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ウロンコダッガイヤがために~世界最強の男を倒すカギは妊婦にあり~

作者: 音無威人

 ただ強さだけを追い求めた男がいた。誰よりも強くありたいと願った男がいた。一心不乱に拳を振り続けた男がいた。いつしか男は最強と呼ばれるようになった。




「はぁ」

 ボサボサの髪。生気のない目。散らかった髭。やせ細った肉体。ぼろきれをまとっただけの男は兵士に囲まれていた。

「ステキ」

 兵士の波をかきわけて、明るい橙の髪を持つ妙齢の女が現れた。妖艶な笑みを見せる女に、兵士は目を奪われる。

 女は自らの容姿が武器になると知っていた。ただ美しいというだけで、彼女は世を渡り歩いてきたのだ。美の女神でさえ、彼女の前では裸足で逃げ出すことだろう。

 核が違うし、格が違う。女の前では誰もがレベル1なのだ。もちろん女はレベルがカンストしている。

 だからこそ女は醜いものをこよなく愛していた。自分にはない醜さを持つものに心惹かれた。いつだって彼女の周りには薄汚い豚共が溢れている。兵士だって同じこと。その見た目はお世辞にも整っているとは言いがたい。

「あなた、すごくいい」

 女はよだれを垂らしながら、身をくねらせている。表情は恍惚としていた。

「この刺激臭が堪らない。あなたいつから体を洗ってないの? 数十日、それとも数ヶ月?」

 女は男の臭いをくんくんと嗅いでいる。兵士は誰一人として近づかなかった。否、近づくことすら困難なほど、男の体からは酷い悪臭が漂っていたのだ。

「さぁな、覚えてない」

 女は目を瞬かせる。見た目のみすぼらしさとは裏腹に、声が若いことに気づいたからだ。

「意外と若いのね」

「俺は真っ当に若い」

 男は間髪入れずに返した。心外だという顔をしている。

「気分を害したのなら謝るわ」

 女は小首をかしげ、上目遣いで男の顔をうかがう。兵士の何人かが「最高」と叫んで、鼻血を垂れ流していた。男は平然とした顔で受け流している。

「あなた、最高だわ」

 女はとろけるような笑顔を浮かべ、男にぎゅっと抱きついた。兵士がいっせいに武器を構える。殺気が駄々漏れだった。

「モテるんだな」

 男は顔色一つ変えない。そのただならぬ雰囲気に、兵士は武器を下ろす。彼らは皆、選りすぐりの戦士だった。

「私はウツク・シイ、あなたの名前は?」

 シイはキラキラした目で、男に名を尋ねる。

「ジャック……サイ・ジャックだ」

 男――ジャックはけだるげに答えた。




「ここが私の部屋よ」

 趣味の悪い品物が所狭しと部屋に飾られている。醜さをこよなく愛する彼女にとって、これらはすべて満天に輝く星のようなものだった。

「女の部屋じゃないな」

 ジャックはきょろきょろと辺りを見渡している。ボサボサの髪は整えられ、散らかった髭はキレイサッパリなくなっていた。

 シイがお付きのメイドに命じて、ジャックの身だしなみを整えさせたのだ。何を隠そうシイは一国のお姫様だった。

「私、キレイなものって嫌いなの」

 シイは机の上に置かれていた箱を手に取った。首飾りに一枚のメモが添えられている。

「『ドラゴンの角で首飾り作ったんだ。愛するハニーにプレゼントするよ』」

 メモを読み上げた彼女は、ドラゴンの角の首飾りを窓の外に放り投げた。

「こんなものいらないのに」

 うんざりとした表情を浮かべる彼女の後ろで、ジャックは目を見開いていた。彼はにわかに信じがたい一言を耳にして、驚きを隠せないでいる。

「ドラゴンの角って言ったか?」

 シイは背後を振り向いて、こくりと頷く。ジャックはふらふらとした足取りで、ふかふかの椅子に腰を下ろした。信じられないと、その目が語っている。

「ドラゴンの角の首飾りだと?」

 ドラゴン、それは世界最強の生物につけられた名前だった。山と見紛うほどの巨躯、海を引き裂く大きな爪、地面にヒビを入れる巨大な足。ひとたびその姿を現せば、周囲を破壊しつくすまで止まらないと言われている。

