歳姉様を辱めているのか?ボーフォート兵であることの誇りは?千歳さんは僕の……、いろいろな感情が綯い交ぜになって、普段出さないような怒声となって口から飛び出た。


「何を……何をやっているんだお前たち!!」

「マース!助けてっ!助けてぇっ!!」


 千歳さんが必死に僕に助けを求めていた。恐怖で怯える声で、僕に助けてと言っていた。こんな子どもの僕にだ。あの程度の包囲なら、千歳さんの体格と力があれば、周りの兵達を殴り飛ばして抜け出すことも可能だろうと思っていた。実際千歳姉様は女性でありながら下手なボーフォートの兵よりもずっと身体が大きい。筋肉も発達しており、初見で異世界の女戦士なのかなと思った程度には力もあるだろうと。だけど彼女はそれをせずに僕に助けを求めている。いや、しないんじゃない、出来ないんだ。力はあっても、恐怖で力を振るう事が出来なくなっている。僕は千歳姉様の生い立ちを知らない、この世界に来て、砂浜で何があったのかも知らない。だけど千歳さんのあの様子を見て察する、千歳さんの心を折るに容易い事件が既に起きていたのだろうと。ならば僕が千歳さんを、あの暖かさをくれる女性を、守らなければならない、いや僕が守る。だから助ける、助けるに決まっている。


「水の女神メルジナよ!その慈悲深き力を持って彼の者達に眠りを与えよ!スリープインバイト!」


 -キィィィン-


 僕は睡眠魔術で兵達を眠らせた。まだ事情は分からないが、兵達を傷付ける訳にもいかない。だから攻撃魔術ではなく、睡眠魔術で眠らせるのが一番だ。


「マース!マース!マース!うわああっっ!怖かったっ!怖かったよぉっ!!」


 勢いよく僕に飛びついてきた千歳さん。僕よりずっと大きい身体のハズなのに、何故か小さく見えてしまう。それほどまでに彼女は弱っていたと言う事なのだろう。僕ももっと気を付けるべきだった、僕は彼女に暖かみを与えて貰うことばっかりで、彼女自身の事は何も考えてはいなかったのだ。自分だけ浮かれっぱなしでこんな大事な事を見落としていたなんて、だから僕はまだ子どもなんだ。反省しなければならない。だから僕はせめてもと恐怖で混乱している千歳さんを抱きしめた。少しでも彼女の恐怖を和らげようと、今できる精一杯の事を。

 が、グレッグが思わぬ行動に出る。さっきまで普通に話していたグレッグが、突然他の兵達のように千歳さんの服の中に手を突っ込み始めたのだ。明らかにおかしかった、グレッグはそんな行動をする人間じゃない。少し規律には五月蠅いし、若干融通が利かないところもあるが、至って真面目、特に女性関係で悪い噂を聞いた覚えはない、信頼のおける僕直属の部下だ。そのグレッグが目の前で千歳さんを辱めている。その事実に僕は困惑した。


「いやあああああーーっっ!!」


 だが半狂乱になって叫ぶ千歳さんを見て、彼女は僕が守ると決めたことを思い出す。グレッグには悪いけれど、この至近距離、と言うか密着状態での睡眠魔術は僕にも影響が及んでしまう。殴って失神させるしかない。


「ごめん!グレッグ!」


 -バキィッ-


 杖で思いっきりグレッグの頭を殴った。ドサッと地面に倒れ込むグレッグを見て、死んじゃうんじゃないかと思ったけれど、グレッグはそこまでヤワじゃなくて助かった。

 そしてグレッグを失神させた後、僕に抱き着いていた千歳さんは、ガタガタと震え泣き出してしまう。


「もうやだぁぁっっ!!帰りたいよぉっっ!!おばあちゃんっ!メグっ!ああああーっっ!!」


 僕から見れば千歳さんは異世界人だ。そしてこの世界に来る人は決まって流着、つまり漂流者としてこの世界に来る。望んで来る人はいない、皆、開口一番に帰りたいと言う。僕が同じ立場、流着の民となったとしても同じことを言うだろう。望郷の念にかられるのは当たり前で、さらにこんな恐怖を味わってしまえば、心折れるのも当然だろう。大人だからだとか、子どもだからだとかはもう関係が無い。誰だろうと、耐えられる限界よりも強い力が掛かれば、心は折れるんだ。

 そんな僕が千歳さんにしてあげられる事は、話を聞いて、抱きしめて、好きなだけ泣いてもらうことぐらい。こんな事で千歳さんが慰められるなら、いくらでも抱きしめよう、話を聞こう。そう思って、僕は千歳さんの背中をポンポンと叩いていた。僕が小っちゃい頃、お母様がこんな事をしてくれていたような気がする。そう、確かこんな感じで、僕が泣き止むまで、優しく語りかけてくれていた気がする。


