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第1話 消えぬフィジカルコンプレックス

         1

狭くもなければ広くもない部屋だった。

壁と天井は白いクロス張り。

床はよく掃除の行き届いたフローリング。

そこに椅子と机が六組並んでいて男四人、女二人が全ての席を埋めている。

全員が東洋人の若者だ、二十歳をこえて間もないくらいだろう。

彼らが視線を向ける正面には日本語で何かが書かれたホワイトボード。

そのホワイトボードの前で白髪まじりの男がマーカーを片手に語っている。

白髪まじりの男の顔はシワと言う名の年輪を歳相応に持ち、長くはないが幾分ヒゲをたくわえていた。

眼つきは力強くそれなりに威厳を放っている。

きっと若い頃は本人にそのつもりがなくても周りの誰かに威圧感を与えるような目つきだったであろうそんな印象だ。

この男は体格がガッシリとしていて、二の腕は血色良く太く発達しており、さらに大胸筋の発達もめざましい。

定期的に何らかの方法で身体を鍛えていることがその肉体からは感じられる。

「とっ言うわけだ、何か質問はあるか?」

男の問いかけに対して若者が一人手を挙げた。

「何だ言ってみろ」

「はい、あの~二級住民地区の日本人は血液型で人間の性格を決める習慣があるって本当ですか?」

「本当だ、全員ではないが日本人のある一定のグループは血液型でその人間の性格が決まると本気で信じている。もちろん科学的根拠は何もないが」

「それは例えばどんな風に決めるんです?」

「二級住民地区では血液型占いと言うジャンルの書籍に安定した需要があって、そのてのブックには大概何の根拠も無しにA型は几帳面だとかO型はおっとりしてるとか適当な事が書いてある。それを本気にする人間がいるのさ。それとなぜかB型は大雑把だとか協調性がないとか悪く書かれている場合が多いな」

「マジかよ俺B型だぜ!フハハハハ!」

「ハハハハ!」

「ハハハハ!」

「フフ、静かに。まあ真面目な話をするとな血液型で人間の性格を決めるなんてのは確かにくだらない。だけどなおまえ達は潜入捜査官になるんだ、潜入捜査の重要な要素に敵との信頼関係ってのがある」

「・・・・」

「・・・・」

「敵であっても相手も人間だ。信頼関係を作るにはまず会話しなきゃならない。そうなるといろんな話しのネタが必要になってくる。今話した血液型占いのことも覚えておけば話題として潜入中に何かの役に立つかもしれないぞ、なぜなら俺達潜入捜査官に不要な知識はない、覚えた事全てが武器になる、そこを忘れないでくれ」

「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」

「他に質問は?」

「はい」

「何だ?」

「潜入捜査官の先輩達が使っているカモフラージュ・ゾーンと言う言葉の意味は何ですか?」

「・・たいした意味は無い。潜入捜査官が二級住民地区を呼ぶ時に使う言葉だ、あそこでは潜入捜査官は周りに溶け込むようにしないといけないからな・・まだ少し時間がある、他に質問は?」

「はい」

「何だ?」

「スズキ先生は日本人をどう思いますか?潜入捜査官は場合によっては彼らを死に追いやる事もあります・・何か彼らに対して特別な感情をいだく時ってありました?」

「うーん・・俺は日系人だが特別日本人にシンパシーを感じることはないんだ・・そこは仕事として割り切ってる。自分の仕事でテロを防ぐことで平和に貢献している自負もある」

「・・・・」

「・・・・」

「これは俺からの忠告だが、おまえ達が潜入捜査官として働いていくうえで時には自分の仕事に疑問を持つ時が来るかもしれない・・その時は自分の守るべき日常はどちらかを思い出してほしい。俺達の日常はここなんだ、守るべき日常はこっちだ、あっちではない、わかったな」

「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」

「さて・・時計を見てみろ、もう昼飯の時間だ。今日はここまで」

 ズー・・・・ジミー・スズキ曹長へ・・至急支部長室まで来てください・・

スピーカーの音声が室内に広がる。

「昼飯の後にしろよ・・」

         2

東洋人に生まれたくなかった。

自分が不細工だからではない。

ライフスタイルも気に入らないがそれはどうにかなる。

フィジカルで劣ることが我慢ならないのだ。

別にもっとでかい体が欲しいとかじゃない。

黒人や白人のアスリートが持つ様な上質な筋肉と頑丈な骨を自分は望んでいる。

東洋人のフィジカルには夢が無さ過ぎる。

神なんて信じないがいるなら恨んでやる。

自分を東洋人にした見えない力が存在するのならそいつを殺してやりたい。

東洋人なんて嫌だ。

黒人や白人と同じ時間、同じ事をして鍛えても同じように強くなれない。

不公平だ。

だから俺は意地悪な神なんぞ信じない。


ジミー・スズキが治安調査局第8支部に来てから二十年以上の月日が経ち現在この男も年齢にして50代後半。

今では潜入捜査官の候補生を訓練させる教官として勤務している。

教官の仕事は多々に渡るが、体力的なことよりも知識的な部分を教える座学が多い。

教えることは日本人の習慣、タブー、二級住民地区に持ち込んではいけない物や緊急時の対処法など色々だが、もちろん日本語の授業もある。

候補生達の日本語がある程度の水準に達すると授業の全てを日本語で行ない、日本語を候補生達の心身になじませるのだ。

潜入捜査官を志願する人間は日系人や一級住民権を持った日本人が一番多く、少数だが台湾系、中国系、韓国系の一級住民なども志願してくるが、日本人以外のこれらの東洋人は皆アメリカ国籍を持っていた人間の子孫であり、そうでなければファーイーストランドにおいて東洋人は二級住民に分類される。

基本的にここで育成されている潜入捜査官の仕事は二級住民地区に潜入して現地の日本人に成り済まして諜報活動にも似た潜入捜査を行なうことだが、もちろん日本人に成り済ますのだから東洋人でないと志願できない。

