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2 見知らぬ死体

「お久しぶりですわね、リーゼロッテ様。」


夕暮れのデッキで、カメリアは波間を見つめる一人の女性に声をかけた。


「きてくださってありがとう、カメリア様。」


微笑みを返す彼女こそ、ゼーベルク侯爵令嬢、リーゼロッテだ。

結婚を目前に控えたリーゼロッテは、少女の無垢と大人の美貌をあわせもつ女性だった。

けれども、その琥珀色の眼は不安を抱えている。


「ご結婚おめでとうございます。」


カメリアの祝福に、リーゼロッテは「おめでたいこと、なのかしらね。」とうつむく。


「本当のことをいうと、少し憂鬱なの。

私は夫になる人にまだ会ってもいないから。」


この船旅は数日をかけてリーゼロッテを結婚相手の元へと連れてゆく。

その到着の時に初めて会う人と、家のために夫婦になることに彼女は躊躇いを感じているのだ。


「変なことを言ってごめんなさいね、忘れてちょうだい。」


リーゼロッテは気まずそうにしたが、カメリアは何事もなかったように振る舞う。


「それより、出港式ではご挨拶ができず申し訳ありませんわ。」


謝るカメリアを、リーゼロッテは「お気になさらないで。」と気遣う。


「仕方がないわ。

せっかくの出港式があんなことになってしまったのだから。」


リーゼロッテの顔が憂いに曇る。

彼女の名前が付けられたこの豪華客船の華やかな出港式は、死体の出現により恐怖と混乱に包まれたのだ。





石棺の中から現れた死体にどよめく出港式の会場内で最も動揺を見せたのは、石棺の持ち主であるゼーベルク侯爵夫人であった。


「これはいったいどういうことですか!」


ゼーベルク侯爵夫人は「フェリクス!」と自らの従者を呼びつけた。


「はい、奥様。」


呼ばれたフェリクスは、三十路の優秀な男だが、この事態にさすがの彼も動揺を隠しきれていなかった。


「フェリクス、お前はわたくしの美術品にこんなものが入っていると知っていましたか。

この船旅での美術品の管理はお前に任せていたでしょう。」


「いいえ、奥様。

私が会場に石棺を運んだときには、異常はなにもございませんでした。」


ゼーベルク侯爵夫人はフェリクスの弁明を受け付けなかった。


「お前が会場に運び込んでから皆様に披露されるまで、美術品はきちんと守られていなかったのではありませんか。」


「しかし奥様、確かに誰でも触れられる状況ではありましたが、石棺は会場内の目立つところにあり常に人目に触れてたのです。

ですから、誰にも気づかれずに遺体を入れることなど出来なかったかと。」


「言い訳は無用です。」


ゼーベルク侯爵夫人は「このような事態になったのはお前の管理が不十分であったからにほかなりません。」とフェリクスを厳しく叱咤した。


「少しお聞きしても宜しくて?」


二人の間に入っていったのは、カメリアであった。


「会場に運ばれるまでは石棺が空だったことは間違いありませんの。」


ゼーベルク侯爵夫人は「もちろんです。」と答えた。


「私はフェリクスが運ぶ前に、この石棺が皆様にお見せできる状態か自分の目で確認しております。

その際には、この美術品は完璧な状態でした。」


ゼーベルク侯爵夫人は「ゼーベルク家の所有する美術品の中に死体を入れるだなんて、とんでもない侮辱です。」と憤慨した。

そんな彼女とは対照的に、カメリアは冷静な態度で遺体に一歩近づき観察した。


「遺体の彼女は胸部を撃ち抜かれていますわ。

見たところ、まだ腐敗はしていない様子。

彼女は、この船の中で殺されたのではありませんこと。」


カメリアの言葉で、レセプションルームにいた乗客たちにどよめきが走った。



船内での殺人事件に、リーゼロッテ号の船員たちは対応に追われた。

しかし、異常事態に慌てふためく船員たちをさらに困らせる事態が発覚した。


船員は遺体の身元を確認するため、殺された女性と面識はないか乗客たちに聞いてまわった。

ところが、一等客は愚か、二等客にも殺された彼女を知る者はいなかったのだ。





「殺されたのは、いったい誰なのかしら。」


夕陽に輝く水平線を眺めながら、リーゼロッテは呟く。

出港式が終わり夕暮れ時になった今も、遺体の女性の身元はわからないままなのだ。

リーゼロッテはカメリアの方へ向き直り、「カメリア様は探偵なのよね。」と聞く。


「ええ、そうですわ。」


「どうかこの事件を解決してくださらない?

石棺の中にいたあの女性は誰なのか、犯人は誰なのか。

その謎を解いてちょうだい。」


「お願いよ。」とカメリアの手を取るリーゼロッテに、カメリアは優しく微笑む。


「その依頼、お引き受けいたしますわ。

私カメリアが、必ずや解決いたしますわ。」


自信のあるカメリアの言葉に、リーゼロッテは「ありがとう。」と安堵の表情を見せた。


その時、波風がリーゼロッテのボンネットを攫った。


「ああ、飛んでいってしまう。」


ボンネットは伸ばされたリーゼロッテの手を掠めて風に舞う。


「任せな。」


快活な声が聞こえたかと思うと、彼は軽やかに飛んで高く舞うボンネットを捕まえた。


「どうぞ、お嬢さん。」


彼は甘い笑顔でボンネットをリーゼロッテに差し出した。

太陽のように輝く赤毛をもつ青年だ。


「ありがとう。」


ボンネットを受け取るリーゼロッテに、彼は「例なら一杯付き合ってくれよ、可愛いお嬢さん。」とウインクする。

リーゼロッテは「ええ。構わなくてよ。」と答えた。


「俺はレイモンド。

あんた、名前はなんて言うんだよ。」


「リーゼロッテ。」


彼女の言葉にレイモンドは「なんだって?」と目を見開く。


「それじゃ、あんたがこの船のプリンセスか。

あーあ、それじゃ一杯付き合ってもらう約束はチャラだな。」


リーゼロッテは「あら、どうして。」と首を傾げるが、レイモンドは肩をすくめる。


「どうしても何も、俺は見ての通りの貧乏人だ。

一等客室には入れないさ。

それともあんたが二等客室まで来るのかい、プリンセス。」


リーゼロッテの答えを聞く前に、レイモンドはひらひらと手を振って去っていく。


その後ろ姿を見送るリーゼロッテを、カメリアは静かに見ていた。






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