 千歳さんは暫く経って涙も枯れたのか、目を腫らしたままゆっくりと顔を上げた。今の彼女はどこか弱弱しくて、守らなきゃって念がさらに強くなる。だからつい、こんな生意気な事を言ってしまう。


「千歳さんはとても可愛いと思います」


 僕みたいな子供が、年上の女性にこんなことを言うのは本当は良く無いのかもしれない。だけど本当に、今の千歳さんを見て可愛いと思う。守らなきゃって思う。そして、


(僕のモノにしたい)


 僕の中に千歳さんに対する邪な思いが湧き出てくる。これはいけない事だ、ずるいことだ。弱っている千歳さんにつけ込んで、口八丁手八丁で丸め込んで自分のモノにしようとしている僕が居る。千歳さんを独占して思い通りに動かしたいと思っている僕が居る。


「お世辞じゃありません。千歳さんは可愛いですよ」

「あぅあぁあぅ……」


 こんな気取ったセリフを惜しげもなく言ってしまう。勿論、千歳さんを可愛いと思っているのは本心だけど、相手がどういう反応をするか、分かってて言っているのはちょっと卑怯かもしれない。案の定、千歳さんは顔を真っ赤にして僕を見つめたまま固まってしまった。僕の思い通り、可愛い反応をしてくれている。


(やっぱり、僕のモノになってほしい)


 誰にも渡したくないと思う人、自分の思い通りにしたいと思う人、そんな人がこんな突然現れるなんて思っていなかった。僕はこの考えを危険と判断し、


(弱っている千歳さんの心につけ込むのなんて最低だ。今は千歳さんの安全を確保するのを優先しないと)


 一旦心の奥に仕舞い込む。そうして父上から聞いてきた千歳さんの処遇の話を再開した。

 そうこうしているうちに騒ぎを聞きつけた父上がやってきて、千歳さんをキートリー姉様のところに預けようと言う話になった。途中、立ち上がる際によろけた千歳さんがまた泣き始めてしまった。僕はこの涙の意味が分からず困惑してしまった。千歳さんはもう怖くはないハズだろうと、僕のところでいっぱい泣いたので、もう涙は枯れたものだろうと思っていたのだけれど、全くそんなことはなく、ボロボロととめどなく涙を流してしまっている。


「ち、千歳さん?あ、あのっ、大丈夫ですかっ?やっぱりどこかお怪我を……」

「うあぁ……うぅぅ……うううぅ~っ」


 心配して声を掛けた僕を見て、千歳さんは余計泣き出してしまった。この涙の意味がわからない僕は、やっぱりまだ子供なのだろう。早く大人になって、千歳さんをもっと守れるようになりたい。そうして、僕のモノに……ううん、なんでもない。

 そう思っていたら、父上がひょいっと千歳さんを抱きかかえた。そうしたら千歳さんがすっと泣き止んだのだ。何故だろう?わからない。僕よりも父上の方がずっと力があるから?でも千歳さんを抱っこすれば泣き止んでくれるなら、僕だっていくらでも抱っこするのに。


「ずるいです!父上!僕も千歳さん抱っこしたい!」

「あはっ、マース、その気持ちだけ、受け取っておくね」


 千歳さんに笑われてしまった。泣き止んでくれたのは嬉しいけど、なんか釈然としない。

 そのまま僕たちはキートリー姉様のテントまで他愛無い話をしつつ向かった。


 千歳さんを連れてキートリー姉様のテントの前まで来た時、まず初めにサティが出てきた。サティはキートリー姉様直属の従者だ。僕の物心付く前からずっとキートリー姉様の従者をやっていた。お母様が亡くなったあの日、キートリー姉様の他にもう一人、泣いていた人が居たのを思い出した。そうだ、あれはサティだった。一人館の庭園の椅子に座り、静かにポロポロと涙を流していたサティを僕は見た。このことは誰にも言っていない。自分でも今の今まで忘れていたくらいだ。なんでこんな大事な事を今まで忘れていたのか、何で今思い出したのか。