一応だが治安調査局には東洋人以外の潜入捜査官もいてロシア系やイラン系の潜入捜査官もいる。

しかし二級住民地区のロシア人やイラン人のコミュニティはそれほど大きくはないので、やはり主力として必要とされるのは東洋人の潜入捜査官。

二級住民地区に存在する日本人やその他の東洋人のコミュニティを捜査するには主力となる東洋人の潜入捜査官が必要なのだ。

とは言え主力が東洋人の潜入捜査官と言っても最終的に潜入捜査官になれるのは日系人と日本人が多く、それ以外の民族のグループの者は潜入捜査官になれずに終わる者が多いのが現状だ。

やはり日系人や日本人は日本語を話せる者が多くそこの部分が潜入捜査官の素質として有利なのだ。

実際、日系人や日本人以外の民族グループから志願した候補生が潜入捜査官になれても、任務中におけるその生還率は低く、ベテランの潜入捜査官となると日系人と日本人だらけになる。

ジミーもまた教官ではあるが現役の潜入捜査官だ。

「(昼飯前にいったい何のようだ・・)」

廊下を早歩きで移動し支部長室をノックもせずに入るジミー。

「ジミー・スズキ曹長ただいま到着しました!」

背筋をピンと伸ばし、敬礼をするジミーの目の前には浅黒い肌をした一人の巨漢が立っていた。

身長にして180センチは超えていて190センチ近くはある。

上はTシャツ、下は短パンを着用したその男の腹部は丸々と肥えてはいたが、手足は大げさに言って丸太の如く太い。

この男が第8支部の支部長を務めるドゥエイン・モーという男。

「おいジミーつまらん冗談はやめろ、ここは固っ苦しい組織じゃない」

「これから昼飯だってのに何の用です?」

「簡単な仕事の話だよ、それと昼飯なら心配するな・・そこに二つの紙袋があるだろ、合計10本のホットドックが入っている。その内の2本をあげよう♪」

支部長の指差すデスクには確かにくちの空いた紙袋が二つある。

「じゃあ残りの8本は一人で食べるんですか?」

「当然だろ?私はこの体を維持するにはこれくらいが丁度いい、フハハハハ!」

ドゥエイン・モーはポリネシア系の男。

ポリネシア人は人種としてはモンゴロイドだが、そのフィジカルは東洋人を遥かに凌駕するパワーを持っている。

ラグビーの試合などでポリネシア系の選手を見たことがる者ならあの太く発達した身体が印象に残るかもしれないが、あれはポリネシア人が人類の中でも特に恵まれた骨格を持ち、最もナチュラルに筋肉量を増やすことができる反則的な身体能力を持っているからだ。

だからポリネシア人はラグビーやアメフトのようなフルコンタクトに分類されるスポーツにおいてその活躍は目覚ましく、支部長も大学時代はラグビーで活躍していた。

さらに支部長は今でもローカルのMMA大会でヘビー級の試合に出場したりしているが、試合では多くの大男をその拳でマットに眠らせている。

ポリネシア人は最強の民族だが、しかし弱点がある。

それは民族のルーツから肥満に陥りやすい体質を持っていることだ。

ポリネシア人は食料が少ない孤島で生活していた民族。

このような環境を生き抜くために体内が栄養を蓄積する能力に長けた機能をしており、その能力が現代の食生活だと栄養過多になりやすく結果として肥満になる原因となっている。

「ちゃんと考えて食生活を送らないとその内とんでもない病気になりますよ」

「問題ない、食べたい物を我慢して100歳生きるより好きな物を好きな時に好きなだけ食べてポックリ逝くのが私のポリシーだ」

「・・で、仕事の話しって何です?」

「うん、ジミーはエリアB3に潜入したことはあるよな?」

「はい・・あの頃は11支部にいました」

「実は今度ジミーにまたエリアB3に潜入してもらいたいんだ、ある人物の捜索をするためにね・・」

「ある人物?」

「私は詳しくは知らないがジミーはイリーナ・スレサレンコと言う人物を知ってるね」

かつての相棒の名前にジミーはどこか複雑な表情を見せる。

「知ってるも何も11支部にいた頃の相棒です」

「ならクローン・サイキッカー計画は?」

「知ってます・・支部長も知ってるんですか?クローンサイキッカー計画を?」

「知ったのは昨日国防省の人間から話しを聞いてからさ」

「そうですか・・いったいエリアB3で何が起きてるんです?」

「うむ、簡単に説明しよう、現在イリーナ・スレサレンコのクローン人間は陸軍と空軍に採用されているんだ」

「計画は知っていましたが、まさか本当にクローンが採用されていたなんて・・」

「陸軍はCSTの隊員として育成するため、空軍は警備部隊の補助隊員としてイリーナ・スレサレンコのクローンを採用している」

「・・・・」

「で・・空軍の方で11月10日に問題が起きたんだよ」

「・・・・」

「その日パンフィッシュ・シティゲートを警備していた部隊の一つが空軍の警備部隊セキュリティーフォースだったんだが・・」

「そんな馬鹿なパンフィッシュ・シティゲートの警備は海兵隊の管轄だったはずじゃ・・」

「11月10日を何の日か知らんのかね?」

「11月10日は・・そうだ海兵隊の設立記念日だ」

「そのとおり、だからその日のパンフィッシュ・シティゲートは海兵隊員が式典に参加するために施設を空け、代わりに陸軍と空軍の部隊が警備していたんだ」

「それで・・」

「その時の空軍セキュリティフォースの中にタチアナ・ウィックスと言う女兵士がいてね」

「タチアナ・ウィックス?」

「うむ、彼女はイリーナ・スレサレンコのクローン人間、その一人だ」

「・・・・」

「まあ何が起きたかと言うと彼女が軍務を放棄してエリアB3に脱走したんだよ」

「支部長、もしかしてそいつの捜索を俺に・・」

「そうだ・・そのためにエリアB3に潜入してもらいたい。だが正確には仕事をするフリでもかまわない」

「はぁ?」

「現実的に考えてみろ、あの広い二級住民地区の中から一人の人間を見つけることが困難なことくらい私にも分かる・・エリアB3に潜入経験のある君ならなおさらだろ」

「そんなんでいいんですか?」

「元々は軍の連中の不手際なんだ、うちはしっかり軍に協力してますよってアピールができればそれでいい」

「この捜査の要請は国防省と軍の連中ですよね?連中は自分達で捜索隊を派遣してるんですか?」

「昨日会った国防省の人間は捜索隊を編制したとは言っていたよ」

「ならなぜうちの組織に捜索の要請をしてくるんですかね・・」

「それは私にも分からない・・もしかしたら二級住民地区への潜入捜査に関してはうちの組織の方がノウハウがあると思って本気で頼ってきてるのかもな・・まあそれも無理は無い、軍の連中は民兵共が巣くうスラムの戦闘地帯なんかの歩き方は知ってるだろうが、二級住民地区へ脱走した兵士を捜し出す訓練なんかやってないだろうに」

