地図がない場所、地図が読めないものたち
部屋に一人になった。落ち着かない。私はそうとしか思えなかった。ミライが何かを残してくれたのではと思って部屋を探したけれど何も残っていなかった。
ミライはどうしたのだろう。学園に聞いても転校したとしか言われないだろうって那珂川さんに言われた。
寮に帰ってきて部屋に居ても気持ちが落ちるので下に降りることにした。談話室がある。降りるとそこにサイドテールに黄色いリボンの女の子が一人本を読みながらコーヒーを飲んでいた。
確か宝石みたいな名前の子だ。何だったか覚えていない。
「え~と、確かトパーズさんでしたっけ?」
そう言うと大きな目をこっちに向けてこう言ってきた。
「サファイアよ。間違えないで。って、多分それ一樹のせいだよな。今日は一樹たちと一緒じゃないの?」
「うん、何か3人で話したいってことで部活棟にいるみたい。私方向音痴だから一人で部活棟にいけなくて」
そう言うとびっくりした顔をされた。サファイアが言う。
「え?歩いて行ったらいけるでしょう。もうちょっとしたらこの本読み終るから一緒に行く?」
「いいんですか?」
なぜかこのサファイアって人に敬語になってしまう。雰囲気がちょっと違うのだ。なんていっていいのかわからないけれど、実年齢より上に見えてしまう。
「いいよ。図書館にも行きたいから。ここの図書館は蔵書がすごいんだ。みんなこの世界で何が起きているかしらないというけれど1週間おきに新聞は追加されている。
だからその新聞を読むことで、世間で起きている事件やニュースを知ることだってできる。勉強も大事だが、知識はそれ以上に大事だ。
過去起きた歴史を学んだって今の世の中で何が起きているのかを知らなければただのバカだ。世間知らずと言われるだけ」
そう言って本を読みだした。私はコーヒーを飲みながら少し考え事をしていた。この学園の事、私のこと、あのノートの事。記憶のない私の事。
私は一体何者なのだろう。なぜ記憶がないのだろう。わからない。事故についても言われても何も思い出せなかった。いや、この学園に来てからも何度か記憶が飛んでいる。私はその間何をしていたのだろう。誰にも違和感なく受け入れられている。わからないことだらけだ。
「おまたせ。では行きますか」
読み終ったのか本をパタンととじてサファイアがそう言ってきた。
外に出ると風が冷たい。でも徐々に慣れてきた。私は購買でパーカーを購入して、セーラー服の下に着ている。ミライがそうしていたように私もそうしてみた。鏡を見ると少しだけミライを思い出す。忘れないでいたい。そういう思いがあるから着てみたのだ。
歩きながらサファイアがこう聞いてきた。
「ねえ、宗像さんはどうして一樹たちと仲良くしているの?」
そう言われて理由がわかなかった。黙っていたらサファイアがこう続けてきた。
「あの連中は未だに伊央星羅を引きずっている。前に進めていない。前に進めていないということは生産性がない。一樹は約束をしていた木の下に行きたがる。那珂川は変わらないようにふるまっている。トモはピアノを弾くことで逃げている。限られた時間を私たちは生きている。その時間をどう過ごすか自由だが、付き合う相手は選んだ方がいい」
そう言われたが、振り返ると私の今の状況に選択肢があったともあまり思えない。私はずっと疑問だったことをサファイアに聞いてみようと思った。それは、話していて理知的な答えが返ってくると思ったからだ。
「ねえ、聞きたいことがあるの。私は知らないけれど伊央星羅ってどんな人だったの?」
名前しか知らない。ひょっとしたらあのノートに書かれていたことは伊央星羅が書いたものかもしれない。でも、私は知らないのだ。私を巻き込んでいる伊央星羅について何も。サファイアがこう話してくれた。
「そうね。一言でいうと理事長のお気に入りだった子ね。この学園は閉鎖的。その閉鎖的な空間に風穴を開けられるのではと皆が期待した子。
あの理事長相手にも一歩も引かず意見を言える強い子だった。でも、個人的に私は伊央星羅を好きになれなかった」
そう言っているサファイアの表情はなんだかものすごく冷たく見えた。それは凍てつく風のせいではないと思った。
「どうして好きになれなかったの?」
「伊央星羅は私たちを見ていない。あの子が見ている世界はこの学園なんかじゃなかった。もっと別の何かを見ていた。手が届かないものを諦める。そんな人ばかり。あの一樹も那珂川もそう。トモは違う。あれも別。そして、伊央星羅も別」
トモの醸し出す雰囲気は確かに少し違う。なんといえばいいのかわからないけれど優しい風が吹いているのだ。いや、明らかにトモと私たちの世界には大きな線が引かれているみたいなのだ。飛び越えられない溝みたいな何かを。