 そんな事を思い出していたところ、凄い勢いでキートリー姉様がテントから飛び出して父上に抗議を始めた。


「お父様!そもそもこの女の回収で!討伐隊の予定が!既に一日!遅れていますのよ!?なのになんで!ワタクシがそこまでしなければ!い・け・ま・せ・ん・の!!」


 討伐隊の予定を遅らせた原因の千歳さんを自分のテントに泊めるのは嫌だというキートリー姉様。討伐隊の遅れは確かに問題だ。ただ森の前で待たされるのも問題だが、特に補給の問題がある。現在ゴブリン討伐隊の補給は、主に魔術輸送兵によってボーフォートの町からコリーヌ村を経由して補給物資を届けて貰っている。今回のゴブリン討伐隊は数千人規模、食糧その他の確保となると1日延びただけでも補給に重大な負担が掛かる。だが、討伐隊の予定が伸びたのは千歳さんだけのせいじゃない、元は先行してしまったシュベルホ村出身者の一団から始まり、パヤージュ達の救出隊の壊滅、そこに千歳さんの事情が加わっているため、恐らく千歳さんの件が無くても討伐隊の予定は伸びていただろう。千歳さんだけを責めるのは正しくない。

 だが怒り冷めやらぬキートリー姉様は、父上への抗議の勢いそのままに、ずんずんと千歳さんに詰め寄って彼女の腕を掴み、


「ちょっと!ボタンが!ワタクシの上着のボタンが!千切れ跳んでいるじゃありませんの!?貴女!ボタンは!?これは何をしたんですのよっ!?」


 刺々しい物言いで千歳さんを追い詰めてしまう。いつものキートリー姉様はこんなに荒れ荒んでいない。決して物腰が柔らかい訳では無いが、僕が創作魔術の相談に行くと真摯に答えてくれるし、従者達に対してもよく労いの言葉を掛けている場面に遭遇する。サティに聞いた話だけど、従者達の間では今一番人気があるのはキートリー姉様らしい。なんでもキートリー姉様は従者一人一人手を握って感謝の気持ちを伝えているらしく、従者達にとってはそれが凄く嬉しいとのこと。以前、姉様本人に従者に何故このように接するのかと聞いたことがある。姉様曰く、


「これは懐柔と言いますのよ。ぞんざい扱って下手に反感を持たせるよりも、丸め込んでしまった方がワタクシに取っては得となりますの。戦場で後ろから刺されるのは嫌でしょう?マース、貴方もボーフォート家の者であるのですから、人心掌握について少し学んだ方がよろしいですわね」


 と言う事だった。僕もそれから姉様を見習ってと館の従者たちには感謝の言葉を掛けるようにはなったのだけれど、姉様のように手を握って、となるとまだ恥ずかしさが出てしまってまだ上手く出来ていない。

 そんな訳で、普段とは違う様子のキートリー姉様に、服の事について詰められた千歳さん。あの服を破ったのはグレッグだ。千歳さんは悪くない。だが千歳さんは次第に青い顔をして震えだす。僕は彼女の異常なまでの怯えように、恐らく先ほどまでの事を思い出してしまったのだろう、と察した。これはいけない。


「千歳さんっ!」

「あら、マース?」

「姉様!事情が!これには事情があるのです!」


 千歳さんとキートリー姉様の間に無理やり割って入り、千歳さんを守るように両手を広げてキートリー姉様の前に立ちはだかった。僕はあまりキートリー姉様に口答えするような事はない。何故なら大体キートリー姉様の方が正しいからだ。だけど今回は違う、事情を知らないとは言えこれはキートリー姉様が間違っている。ならば例え相手がキートリー姉様であろうと、僕は千歳さんを守る。


「どういうことですの?お父様、キッチリ説明して頂ける?」


 キートリー姉様は僕に一瞬驚いたような顔を見せて、父上に事情を聞きだした。父上と共にこれまでの千歳さんの事情を説明すると、キートリー姉様も納得してくれた。キートリー姉様は話の通じる人だ。ちゃんと理由を説明すればこうやって納得してくる。


「日高千歳?と言いましたか。泊まって行きなさい。今日だけなら認めます。いいですわね?今日だけですのよ?」


 ほら、いつものキートリー姉様だ。姉様は千歳さんを匿う事に同意してくれた。姉様は口ではなんだかんだ言うモノの、本質は慈悲深く寛大な人だ。従者に接する時の態度も、姉様は人心掌握ためという建前だけれど、案外本心でやってるんじゃないかなって僕は思ってる。

 そうして僕と父上は千歳さんをキートリー姉様に預け、元のキャンプに戻る事になった。戻り際に千歳さんが不安そうな顔をしていたけれど、キートリー姉様が面倒見てくれるなら安心だし、また明日すぐに合える。ホントは僕だって千歳さんと一緒に居たいけれど、流石に女性と一緒に寝る訳にもいかない。


 さて、僕と父上はキートリー姉様とテントを離れ、元居た前戦キャンプのテントにまで戻ってきた。僕は夕食がまだだったので父上のテントの中で父上と一緒に夕食のパンを齧っていたのだけれど、その時にサティがやってきたんだ。