「ですが支部長・・なぜ俺なんです?エリアB3で起きてる件なら11支部の人間がやればいい、わざわざ遠くから俺が行く必要があるんですか?」

「ジミー、君が自分自身のキャリアをどう評価しているか私には分からんが国防省の人間達は今でも君を最も優秀な潜入捜査官の一人として評価しているようだぞ、うちとしてはそんな君一人を派遣するだけでこの件に対してどれだけ真剣に協力しているのかを国防省にアピールできるんだ、分かるだろ?」

「なるほど・・」

「それに私としては11支部に貸しを作っておきたいしな」

「貸し?」

「11支部の連中もタチアナ捜しに動いているが、捜索は全く進んでないみたいでな、手がかり一つ見つけられてないらしい」

「分かりました、とにかく俺がエリアB3に潜入すればいいってことですね」

「お、やってくれるか!?」

「断る理由が無いですからね」

「なら明日早速パンフィッシュ・シティ空軍基地でジョシュ・ヘイズマン少佐に会ってタチアナ・ウィックスについて情報と資料をもらってきてくれ、ヘイズマン少佐はクローン兵士の専門家だそうだ」

「わかりました」

「そうだジミー、今期の候補生達はどうだね?」

候補生達とは潜入捜査官の候補生の事で、ジミーが行なっていたあの授業に参加していた若者達は潜入捜査官の候補生なのだ。

治安調査局の潜入捜査官になるには潜入捜査官資格課程を修了しなければならない。

あの若者達はその資格課程を受けていたのだ。

「日本語は完璧です。ただ日本人に成りきるには陽気過ぎるんですよ・・もっとこう毛穴から閉塞感を出すような感じにしないと・・」

「心配なのか、それでもしばらくは他の者に指導してもらうだろうな」

二人が話を終える頃にはデスクの上のホットドックは熱を失っていた。

         3

まさかこんな事になるとは。

昔イリーナからクローンの軍用化の話を聞かされこの計画に協力もしていたたジミーだが、計画は途中で立ち消えになったと思っていたので正直驚いている。

まさか本当にイリーナのクローン人間が存在し軍に採用されてるなんて。

しかもその内の脱走した一人の捜索を自分が行なうのだ。

運命などと言うものはあるとは思わないが何かを感じる。

そんな事を考えるジミーの目の前にはパンフィッシュ・シティの空軍基地が見えていた。

現在時刻は午前11時頃。

空軍基地と言っても大きくはない基地だ。

鉄条網を巡らせたフェンスの向こう側にあるシャッターの開いた格納庫の中に何種類かのUAV(無人航空機)が確認できる。

固定翼機のタイプと回転翼機のタイプがありそれぞれ機種ごとに綺麗に整列している。

この基地はUAVを研究するための基地で、軍の基地だが民間の技術者の出入りもあるようだ。

しかし一つ気になるのはこの基地の警備にクローン兵士を使っているとすれば民間人の出入りを許していいものなのだろうか。

ジミーはかつてイリーナからクローンサイキッカー計画は極秘だと言われたが、そんな極秘の存在がある場所に民間人の出入りを許すのだろうか、そんな疑問を思い浮かべていた。

フェンスをなぞるように見渡すと検問所が見える。

そこには二人の男性MPが立っている。

「あ~治安調査局のジミー・スズキ曹長だ、ジョシュ・ヘイズマン少佐に会いに来たんだが・・」

「は!かしこまりました!」

「・・・・」

「連絡はきてるようです、どうぞこちらへ」

その後MPから手荷物検査とスーパー・スキャナー金属探知機によるチェックを受け基地内に入るジミー。

そのまま奥のコンクリートの建物に連れて行かれる。

「どうぞ席にかけて少佐をお待ちください」

「ありがとう」

どうやらここは来客用の応接室のようだ。

掃除のいきとどいた椅子と机がある洒落っ気はないが落ち着ける部屋だ。

壁にはここで行なわれている活動を写した写真がいくつも額で壁に貼られている。

 コンコン ガチャ

「どうもこんにちわ、ジョシュ・ヘイズマンです」

「こちらこそジミー・スズキです」

室内に物腰のやわらかそうな白人男性が入ってきた。

ジミーより身長が高く体も太い大きな男だ。

手にはファイルで分厚くまとめられた資料を持っている。

「どうもわざわざこちらに直接来ていただいて申し訳ない」

「いえいえこれも仕事ですから・・あ~話は早速本題ですが、脱走したタチアナ・ウィックスについてお話し伺いたくて」

「はい、モー支部長からお聴きになったと思いますが彼女、タチアナ・ウィックス一等兵はこの基地でセキリュティーフォースの補助隊員として勤務していました。ですが知ってのとおり11月10日、パンフィッシュ・シティゲートの警備中に軍務を放棄して脱走しました」

「タチアナはゲートの構造には詳しかったんですか?」

「11月10日当日の任務に問題がないように数週間前から空軍の部隊が海兵隊からゲート全域の警備方法を教わっていて、その中にタチアナもいたので構造に関しては最低限知っていたはずです」

