その名は無敵鉄人、セーフガード
「うわああああ!」
「何をするんだ!やめろー!」
オフィススペースに悲鳴と怒号が響き渡る。
つい数分前まで整えられた職場環境だったなどとは信じられないほど、その場所は荒らされていた。
椅子が無秩序に倒れ、書類は飛び散り、いくつかのパソコンが破壊され、複数の机がひっくり返っていた。
この場所で働いている人々はその暴虐に恐れ、部屋の隅で怯えるばかり。
そして恐るべきことに、この惨状はただ一人によってもたらされていたのだった。
ひょっとすると、『一人』という表現には語弊があるかもしれない。
その元凶たる『何か』は、
「アハハハハハハハハ!何だよ!抵抗してみせろ!私の邪魔をしてみせろ!本ッ当に使えない奴らだねえッ!」
意外にも人の言葉を話してみせた。
確かに、それは人の形をしている。
しなやかに伸びる四肢、概ね170cm程度の背丈、ピンと伸びた背筋、そのシルエットと大きさは人の範疇だった。
しかし、人だとは信じられるのはそこまでだった。
声はヴォコーダーでグチャグチャにしたような機械音声のように聞こえた。
中性的な顔立ちは東洋人の肌色ではなく、映画の特殊メイクみたいな青色をしている。
顔以外の露出を無くすようなライダースーツにはドクロのマークと共に人骨が突き出たかのような生々しいツノが複数。
それらが、『それ』を人と呼ぶのを忌避させた。
怪人。
その呼び名こそが相応しい。
そして怪人は今も部屋を荒らし回る。
力を見せ付けるように。
この場所、ここで働く人々に怒りをぶつけるかのように。
「ひぃっ?!」
怪人の手が一人の男性の首に伸びた。
そのまま壁に押さえつけ、嗜虐的な笑みを浮かべる。
「た、助けてくれえっ!!」
ついに命の危険を感じたその時。
「そこまでだ!!」
力強い、溌剌とした声が響いた。
怪人が、怯える人々が、声のした入り口へと振り返る。
そこに、ヒーローが居た。
「傷害及び殺人未遂、器物破損の現行犯、セーフガードが逮捕する!」
怪人の前に黒い風が立ち塞がった。
声こそ男性のようだったが、正確にはわからない。
全身スーツは黒光りする生地で、深い藍色と白色のプレートが甲冑のように貼られている。
頭部は仰々しいヘルメットに包まれ、不透明なバイザーと通信アンテナが異様な雰囲気を作っている。
その人物は、セーフガードと名乗った。
「邪魔するなぁぁぁっ!!」
一瞬竦み上がるように見えたが、怪人は男性を押さえつけたままセーフガードに叫ぶ。
相手を威嚇するというより、自身を奮い立たせるかのように。叫びはそう聞こえた。
だからこそ、セーフガードはその隙を逃さない。
怪人に飛び掛ると、男性を押さえつける腕に手刀を放つ。
「くっ…」
勢いに押され、怪人は手を離して飛び退いた。
セーフガードはそれすらも見越して今度は怪人を突き飛ばす。
手刀から突きまで、まさに目にも止まらぬ速さだった。
超人的。
圧倒的。
部屋の隅の人々は、まるで映画かゲームのような光景に釘付けになった。
怪人は体勢を崩し、倒れた机に叩きつけられた。
「ぐ、あっ…」
うめく怪人にセーフガードが告げる。
「投降しろ。これ以上罪を重ねるな。お前は無理矢理改造されて暴れさせられているだけなんだ。」
動きを封じた上で説得しよう、セーフガードはそう考えていた。
「うるさい!せめてあのオッサンを痛い目に遭わせないと気がすまないんだよ!」
立ち上がることもできないまま、怪人が叫んだ。
悲痛な叫びに聞こえた。
「アイツのせいで仕事を辞めた人間がどれだけ居るか知ってるか!同期はもう誰もいなくなったんだ!」
ヴォコーダーでグチャグチャにしたような声はもうなかった。
その叫びは少し低めの、人間の女性の声だった。