「那珂川さんもそうなの?しっかりしているように見えるけれど」
私は那珂川さんもよくわからない。優等生のように見える。サファイアが言う。
「那珂川も伊央星羅が好きだった。伊央星羅を真似しているだけだ。だが、本質は違う。那珂川は弱い。いつか壊れる日が来るだろう。それが今なのかどれくらい先なのかわからないけれど。少なくとも私にはそう見える」
気が付いたら校舎に入り、風がない分寒くなくなった。だが、人気のない校舎は寒く感じる。
リノリウムの床が余計に冷たさを感じさせる。薄暗い廊下。前はたどり着けなかった部活棟が今日はすんなり近づいてくる。
無言がつらかったから私はあの時、あのゲームの時に言っていたことを聞いた。
「ねえ、サファイアさん。失くした宝物って何なの?」
ずっと気になっていた。あれだけ真剣だったのだ。サファイアが言う。
「バレッタよ。あれだけは私が親からもらった唯一の物なの。値段じゃないの。私の家は複雑だから。もう何かをもらえるなんてことはないの。だから唯一私と親をつなぐものなの」
なんて言っていいのかわからなかった。私には私が何者かを示すものすらない。ただ、わかっているのは事故に合って、入院し、住んでいた家から長期間いなくなったにもかかわらず心配する親族が誰もいないということだけだ。
かすかにピアノの音が聞こえてくる。低音が響いている。心臓が止まりそうになった。不吉な感じがする。でも曲はわからない。
「ショパンの革命のエチュードね」
そう言われても私にはわからなかった。
「この階段をあがって3階にみんないると思うわ。図書館はこの奥。じゃあ、また寮でね」
私はサファイアと別れて階段を上がった。
階段を上がっていくとピアノの音がどんどん大きくなっていく。私は3階までいき廊下を歩いていた。扉を開けようとしたら声が聞こえた。聞き耳を立てるつもりはなかったのだけれど、つい声が聞こえてしまった。
「宗像さんって・・・」
そう、女性の声でそう私の苗字を言っているのが聞こえたからだ。
「ああ、なんかあいつまだ隠してそうだよな」
男性の声がする。ドキドキしてしまう。私はしゃがみこんで耳を近づける。いつの間にかピアノの音もしなくなっていた。
「那珂川さんは調べたんじゃないの?」
優しい声、男性の声だ。女性が話す。
「調べたわよ。データベースを調べたけれどあの子のプロフィールは何も記載されていなかった。生年月日も何も。だから記憶がないというのはウソではないと思うの」
私はあれだけ決意して言ったことを疑われていたことにびっくりした。男性が言う。
「全部ブランクってあいつだけだったのかよ」
「ええ、そうよ。他は埋まっている。ここで名乗っている名前と違うこともわかっている。個人が隠していることはね。でも不思議なのは誰が宗像さんをこの学園に送り込んだかも不明なの。そこもブランクだったから」
「事故をもみけしたかったんだろう。どこから漏れるかわからないからな」
男性が言う。その通りだ。私の事故は闇に消さないといけない。
「戸籍上はどうだったんだ?住民票は?」
「ちゃんとあった。『宗像いお』という名前で。おそらくこれも作られたものだと思う」
そうだ。私は存在しない。それも知っている。作られたもの。元々の私はどこで何をしているのかもわからない。男性が言う。
「という事は、あいつが言ったことは事実なんだろう。ついてないな。そんな変なのに事故に合うなんて」
「いや、もっと中途半端な相手だったら助けてももらえなかっただろうね。だとしたら運が良かったのかもしれないよ。まあ、これだけいなくなって騒ぎになっていないことから考えると宗像さんにとってもよかったのだろうね」
優しい男性の声がする。私は知りたいと思いながら、知りたくもないとも思ってる。でも、このままでいられるわけはない。この学園にだってずっといられるわけはないのだから。
私はいつ中に入ろう。私の話題から外れた時がいいだろう。私はそう思っていた。男性が言う。
「あの探偵。あいつは信用できそうなのか?」
「わからない。でも、間違ったことは言っていないと思う。信じられるかどうかはわからないけれど。でも、私は信じたいわ」
私は今だと思って立ち上がり扉を開けた。3人とも私を見る。
「お、たどり着けるじゃないか」
一樹にそう言われた。まあ、一人だと絶対にたどり着けなかったと思う。
「うん、サファイアさんにこの下まで連れてきてもらったの」
「ああ、トパーズね。また図書館にでも行っていたんだろう。で、何しに来たんだ?」
明らかに歓迎していないのがわかる。
「ピアノ。聞いてみたくて」
私がそう言うとピアノの前に座っていたトモが笑ってくれた。
「じゃあ、何か明るい感じの曲でも弾くよ」