「脱走方法は?」

「潜入捜査官用の地下道を使って」

「あれなら私も使ったことがあります・・」

「ああ、モー支部長が言ってましたよ、スズキ曹長は以前治安調査局の第11支部にいたと。それならやっぱりあの地下道は馴染み深いんですね」

「ええ、だいぶ昔の話ですが」

「とにかくタチアナは地下道を使いエリアB3に脱走したまま行方知れずです・・」

「彼女はエリアB3に知り合いは?」

「その可能性は無いでしょう・・彼女は脱走するまで二級住民地区に入ったことはありませんから」

もし知り合いがいるならその人物をあたって調査できるがそれは今回は無理のようだ。

「あと・・タチアナの脱走の動機は?」

「・・確実に言えるのは彼女は陸軍への異動を希望していてそれを空軍が拒否したことが彼女にとって脱走の動機でしょう・・」

「陸軍への異動?」

「はい、陸軍にもタチアナのようなイリーナ・スレサレンコのクローンは勤務しているんですが、陸軍のクローン達は将来的にCSTへの入隊訓練を受ける予定があるんです。タチアナはそれに憧れ何度も私達に陸軍への異動を希望していたんです・・」

「CSTは特殊部隊や一般部隊と一緒に戦闘地域で活動する部隊ですよね、タチアナは好戦的な性格なんですか?」

「いえ、そういう訳ではないんです・・彼女は少し他のクローンより正義感が強いんですよ」

「正義感・・」

「ある日のことです、座学の一環でクローン兵士達に日本人過激派グループの活動を記録した映像を見せたんですが・・」

「あ、その映像は治安調査局が作ったフィルムでは?」

「そうです。過激派グループが二級住民地区で民間人への恫喝や売春斡旋などをしている映像なんですが、それを見てこいつらを倒すのは自分だ・・みたいな感情を持つようになったんでしょう」

「なかなか勇ましいんですね」

「あの映像を見てからです、彼女が異常な程CSTに憧れて陸軍への転属を希望するようになったのは・・それでも彼女が陸軍へ異動することは不可能なんです・・」

「それはどうして?」

「タチアナを含めて空軍のクローンは空軍の予算で生まれたんです・・ですから空軍の予算で誕生させた人員を陸軍へ渡すことを上層部が許可することはないでしょう」

「タチアナはセキリュティーフォースの補助隊員だったなら、担当している業務は基地警備ですよね」

「はい」

「なら戦闘地域に派遣されることはないと」

「彼女に限らず空軍ではイリーナ・スレサレンコのクローンを戦闘地域に派遣させる方針はありません、とにかくタチアナは基地警備の重要さと戦闘職種の厳しさを理解していなかったんでしょうね」

「まあ基地警備も非常時には立派な戦闘職種でしょうけどね・・わかりました。他に何か治安調査局に譲渡できる範囲で資料か何かありますか?」

「それがこちらです・・このファイルにはタチアナの顔写真やプロフィールなどが入ってるので一度は適当に目を通してみてください」

ヘイズマンが資料の入ったファイルをジミーに渡す。

「わかりました、我々治安調査局は可能な限り空軍に協力します」

「ありがとうございます」

「ではこの辺で私は・・」

「あ、待ってください」

帰ろうとするジミーをヘイズマンが制止する。

「ん、何か?」

「スズキ曹長はイリーナ・スレサレンコのパートナーだったんですよね?見ていきますか彼女達の訓練を?」

「え・・」

ヘイズマンの意外な言葉に途惑うジミー。

「遠慮しないでください、こちらもイリーナ・スレサレンコを知っているあなたに是非彼女達の技を見てもらいたいんです」

「ならお言葉に甘えて・・」

ヘイズマンに連れられて部屋を出たジミーはしばらく基地内を歩かされ別の建物の中から地下室に案内される。

地下室は外よりも涼しく人によっては長時間いると肌寒いかもしれない。

「この先に何があるんです?」

「地下屋内射撃場です、この基地の自慢の一つですよ」

ヘイズマンの表情は楽しそうだ。

目的地に近づいているのだろうか段々と耳に何かが弾ける感覚、そんなような音が聴こえてくる・・しかし銃火器とは違う、ジミーにとってどこか聴き覚えのあるそんな音だ。

「この音は・・」

「ふふ・・」

ヘイズマンが少し笑っている。

二人の目の前にインドアレンジと標記されたプレートを掲げた扉が視界に入ってくる。

「では入りましょうか」

「・・・・」

頑丈な金属製の扉を開けるとそこには驚くべき光景が広がっていた・・同じ顔だ、同じ顔をした人間が横一列に隊列を組み、腰を落とし前傾姿勢を維持したまま射撃場向こう側30メートル先のマトを睨みつけていた。

上下戦闘服を着込み、髪型こそ違うがやはり同じ顔をしている。

その髪型でさえも軍人らしく皆共通して短くまとめられていた。

マトである標的のプレートには悪人のイラストがプリントされた紙が貼ってある。

そのマトを睨む彼女達は皆一応に真剣な表情をしている。

「・・イリーナだ・・イリーナと同じ顔をしている・・」

正確に言えばジミーの知っているイリーナよりも若く化粧も薄い。

しかし目の前にいるのは間違いなくイリーナだ、イリーナが十人いる。

「始め!」

屈強な男性教官の掛け声と共に彼女達が一斉にアソセレス・スタンスと言われる射撃フォームを銃無しで構えはじめ、そしてドス!ドス!・・と音を鳴らしながら次々にマトに貼られた悪人達のイラストを穴だらけにしていく・・。

「凄いなこりゃ・・けどイリーナと技の使い方が・・いや衝撃波のぶつけ方が違う・・」

「お、やはりお気づきですか」

「ええ、イリーナの衝撃波はマトがもっとこう面で当てたようになるんですよ」

「その通りです、今の彼女達は衝撃波を点で当てるように意識してるんですよ」

「やはりですか・・イリーナはあんな風にマトに綺麗に穴をあけるような当て方はしなかったんで・・彼女達の撃ち方は精密に目標を当てるためですか?」

「そうです。彼女達が指先から発射する衝撃波は意識することで何パターンかに分けることが出来るので状況に応じて使い分けができるように訓練させているんです」

「随分研究が進んでいるんですね」

「はい、これも彼女達の先輩達のおかげなんですよ」

「先輩達?」

「ここにいる彼女達と脱走したタチアナの正式名称はスレサレンコ・タイプ・ツーと言うんです、そして彼女達の先輩にあたる前の世代のクローンはタイプ・ツーと区別するためにタイプ・ワンと言うんですよ」