「その、千歳さんのご友人、庭野恵さんをクラーケンから救い出す?」

「はい、マース様。お嬢様は庭野恵様救出のため、千歳様とギアススクロールでの契約を交わしました」

「おいおい、また勝手に決めちまって。お前ら兵站の事とか少しは考えて……え、何?船?」


 最初は渋っていた父上だったのだけれど、サティから報酬の話を聞いて態度がガラリと変わった。主に、魔術の補助も無しに海上を早馬の如きスピードで疾走する、でぃーぜるえんじん船、と言うA級クラスの流着物についてで。

 ボーフォート軍は基本的に陸軍はとても精強なのだが、海軍は正直あまり乏しくなく、空軍に至っては本国の飛龍騎士団頼みだ。ジェボード国は空からも海からも各々の獣人を引き連れてボーフォートに攻め込んできており、飛龍騎士団の援護を受けられる内陸での空戦は兎も角、近隣の流着の島との海運を妨害するジェボードの魚人による通商破壊には頭を悩ましていた。ボーフォートにも魔術で動く魔術船はあるのだけれど、魚人相手となると圧倒的に機動力に劣り、また大型であるため商船の護衛に1隻つづ付けるにはコストに合わない。その為、国境付近の海洋資源はもとより、流着した島との連絡も満足に取れないことが続いていた。だが圧倒的機動力を持つと言う、でぃーぜるえんじん船、これがあれば魚人の駆逐、それだけじゃなく制海権の確保も可能かもしれない。父上の態度の変わりようも致し方ない事だと思う。

 ただ本当に必要なのは船そのものではなく、船に使われている技術だ。サティに聞けば、船は少し小型で、1隻だけあっても戦況に大きな影響を与えるのは難しいだろうと。でも船に使われている技術を解析出来れば、ボーフォートで生産、量産できるようになれば状況は変わる。異世界の船に使われている技術、海上で圧倒的機動力を生み出す動力、どうなっているのか、父上とは違った意味で、僕も興味は尽きない。

 そんな訳で、父上はとんとん拍子に話を進めていった。


「だいたいの作戦はキートリーの決めたヤツでいい。ただ念のためヤンのとことテドノスの坊やのところに援軍は呼んどくぞ。そのでぃーぜるえんじん船がそのまま使えるとも限らんからな」

「父上、テドノス陛下が援軍を寄越してくれるでしょうか?」

「どうせ来ないとは思うがな、こういうのは一応声掛けしておくのが礼儀みたいなモンなんだよ」

「はー、なるほど」


 僕には政治の話はまだちょっと分からない。


「あとは戦闘要員か、俺が付いてくは勿論として、マースお前も問題ないな?」

「勿論です。千歳さんのご友人の救出ならば、喜んでお手伝いします」

「よし、じゃあ後は水魔術師でー、ジェームズか。あとはなんだ?」

「旦那様、お嬢様は風魔術師を数名欲しいとの事です」

「風魔術師かぁ?今ゴブリン討伐隊に同行しているのは、妖精族のエメリーと、エルフのパヤージュだが……」


 父上がちらっと僕の顔を見た。パヤージュの容態を聞きたいのだろう。パヤージュは今日、シュベルホ村西の砂浜から重傷を負って救出されたばかりだった。彼女はただケガを負っただけでなく、心に傷を負うような事態にもなっている。


「父上、僕がパヤージュに聞いてまいります」

「おう、任せた」


 そう言って僕は前戦キャンプの野戦病院、パヤージュの元へ向かった。


「パヤージュ、居るかい?」

「はい、マース様。パヤージュはここに」

「起き上がらなくていい、少し容態を見に来たんだ」


 パヤージュは野戦病院のベッドで横になっていた。僕は救出時に彼女に回復魔術で応急処置を行った後、そのまま野戦病院に預けていた。ここには治療魔術師がいて、今回のゴブリン討伐隊で負傷した者たちを看病している。


「足はまだ痛むかい?」

「ええ、まだ……」

「なら、もう一度掛けておくよ。水の女神メルジナよ、その慈悲深き力を持って彼の者の傷を癒せ、ヒール!」


 -キィィィン-


 僕の杖が青く輝く。僕は念のため回復魔術を重ねがけ下。だが回復魔術も万能じゃない、外傷は治せるけど、心の傷までは治せない。


「ああ、少し楽になりました。ありがとうございます、マース様」

「パヤージュ、さっそくで悪いんだけれど、明日、出撃は出来そうかい?」

「明日、ですか……?」


 ベッドに横になったままの彼女の目を見て話す。そしてパヤージュの様子は、特に心の様子はあまり芳しくない、と感じた。それもそうだろう、救出隊はほぼ全滅し、自身は重傷を負い、ゴブリンに汚されて、それですぐにまた明日出撃しろと言うのは酷だ。


