ep 6
『鬼神と月兎』 第三章:勇者のいる場所 より
あっという間に脅威を排除した鬼神 龍魔呂の圧倒的な強さに、ダイチはただ呆然と立ち尽くしていた。ユイの優しい言葉で少し我に返ったものの、目の前の状況がまだうまく飲み込めていないようだった。
「ユイ…さん? それに、たつまろ…さん…?」
ダイチは、庇っていた怪我をしたリスをそっと撫でながら、おずおずと礼を言った。
「助けてくれて、ありがとう……」
感謝の言葉とは裏腹に、その声にはまだ緊張と怯えが残っている。特に、黙したまま自分を見下ろす鬼神 龍魔呂の威圧感は、幼い少年にとって相当なものだろう。
「ダイチ様、本当に怖かったでしょう。でも、もう大丈夫ですからね」
ユイは安心させるように優しく微笑みかけた。
「わたくしたちがついています。あなたはアストリアを救う希望の光、勇者様なのですから」
「えっ? 僕が…勇者?」
ダイチは、きょとんとした顔でユイを見返した。自分がそんな大層な存在だとは、露ほども思っていない様子だ。
その時、それまで黙って様子を見ていた鬼神 龍魔呂が、低い声で口を開いた。
「小僧」
ダイチの肩がびくりと震える。
「なぜ、あいつらにお前が狙われていた。お前の言う『勇者の印』とは何のことだ」
有無を言わせぬ、尋問のような響き。だが、その声には不思議と相手を従わせる力があった。
ダイチは少し怯えながらも、鬼神 龍魔呂のまっすぐな視線から逃げることなく、正直に話し始めた。
「僕にも、よく分からないんだ…。物心ついた時から、僕の胸にはこの痣があって……」
「痣、ですか?」
ユイが促すと、ダイチは少し恥ずかしそうに、着ている服の胸元を僅かにめくって見せた。そこには、幼い少年の肌には不釣り合いな、まるで星が燃えるような形をした、不思議な痣が淡く輝いていた。
「村の長老が、これは『星詠みの勇者の印』だって…。古の勇者が受け継いできたものだって言ってたけど、僕は別に強くもないし…。でも、数日前に、突然さっきの人たちが村に来て、この印を無理やり奪おうとしてきたんだ。怖くて、ここまで逃げてきて…」
そこまで話すと、ダイチは不安そうに俯いた。
「なるほどな。その印とやらが、魔王か、あるいはお前を追っていた連中にとって、何か特別な意味を持つということか」
鬼神 龍魔呂は腕を組み、状況を冷静に分析する。
「恐らく、魔王は勇者の覚醒と、その印が持つ力を恐れているのです」
ユイも深刻な表情で頷いた。
「ダイチ様、これから多くの追っ手が差し向けられるかもしれません。一刻も早く、安全な場所へ…」
話している間にも、ユイは屈み込み、ダイチが庇っていたリスの怪我の具合を見ていた。幸い、傷は深くないようだ。彼女は懐から小さな薬草の包みを取り出すと、手早くそれを揉み解し、リスの傷口に優しく塗ってやる。ダイチは、その様子を心配そうに見守っていたが、リスが安心したように身を委ねるのを見て、ほっとしたように柔らかく微笑んだ。その純粋で屈託のない笑顔に、鬼神 龍魔呂は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、視線を留めた。
「…長居は無用だな」
不意に鬼神 龍魔呂が言った。彼の視線は既に、森の出口へと向けられている。
「ひとまず、ここを離れるぞ」
「ど、どこへ行くんですか?」
ダイチが不安げに尋ねる。
「安全な場所を探す。それと、情報収集だ。この世界の状況も、お前を狙う連中の正体も、今は何も分からんからな」
鬼神 龍魔呂の言葉はぶっきらぼうだが、有無を言わせぬ説得力があった。ダイチは少し戸惑いながらも、ユイの励ますような視線を受け、こくりと頷いた。彼は手当てされたリスをそっと腕に抱き上げると、しっかりと立ち上がった。
地面に転がっている男たちは、ひとまず放置することにした。彼らから無理に情報を引き出すより、今はダイチの安全確保が優先だ。
夕暮れの赤い光が、木々の隙間から差し込み始めている。三人は、不気味な静けさを取り戻した廃墟の森を後にし、新たな目的地――安全な場所と情報を求めて、再び歩き出した。勇者ダイチを守るための、鬼神 龍魔呂と月兎族ユイの、長く、そして過酷になるであろう旅が、今、本格的に始まったのだった。