「・・・・」

「それとタイプ・ワンの世代で衝撃波の撃ち方の研究は大分進んでいたのでその技術はタイプ・ツーにフィードバックされたんです」

「そのタイプ・ワンとタイプ・ツーには違いはあるんですか?」

「あります、具体的に言うとタイプ・ワンは寿命が短い上にやや虚弱体質だったのでそこを改善したクローンが彼女達タイプ・ツーなんです」

「・・・・彼女達はいくつなんです?」

「タチアナも含め皆十九歳です」

「どうりで若いわけだ・・俺の知ってるイリーナよりも童顔に見える」

「それと・・私は彼女達の管理を任されている立場ではありますが、彼女達がどのような方法で産み出されたクローンかは知らされていないので非常に驚いていたことがありまして・・」

「何です?」

「実は彼女達の肉体は二十代後半以降から老化がストップしてしまうんです」

「老化がストップする?どういうことですそれは?」

「具体的にどのような技術なのかは私には分かりませんが、彼女達はオリジナルであるイリーナ・スレサレンコが歩んできた0歳から20代後半までの成長過程をそっくりそのままコピーして誕生した人間なんです。だからオリジナルであるイリーナが20代後半の年齢で死亡していることが原因で20代後半以降に起こるはずの老化を始めとしたあらゆる肉体の変化が彼女達には起きないんです・・」

「じゃあ彼女達は二十代後半までしか生きられないと?」

「いえ違います、彼女達は30代になろうが40代になろうがそれこそ50代になっても肉体は20代後半から変化が無いという話をしているんです」

「信じられない話だ・・自分もこの分野に詳しくはないですが普通クローン技術で作られた生物といえば老化のスピードが早く短命だという話をよく聞きますよ?」

「彼女達の肉体の成長に関してはコピー対象になった固体の歩みをそのまま進んでいくのですが、コピーする対象がイリーナ・スレサレンコのように20代後半以降生きていない場合そこから肉体を変化させることが無い・・とだけしか私も聞かされていないんです」

「もしそれが本当なら彼女達は今までに無い方法で作られたクローン人間ということになりますね・・羨ましい・・」

「え?」

「いや、だって羨ましいでしょう?死ぬまで20代の若い体でいられるんですよ、滅茶苦茶羨ましいですよ!」

「ハハハハ!確かにそれはそうですね!」

ジミーが羨ましいという感情を素直に言葉と表情に出すのでヘイズマンもそれに釣られて笑っている。

最近になって少しは己の肉体の老化をジミーも感じるのだろうか?そうだとすればジミーがイリーナのクローン達を羨ましがるのも無理は無い。

ジミーとヘイズマンが会話している事をクローン達を指導する男性教官が気づいたようだ。

「撃ち方やめー!撃ち方やめー!気を付け!」

教官の掛け声でクローン達が一斉にヘイズマンとジミーの方へ向く。

「敬礼!」

 ザッ

クローン達が一糸乱れぬタイミングで敬礼を始める。

今度はヘイズマンが指示を出す。

「休め!」

 ピシッ

「よ~しリラックスして良いぞ」

 ざわざわ・・

ヘイズマンの一言で彼女達の表情と姿勢が緩くなる。

こう正面から横一列に並ばれると余計に同じ顔が並んでいて不思議な気分になる。

その内の右から二番目に立つ一人とジミーの目が合う。

するとその一人がウインクしてきた。

「フフ・・」

「・・♪」

ジミーも笑顔で返す。

「みんな、こちらの方はジミー・スズキ曹長と言って治安調査局から来ていただいた、この方は脱走したタチアナの捜索に協力してくれるそうだ」

「お~う♪」

「ひゅ~い♪」

ヘイズマンの紹介に対し彼女達が声や口笛でリアクションをとっている。

クローンの兵士と聞いてジミーは冷徹な戦闘マシーンのような者達を想像していたが、意外と陽気な連中なのかもしれない。

「スズキ曹長、彼女達に何か質問はありますか?」

「あ~今の異能力射撃はフォームから察するにメインウェポンからサイドアームとして異能力射撃に移行するための訓練かな?」

「オクサーナ一等兵、スズキ曹長に答えろ」

「イエスサー、曹長殿の指摘の通りこの訓練はメインウェポンに何らかのトラブルがあり使用不可能になった時も想定した異能力射撃の訓練です、時には実銃と同重量の訓練用ライフル模型を使って同様の訓練を行なうこともあります」

「もう一つ質問していいかな?君達クローンは銃火器の扱いも訓練を受けているのかい?」

「次はオリガ一等兵、君が質問に答えろ」

「イエスサー♪我々クローンはサイキッカーとして異能力の使い手でありますが、異能力だけでは軍の人材として不十分であるので空軍警備部隊に準じた訓練を受けており、その中には銃火器の訓練も含まれています」

「なるほど・・わかったありがとう」

こうして話を聞いているとイリーナとはかなり異なる印象を受ける。

「ヘイズマン少佐、彼女達はこの基地で暮らしているんですか?」

「基地外での任務や訓練が無い場合は基本的に隊員達は基地内で生活しています」

「基地外への外出の許可は下りることはあるんですか?」

「もちろん。ですが同じ顔をした人間が何人も歩いている光景はさすがに不味いので外出の許可は必ず一人ずつしか下りないようになっています。だから彼女達の内一人でも基地の外へ外出してる場合は他の者達に外出の許可は下りないんです」

「パンフィッシュ・シティゲートを警備していたクローンはタチアナだけじゃないんですよね?彼女達が基地の外部で同じ場所に集まって任務を行なう場合はどうするんです?」

「そういった状況では彼女達はバラクラバとゴーグルで顔を隠しています」

「なるほど・・失礼な話、自分はてっきり冷徹な戦闘集団を想像していたんですが違うんですね・・」

「ハハハ、確かにそのような誤解を受ける事も多いんですよ♪彼女達は軍への勤務が義務付けられている以外は通常の人間と同じ権利が与えられていて、私達も彼女達を戦闘マシーンのように育てる気は無いんです」