「ああ、その、日高千歳さんのご友人の救出作戦で、トーヴィオンの海でクラーケンと戦わなくちゃならないんだ。それで風魔術師のキミの力を借りたいんだけれど……」


 無理にとは言わない、と続けるつもりだった。ゴブリンにどんな仕打ちを受けたか定かではないが、よっぽど酷かったであろうことは予想出来たから。パヤージュが行けないなら、エメリー一人に頑張ってもらうつもりだった。


「日高千歳さん……?私を村から助けてくれた、あの流着の民の女性の方ですか?茶色い髪の?」

「うん、そうだよ。その千歳さんからの依頼なんだ。友人がクラーケンに捕まってるから、助けてほしいんだって」

「行きます!行かせてくださいっ!御恩を、あの方に御恩を返させてください!」


 千歳さんの依頼だと聞いた途端、パヤージュの目に光が戻ってきた。


「あ、ああ、でも、大丈夫なのかい?」

「はい、マース様。行けます、やらせてください」


 エルフの習性なのか、単にパヤージュの性格なのかはわからないけど、パヤージュはやたら義理堅い。パヤージュが救援隊として先行したシュベルホ村出身者の一団を救出に向かったのも、元はと言えば彼女がシュベルホ村出身者達に世話になっていたからだ。なんでも彼女がこの世界に流着してきて、ボーフォート領内に住み始めてからの付き合いだったらしい。パヤージュはそんな彼らのため、自分から救援隊に志願した。結果は、残念な事になってしまったけれど。


「分かった、父上に伝えておくよ。グレッグ頼む」

「はい、マース様、旦那様に伝えてまいります」


 僕はグレッグを呼びつけ、パヤージュが明日出撃可能である旨を父上に伝えて貰った。


「まだ足は痛むかい?」

「ええ、少し。ですけれど、明日には必ず」

「それじゃあ、水の女神メルジナよ、その慈悲深き力を持って彼の者の疲れを癒せ、リフレッシュ!」


 -キィィィン-


 僕は手をパヤージュの肩に当てて魔術を行使した。この魔術は回復魔術ではあるのだが、魔力で傷を治すヒールとは少し趣が違う。魔力で本人の身体を活性化させて、疲れを癒す。全身を温めて身体の機能を活性化させるものなので、どちらかというと湯治に近い。お風呂に入れさせてあげられるのならそっちの方がマシ、な程度の魔術だ。水は水魔術で作れるけど、人一人が浸かれる程度のお湯を作るとなると流石に大変だ。だから僕はこんな、あったら便利でしょ?程度な魔術を開発した。水魔術は割となんでも応用が利く。熱を奪う事も、熱を与えることも魔術式の組み立て方次第。ただ大量の水を温めるとなると、それはとても非効率で僕の魔力量では作り切れない。ならばと今パヤージュの身体そのものを温めている。


「マース様、とても暖かくて、気持ちがいいです。眠って、しまいそう……」

「はは、そのまま眠っちゃっていいよパヤージュ。僕はキミが眠ったらそーっと出て行くから」


 ホントのところ、パヤージュの身体の傷はもう治っている。最初に砂浜で彼女の足の傷を見た時、そこらに応打された跡があった。骨はバキバキに折れてとてもじゃないけど歩ける様子じゃなかった。ヒールで傷自体は完治させたけど、それでもまだ足の痛みを告げてくるのは、彼女の心理的なものが原因として大きい。心の傷は魔術では治せない、でも何かはしてあげたい。だからせめて、僕はこの活性化魔術で彼女が安心して眠れるようサポートしよう。


「すー、すー」


 程なくしてパヤージュが寝息を立て始めた。安らかな顔だ、安心して眠ってくれたらしい。


「よっ、と」


 僕はそっとベッドを下りて、野戦病院を出た。空には綺麗な月夜が見える。父上のところに顔を出したら、今日は僕も寝よう。そう思って空を見上げていた時だった。


 -ボヒュゥゥゥゥ-


 キートリー姉様のテントの方角から、赤色の信号弾が上がったのが見えた。赤色は緊急での救援を意味する。姉様が魔術信号筒を使って緊急の救援を呼ぶなんてことは、よっぽどのことが無い限りあり得ない。


