緋色の将軍カルレイン2<上>②
メルリアは懸命に足を動かす。
既に遅刻なのは判っているが、だからと言って止まることは出来ない。
「お嬢様、やはり私が」
「駄目よ、セバス。貴方、やっと腰が良くなった、ばかりじゃない」
「しかし、お嬢様も限界では……」
「気に、しないで。お兄様達に、鍛えて貰って、からは、頑丈にな、たのよ?」
家令のセバスが言う通り、メルリアの足は限界に来ていた。でも、辛いが気丈に振る舞ってみせる。
少しでも気を抜いたら最後、歩けなくなりそうだから。
「大丈夫ですか……?」
闘技場の入り口まで案内してくれた騎士が声を掛けてくれた。
心配そうな声からは、こちらに向けた労わりが伝わってくる。
「は、い。あの、先に行、て陛下に……≪蒼将軍≫が来た、と伝えて、いた、だ、けます、か?」
この騎士には先に事情を説明してあった。
なので、一足先に陛下の所へ向かってもらった方が効率が良い。
「……わかりました。では先に行って陛下に伝えた後、引き返してきます」
騎士はメルリアがギリギリのところで踏ん張っているのに気付いているのだろう。
これ以上は無理だと判断した彼は、暗に『ここで待ってて下さい』と言っていた。
メルリアは返事を待たずに足早に去っていく彼を見送る。
(でも、ここまで来たんだから、必ず運び切ってみせる!)
決意を新たに足を前へと出す。
「セバ、ス、行きま、すよ」
「お嬢様!」
「絶対に、あき、ら、めない、んだから!」
メルリアは進む。
背にある『荷物』を戦場へ届ける為に。
◆◇◆
ーー事の発端は、兄がアレを食べたことだった。
「馬鹿者!何故アレを食べた!?」
「お前は馬鹿か」
「アレク兄さん酷い……」
「ケルン兄様、お加減の方は」
「大丈夫だよリーア。僕は殺されたって死なない男さ」
「減らず口は健在か。なら大丈夫だ。父上、放って置きましょう」
「本当に酷いよアレク兄さん……」
寝台に横になるケルンを囲みながら、長兄のアレクと妹のメルリアと父グレイグは眉間に皺を寄せていた。
(兄様の倒れる姿があんなに心臓に悪いなんて……)
メルリアは顔を蒼白にしてケルンを覗き込む。
「ケルン兄様……」
「リーアごめんね」
アレクが言った通り喋れているので一先ずは安心する。
「どうなることかと思ったぞ……」
「ごめん父さん」
「謝れ愚弟」
「誠に申し訳ありませんでした」
(うん、いつもの兄様だ)
なら問題ないだろうと、メルリアはホッと息を吐いた。
次兄のケルンが体調不良で昏倒したのは夕食前。
帰宅する父を出迎えようと玄関先で待っていたメルリアの前で急に倒れたのだ。しかも間が悪く、妻と娘と息子二人に会うのを楽しみに帰って来た父親の前で。
グレイグの血相を変えた顔などメルリアは今まで見たことが無く、倒れた訳を聞いてますます顔色を悪くした彼の動揺っぷりは凄かった。
「僕だって食べない道を模索したさ。でも父さんには外せない視察が入ってるし、兄さんも王子の護衛任務が朝早くからあるし、残りの僕が食べるしかないじゃん」
「だとしても、無茶と無謀は違うな」
「その通りだ」
ケルンは口を尖らせ、アレクは呆れ、グレイグは長兄に同意している。
しかし。
(ちょっと待って)
何故、自分は数えられていないのか。
「あの、私もいますよ?」
「僕の可愛いリーアにアレは絶対食べさせない」
「食うな。死にたいのか?」
「食べんでいい」
控えめに訴えてみたメルリアだったが答えは惨敗に終わる。
(可笑しい!だってアレ、お菓子なのに!!)
アレ、と言っているモノの正体は『母が作ったお菓子』なのだ。
なのに、父も長兄も次兄も家令も侍女も母特製のお菓子だけはメルリアに食べさせない。
大丈夫だと言っても「お嬢様が食べたら間違いなくあの世行きだから」と言われてしまう。
(いつか絶対食べてみせる……!)
メルリアは子どもの頃から幾度となく挑戦して失敗していることを再び決意した。
一方、妹が闘志を燃やしていることなどつゆ知らずアレクはケルンに休暇を進めていた。
「軍を休め。そんな状態では部下にも迷惑が掛かるだろ」
「無理」
「一日ぐらいゆっくり家で休め」
「どうしても無理なんだ」
何を馬鹿なことを、とその場に居た全員が思った。
だが、メルリアは兄の言い方に引っかりを覚える。
(駄目、じゃなくて、無理)
もしかして、次兄にも外せない仕事があるのではないだろうか。違っているならいいが、もしそうなら休み辛いだろう。
「ケルン兄様、明日何か城に用事でもあるの?」
「……」
「兄様?」
「……明日ね」
「はい」
「軍部でさ」
「はい」
「『序列争奪戦』があるんだ」
「ジョレツソウダツセン?」
何かの菓子だろうか。
記憶を探ってみるが該当する名前は無い。
「「…………」」
「……?アレク兄様?お父様?」
「軍の行事か」
「確かに無理だろうな」
グレイグとアレクが深い溜め息を吐く。
事態が飲み込めないメルリアは首を傾げる。
「メルリア」
「はい」
「明日、ケルンに付き添って軍部に併設されている闘技場まで行きなさい」
「え、でも」
「緊急事態だ。俺が手の空いてる近衛に道案内を頼んでおく」
メルリアを置いてけぼりに、グレイグとアレクは突然の任務を彼女に言い渡した。
雰囲気からしてメルリアに拒否権はない。
「わかりました」
「あと、付き添う時は動き易い服装にしなさい」
「どうしてですか?」
「ケルンが明日、丸一日使いものにならないからだ」
さも当然の様にアレクは言った。
この時のメルリアには、まだその意味を理解することが出来なかった。
翌日、朝からケルンが動けなくなっていたのを目撃するまでは。
◆◇◆
「お嬢様!もうすぐ着きます!!」
「そ、う」
入り口から観客席までは思ったよりも距離が無かったらしい。
(やっと、降ろせる)
メルリアは感動で涙が出そうなのを必死に堪えた。
(重かった……)
とても重かった。
しかし、『荷物』を運ぶことでメルリアは知ったことや判ったことがたくさんあった。働きに見合う報酬ではないが、収穫はあったのだから『荷物』に文句はあまり言わないでおこう。
「も、うひ、と……ふ、ばり!」
メルリアは気合いを入れ直す。
(そうだ、カルレイン様)
彼も出るのだろうか。
いや、出るだろう。だって彼は将軍なのだから。
(会える、かな?)
兄に、カルレインに会えるのが一番の報酬だと言ったらどんな反応をされるだろう?
考えて、少し笑う。
食って掛かる兄を上手く躱しながら宥めるカルレインが容易に想像出来たからだ。
「お嬢様、着きました……!」
セバスが涙目でこちらを見ているが、最早言葉を返すだけの力は無い。
だから足を止め、息を吸い込む。
この場所からだと遠くにいる者ーー国王には届かないかもしれない。
だが、躊躇わずに叫ぶ。
『荷物』と化している次兄の為に。