 そんなドラゴンの角を使った装飾品は超がつくほどのレア物。王族や貴族でさえ、なかなか手に入れることができないと言われるほどの一品だ。

「そんな貴重なものを捨てるな!」

 ジャックはどたばたと部屋を出て行った。階段を駆け下りる音がする。

 シイは窓の外を見下ろした。ジャックが血相を変えて、ドラゴンの角の首飾りを探している。

「いいわぁ」

 シイはにんまりとした表情を浮かべた。ドラゴンの角は売れば金になる。ジャックの目は金が欲しいと語っていた。

「金に目の色を変えて地べたを這いずり回る。なんて浅ましい男! 私の目に狂いはなかった!」

 シイはくるくると踊り始めた。鼻歌まで歌っている。彼女はご機嫌だった。

「他に金目のものは?」

 ドラゴンの角を見つけたジャックが大声で叫んでいる。シイは窓の外に顔を出して、「あるわよ」と声を出さずに呟いた。




「チョ・ウテンを倒して欲しいの」

 部屋に戻ってきたジャックが椅子に座ったのを見計らい、シイはゆっくりと口を開いた。

 チョ・ウテン、それは世界最強と称される人物の名だった。ジャックも噂を耳にしたことがある。いわくドラゴンを何体も倒したと。

「彼を倒してくれたら『ウロンコダッガイヤ』をあげるわ」

 ウロンコダッガイヤとはフンを宝石に加工したもので、見た目が汚く、臭いもキツいことから人気はない。しかし一部のマニアからは絶大な人気を誇っている。

 汚いものが大好きなシイは世界有数のウロンコダッガイヤー(ウロンコダッガイヤーのコレクターのこと)だ。

 彼女は今、ウロンコダッガイヤの中でも『淑女の嗜み』と呼ばれるものを手にしている。『淑女の嗜み』は生涯一度も排便をしなかった女性の体から取り出されたフンを加工したもの。その女性は偶像崇拝の対象で、信者の期待を裏切らないために排便を我慢した結果、十八歳という若さでこの世を去った。こうした誕生背景からウロンコダッガイヤーの間でも人気が高い。

「いらん」

「そう?」

 シイは内心残念に思った。彼女の趣味は他人には理解されにくいもの。城に住んでいる人で、ウロンコダッガイヤ集めに共感する者はいない。

 シイはウロンコダッガイヤー仲間が欲しかった。そのために『淑女の嗜み』をエサにしたのにと、シイはため息をつく。

 シイがそんなことを考えているとは露知らず、ジャックは「なんでチョ・ウテンを倒したい?」と当然の疑問を口にする。シイは夢見る乙女のような表情を見せた。

「チョ・ウテンのフンをウロンコダッガイヤに加工したいから」

 ジャックはぽかんと口を開けた。こいつは何を言っているんだという顔をしている。

「私は唯一無二のウロンコダッガイヤを集めるのが好きなの。チョ・ウテンのウロンコダッガイヤなんてどこにもないでしょ。だから欲しい」

 シイは他の人も持っているウロンコダッガイヤでは満足できなかった。生粋のウロンコダッガイヤーは世界に一つだけのウロンコダッガイヤを欲しがるもの。

 シイのように権力と金を持っているウロンコダッガイヤーは、自らの手でウロンコダッガイヤを生み出すことがしばしあった。こうしたオリジナルウロンコダッガイヤは、ウロンコダッガイヤーの間では一種のステータスにもなっている。

