2. 死にかけなう。
†
「こ、こ、こ、」
「コケコッコー? 鶏のマネかい?」
「違う! 俺が言いたいのはそうじゃない!」
「じゃあなんだい、篠原援くん」
「ここはどこ!? 私は俺! アンタ誰ぇ!?」
タスクは大声で叫んだ。
「おかしいおかしい、イヤおかしいでしょコレ。死にましたね死にましたよね俺死にましたよね確実に死にましたよね? トラックにポーン撥ねられてぐっしゃあなりましたよね!?」
「うん、なった。全体的にトマトケチャップまみれ的になってた。赤かったよ」
「じゃあ俺、なんでフツーに生きてるんですか!? 傷がどこにもないし痛くも無いよ! ほら、足がある! 幽霊違うよ幽霊ちが……――いや、俺はもうちょっと脚が長かったはずだが」
「さらりと自分の願望を紛れ込ませたね。君のその身体は、俺が、仮初の姿を与えてるからだ。脚の長さも身長体重スリーサイズ、全部ミクロン単位で揃えてるよ。……っていうか、キミ、死んだ実感はあるのかい?」
問われて、タスクはきょとんとし――ペタペタと自分の体を弄ってみた。十九年にちょっと足らないが慣れ親しんだ肉体だ。だが、なにかが決定的に違っていた。一度はがしたセロハンテープを貼り直して粘着力が弱まっている。そんな違和感がある。
あの時――タスクは確かに死んだ。
トラックに跳ね飛ばされた衝撃。許容量を超えた痛みはもはや感じなかったが、ゴロゴロとアスファルトの上を転がった感触は不思議と鮮明に覚えている。そのまま体中の力が失われて行って、同時にタスクは自分が何か重たいモノから抜け出したような、そんな気がした。
その『何か重たいモノ』とはつまり、自分の肉体だったわけだが。
そのままタスクの意識は上に昇って行き――そしてすぅーっと薄くなって行って、ハッと気がついた時にはいま、この状況だった。
「……へぇ、きみは自分が死んだ瞬間を自覚しているのか。珍しいな」
「?」
「しかもその肉体に違和感を感じてるね。なるほど、君は元々霊的な直観するどいのかも知れないな。それが死によってより明確に顕在したか?」
「あれ、もしかして……」
(俺、心の中を読まれちゃってね?)
「ぴんぽーん、正解!」
「うっそ、マジで!? じゃあ――」
「……いやいやタスクくん、その歳でオキニのエロ本がそのジャンルって……ちょっとオニーサンどうかと思うよ!?」
「がっでむ! マジだったよ!!」
タスクはベッドの上で悶絶した。
死にたい。超死にたい。死んだんだけど、今すぐ死にたい。
「いやいや、死んでもらっちゃ困る。俺が困るよタスクくん。わざわざ死んだきみを呼び出した意味がなくなる」
そう言われて、初めてタスクは気がついた。
辺りを見回す。
タスクが転がっていたのは、どこにでもありそうな安物のパイプベッドだった。彼――タスクと会話している青年が座っているパソコンラック。フローリングで1Kの、学生向けマンションの一室。そんな感じの部屋だ。
改めて、彼を観察する。
これまた平凡な、大学生風の青年だ。だが、平凡極まりない顔つきであるせいか、なぜか顔の印象が残らない。一瞬目を放しただけで記憶から抜け落ちそうですらある。
だが、これだけははっきりと感じた。
この青年は、ヒトじゃない。タスクと同格の立場などでは決してないと。
「あなたは……何だ? 神様?」
「すごいね。見ただけで、そこまで判るのか。けど残念、俺は神様ではないよ」
ただ少なくとも――本来であればキミが知覚することすらできない上位の存在ではある。
そう、彼は続けた。
聞き取りようによってはタスクのことを虫けら扱いしたようなものだが、タスクは怒りを覚えたりしなかった。青年の言葉に含むものは何もなく、またタスクを見下した様でもなく、ただ単に事実を告げただけなのが分かったし、なにより、直感的にそれを理解していた。
「自覚があるように、君は死んだ。死んで魂だけになって、昇天しようとしているところを俺がね、こうひょいっと金魚掬いみたいに」
「どうせ掬うんだったら、死の運命から救って欲しかったッス……」
「お、上手い事いうね。座布団一枚――持ってって」
「いや持ってくのかよ! 寄こせよ!」
ビシッと突っ込むタスクにハッハッハ、と笑う青年。
「可能かどうかで言えば、君を救うことはできたけどさ。それ、俺たちのルールでやっちゃいけないことなんだよね。あ、死んだ君を連れて来たことについてはちゃんと許可を貰ってる」
「貰ってるって……誰に?」
「キミの世界の、創造主」
笑みを浮かべているのに、目だけがすっと細められて、タスクはそれが、本題に入る合図なのだと気がついた。
「ココは、俺の作業部屋……みたいなところかな。まぁ俺の領域って理解してくれればいい。そのままの姿だと君の魂が、眩しさというか圧力というか、とにかくこの領域と俺の存在力に潰されてしまうからフィルターを掛けてある。学生向けのマンションの部屋のように見えたって言うのは、君の中で知覚しやすいイメージがそれだったってことだ。深い意味はないよ」
「はぁ」
「では、君と俺との関係について説明しよう。これについては漫画のキャラクターと、その作者って言えば分り易いかな」
「俺が作者で、アンタがキャラ?」
「今までの話の流れでどうしてそうなる!? 逆だ逆!」
君が漫画のキャラクター。
俺は別の漫画の作者。
青年はそう言った。
