王家の護衛
太陽が中天に達するより少し前、イーグルは薄い鎧を身に纏い十メルはあろうかという白い塀に囲まれた敷地をゆらりゆらりと覚束ない足取りで歩いていた。
鎧はスザク王国の新人の兵士に支給される物だ。拳銃の前では何の意味もなさない装備、しかしこの猛暑の中では致命の武器と成り得る。
「……暑い……暑い……」
うわ言のように繰り返すイーグルの意識は、半覚醒状態である。狙撃、毒殺、公衆の面前での爆殺、ありとあらゆる敵を殺すため、人体を効率良く損壊させるための技術を叩き込まれたイーグルは、肉弾戦・接近戦・銃撃戦などにおいて負け知らずであった。
しかしそんなイーグルにも欠点と呼べるものが存在した。それは朝に弱いこと、つまり低血圧である。隊舎の同じ部屋の兵士はイーグルを置いて、先に行ってしまった。
「あれから二ヶ月か……。進展なしとは何と報告したものか」
日照りをモロに浴びつつそう呟く。王女暗殺の任を得てから早二ヶ月、田舎出身の下級貴族という身分でスザク王国の兵士となったイーグルではあったが、如何せん王女の姿すら拝めていなかった。
溜め息を吐こうとしたその時、後ろから嘲りの感情を帯びた掛け声が飛んできた。
「なんだ、そこにいんのはイーグルか。ずいぶんと調子が悪そうじゃないか、この軟弱者」
「ああ、そうか。今日は月に一度の闘技会の日だな。またお前のぬるい剣技を期待してるぜ」
嘲笑を含んだその声はネガティブな感情を多分に含んでいた。げんなりとしつつ背後を振り返る。視線の先には予想通りの二人の兵士が立っていた。右側、灰色の髪をオールバックに固めているのがミリアーノ・ミルトという名前で四等爵家の出身。対して左側、緩く波打つ金髪を背中に垂らす男のほうはグラディスカ・ディゾンツォという三等爵家の長子だ。
彼らの顔には一様ににやにやと冷笑が浮かんでいる。如何にも《実力が伴わないのに口だけは達者な貴族のおぼっちゃま》といった風情である。イーグルは六等爵家の長子という身分で通っているので、彼らのほうが身分が高いのだ。
「あ~~、そういえばそうでしたね」
眠気の抜けていない間延びした声で応じる。その態度に二人は顔を歪め、哀れみと蔑みの視線を向けてくる。
「ふん、呑気な奴め。なぜ貴様のような奴が栄光ある王宮の兵士などになれたのやら。鋼鉄の荊は何を考えているのか」
「人選はエルザ様が行っておられる。口を慎みたまえ、ミリアーノ殿。王宮の中であるぞ。見た目は見目麗しいが……鉄仮面に鋼の心、荊のような刺々しさ」
口を慎めと言った割には陰口を叩くグラディスカ。新人とはいえこの国の兵士であり、貴族であるはずだ。にも関わらず王女を侮辱するなどこの二人には王族への忠誠心は皆無なのだろうかとイーグルは内心で呆れた。
――戦姫がいなければこの国はとうにビャッコに食い散らかされていたぞ、スザクの貴族。
戦姫とはその身に守護の霊獣を宿した女性のことである。現在、スザク王国の王女が戦姫となっているが、王族が戦姫になるとは前代未聞であったらしかった。戦姫である以上、例え王族であろうと戦場に赴く機会がある。
南の小国であるスザク王国が今までビャッコ皇国との戦争で敗戦しなかったのは、戦姫の力が大きい。その姿は炎を纏う巨鳥、という話だ。その気になれば島一つを一瞬で焼け野原に変えることができるとまで言われている。
だがしかし、数で圧倒的に勝るビャッコがそれだけで圧倒されてきた訳ではない。この国には最高戦力に次ぐ戦術兵器が存在するのだ。
性根の捻れた二人の貴族の後方を距離を置いて歩き、イーグルは眠気の取れない眼を擦りつつ欠伸を嚙み殺した。
硬い下草が生えた広大な中庭には、既に兵士たちが整列していた。全て新人であり、先輩兵士は自分の持ち場で平時の仕事に従事している。城門の門番、城内の衛兵、上役の護衛など。