「力を貸して。チョ・ウテンを倒すために」

 シイはかわいらしく小首をかしげた。彼女の親衛隊である兵士なら悩殺されていただろう。そう――兵士なら。

「最強の男を倒すなんて真似できるわけがない」

 ジャックは普通の男ではなかった。絶世の美女であるシイを前にしても心動かないほどに。

「倒してくれたら、お宝をあげようと思ってたのに」

「俺以外ならな。策はある。必ずやチョ・ウテンを倒してみせよう」

 ジャックは態度を一変させた。その目は輝いている。お宝に釣られたことは明らかだった。

「期待してるわ」

 そんなジャックの分かりやすい変化を、シイは内心せせら笑っていた。




 数日後、シイとジャックは闘技場にいた。円形の舞台の横で、シイは煌びやかな格好をした青年と向き合っている。

「本当に用意してくれたのね、妊婦」

 シイは青年が連れてきた妊婦をまじまじと見つめた。妊婦は居心地悪そうに身を捩っている。

「愛するハニーの頼みならなんだってするさ」

 青年の白い歯がキラーンと光った。

「ありがとう。ザイ王子」

 シイは満面の笑みを見せた。隣国の王子ウ・ザイは鼻血を噴出し、幸せそうな顔で気を失った。

「お前に惚れてるとは。物好きな奴もいたもんだ」

「それってどういう意味?」

 シイは数歩離れたところにいるジャックに視線を向けた。ジャックがゆっくりとした足取りで近寄ってくる。

「中身が残念すぎるってことだ。よりによってウロンコダッガイヤにご執心とは」

「ウロンコダッガイヤをバカにしないで。私にとっては何よりも愛しい宝物なの」

 シイはきっと目を吊り上げ、ジャックを睨みつけた。ジャックはどこ吹く風で、明後日の方向を見ている。

「なんで汚い宝石が好きなんだ?」

「キレイなのは私だけで十分だから」

 間髪入れず返された答えに、ジャックはぽかんと口を開けた。

「正直な話、何を見てもキレイって思わないの。神様って意地悪よね。私を一番美しくするなんて。これじゃ何を見たってキレイに思えない」

 シイは憂えげな表情を見せた。その表情を見たジャックは、「自慢か」と吐き捨てる。

「――だから私は醜いものが、汚いものが好き。キレイは分からないけど、汚いは分かるから」

 シイはにんまりと笑い、ジャックに手を伸ばした。遠慮なく、頬をぺたぺたと触る。

「いいわぁ。心の醜さが顔に出てる」

「お前も性格の悪さが表情に出てるな」

 シイとジャックは互いに睨み合った。両者の間にバチバチと火花が散る。

「あの」

 そよ風のような声が割って入った。シイとジャックは声のほうに目を向ける。

 ザイ王子が連れてきた妊婦が、所在なげに立っていた。ジャックは「忘れてた」と呟き、妊婦に目を向ける。

「私は何のために連れてこられたんでしょう?」

 妊婦の目は不安に揺れていた。彼女は服の裾をぎゅっと掴み、下唇を強く噛んでいる。

「そう不安がることはない。お前は何もしなくていい。ただ突っ立っているだけでいいんだ」

 ジャックは妊婦の肩をぽんぽんと叩いた。妊婦はびくりと肩を揺らし、怯えたような眼差しでジャックの顔を見る。

「そうだ。それでいい。お前は怯えたままでいろ。そのほうが好都合だ」

 ジャックは無感動に呟く。2人のやりとりを眺めていたシイが口を開いた。

「来たみたいよ」

 ジャックは闘技場の入り口に目を向ける。今まさに筋骨隆々の男が、姿を現そうとしているところだった。


「私に挑戦状を送ってきたのは君たちか?」

 筋骨隆々の男は見た目にそぐわぬ、冷静そのものな声を発した。額の鉢巻には、"世界最強の男"という文字が躍っている。

「あなたがチョ・ウテンさん?」

 シイは可愛らしく小首を傾げ、先制攻撃を仕掛けた。彼女の最大の武器は、他を凌駕するほどの美貌。

 チョ・ウテンが世界最強の男なら、シイは世界一の美女だ。彼女は自らの美しさを信じて疑わない。たとえその美貌が自分以外のものを美しいと思えない原因だったとしても。

「あぁ」

 チョ・ウテンはデレデレしなかった。ジャックに続いて、チョ・ウテンまでも虜にできないなんてと、シイは打ちひしがれる。