「姉様!?千歳さん!?」


 キートリー姉様のテントには千歳さんもいる、急がなければ。


「父上!姉様から救援信号が!」


 僕はそう言って父上のテントに飛び込んだ。父上は丁度帯刀しているところだった。


「こっちでも確認した!マース!すぐにキートリーんとこに向かうぞ!グレッグ!お前らもついてこい!」

「はっ!」


 僕らは大急ぎでキートリー姉様のテントへ向かった。だが、向かう最中、異変が起こる。


「ん?なんだろ?この匂い?甘い?」


 すごく甘い、甘ったるい匂い。頭の中を蕩けさせるような甘い匂いだった。まるでハチミツを口の中に含んでいるような甘味。それが姉様のテントに向かっている最中、ずっとしている。


「ぅ……うぅっ!?」

「はーっ!はーっ!……うぐっ!?」


 突然、バタバタと倒れて行く兵士達。だがそれもおかしい、倒れて行くのは男性の兵達だけなのだ。女性の兵達は割と平気そうな顔をして、倒れた男性兵達を介護している。


「なんだ!?どうしたお前ら!?何が起きてんだ!?」


 父上も突然の事態に困惑している。父上自体は平気そうだ。後で分かったのだが、これは千歳姉様の媚香によるものだったのだ。男性である僕と父上が平気だったのは、ある程度媚香に対する耐性があったからだとのこと。

 勿論この時の僕らはそんなことは知らず、困惑しつつも倒れた男性兵達の保護を女性兵に任せ、僕と父上だけでキートリー姉様のテントに救援に向かう事になる。


 ここから先は大変だった。

 青いギガントオーガレスとなった千歳姉様と、それに死ぬ寸前まで追い詰められていたキートリー姉様、吹き飛んだテント跡に血だらけで倒れているサティ、痛む足を引きずったまま救援に来たパヤージュ。でもなんとか千歳姉様を元の身体に戻し、事を納めた僕たち。


 そこにお師匠様が空からやってきて言ったんだ。


「ねえ千歳?私、貴女のおじいちゃんみたいよぉ?」

「ヌールエルは、私の娘と言ったのよ」

「そうよぉ、だからキートリーとマース、アナタ達も私の孫。千歳とアナタ達は~、あっ、従姉妹って関係になるのかしら?」


 千歳さんが従姉弟?千歳姉様?この事実に、最初は少し戸惑ったけれど、だけど僕は体が震えるほどに喜んだ。その後、千歳姉様の媚香に興奮して正気を失ったり、ヴァルキリーが千歳姉様とお師匠様を襲ったり、ちょっと千歳姉様がヴァルキリーに刺激的な事をしたり、知らなかったこの世界の事や、サティとお母様の関係、メルジナ教と水魔術の真実をしってショックを受けたりといろいろあったけど。だけど、嬉しい事の方が大きかった。千歳姉様から感じるどこか懐かしい感じ、あれは気のせいなんかじゃなくて、僕と千歳姉様には血縁があったという事で、僕と千歳姉様には元々繋がりがあったんだって。

 僕は喜んでそのままキャンプの周りを走り出してしまいそうだった。だけどもっと凄いことが起きた。千歳姉様たちに、吹き飛んでなくなってしまったキートリー姉様のテントの代わりに僕のテントで寝ませんかと言ったのは僕だけど、まさかみんな一緒に寝る事になるなんて。テントに向かっている最中、千歳姉様は僕の手をぎゅっと掴んだまま離さなかった。僕も千歳姉様の手をぎゅっと握り返して離さない。そのままテントの中の僕の荷物をどかして、中にみんなの寝床を作った。僕はそのまま千歳姉様、キートリー姉様、さらにサティに囲まれて眠る事になった。


「おやすみ、マース、キートリー、サティさん」

「おやすみなさい、千歳姉様」

「おやすみなさい、千歳お姉様」

「お疲れ様でした、千歳様」


 僕は千歳姉様の両腕に抱かれたまま眠る。僕のテントは狭い、4人で寝るなら密着するしかないんだけど、千歳姉様のお胸に挟まれたまま眠る事になるなんて思ってなかった。興奮して眠れないか、と思ってたけど、そんなことはなくて。温かくてふわふわして柔らかくていい匂いで、僕はお母様に抱かれているような、そんな幸せな気分であっという間に眠りに落ちてしまった。


 そして千歳姉様に抱かれたまま眠った次の日、目を覚ましてみればテントの中に千歳姉様の姿が無かった。キートリー姉様はまだぐっすり眠っていたし、サティもまだ起きていないようだったので放っておいたのだけれど、外で何やら千歳姉様と兵達の騒ぐ声が聞こえる。


「こ、殺されるっ!みんな射てっ!!悪魔を殺せーっっ!!」

「いやぁっ!やめてぇっ!」


 千歳姉様の悲鳴を聞き、僕は跳び起きた。急いでいつもの白いローブを羽織り、テントを飛び出す。


「ごめんなさいっっ!ごめんなさいっっ!アタシが悪かったですっ!だからもうやめてくださいっっ!!」


 泣き叫ぶ千歳姉様の声が聞こえる。誰だ?千歳姉様を泣かせているのは?千歳姉様を殺せだって?ふざけるのもいい加減にしろ。千歳姉様は僕のモノだぞ!違う、僕が守るんだ!

