ep 53
『鬼神と月兎』 第二十一章:カナン村からの旅立ち
カナン村で過ごした短い休息の夜が明け、一行は再び旅立ちの準備を整えていた。宿屋の中庭では、ダイヤが昨日手に入れた報酬で早速購入したらしい、切れ味の良さそうな新しい投げナイフの重さやバランスを確かめるように、軽く宙に放っては受け止めている。その表情は満足げだが、時折「…でも、やっぱり高いわね…」と呟いているあたり、懐具合はあまり改善されていないのかもしれない。
ユイは、村人から分けてもらった貴重な薬草を種類ごとに丁寧に仕分け、革袋に詰めている。ダイチは、シルヴァとノクスに「これからまた旅だよ。一緒に頑張ろうね」と話しかけ、二匹の鱗を優しく撫でていた。シルヴァは「うん!ダイチと一緒ならどこへでも行く!」と元気に答え、ノクスは黙ってダイチの足に頭を擦り寄せている。
そんな仲間たちの様子を、鬼神 龍魔呂は少し離れた場所から黙って見ていた。彼は既に全ての準備を終えているのか、ただ壁に寄りかかり、腕を組んでいるだけだ。しかし、その視線は、ダイチの方へは意識的に向けられていないように見えた。昨夜、ダイチから投げかけられた「たつまろさんも助けたい」という真っ直ぐな言葉が、彼の心の中でまだ静かに波紋を広げているのかもしれない。ダイチもまた、時折、鬼神 龍魔呂の様子を窺うように見ては、すぐに視線を逸らす。二人の間には、言葉にはならない、どこかぎこちない空気が流れていた。ダイヤとユイも、その微妙な雰囲気に薄々気づいてはいたが、あえて触れずにいた。
やがて準備が整い、一行が村の門へと向かうと、そこには村長をはじめ、多くの村人たちが見送りのために集まっていた。中には、昨日鬼神 龍魔呂に懐いていた子供たちの姿もある。
「皆様、短い間でしたが、本当にお世話になりました。村を救っていただいたご恩、決して忘れませんぞ!」
村長が深々と頭を下げる。
「どうか、道中お気をつけて!」「勇者様、またいつでもカナン村へお立ち寄りくだされ!」「ありがとう!」
温かい感謝と激励の声が、次々と一行にかけられる。
「みんな、ありがとう! 元気でね!」
ダイチは少し寂しそうにしながらも、精一杯の笑顔で手を振り返した。
「皆様もお元気で。村の復興が順調に進みますよう、お祈りしております」
ユイも丁寧に挨拶をする。
「ま、何かあったら、報酬次第でまた助けに来てあげるわよ! 達者でね!」
ダイヤは彼女らしく、軽く手を振って別れを告げた。
子供たちが、鬼神 龍魔呂に向かって叫んだ。
「たつまろお兄ちゃん、バイバーイ!」「また遊んでねー!」
鬼神 龍魔呂は、その声に一瞬だけ足を止めそうになった。しかし、結局振り返ることも、応えることもしなかった。彼はただ、仲間たちに「行くぞ」とだけ短く告げると、村に背を向け、シルバリアへと続く街道を黙々と歩き始めた。その背中は、どこか昨夜よりもさらに硬く、近寄りがたい雰囲気を纏っているようにも見えた。
「ほら、行くわよ!」
ダイヤがダイチとユイを促し、一行は鬼神 龍魔呂の後を追う。ダイチは、先を行く大きな背中を、何か言いたげな、しかし同時に強い決意を秘めたような、複雑な眼差しで見つめていた。彼の言葉は、確かに鬼神の心に届いたはずだ。それがどのような形であれ、変化をもたらすことを信じて。
カナン村での出会いと別れ、そして仲間たちとの交流を経て、一行の旅は再び始まる。目指すは情報と次なる依頼が待つ大都市シルバリア。それぞれの思いと、見えない絆を胸に、彼らは新たな一歩を踏み出した。