「あ!」

 ふとシイは気づいた。気づいてしまった。チョ・ウテンがデレデレしないわけに。

「あなた、ブス専ね」

 彼女は世界一美しい自分にときめかないのは、美醜の基準が違うブス専だからに違いないと考えたのだ。

「いいわ、あなた、よく分かってる」

 シイは晴れやかな笑顔を浮かべる。ブス専がときめかない私は世界最強から見ても美しいと自信を持ったのだ。

「何を言っているんだ君は?」

 チョ・ウテンはいぶかしげな表情を浮かべた。シイの背後で、妊婦も不思議そうな顔をしている。

「いいのよ隠さなくても。私も醜いものや汚いものが好きだから、その気持ちはよく分かる」

 周囲の戸惑いをよそに、シイはうんうんと1人頷いていた。その横で、ジャックは腹を抱えて笑っている。

「強くてブス専なあなたに。美を極めた私が引導を渡してあげる」

 シイは妖艶な笑みを見せた。彼女の目は期待に満ちている。もうすぐ世界最強の男のウロンコダッガイヤが手に入ると。

「戦うのはお前じゃなくて妊婦だろ」

 ジャックはさらりと言った。青白い顔になった妊婦の口から「嘘でしょ?」という声が漏れ出る。

「私としたことがうっかり」

 シイは舌を出して、ぽんと自分の頭をこづいた。あまりにもわざとらしく、あざとい仕草だった。

「さっ、頑張って」

 シイは妊婦の背を押して、円形状の舞台に上がらせた。

「もしものときはこれを使えば良いから」と、シイは妊婦の手に緑色の丸い玉を握らせる。妊婦はぶんぶんと首を横に振り、ムリだと必死で訴えた。

「立っているだけでいいんだ。簡単だろ」

 ジャックはぴしゃりと言ってのけた。逃げ場はどこにもないと悟った妊婦は、チョ・ウテンに向き合う。妊婦は泣きそうな目をしていた。


「君が相手をするのか?」

 チョ・ウテンは気乗りしないような口ぶりだ。あからさまにがっかりしている。最強を追い求める彼にとって、妊婦を相手取るのは心躍ることではなかった。

「は、はい」

 妊婦の声は若干震えていた。目じりには涙の膜が張っている。

「そうか」

 チョ・ウテンは静かに構えた。その瞬間、妊婦の頭に"死"の文字が浮かび上がる。

「ひっ」

 ひしゃげた声が漏れ出る。だらだらと脂汗が流れ始めた。立っているのがやっとなほど、妊婦の心臓が激しく脈打つ。

「はっ、はっ」

 妊婦は無意識のうちにお腹に手をやっていた。ぽんとお腹を蹴られ、この子だけは守らなきゃという想いが湧き上がってくる。

「はっ、はっ、守るんだ。私がこの子を」

 そこに先ほどまで怯えていた妊婦の姿はない。あったのは我が子を守ろうとする母の姿だった。

「狙い通りね」

 シイは楽しそうに呟く。その隣で、ジャックも満足げに頷いている。

「見てみろ。世界最強の男が固まってる」

 チョ・ウテンは時が止まったかのごとく微動だにしていなかった。


 チョ・ウテンは気づいてしまった。妊婦を攻撃すれば、お腹の中の赤ちゃんが無事では済まないと。気づいてしまったからこそ、彼は動けない。

 チョ・ウテンは今まで強い敵としか戦ってこなかった。強さを求める彼にとっては格上との戦いが生きがいだった。だからこそ彼は弱い相手と戦ったことがない。最強を目指すのに弱者との戦いは必要なかったからだ。

 ――立っているだけでいいんだ。簡単だろ――チョ・ウテンはまさかという思いに駆られ、ジャックを見る。見てしまう。

「攻撃できるわけねえよな。お前は世界最強で、妊婦は……いや赤ん坊は世界で最も無力な生き物なんだから」

 ジャックはそれはもう楽しそうに笑った。その笑顔はこの世の澱みをすべて集約したかのように邪悪なものだった。

「お前、加減できないんだろ」

 ジャックは円形の舞台に上がり、ゆっくりとチョ・ウテンに近づいていく。

「ドラゴンすら倒すお前が攻撃なんかしたら、妊婦とお腹の中の赤ん坊は死ぬだろうな」

 チョ・ウテンは目を逸らす。事実、彼が攻撃したら妊婦と赤ん坊は死ぬだろう。たとえ加減できたとしても無事で済むとは限らない。両者には天と地ほどの実力差があるのだから。