 そう思って騒ぎの現場に駆けつけてみれば、大量の兵達に囲まれて、悪魔の姿のまましゃがみ込み泣いている千歳姉様が見えた。この一瞬で、僕の頭には完全に血が上る。


「水の女神メルジナよ、その冷たき怒りを持って我と彼らを隔て賜え!アイスウォール!」


 -キィィィン-


「お前たち!!千歳姉様に何をしているんだっっ!!」


 千歳姉様の周りを氷壁で囲み、周りの兵達から隔離する。千歳姉様に水魔術は効かないが、触れなければ魔術は消えない。囲んでいる兵達と千歳姉様の間に氷壁を立てる分には問題なく魔術は効果を発揮する。勿論、千歳姉様が触れば氷壁は消えちゃうんだけど、それは僕が千歳姉様に近づく間持てばそれでいい。

 それでなぜこんな騒ぎになっているのかグレッグに問いただしてみれば、グレッグが千歳姉様の事を化け物だなんて呼ぶものだから、思いっきり激高した。激高して氷柱をグレッグにぶつけてしまうところだった。こんなに怒ったのは生まれて初めてだ。僕はもっと温厚な人間だと思っていた、だから怒らないのだと思っていた。でも違った。今まで自分の尊厳、家族の尊厳、大好きな人の尊厳を踏みにじるような相手と、そんな状況に会っていなかっただけだった。まさかその大好きな人の尊厳を踏みにじる相手が、グレッグになるとも思っていなかったけど。僕の脅しで完全に喋れなくなってしまったグレッグはおいておいて、近くに居たジェームズに状況を説明してもらったところ、


「ダメじゃないですか!人前でいきなり悪魔化しちゃ!」


 原因はどうも千歳姉様にあったらしい。頭に上っていた血が、見事にすぅーっと引いていった。グレッグや兵達を怒鳴りつけたこの怒りをどこに飛ばせばいいやら。とは言え、グレッグに対しては千歳姉様を化け物と呼んだことと最初に斬りかかった事を踏まえて、キッチリお灸をすえる事にした。僕の千歳姉様だぞ。例え千歳姉様に原因があったとしても、傷付けようとしたことと化け物だなんて呼んだことは僕は絶対に許さない。

 とは言えグレッグはあくまで僕直属の部下だ。それ以外の兵士たちをどうこうする権利は僕にはまだ無い。千歳姉様を普通の人間体に戻したものの、兵達の信用はまだ得られそうにない。そんな折、千歳姉様が言ってくる。


「マース、その、私を縛り付けるような物、言う事を聞かせるような物、ギアススクロールみたいな、ああいうのがあればみんなも安心してくれると思うんだけど、ない、かな?」


 僕は瞬時にサーヴァントチョーカーの事を思い出した。あれを付ければ、合法的に千歳姉様を僕のモノに出来る。この状況を説明すれば、例えキートリー姉様であろうと納得させることが出来る。だけど僕にだって罪悪感が残る。千歳姉様の弱みに付け込んで、サーヴァントチョーカーで強制的な主従関係を結んでいいのか?こんな事をして、当の千歳姉様に嫌われるんじゃないのか?だけどそんな考えも、理性も罪悪感も全部、次の千歳姉様の言葉で吹き飛んだ。


「アタシのご主人様になって、マース」


 目を瞑ったまま微笑む千歳姉様の顔。それを見た僕の理性のタガは簡単に外れた。いつも綺麗な顔をしていた。時折見せる無邪気な笑顔が好きだ。僕よりずっと大きな身体で泣きじゃくるその姿は僕の庇護欲を異常にまで掻き立てる。それでいてお母様を思い出させる優しい声と包容力はたまらなく好きだ。勿論柔らかくていい匂いのするおっきなお胸は大好きだ。倍以上の歳の差なんてどうでもよくなるくらい彼女の事が好きだ。悪魔化した時の綺麗な青い肌も好きだ。吸い込まれるような黒白目が好きだ。今の黒髪と悪魔化した時の金髪両方綺麗で好きだ。僕を優しく包んでくれたあの蝙蝠のような翼も好きだ。おっきくて温かい背中が好きだ。僕を優しく抱きしめてくれるあの両腕が大好きだ。血縁はあっても姉弟じゃない、従姉弟だ、何の問題も無い。僕のモノにしたい、僕のモノになってほしい、もう、僕のモノにする。


