ep 9
『鬼神と月兎』 第四章より
朝の稽古で心地よい汗を流した後、三人は宿屋の食堂へと向かった。ダイチは、初めて本格的な(?)指導を受けたことと、体を動かしたことで、昨日までの不安が少し和らいだのか、幾分か明るい表情をしている。
食堂は朝食をとる宿泊客で賑わっていた。三人は窓際のテーブルに席を取り、運ばれてきた朝食に手を付け始めた。メニューは、ふかふかの白パンに、野菜とベーコンがたっぷり入った温かいスープ、鳥の卵を使ったスクランブルエッグ、そして地元で採れたらしい赤い果実。異世界ながらも、なかなか食欲をそそる内容だ。
鬼神 龍魔呂はいつものように寡黙に食事を進めるが、その視線は時折、隣に座るダイチに向けられている。ダイチがスープの中に浮いている、独特な香りのする香草を眉をひそめて見ているのに気づくと、彼は自分のスプーンでそれを音もなく掬い取り、自分の皿の隅へ移した。また、ダイチが大きなパンをちぎるのに少し苦労しているのを見ると、無言で手を伸ばし、食べやすい大きさにさっと引き裂いてやった。
「あ…ありがとう、たつまろさん」
ダイチは、最初は少し驚いていたが、もうそのさりげない(?)世話焼きに慣れてきたのか、自然な笑顔でお礼を言った。鬼神 龍魔呂は「ふん」とだけ鼻を鳴らし、自分の食事に戻る。ユイは、そんな二人のやり取りを、微笑ましい気持ちで見守っていた。まるで年の離れた兄弟のようだ、と。
食事が一段落し、温かい飲み物が運ばれてきたところで、鬼神 龍魔呂が本題を切り出した。
「さて、これからどうするかだ」
その言葉に、ユイとダイチは顔を上げる。
「例の『勇者の印』について詳しく調べるにしても、お前を狙う連中や、魔王とやらの情報を探るにしても、まずは現状を知る必要がある。それと…先立つものもな」
鬼神 龍魔呂は懐を探るふりをする。昨日の謝礼だけでは、いつまでもつか分からない。
「そうですね…」ユイが頷く。「昨日訪れた冒険者ギルドなら、色々な情報が集まっているかもしれません。それに、旅を続けるには、やはり資金を稼ぐ必要もありますし…」
「手っ取り早いのは、ギルドで依頼を受けることだろう」
鬼神 龍魔呂が続ける。
「依頼をこなせば、報酬として金も手に入るし、その過程で有益な情報が得られる可能性もある。効率的だ」
ギルドの依頼、という言葉に、ダイチが興味を示したように身を乗り出した。
「あの…ギルドの依頼って、どんな仕事があるの? もし、困っている人を助けられるような仕事があるなら……僕、そういうのがいいな」
彼は少し照れたように、しかし真っ直ぐな目で鬼神 龍魔呂とユイを見た。
「僕が本当に勇者なのかどうかは、まだ全然分からないけど…。でも、昨日みたいに、困っている人や、弱いものをいじめる悪い人たちがいるのは、やっぱりすごく嫌なんだ。だから、僕にできることがあるなら、少しでも人の役に立ちたいなって…思うんだ」
その純粋で、強い意志のこもった言葉に、ユイは胸を打たれたように目を潤ませた。
「ダイチ様……なんて素晴らしいお考えでしょう!」
鬼神 龍魔呂は、ダイチの顔を一瞬だけじっと見つめた後、ふいと窓の外に視線を逸らした。そして、少しの間を置いて、わざとぶっきらぼうな口調で言った。
「…ふん。甘っちょろいことを言う。この世界は、そんな綺麗事だけじゃ生きていけんぞ」
だが、その声には、いつものような冷たさはなかった。
「だが、まあいい。どうせ情報が必要なのは同じだ。人の役に立つ依頼とやらが、都合よく情報収集に繋がる可能性もあるかもしれんからな」
彼は椅子から立ち上がりながら、言葉を続けた。
「ギルドへ行くぞ。手頃な依頼を探す」
その言葉は、ダイチの提案を受け入れたことを意味していた。ダイチの顔が、ぱっと太陽のように明るくなる。
「うん!」
三人の間に、新たな、そして具体的な目的が定まった。困っている人を助けながら、情報を集め、旅の資金を得る。それは、勇者を目指す(かもしれない)少年と、彼を守る月兎族の少女、そして、過去に囚われた鬼神にとって、意義のある旅の始まりになるのかもしれない。
彼らは朝食の席を立ち、活気を取り戻しつつある街の中、冒険者ギルドへと向かうのだった。