「罪のない赤ん坊を死に追い込んで、お前は耐え切れるか? 何も気にせずにのうのうとこの先も生きていけるか?」

 ジャックの言葉は毒にも似た威力を持っていた。チョ・ウテンの精神は徐々に蝕まれていく。

「お前が世界最強なのは間違いない。だが心はたいしたことないな。こいつのほうがよっぽど強い」

 ジャックは妊婦を指差した。妊婦はお腹に手をやり、気丈にもチョ・ウテンを睨みつけている。

「世間はどう思うかな。世界最強の男がただの妊婦に負けたなんて知ったら」

 チョ・ウテンははっとした。ここで負けたら、今まで築き上げたものが壊れる。それは彼にとって許しがたいものだった。

「世界最強とは呼ばれなくなるだろうな」

 チョ・ウテンにとっては、世界最強であることだけが唯一のアイデンティティだった。崩壊は死を意味する。

 彼は覚悟を決めた。たとえ赤ん坊の命を摘むことになっても戦いに勝ってみせると。

「おおっと、言い忘れるところだった。別に妊婦と赤ん坊を死に追いやってくれてもいいが……」

 ジャックは一度言葉を切り、ふっと口角を上げる。

「世間はどう思うだろうな。世界最強の男が無力な妊婦と赤ん坊を死に追いやったと知ったら」

 チョ・ウテンは止めを刺されたような気がした。

「最低だと非難されるだろう。誰もお前を世界最強とは呼ばない」

 負けるも地獄、勝つも地獄。チョ・ウテンの心は悲鳴を上げた。

「お前は終わりだ。もう何もできない。そこで突っ立っていろ」

 ジャックはチョ・ウテンに背を向け、円形の舞台を降りた。チョ・ウテンは歯を食いしばり、ジャックを睨みつけている。ここまで神経を逆なでされたのは初めてだった。

 チョ・ウテンにはもはや妊婦は見えていない。自らを精神的に追い込んだジャックしか目に入っていなかった。

「――あなたに恨みはありませんが、これもお金のためです。許してください」

 しまったと思った時にはすでに遅く、チョ・ウテンは口に緑色の丸い玉を放り込まれ、そのままゴクリと飲み込んでしまった。

「……っ!」

 チョ・ウテンは声にならない悲鳴を上げた。




 一週間後。ジャックはシイの自室にいた。部屋の主であるシイは、壁際の棚の前で身をかがめている。

「ふふん」

 シイはうっとりとした顔で、棚に飾られた"溶岩のような茶色い宝石"を眺めていた。その宝石はチョ・ウテンのフンで作ったウロンコダッガイヤで、透明の箱に入れられている。