 僕は千歳姉様にサーヴァントチョーカーを付けた。これでもう千歳姉様は僕のモノだ。もう僕の命令に千歳姉様は逆らえない。たとえどんな命令をしたとしても、千歳姉様はもう僕の言う事を聞くしかない。完全に調子に乗ってしまった僕は、自分の事ばかりで、千歳姉様の気持ちを考えるのが抜けてしまっていた。だから彼女の気持ちを考えもせずにこんな命令をしてしまう。


「大丈夫ですよ千歳姉様、日高千歳に命ずる、僕を思いっきり殴れ!」

「やだっ!?やだよマースっ!?」

「やだっ!?やだあああっっっっ!!」

「ほら、平気だったでしょう?千歳姉様。……千歳姉様?……あっ」


 やってしまった。よりによって、"僕が"千歳姉様を泣かせてしまった。千歳姉様を守るって思っていた僕が、千歳姉様を泣かせている。焦って千歳姉様への命令を解除した僕だったが、地面に崩れ落ちて両手で顔を覆って泣き続ける千歳姉様を見て、顔が青ざめる。千歳姉様は悪魔になれるけど、心は普通の人間の女性のままなんだ。心まで身体のように頑丈なわけでは無いんだ。僕はそんな千歳姉様の心を持て遊んでしまった。そして泣かせてしまった。


「やだよ……マース……やだよぉっ……こんな命令はやだぁっ……」

「ごっ、ごめんなさい千歳姉様っ!ぼ、僕、調子に乗っちゃって、ごめんなさいっ!ごめんなさい千歳姉様っ!!」


 必死に謝った。僕が悪いことをした、僕が千歳姉様に辛いを思いをさせてしまった。例えサーヴァントチョーカーを付けたとしても、僕と千歳姉様は、あくまで僕と千歳姉様なんだ。対外的にはどうかしらないけど、主従関係になった訳じゃないのに、心まで僕のモノになった訳じゃないのに、それを無視して、無理やり千歳姉様に言う事を聞かせてしまった。

 僕は馬鹿か?こんなことをしたら千歳姉様に嫌われるだろう?千歳姉様に嫌われるのだけは絶対に嫌だった。大好きな人に嫌われるのだけは絶対に。


「マース様、今のはマース様に非が有ります」

「サ、サティ!?」


 突然やってきてサティにすら言われてしまった。だがサティの言う事ももっともだ。これは僕が悪い。どう言い繕っても隠せない。だから、


「マース、嫌い……」

「ええええええええええっっっっ!!??」


 これは当然の罰なのかもしれない。驚きの声を上げたあと、嫌われたことを理解した僕の全身の力が一気に抜けていく。頭が真っ白になり、立つことすらできなくなり、その場に崩れ落ちた。

 僕は千歳姉様に嫌われてしまった。大好きな人に嫌われてしまった。誰かに嫌われる、そんなことは誰だってあるだろう、皆に好かれて生きるなんて出来ない。だけど、この人にだけは、千歳姉様にだけは嫌われたくなかった、千歳姉様に嫌われてしまっては生きていけない、自分の心に大穴が空いたような感覚。


「僕嫌い……千歳姉様……僕嫌い……千歳姉様……千歳姉様……」


 誰かを責めようにも、これは自分の招いた結果だ。自分を責めるしかない。だがそんな考えすらもう思いつかない。もう何も考えられない。ただ口から洩れるのは千歳姉様の名前だけ。


「マースも助けてくれてありがとう!嫌いってのは嘘だよ!でもさっきの命令みたいに、怖いのはやめてね?」


 嫌いってのは嘘だよ、そう言う千歳姉様の声を聞いた途端、吹き飛んでいた意識が戻ってくる。


「千歳姉様……はっ!?はいっ!千歳姉様っ!もうしませんっ!さっきの命令はもうしませんっ!」


 千歳姉様になんとか許してもらった。もう絶対に千歳姉様の気持ちを考えない命令なんてしない。ううん、サーヴァントチョーカーの力すら使う必要は無い。こんなものにかまけて、千歳姉様を思い通りにしようとしたのが間違いだったんだ。僕は千歳姉様に好きだと言って欲しいけど、それには心が伴っていないとダメなんだ。サーヴァントチョーカーの力で無理やり言わせてもそれには心が伴わない、むしろ千歳姉様の心は離れていく、そんなの耐えられない。だからもう僕はサーヴァントチョーカーの力は使わない。こんなものに頼らずに、僕は千歳姉様を、千歳姉様の心ごと僕のモノにする。そう誓った。



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