「ハラスメントが酷いって、意見書も出した!陳情書も書いた!でも届かなかった!許せなかったんだ!私は!」
その叫びはもう怪人のものではなかった。
一人の女性の叫びはそれだけでは終わらない。
「事務員の池本さんはセクハラで辞めた!昇進試験の邪魔をされ続けた田川さんは休職して病院通いだ!」
徐々に、叫びの方向性が変わっていく。
「お茶に雑巾を搾って復讐しようとした辻さんはそのまま自分で飲まされた!おなか壊して搬送先のお医者さんは渋い顔だった!」
叫びの内容が決定的に変わっていく。
「そもそも警察官の日常業務が書類の作り直し作業だけってどういうことなんだよ!!」
その場からは誰も動けなかった。
怪人の女性はすでに涙声。嗚咽もちょっと混じっている。
セーフガードは表面的には変わらない。が、凍りついたように動かない上に、ヘルメットの下ではげんなりした表情をしていた。
恐らくは平の職員であろう部屋の隅に集まった人々は、ついさっきまで首を絞められていた男性に氷点下の視線を飛ばしている。
当の男性は完全においてけぼりで、とぼけた顔をするばかり。
ついには本格的に怪人の女性が泣き出したところで、セーフガードはシリアスをあきらめた。
「とりあえず、逮捕します。お願いしますから一旦連行されてください。悪いようにはしませんから。」
ヒステリーには慣れていないし、衝動犯罪の説得マニュアルなんか読んだこともない。
セーフガードは帰社したら用意してもらおうと思った。
そろそろ自分の仕事に泣きたくなった。
「私、死刑にでもしてくれる?」
「勘弁してください。」
「人間、やめちゃったみたいなんだけど。」
「直りますから。大丈夫です。」
「でももう前科者だよね?」
「そこはほら、頑張りましょう。できるだけお手伝いしますから。」
「本当に?」
「本当です。信じてくださいお願いしますこの通り。」
先に手錠ははめたところで、セーフガードは土下座することにした。
女性の精神が安定してきたのでそろそろ会話できるかな?と一縷の望みを土下座に託した。
特撮ヒーローが土下座って、絵的にどうなんだろうなあ、とセーフガードはしみじみ思う。
「よろしくお願いします。」
怪人の女性が姿勢を正し、(手錠のついたまま)三つ指をついたところで撤収することにした。
警視庁管轄、特別警察機動隊セーフガード。
ヒーローはそういう名前だった。
彼の本名は無敵鉄人という。
ちなみに、役所には改名申請を2度出したことがある。
受理されなかったが。
ともあれ、鉄人は警察官である。
職務に、その肩書きに誇りを持っている。
広告塔としても担がれてはいるが、彼は今日も街を走る。
街の平和を守るために。
間違いを犯した人ですらも、きっと更生できると信じて。
後日のこと。
「無敵さん、先日はお世話になりました。しばらく事務方で働きます百鬼です。よろしくお願いします。」
後日、彼の関連部署に怪人だった女性が配属された。
警察が保護観察するということで、執行猶予が付いたそうである。
先日の一件から一ヶ月も経っていない。
癒着とか裏取引という単語が鉄人の脳裏をかすめたが、考えないことにした。
「これで女性の発言権を強化できる!男にも上司にも強く言えるなんて!即採用よ!」
鉄人たちの上司にあたる女性はそう言ってノリノリでヘッドハントしたそうである。
元ノンキャリ婦警は仕事のできる21歳。武道の成績は鉄人より割りと上。百鬼優希というそうだ。
また一人、頭が上がらない女性が増えた気がする。
ストレスを溜め込みがちなので、フォロー必須だ。
大丈夫。
頑張れる。
正義のヒーロー、セーフガードは胃薬を忍ばせて今日も多方面の平和を守っている。