その中でも王家の護衛はエリート中のエリートでないとなれない。護衛になれば暗殺がしやすくなると踏んだのが、如何せん未だにイーグルは一介の兵士に過ぎなかった。
最近になって気付いたことだがどうやらこのスザク王国では、剣の技能が兵士の価値を決定するらしい。つまり、銃もナイフの技能もこの国では評価されないということだ。暗殺に特化したイーグルは剣術の心得が壊滅的なまでに欠落していた。
先月の闘技会、トーナメント形式の組手の成績は最下位であった。自分がこれほどまで剣の才能がなかったとは思いもしなかった。そのせいで、先程のように同僚から嘲られる始末である。腹を立てても仕方がないが、やはり面白くない。
暗部ではエースであったイーグルも、ここでは最弱の兵士であった。思わず溜め息を吐きそうになったイーグルの肩を隣の兵士が小突いた。
「おい、お前。なに突っ立ってんだよ」
苛立ちの混じった口調でようやく状況を理解した。周りを見れば全ての兵士が敬礼をしており、皆が一様に表情が硬く強張っている。緊張の滲んだ多くの視線の先には、二人の女性が立っていた。すると右側の女性がずんずんと不機嫌そうにこちらに歩を進めてきた。
「お前、ずいぶんと肝が座っているな。呆れを通り越して感服してしまいそうだ」
イーグルの目の前で仁王立ちになった女性は苛立たしげな声をかけてきた。身長は百七十メルはあるイーグルよりも更に三メルほど高い。武人の
凛々しさと貴族の高貴さが見事にバランスよく入り交じった顔立ちは、眼が覚めるほどに美しかった。眠気も一気に吹き飛ぶほどの美貌だ。結わえた髪は波打ちながら腰近くまで流れ、目が冴えるような鮮やかな赤毛。厳しい視線を送ってくる瞳は紅葉色で、毅然とした光を放っている。
装いは赤い半袖の服にスカートが一体となった形状で、肘の上まである革手袋と膝上までの長靴という格好である。腰には真紅の鞘に収められた剣が一振り、形状は『カタナ』と呼ばれるソウリュウ帝国特有のものだ。
すらりとした身体は長身で均整が取れ、しかしその身体つきに合わないほどの豊満な胸が窮屈そうに服を押し上げている。服を内側から押し上げる二つのふくらみに視線を引き寄せられたイーグルに、眼前の女性はさらにその視線の温度を下げた。
「お、お見苦しいところをお見せしても、申し訳ございません! ――ほら」
隣の兵士が顔を青褪めさせながら謝れと言わんばかりに肘で小突いてきた。つい、胸を凝視してしまったイーグルはハッと気を取り直して頭を上げる。
「申し訳ございません、エルサ様」
謝罪に最適化された言葉は謝意が伝わったと思ったのだが、何故か周囲の兵士たちがざわつき始めた。赤毛の女性は眉間に皺を寄せ、額に青筋を立てている。もしかすればこれは先に王女に謝罪しなければならないのかと思い至ったイーグルは、遅れて歩み寄ってきたもう一人の女性にも頭を下げた。王女は確か金髪であったはずだ。
「失礼致しました、ローズ王女」
「――違う」
赤髪の美人の隣で佇む王女は、抑揚の薄い声で呟くように言った。顔を上げたイーグルの先で端正な顔立ちの王女が非難めいた視線を刺してきた。その視線で脳裏に疑問符を浮かべたイーグルの頭を、隣の兵士が力強く鷲掴みにして勢いよく下ろした。
「真に申し訳ございません! 新人の上に田舎者で礼儀も常識も知らないような奴でして……! お許し下さいロゼ王女、エルザ様!」
ここに至り、ようやくイーグルは理解した。そもそも名前を間違っていたのだと。そう思った瞬間、電撃的に身体を躍動させて地面と同化せん勢いで土下座した。全く淀みのない所作であった。
潜入任務で悪目立ちなど言語道断である。これを期に素性がバレてしまえばもう暗殺どころではなくなる。処刑される可能性すら出てくる。