「はぁ~」

「スズキ曹長、そろそろ昼の時間です、せっかくなんでぜひこの基地の食事を食べていってください」

「はは、ならご厚意に従います」

         4

深夜一時頃、ジミーはある一室で準備にとりかかっていた。

エリアB3への潜入のためだ。

ここはパンフィッシュ・シティゲートの一室でジミーにとっては懐かしい場所だ。

ジミーはパンフィッシュ・シティにプライベートでは何度も戻って来てはいるが、パンフィッシュ・シティゲートを訪れるのは本当にひさしぶりだからだ。

ジミーの格好は頭はフィッシングブランドのキャップ、上は白いTシャツとフォトジャーナリストベスト、下はジーンズとスニーカー。

そして今フィッシング用のロッドケースの中に釣竿やリールを入れている。

このロッドケースは大容量で既にスペースを許す限りメディカルキットや通信機器、それから隠すように弾薬などが入れられているがこれでそれなりの重量になる。

それでもこの歳までインナーマッスルを鍛える事を欠かさなかったジミーにとっては軽い重さだろう。

ジミーは若い頃から酒も煙草もやらない健康的な生活を送ってきたので、年老いた今も同世代の人間と比べると内臓など身体の内側は汚れてはいない。

だからか歳のわりに、いやそれどころか下手な若者より持久力がある。

そして今回はこの格好で分かる通りジミーは釣り人に扮して潜入するのだ。

ベストにも使い込まれた45口径の拳銃や弾薬の入ったマガジンと通信機などが入っている。

「入るぞジミー」

 ガチャ

室内に黒人の若い海兵隊員が入ってくる。

その海兵隊員は右手にM1014というセミオートマチック式のショットガンを掴んでいた。

「準備はできたか?」

「もうすぐだ・・そう急かすな若僧、人を急かす奴は俺みたいなニップになるぞ」

「それ笑っていいの?」

「ふん・・・・ん?何だそれ、良い12ゲージを持ってるじゃないか」

「お、やっぱりこいつに目を付けたか、ご存知M1014だ」

「海兵隊が採用した新型だな、評判は悪くないらしいな」

「俺もこいつを気に入ってるよ、今までは九州で展開してる部隊に優先配備されていたんだけどやっとこっちにも回ってきたんだよ」

「そいつはセミオートの12ゲージだろ、装薬が少ないゴム弾とかの低致死性弾薬もセミオートで撃てるのか?」

「いや、あのタイプの弾薬をこいつで撃つならボルトハンドルを引いて手動で撃つんだ」

「なるほど・・ちょっと触らせてくれるか?」

「ああ良いぜ、弾は入ってないからな」

そう言って海兵隊員はショットガンをジミーに手渡した。

渡されたそのショットガンのストックを何度か延ばしたり戻したりした後、ジミーは構えてみせる。

「かぁ~持った感じは最高だな、今度また機会があったら撃たせてくれ、それで良かったら俺も上の人間にこの銃を薦めてみるよ」

「ハハハハ良いぜ、しかしジミーはいつまで現役でやるつもりなんだ?」

「・・身体が動けるまでこの仕事をやるつもりだ」

「元気な内に引退したほうが良いと思うけどね~」

「元気な内に引退するとボケるぞ、おまえ俺が11支部にいた時の仲間達を何人か知ってるだろ?あいつらは引退するのが早過ぎたからボケたんだ、俺はあんな風になりたくない・・」

「でもボケた年寄りって幸せそうだよな♪」

「それ冗談で言ってんだろ?それともお前には俺が不幸に見えるのか?そもそもお前の言う年寄り共の仲間に俺が入るにはまだ二十年足りない、まあどうでも良いが・・それにしてもここは随分変わっちまったな」

変わっていないのはジミーだけだ。

友人のブライアンもとっくの昔に結婚して子供が8人もいる。

今では子供にレスリングを教える事に生きがいをみつけている。

それに比べるとジミーは結婚もせず、周囲の人間から見ればこの歳まで仕事ばかりしているように見えるのだろう。

出会いが無かった訳ではない、同じ治安調査局で潜入捜査官として働く日本人女性と深い関係になったこともあったが、結局は破局してしまった。

それでもその時の女が一番長く上手く行っていた方で、他は論外と言える程にジミーは異性との関係に失敗を繰り返してきた。

噂ではその女も一人子供がいるらしいのだから哀しくなってくる。

ジミー本人も年齢を重ね、もうどうでもいいとさえ思っているのだろう。

温かい家庭など糞喰らえだ。

それでも友人の幸せを祝福する気持ちぐらいは心の底に存在する。

やはりブライアンが結婚した時は嬉しかったし、あれから妹のように面倒を看てきた美紀が自分の親しい友人と言える男と結婚した時も心の底から祝福はしたが、うらやましいとは全く思わなかった。

一人は自由の完成形だ、だから一人は最高なのだ。

「そうなの?俺は昔からここで勤務してる訳じゃないから」

「俺が11支部にいた頃のここはゲートの周りにあんなにも多く装甲車が待機している事なんて無かったぞ、あれはLAV―25歩兵戦闘車だな」

「そうだよ、俺達海兵隊員の良き友さ、普段はあれに乗ってエリアB3をパトロールするのさ。ジミーが見たあそこにある車両は何時あっちで何が起きても良いように待機しているんだよ」

「いつでも殴り込めるようにってか」

「そうさ、しかもLAV―25は水陸両用車だからエリアB3内にある浅い川くらいなら打破できる優れものだからね」

「ケツにスクリューが付いてるのはそのためか」

「実際はあんまり水上航行なんかはやらないんだけど、俺達海兵隊は組織としてのアイデンティティーを保つために上陸作戦用の装備は維持してるからね。海兵隊から上陸作戦の能力を取ったら陸軍と変わらなくなるって上層部のお偉いさん達は思ってるみたいだから」

この隊員が話す通り、ファーイーストランドの海兵隊には実際に大規模な上陸作戦を行なう機会は減りつつはあっても、それでも組織の伝統として常に上陸作戦に備えるという姿勢があり、こういった上陸作戦に対するスタンスは前身部隊のアメリカ海兵隊からも見て取れる。

アメリカ海兵隊というのは陸・海・空の戦力を一つに備えた緊急展開部隊という性質が強い組織である。

しかしファーイーストランド軍では陸軍と海兵隊の任務における住み分けが上手く行っていないのでやはり両組織の対抗意識は強く、現場レベルならともかくとして、上層部同士は仲が良くない。