「よくそんな顔してられるな」

 ジャックは椅子にふんぞり返り、偉そうに足を組んでいた。自分の部屋にいるかのようなくつろぎぶりである。

「私しか持ってないもの」

 シイは鼻歌混じりに、木の板に文字を書き始めた。

「俺には分かんねえな。ウロンコダッガイヤの何が良いのか」

 ウロンコダッガイヤーではないジャックからしたら、いくら宝石加工が施されていてもただのフンでしかなかった。

「私はウロンコダッガイヤが生まれるまでのストーリーも好きなの」

 シイはくすくすと上品に笑っている。彼女の脳裏には、フンを大量に漏らすチョ・ウテンの姿が過ぎっていた。あの緑色の丸い玉は、即効性抜群の超強力な下剤だったのだ。

「ウロンコダッガイヤには人生が詰まってる」

 シイが木の板に書いたのは『へし折られた強者のプライド』という言葉。これは彼女が考えたチョ・ウテンのウロンコダッガイヤの名前だった。

「人間の醜さや汚さが垣間見える。だから好き」

 シイにとってウロンコダッガイヤは人そのものだった。ウロンコダッガイヤを見れば、好き嫌いや趣味、人となりなどが分かる。

「人生ね」

 ジャックは『へし折られた強者のプライド』をまじまじと見つめるが、見えてくるものは何もなかった。

「まぁ、いいさ。俺が欲しいのはお宝だからな」

 ジャックの目的はあくまでも金。ウロンコダッガイヤの話などどうでもよかった。

「あげないわよ、お宝」

「は? 約束が違う」

 シイの思わぬ一言に、ジャックは驚きの声を上げた。

「チョ・ウテンを倒したらあげるって話だったでしょ」

「倒しただろ」

 シイはやれやれと首を振った。バカにしたような態度に、ジャックはイラッとする。

「何言ってるの? チョ・ウテンを倒したのは妊婦でしょ」

 ジャックは頭をガツンと殴られたような気がした。確かにと。

「あなたはチョ・ウテンを倒してない。だからお宝はあげない」

 ジャックはなんて汚い女だと内心舌打ちしつつ、約束は約束だと部屋を出て行こうとした。「待って」と、シイが呼び止める。

「あなたのフンもちょうだい」

「断る」

 ジャックはピシャリと跳ね除け、部屋を後にした。




「結局手に入ったのは、ドラゴンの角の首飾りだけか」

 ジャックはドラゴンの角の首飾りを手に、とある店に入った。

「いらっしゃい」

 店主はニッコリと笑った。ジャックはドラゴンの角の首飾りを渡す。

「いくらだ?」

 ジャックからドラゴンの角の首飾りを受け取った店主は、早速鑑定を始めた。

「ふむふむ、これだとこのくらいですかね」

 ジャックはいぶかしげな表情を浮かべた。店主が提示した鑑定額はたった十カネメーダー(お金の単位のこと)だったのだ。これではパン一つ買っただけで無くなってしまう。

「ドラゴンの角の首飾りが、こんなに安いはずないだろ」

 店主の返答次第では、ジャックは葬り去ることも辞さない覚悟だった。その覚悟を見て取ったのか、店主は冷や汗を浮かべつつ、衝撃的な事実を口にする。

「これドラゴンの角の首飾りじゃないですよ」

 と。

 ジャックはぽかんと口を開け、次第に笑い始める。それはもう楽しそうに。

 ドン引きする店主を尻目にジャックは金を受け取り、足取り軽く立ち去った。




「ハニー、僕と結婚してほしい」

「俺と結婚してくれ」

「私のほうがあなたを幸せにできます」

「俺様と結婚しな」

 城の庭にて、シイはザイ王子と三人の兵士から結婚を申し込まれていた。

「ハニーが望むなら、ドラゴンをペットにだってしてみせるよ」

 ザイ王子は、ドラゴンの鱗で作ったドレスを手にしている。彼はシイに夢中になってからというもの、ドラゴンの素材で作られたものばかりプレゼントしていた。自らの力を誇示するために。

「悪いけど、私好きな人いるから」

 シイはばっさりとザイ王子らを切り捨てた。ザイ王子らはショックを受け、座り込んでしまう。

「――それは残念」

 突然、ジャックが大きな袋を引きずりながら現れた。その瞬間、庭一帯に異臭が漂う。ザイ王子らは鼻を抑え、庭を転がり回る。

「それは何?」

 シイだけは興味深そうに顔を輝かせている。ジャックは袋の中身を見せた。

「これって……」

 袋に入っていたのは巨大なフンだった。鼻を劈くような臭いが、シイに襲い掛かる。

「あん、ステキ」

 シイは嫌がるどころかうっとりとしていた。袋に鼻を近づけ、くんくんと臭いを嗅いでいる。

「何のフンなの?」

「ドラゴン」

 シイはぴしりと固まった。ぎぎぎと首を動かし、ジャックの顔をまじまじと見つめている。

「今ドラゴンって言った?」

「言った」

 シイの表情がきらりと輝いた。喜色満面の笑みを浮かべ、ぎゅっとジャックに抱きつく。

「嬉しい」

 ザイ王子らは鬼のような形相で、ジャックを睨みつけている。ジャックは気にした様子もなく、シイの耳元で「タダで上げるとは言ってない」と囁いた。

「望みは何?」

 シイも囁き声で返す。ジャックは居住まいを正し、ふっと一息つく。どこか緊張している様子に、シイは目を瞬かせた。

「一つ言っておくが、俺はお前の美貌をなんとも思っちゃいない。まぁ、まったく何も思わないってわけじゃないが。そこで睨みつけてる奴らほどの強い感情は抱いてない」

 ジャックは明らかにおかしかった。声が変に上擦っている。

「だがお前の心には興味がある。惹かれてると言っても良い」

 シイは胸がドキリと高鳴るのを感じた。心に興味があると言われたのは初めてだった。みんな容姿ばかりだった。

「どうしてだろうな。ウロンコダッガイヤが好きな変な女なのに。俺に偽の首飾りを掴ませた卑怯な女なのに」

 ジャックはふとシイの手を握った。彼の熱が移動したように感じられ、シイの頬は赤くなる。

「俺はお前が欲しい。キレイなお前ではなく、醜いお前を手に入れたい」

 シイの頬は緩んでいた。彼女は自分が世界で一番キレイだと知っている。反対に心は醜いことも理解していた。

 シイはキレイなものに近寄れない。――自分の醜さが際立つから。

 汚いものや醜いものの側にいると安心できる。――自分はまだマシだと思えるから。

「どんな私でも受け入れてくれる?」

「あぁ」

 ジャックは力強く頷いた。彼ならきっとキレイじゃない私も愛してくれると、シイは確信した。

「俺と結婚しろ。そうすればドラゴンのフンはお前のものだ」

 ジャックの望みは、シイの目から見ればウロンコダッガイヤに匹敵するほどの輝きを誇っていた。

「はい」

 シイは何の含みもない笑顔を見せる。その笑顔に引き寄せられたようにジャックは顔を近づけた。


 シイの唇を堪能しつつ、ジャックは心の中でニヤリと笑う。――これでお宝は俺のものだ。






「ところでどうやってドラゴンのフン、手に入れたの?」

「チョ・ウテンのメシに下剤仕込んで、解毒剤欲しいならドラゴンのフンを取って来いって脅した」

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