「もっとも、君の世界の創造主を手塚○虫ってすれば、俺はせいぜいデビューしたての新人ってところなんだが」
それでもタスクと青年の間に、文字通り次元の壁が存在することには違いない。
「はぁ、なんともスケールのおっきな話で」
「君たちの世界も、このまま進化をつづけていけばいずれは作者の側に回るさ。大体、俺がいるこの世界にしたってもっと上の創作物さ」
「わかるよーなわからんよーな……」
「まぁいい。今回はここより上は関係ないから。さて、本題だ」
タスクは居住まいを改めた。
青年は一つ頷くと、自分が死んだタスクの魂を拾い上げた理由を語り始めた。
「さっきも言ったとおり、俺は新米創造主でね。タスクくんが居たのとはまた異なる世界を創造し、管理運営するのが俺の仕事なわけなんだが」
「はぁ」
「その俺の世界で深刻なトラブルが発生した。いや、正確に言えばトラブルが起こると予測される」
「へぇ」
「そこでタスクくん、ちょっと生まれ変わってそのトラブル解決してきてくれないだろうか」
「ファ!?」
「一言で言うと、いわゆる異世界転生ってヤツだよ」
「はぁぁぁ!?」
イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤとタスクは手を振った。
「ナイナイ、そりゃないでしょ創造主さん」
「おや、ナイって何が無いのかい?」
「ほら異世界転生って……。や、トラブル解決しろって言われてもさぁ。あれ? っていうか、そもそもまだトラブルは起こって無いんでしょ?」
「そうだよ」
「だったら今のうちに創造主パワーでちょちょいのチョイやでーって感じでその原因片しちゃえばいいじゃないスか」
「それができればきみを呼んだりはしないよ」
「デスヨネー」
青年が言うには、創造主でもやっていいこと悪いこと、色々とルールがあるらしい。
自分が創造した世界に天変地異を起こすことはできるが、その世界に生きる生命を直接害することはあってはならないのだという。また、世界の時間を巻き戻すのも禁じ手だ。
「俺が創った世界は所謂剣と魔法の世界なんだが、そこで予定外の魔王が生まれそうなんだよ。俺の立場としては別に魔族が悪で天使や神が正しいから滅ぼしたいってことはない。どっちも等しく世界を構成する要素でしかないんだが」
予定外っていう部分がマズイ。
新米創造主はそう言った。
「調べてみたところ、俺や君ンとこの創造主とはまた別のヤツが、俺の足引っ張るつもりで細工を仕掛けていやがったんだ。困ったことに気がついた時には、その細工が生命として生まれちゃっててなぁ。その生まれてしまった奴が原因で、さらに魔王が生まれるのよ」
「もし魔王が生まれて、何の対策も取らなかったらどうなるんスか?」
「滅びる」
「げ」
「魔族の勢力が急成長して、手がつけられなくなって、陰陽が一極に偏ってしまって、結果滅びる。俺の世界ではバランスが取れてなきゃダメな設定なんだよ」
滅びるって、人間が滅びるんじゃなくて、世界そのものかよ。
タスクの内心の言葉に、青年が肯定する。
「そう。全ての動植物は死に絶え、風が澱み海が枯れ、大地の熱さえ失われた灰色の荒涼とした世界。それが、今のところ予想される中で最高のパターンだな」
「それで最高って、どんだけだよ……」
タスクはげんなりした。考えうる限り最悪の状況のように思えるが、さらに下があるとは。うん、全く知りたくない。
「そこで俺は考えた。生きている存在に直接干渉することが禁じられているので、仕込まれた細工に手を出せない。だったら、俺も細工を仕込めばいいじゃん、と」
なるほど、とタスクは思った。それが自分の役割か、と。
だが、だとしてもまだ疑問が残る。
「なんで俺なんです? 細工を仕込むにしたって、自分とこの死者を使えば済む話のように思えるんですが?」
生き物を直接どうこうできないから、原因となる存在にも魔王それ自体にも手出しはできないという制約は、わかった。
だがそれだったら、タスクを掬いあげたように、自分ところの世界の死者を掬いあげて、こうして裏話をしてやればよいではないか。
タスクがそう疑問を投げかけると、青年は「もっともな疑問だ」と頷いて答えた。
「さっきも言ったように、俺はまだ新米創造主だ。従って、俺の世界はキミがいた世界より未成熟なんだよ」
「ふむ、それで?」
「世界そのものも勿論だが、人の持っている存在力とか、そういうのもまだ発達しきって無いんだよ。つまり、魂成熟度の高いキミが俺の世界に転生すれば、スッゴイ存在になれる……かも知れない」
「いや、そこは言い切ってよ! 俺が生まれ変わったら凄いことになるって俺に断言してさしあげて! 俺はアレだよ? 褒められて伸びるタイプだぜ!?」
「言い切ってあげたいところだけど、そりゃ君自身の行動によるからさぁ。さっきも言ったように、俺は死んだ奴に細工を施すことができても、生まれてしまった後はノータッチなんだよ」
兎と亀さ、と青年は肩を竦めた。
「タスクくんが俺の世界に転生した場合、生まれ持つ才能は誰よりも高い物となるだろう。だけど、それが芽吹くかどうかは君の行動次第さ。どんな脚の速い兎だって、眠りこけてりゃ亀にも劣るさ」
「なるほど、そりゃごもっとも」
「と、言うわけでだ」
彼は、タスクのことをみてこうのたまった。
「タスクくん。ちょっと異世界転生して、魔王を倒して来てくれやしないかね?」