そして海兵隊は陸軍とは違うという意思表示のために今も上陸作戦の能力を維持するための訓練に力を入れている。

「しかしあんな装甲車が必用になるくらいに今のエリアB3は治安が悪いのか?」

「正直に言えばエリアB3の治安はジミーが11支部にいた頃より悪くなってると思うよ。装甲車を使うのは万全を期すためさ」

「俺がいた頃より治安が悪くなってるって・・ちゃんとお前らが仕事をしてないだけじゃないのか」

「やろうと思えばこっちだって何だって出来るけどインテリ左翼がうるさいから思うように動けないのさ」

「なら先に左翼のアホ共をぶっ殺したほうが良いな」

「ハハ、やれるならやってやりたいね、それは。でもエリアB3の人口が少子化と自殺でもっと減ってくれれば街のパワーが無くなって俺達の仕事も楽になるんだろうな」

逆に現在は一級住民地区の人口が増えてきている。

これはファーイーストランド政府が一級住民の出生率を上げるために子育ての助成金や大学までの学費の援助など、様々な公共サービスの充実化を進めた事と、一級住民の人口が増えなければ国が崩壊すると言ったプロパガンダの賜物だ。

ただあまりにも順調なくらい一級住民の出生率が上がっているので、陰謀論を好む者の中には中央政府が食料品にセックスを誘発させる効果を持った薬品を極秘に散布しているのではないか?などという噂も出ている。

ファーイーストランドの一級住民と二級住民の数をおおまかに比較すると全国民の内、70パーセントが二級住民で、残りの30パーセントが一級住民だ。

一級住民の90パーセントが在日米軍将兵とその家族を始めとする在日外国人の子孫達か大地殻変動の避難者達の子孫だが、一級住民は欧米諸国出身者をルーツに持った白人が多い。

これは大地殻変動が発生した際に日本に逃げてくるだけの財力を持っていた人々に欧米諸国出身の白人富裕層が多かったということだ。

オセアニア地方から逃げてきた者達も多く、今のファーイーストランドでラグビーが盛んなのは彼らと彼らの子孫による影響が強い。

またファーイーストランドにおける政治家などの支配階級の人間はやはり白人が多い。

どんなタイプの国を白人国家とするのかは定義が色々あるかもしれないが、白人の人口が多数派に位置する国はもちろん白人国家だ。

また、白人の数がマイノリティな国家でも社会階層の上位を占めているのが白人なら、白人国家と呼ばれる場合もある。

ここで言う白人とはコーカソイドという人種的な広い意味ではなく、アングロサクソンや、それと近い文化を持つキリスト教圏の国や欧米諸国の白人のことで、コーカソイドという広い括りでまとめると文化的に大分異なるアラブ人やインド人も白人に入ってしまう。

ファーイーストランドは一級住民と二級住民の人口を合わせると白人の数は少数派に位置する。

しかし政治・軍事・経済などに影響を与える社会階層の上位に位置する人間は白人が占めているのでファーイーストランドは白人国家と言えるだろう。

白人国家と呼ばれる国家によくある社会現象の一つに白人の少子化がある。

貧乏子沢山という言葉はよく出来た言葉で裕福な民族はあまり子供は作らず、貧乏な民族ほど子供を作る。

白人にも貧乏な家庭はあるだろうが、他人種と比較すれば白人は富裕層や社会階層において上位に位置する人間を多く輩出している人種だろう。

人間は裕福だと子供がいない環境の快適さを知るのか、子供をあまり作らなくなる。

多民族が生活する白人国家において社会階層の上位に位置する裕福な白人が子供を作らないで少子化が進み、移民してくる有色人種は対照的に多産で人口を増やしていく光景は多くの白人国家で見られた現象なのだ。

ところが白人国家のファーイーストランドにはこの現象が無い。

ファーイーストランドが大地殻変動前の白人国家と異なるのが白人の出生率が高いところで、人口の増加率では白人が一番高いという不思議な現象が起きている。

中央政府の白人に対する「子供を作らないと大変なことになりますよ」という発破のかけかたが上手いのだ。

黒人の一級住民は殆ど在日米兵の子孫やアメリカ合衆国を始めとした欧米諸国の国籍を持っていた者達の子孫である。

黒人はアメフト・レスリング・MMAで多くの一流アスリートを輩出しているので、身体能力を神格化されている部分があり、スポーツの分野における社会的な存在感が強い。

スポーツビジネスでは多くの黒人アスリートが広告塔に起用されている。

そして最後に東洋人だが、東洋人の一級住民の数は多くない。

東洋人は一級住民地区においてマイノリティに位置する人種だ。

一級住民地区における東洋系住民のグループで最大の人口を誇るのは日本人と日系人だが、彼らは民族的には二級住民地区の日本人と同じでも、精神的な中身は別物と言ってよい。

そもそも一級住民地区で生活している一級住民の日本人は殆どが大地殻変動後の混迷期に当時の日本社会を否定して米軍側に協力した人々の子孫であり、現在も自分達は閉塞感を作らない綺麗な東洋人と自負している。

だから二級住民の日本人に対しては閉塞感を作り出す心の汚い悪性モンゴロイドだと侮蔑している人間が多く、同じ民族でも一緒にされる事を嫌がる。

この感情は香港人が中国人に対して必ずしも良い感情を持っていない感覚にも近く、もしくはもっと強烈な物なのかもしれない。

日本人なのに同じ日本人をここまで嫌っているとなると一級住民の日本人が持つアイデンティティーは独特なもので、自分達を日本人を辞めた日本人、元日本人などと称する人々が増えてきている。

確実に言えるのは多くの一級住民は自分達の地域に日本人が増え過ぎればその地域はいわゆる日本化が進み、閉塞感に包まれたギスギスした社会になると思っており、日本人はかなり警戒されているのだ。

「でもスラムの日本人はガンガン子供作ってるんだろ?出生届が出てない人間が増えてるってことだからな、やばくないか?」

「それは俺も思うよ、しかも都市部で暮らす中間層の日本人は自殺率が高いでしょ?二級住民地区全体で年間3万人以上自殺してるんだっけ?そのうち二級住民地区はスラム街の日本人だけになるんじゃないかな」

