「炎の着ぐるみ」
「」が炎を身にまとい踊る熊の着ぐるみを見たのはあれが最初で最後の夏だった。
俺の家は都内から少し離れた副都心部に位置している。近くにはショッピングモールが出来て付近には新しいモデルハウスが立ち並んでいる。しかし、モデルハウスからほんの1キロも歩くとすぐに築数十年の古い家や今では珍しい長屋のような家が立ち並んでいる。その中でも一番古いアパートに俺は住んでいる。朝に黒い柴犬の鳴き声が聞こえ始めると近所の小学生が登校し始める時間だ。その犬の鳴き声を聞きながら、サンダルに足を通して玄関のドアを開けて煙草を吸うのが日課になっている。煙草を吸いながらその日暮らしのバイトの時間を確認したり求人情報誌に何となく目を通している。小学生が犬にちょっかいを出しながら通学していく。「君たちはこんな大人にはなるなよ」なんて話しかけようかとの思ったが、もし話しかけたら今の世の中不審者扱いされ、警察に捕まるだろう。
煙草の灰が夏の暑さを反射させるようにじりじりと燃え上がるコンクリートに落ちた。
そろそろバイトの準備をしないとな。夏の暑さと犬の鳴き声とセミの合唱が俺の耳には不快でしかなかった。
「ええっと、坂上君だね。今日から短期のアルバイトだげどよろしくね」
遊園地の園長に事務所で簡単な面談をされた。今回のバイトは遊園地の着ぐるみショウだ。着ぐるみを着て立つステージに案内された。その後に、他のバイトメンバーと軽く自己紹介を行った。
「初めまして、私はシャオ。今回のステージでは主役の白いうさぎの着ぐるみを着ます。よろしくアル」
「こんにちは、僕はヘイ。僕は豚の着ぐるみを着てステージに立ちます」
「よろしく、俺は芝田。パンダの着ぐるみを着る。そして、お前の教育係兼社員だ」
若い男女は大学生の短期バイトだろう。こうして忙しい時ヘルプとしてショウに出ているらしいのでアルバイト歴は長いらしい。俺よりも年上の細身の男性社員が握手を求めてきた。
「よろしく」
俺は差し出された手を握り返した。芝田に案内され奥の倉庫に向かった、やけに埃くさいその倉庫の一番奥に熊の着ぐるみがあった。熊の着ぐるみはほかの着ぐるみと同じようにジーンズ姿に茶色い熊だった。その後、一週間の練習は、俺にとってはつらくも楽しいものとなった。連日の暑さで着ぐるみの中は人間の体温以上の温度になっていて屋外では30分も入っていられない。しかし、その30分のあとに少し休憩を挟むためヘイやシャオ、芝田さんと話す時間が多かった。どうやら、ヘイとシャオは中国からの留学生で学費を稼ぐためにこのバイトを2年間続けているそうだ。国の話や食文化の違いが俺には新鮮だったし、芝田さんは俺と同じでいろいろな職を転々とした後この遊園地にたどり着いたらしい。
一週間後。いよいよ、本番が迫ってきた。観客席には、夏休みということもあり大勢の
子供たちが座り目を輝かせていた。軽快な音楽が会場全体に流れるとシャオが中に入ったうさぎの着ぐるみを先頭にうさぎ、豚、パンダ、熊とステージに上がっていった。子供たちの歓声が着ぐるみの中にまで聞こえてきた。ステージを終えると夕日が傾いた時間だったが、俺は、着ぐるみを少し借りてダンスの練習をした。ダンスで一部曖昧なところがあったから少しだけ確認したかったのだ。軽いステップをしながら俺はさっきのステージの光景と最近の思い出を思い浮かべていた。夏の暑い日に小学生を玄関から見送りながら、同じ時間にバイトに出勤しバイト先には気の合うバイト仲間がいる。賃金はそこそこだがステージに立つと子供たちの笑顔が俺を迎えてくれる。ステージが終わると笑い声と拍手でむかえ見送ってくれる子供たち、悪くないと思っていた。夏の間だげの短期というのが少し残念に思ってしまう。そうだ芝田さんに期間の延長を頼んでみようかと思いながら重い着ぐるみを動かしていた。その時、熊の着ぐるみの足元から火が上がった。
「」が炎を身にまとい踊る熊の着ぐるみを見たのはあれが最初で最後だった。きっと最後に揺らめく炎の中で彼は先ほどのステージの余韻に浸りながら子供たちのあの着ぐるみに向かう笑顔や純粋な瞳を思い出しながら踊っているに違いない。それこそ人生の晴れ舞台だ。
さて 次はだれにしようか。
一読ありがとうございます。読者さんに問います「」の犯人は誰でしょうか。