第06話「希望の糸」
明け方、充填作業から戻ってきたのだろう、寝室のドアがわずかに開き、ベガが静かに入ってきた。
『只今戻りました。何か、変わったことは――……』
清吾は人差し指を唇に当て、「しーっ」と制した。
膝の上には、昨夜泣き疲れた勇志が眠っている。
「すぅ……すぅ……」
ベガはその姿を見つめ、機械音一つ立てずに黙り込んだ。
◆◇◆◇
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、勇志の目元を照らす。
しばらくして勇志がまぶしそうに目を開けた。
壁時計は七時を少し回っている。
「んん……? まぶしっ」
清吾がカーテンを開けて声を掛ける。
「お、起きたか。おはよう」
勇志は目をそらし気味に、
「……お、おはよう」
と返した。昨日とは違い、落ち着いた声だった。
「さ、起きたのなら顔を洗ってこい。朝飯を準備してやる」
リビングに移り、清吾は松葉杖を使いながら朝食の支度をしていた。
勇志はテーブルに座り、その様子をじっと見ていた。
「あの、昨日は服を汚しちまって、すみませんでした」
勇志の声はどこか遠慮がちだった。
「昨日と違って素直だな。ほら、コーヒー入ったぞ」
勇志は差し出されたカップを受け取る。
香りを吸い込むようにして息をつき、表情が少し和らいだ。
「ずっとテンパってたんだろう。昨日の君は余裕がなかっただけだ」
この言葉に勇志は驚いたような顔を向けた。
「……あの、怒ってないんすか?」
清吾は首を横に振る。
「怒る理由はないさ。泣けたのは良いことだ。俺には泣けなかった時期もあったからな」
勇志の表情が、安心したように緩む。
「清吾さんって変わってるよな」
「ははっ。よく言われるよ」
清吾が笑うと、勇志もわずかに笑みを返した。
「さて……トーストとベーコン、それに昨日の残りの唐揚げもあるけど、どれがいい?」
勇志は少し考え、それから言った。
「昨日の唐揚げ、もらってもいいですか?」
「朝からそれかよ。でも食欲が戻ったならいい兆候だ。レモンかけるとさっぱりして美味いぞ」
勇志の顔から昨日の影は見えなかった。
そこへベガが浮かび上がり、報告した。
『勇志、経過報告です。充填率は現在15.2%。順調に進行中です』
「分かった、今日からは船を救うために何ができるか考える。清吾さん、ご協力よろしくお願いします!」
「おう。部下の面倒を見るのは慣れてるんだ」
「俺は部下じゃねぇっすよ」
勇志の声は軽く、昨日よりもはっきりしていた。
◆◇◆◇
朝食を終えると、ベガが言った。
『勇志。本日の充填を開始する前に、一度情報の再分析を提案します』
「そうだな。清吾さん、リビングのテーブルお借りして良いすか?」
「わかった。皿を片付けよう」
二人で唐揚げを食べた後の皿や搾ったレモンなどをまとめ、テーブルを拭いた。
卓上が整うと、ベガの発光部から緑の光線が伸び、ホログラムの航路図やエンジン断面図が浮かび上がる。
「……昨日見たSF映画まんまだ。これなら分析しやすいな」
勇志は真剣な顔でデータを追い始めた。
その表情にわずかに影が落ちるのを、清吾は目にした。
「……やっぱり、センサーが効かなかったのもあるけど、完全に俺の判断ミスだな」
声の調子から、悔しさが滲んでいるのが清吾にも分かった。
ベガが淡々と告げる。
『結果論ですが、センサーが起動していれば重力の異常も早期に察知できた可能性が高かったでしょう』
勇志は拳を握りしめた。
「同じ過ちは繰り返さない。父さんも仲間も、必ず俺が救う」
その姿勢に、清吾はうなずいた。
◇◆◇◆
「えっと、改めて整理すると……。とどのつまり、エンジンを再起動できればいいんだよな?」
清吾が確認するように言うと、ベガがすぐに応じた。
『はい。ただし、再始動にはある程度のパワーが必要です』
続けて、ベガは補足する。
『この時代の基準で例えるなら、“ファイヤースターター”のようなものが必要です。しかし今回は、その非常用パワーをシールドと生命維持に回すしか手段がありませんでした』
(ファイヤースターターか。俺も去年、友達とキャンプに行ったときに、焚き火を起こすのに使ってたな)
説明を聞いた清吾は、顎に手を当てる。
「なら、シールドか生命維持装置のどちらかを一時的に切って、そのパワーを回せないのか? 人間、数秒くらいなら息を止めていられるだろう?」
その言葉に、今度は勇志が首を横に振った。
「俺一人なら、二、三分は息を止めていられる。でも、事故に巻き込まれて息絶え絶えの船員も何人かいる状況でした。酸素の供給源である生命維持装置は、切れません」
勇志の言葉を受けて、ベガが淡々と告げる。
『清吾。人間は酸素濃度6%以下の状態で、一吸入するだけで意識を失い、最悪の場合は即死に至る危険があります』
清吾は小さく息を吐いた。
「……そうか。言わずもがな、宇宙空間は無酸素状態だしな」
『シールドに関しても同様です』
ベガの声が続く。
『衝撃波ですでに船体には亀裂が入っていました。シールドを切れば船外との気圧差により構造が保てません。さらに救難信号もダウンしているため、あの状況下では救助も期待できないでしょう』
説明を聞き終えた瞬間、勇志がテーブルを軽く叩いた。
「くそっ、ダメか……! せめて、別の非常用パワーが確保できれば……!」
沈黙が落ちる。
(別の非常用パワー……か)
清吾は片付けた皿のレモンに目を落とした。
「レモン……そうだ、レモン電池だ!」
勇志が動きを止め、こちらを見る。
「レモン……?」
「小学生の頃、夏休みの自由研究でレモンに釘と銅線刺して豆電球を光らせたんだ。つまり、非常用パワーの代替品を作れば良いんだよ!」
ベガが即座に反応した。
『なるほど、理論的には可能です。この時代の素材を応用すれば、非常用パワーの代替が作れるかもしれません』
勇志の瞳が揺れる。
「ほ、本当にできるのか……? それで、みんなを救えるのか?」
迷いと期待。その狭間で揺れる様子が、清吾には手に取るように分かった。
だからこそ、あえて強く言った。
「できるかじゃない。やるしかないんだ。――だろ?」
勇志は一瞬だけ息を呑み、そして力強くうなずいた。
「……は、はいっ!」
「よし。この一週間で、必ず船とみんなを救うぞ」
勇志の頬が少し赤くなったように見えた。
「……っ、清吾さん……カッケェ……!」
それは、絶望の向こうに手繰り寄せた、かすかな希望の糸のようだった。
Copyright(C)2026 流右京