「でもあの自殺率の数字はあまりあてにならんぞ、二級住民地区の警察は他殺だろうが何だろうが不審死はみんな自殺扱いにするくらい仕事がいいかげんだからな」

「そうなのかい?」

「ああ、昔こんなこともあったんだが・・あっちに潜入中に民兵に殺されて死んだ捜査官も自殺扱いされてたぞ、まあそれでも本当に自殺してる日本人の数は多いだろうがな」

「どっちにしても酷いなそりゃ・・あ~そうだジミーそれ釣り人に変装してるんだろ?」

「もちろん、どうした?」

「その格好で川や湖に行くのは問題ないけど、絶対に東京湾の港とか砂浜みたいな海辺には行くなよ」

「やっぱり海釣りの装備には見えないか」

「違う、そうじゃない。少し前までエリアB3内はAJAの連中が派手に活動してやがったんだ、あいつらが二級住民地区に侵入する主な方法は小型船舶を使って東京湾から上陸するやり方なんだよ」

「あの馬鹿共また暴れてるのか?」

「何だよやっぱり知らなかったのかよ・・4年前にも潜入捜査官が地元の人間と間違われて銃で撃たれたんだぜ、海辺でな」

「糞野朗・・」

「とにかく絶対に海には近づくなよ」

「わかった・・しかし東京湾を監視している沿岸警備隊はどうして動かない?」

「AJAの連中は軍に盾突いたりはしないし最近は一級住民に危害を加える事件も起こしてないだろ?だから今は無視してるんだよ・・ある意味政府公認のテロ組織さ、それにあいつら東京湾を通る時にほら、沿岸警備隊にコレを払ってるから」

そう言って海兵隊員の男が右手の指でお金をねだるサインをしてみせた。

「あ~賄賂か」

「そゆこと♪」

「AJAの連中にはいつか痛い目を合わしてやる」

「ジミーはAJAに恨みでもあるの?」

「いや・・別に・・」

「後、他にエリアB3に存在する不安定要素で注意しなきゃいけないのは知ってると思うが戦斧と一日一善会が抗争状態にあるんだ」

「戦斧なら知ってるが何だその一日一善会ってのは?」

「新興の日本人過激派グループさ、結構イケイケな連中で人数は少なくても戦斧と良い勝負するらしいんだ」

「そいつらによる軍の被害は?」

「いや、一日一善会は軍を襲って来ることは無いらしいぜ、どういう経緯で誕生した組織なのかは俺も知らないが今は反戦斧の活動くらいしか目立った動きはないからな。ただ心配なのは潜入中に戦斧と一日一善会の抗争に巻き込まれる可能性はあるからな、だから気をつけろってことだよ、流れ弾で死ぬのは嫌だろ?」

「分かった気をつけるようにしとく・・さてと準備は終わった、行こうか」

ジミーと海兵隊員は部屋を出て行く。

ここからは昔のように地下道を使ってエリアB3に潜入する。

今もパンフィッシュシティゲートの地下道はエリアB3内部の物件と繋がっているのだ。

「なあところで、おまえはタチアナ・ウィックス一等兵と面識はあるのか?」

「ん?あ~あの脱走したクローンだろ、あるよ」

「おまえから見てどんなやつだった」

「仕事は真面目なやつだけどそれはクローン全般に言えることだからな・・特徴的な事と言えばあれだな、妙に戦闘職種に憧れてたよ」

「やはりか・・」

「やはり?」

「いや、今日の午前中に空軍基地でタチアナの上官に会ってきたんだがその人も同じことを言っていたんでな」

地下道の入り口を抜けて簡単なチェックを済ませた後ジミーは海兵隊員と別れた。

ここからは昔と同じく鉄筋コンクリートで作られた一本道の地下道がある。

「お~なんか懐かしいなぁ~」

思わず独り言がもれていた。

そして前方には粗末に溶接された梯子があるが、何か真新しい雰囲気だ。

「お、梯子だけは綺麗になってるな」

確認し終えたジミーが梯子に手を掛け上り、懐から無線機を取り出し上に連絡を取る。

「建物の中を見てくれ」

「了解」

「・・・・」

「全フロア異常無し、ジミー死ぬなよ」

「ああ、まかせとけ」

無線での会話を終えると頭上にある扉を開けてゆっくりと上半身を向こう側へ移動させる。

完全に建物の中に入り込み一度周りを見渡す。

昔と変わらないあの廃ビルだ。

隠し扉を元に戻し、直ぐに四階へと上がるジミー。

そこから安物の双眼鏡で窓辺、外からの死角からパンフィッシュゲートの方角を見る。

深夜、暗闇に包まれてはいるが歩哨台と街からの灯りのおかげでかつてこの場所で何度も見た落書きが見える。

雨風でだいぶくすんできてはいるが、見覚えのある政治的スローガン、くだらない下品な単語、その一つ一つが未だにコンクリート塀一帯に落書きとして残っていたのだ。

「なんだまだ消してないのか・・」

ジミーの表情に笑みがこぼれる。

こんな物は良い物でも何でもないが、自然と懐かしさが自分をそうさせるのだ。

ここに長居は無用だ、ジミーは直ぐに別の窓辺から市街の様子を窺う。

光っている物、消えている物、建物にくっついた看板の状態は様々だが、この時間のせいなのか人が全く歩いてない。

無論この方が潜入に適しているし、誰かに見られても夜釣りにでかけたオヤジにしか見えないだろう。

階段を降りて行き裏口から外へ出たジミーはまた一つ懐かしいあの看板を見つけた。

建物の扉には危険化学物質残留中の文字が黄色と赤色の警戒色で書かれている例のあの看板がまだ大量に貼ってある。

ジミーも見覚えのある古い錆びた物もあれば最近追加されたと思われる新しい物とが混じっていて、否応なしにも目に付く。

そして再びジミーは市街の方を眺める。

「俺もこの街も変わってねぇな・・」

ジミーはゆっくりと歩き出し、街へと消えていった。

続く

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