そう言ってものすごい早い曲を弾きだした。那珂川さんが言う。
「ショパンの子犬のワルツね。よくそんなに指が動くよね」
しばらく曲を聞き入っていた。弾いているトモは予想以上にかっこよかった。引き込まれていく。演奏が終わったのかトモが私を見てくれた。気が付いたら拍手をしていた。
「音楽ってすごいね。なんか感動した」
「ありがとう」
そう言ったら私の後ろで拍手をする音が聞こえる。振り返るとそこに黒髪のおかっぱの少女がいた。探偵だ。
「音楽はいい。それは僕も同感だよ。さあ、そろそろ受けた依頼を遂行でもしようじゃないか。それとも解決はもういらないのかい。まあ、ちょうどこの場所でもあのからくりくらいは説明できるよ。君たちは本当にその場に居ながら何一つきちんと見てきていないのだからね」
探偵は相変わらずだ。一樹が怒りながらこう言った。
「ならあの事件の犯人を知っているやつ。あれが誰かを教えてくれ」
一樹がそう言った理由がわかった。あのゲームでの出来事だ。探偵は笑ってこう言ってきた。
「犯人を知っているだって。あの事件に犯人なんていやしないよ。もし、居るとしたらここにいる君たちだろうね。その本質を見抜けているものが一人くらいいたっておかしいことだとも思わない。
まあ、その一人は何か探し物をしているみたいだからその探し物でもあげればいいさ。でも、そこで知れることは多分『絶望』以外の何物でもないと思うがね。ところでこの僕がここにいてあげているんだ。そんなことが知りたいことなのかね?」
探偵は笑っている。白い顔に黒い髪、赤い唇が目に付く。笑っているのに目が笑っていない。まるで作り物のように見える。トモが言う。
「なら、あの密室はどう説明するつもりなのかな。まさか、あの時消火活動に入った消防隊員に紛れて外に出たとでも言うのかな?」
トモの話しを聞いて、そういうトリックの小説を読んだことがあるような気がした。私はいつそんな本を読んだと言うのだろう。わからない。でも、どこかに記憶があるのだ。探偵が言う。
「面白いね。でも、消防隊員の服を用意する時間はなかったはずだ。あれを密室だと思っていることがそもそも間違いなのだよ。簡単なことさ。この学園はどうして校舎の見取り図がないのだと思う。迷子者を出して楽しみたいからだと思ってでもいたのかい。気になるなら窓を開けてそこから校舎を見るがいいさ。そこにあるもの見ればわかるだろう」
そう言われて、全員が窓をあけて見た。3階から見える景色は遠くに校舎が見える。乱雑に建てられた校舎は何の形をしているのかもわからない。一樹が言う。
「一体何を見ろと言うんだ。こんな景色毎日見ているわ」
だが、トモは違った。見ている場所が違う。窓からかなり体を乗り出している。
「危ないわよ」
那珂川さんが言う。だが、那珂川さんもトモを制止した後同じように体を乗り出している。次にトモは教室から出て廊下に出る。そして戻ってきた。同じ動きを那珂川さんもする。那珂川さんが言う。
「一体どういう事なの?」
何に那珂川さんは気が付いたのだろう。トモが言う。
「探偵。君はこれにいつから気が付いていたのか教えてくれないか?」
探偵が言う。
「いつということはこの場合意味をなさないだろう。君たちがしたいことは僕と語らうことじゃないんじゃないのかな?今するべきこと、確認すべき事はそんなことじゃないだろうね。それとも、まだ無意味に無駄にここで時間を消費したいのかい?そんなおかしいことを言わないでくれ給え」
そう言って探偵は手を振りながら消えて行った。那珂川さん言う。
「行きましょう。旧文化棟へ」
そう言ってトモも立ち上がる。一樹がこう言う。
「おいおい、説明してくれよ。一体どういうことなんだ」
私もわからない。トモが言う。
「窓から顔を出して左側を見て」
そう言われて私は顔を出した。壁がある。窓がある。そして、その向こうに違う校舎が立っている。変な構図だ。だが、しばらくして一樹が立ち上がり廊下に出る。そしてまた窓から乗り出して壁を見ている。
「どういうことだ」
そう言って一樹は壁をたたき出した。
「行くよ」
那珂川さんが言う。私はまだわからない。するとトモがやってきてこう言ってきた。
「教室の端はどのあたりだと思う?」
そう言われて思った。私は教室の後ろの端にある窓から壁を見る。だが、校舎の切れ目はもう少しだけ
先だ。廊下にでるとでも、壁はすぐ近くにある。
「どういうこと?」
トモが言う。
「つまり、この校舎には変なスペースがあるんだ。それはこの校舎だけじゃないかもしれない。探偵はそれを伝えたかったんだよ。だから今の私たちがすることはただ一つ」
「旧文化棟の4階を調べること」
それだけだ。




