ep 5
『鬼神と月兎』 第三章:勇者のいる場所
オークの群れを瞬く間に殲滅したたつまろの強さは、衛兵たちを通じてすぐに街の冒険者ギルドにも伝わった。「黒髪の鬼神」「闘気を操る謎の男」――そんな噂と共に。
たつまろとユイが再び冒険者ギルドの扉をくぐると、先ほどまでとは明らかに違う、畏敬と好奇の入り混じった視線が向けられた。ユイが受付カウンターで改めて「勇者ダイチ」の情報を求めると、今度は受付嬢も真剣な表情で応対した。
「勇者様、ですか…。確かなことは申し上げられませんが…実は気になる噂が一つ」
受付嬢は声を潜める。
「数日前、あなた方が先ほど討伐されたオークとは別の…もっとたちの悪い連中が、勇者の印を持つという少年を追って、この街の西にある『忘れられた民の廃墟』の森へ入っていった、という話を聞きました。真偽は不明ですが…」
廃墟の森。それは、古代文明の遺跡が残るが、魔物も出没するという危険な場所だという。確証はないが、他に手がかりもない。たつまろは短く「行くぞ」とだけ言うと、踵を返した。ユイは受付嬢に礼を言い、慌てて彼の後を追った。
街を出て西へ向かう。鬱蒼とした森が近づくにつれ、空気は重く、不気味な静けさを増していった。ユイの兎の耳が、ぴくぴくと頻繁に動いている。
「…聞こえます、たつまろ様」
ユイが不安げに囁いた。
「森の奥から…小さいけれど、とても澄んでいて、優しい『音』が…。きっと、ダイチ様の音です! でも、すぐ近くに…濁って、ねじくれたような、嫌な『音』もいくつか混じっています…! ダイチ様が危ないのかもしれません!」
二人は足を速め、蔦に覆われ、苔むした石造りの遺跡が点在する森の奥深くへと進んでいった。やがて、開けた場所に辿り着く。そこは、かつて神殿か何かだったのだろうか、崩れかけた柱や壁に囲まれた広場のような場所だった。
そして、その中央に、少年はいた。
年は10歳ほどだろうか。着ている服は汚れ、所々が擦り切れている。小柄で、お世辞にも力が強そうには見えない。だが、その瞳には怯えと共に、決して屈しないという強い意志の光が宿っていた。少年は、足元でキュウキュウと鳴いている、小さな怪我をしたリスのような小動物を、震える手で必死に庇うようにして立っていた。
そして、その少年を取り囲むように、武器を手にしたガラの悪い男たちが三人、下卑た笑みを浮かべて立ちはだかっていた。
「見つけたぜ、勇者サマよぉ。大人しくその『印』ってやつを渡しな」
「へへ、抵抗するなら無理やりにでも剥ぎ取ってやるぜ」
「そいつごと魔王様に突き出せば、俺たちも幹部になれるかもなぁ!」
男たちがじりじりと距離を詰める。少年は後ずさりしながらも、必死に小動物を守ろうと一歩も引かない。その姿は、あまりにも健気で、そして儚かった。
その時だった。
「――そこまでだ」
低く、静かだが、有無を言わせぬ威圧感を伴った声が響いた。男たちが驚いて振り返ると、そこにはいつの間にか、黒髪の男――たつまろと、月兎族の少女ユイが立っていた。
たつまろは、まずガラの悪い男たちを一瞥した。虫けらを見るような、冷たい視線。それから、ゆっくりと少年に視線を移す。
(……小さい)
それが第一印象だった。弱々しく、今にも押し潰されてしまいそうな少年。だが、その瞳の奥の光、そして、自分より弱いものを必死で守ろうとする姿に、たつまろの脳裏に、遠い日の記憶が一瞬だけ蘇った。守れなかった、たった一人の弟の面影が。
「…………」
たつまろは、何も言わなかった。ただ、その場に存在するだけで、場の空気を支配していた。
「ダイチ様っ! ご無事でしたか!」
ユイが感極まったように駆け寄り、少年の前に立った。
少年は、突然現れたユイと、その後ろに立つ恐ろしげな男を、驚きと戸惑いの表情で交互に見つめた。
「きみは…? それに、その人は……?」
「なんだてめえら! このガキの仲間か!」
「邪魔するってんなら、てめえらから先に始末してやるぜ!」
ガラの悪い男たちが、獲物が増えたとばかりに武器を構え、たつまろたちに敵意を向けた。
だが、それが彼らの最後の言葉となった。
たつまろが動いたのは、男たちが一歩踏み出すよりも速かった。瞬く間に距離を詰め、一番手前の男の顎を打ち抜き、二人目の棍棒を叩き折りながら鳩尾に掌底を叩き込み、三人目の斬りかかってきた剣を指で挟み止め、そのまま腕を捻り上げて地面に叩き伏せる。ほんの数秒の出来事だった。男たちは、何が起こったのかも理解できないまま、白目を剥いて意識を失った。
圧倒的な力の差。脅威は、あまりにもあっけなく排除された。
少年――ダイチは、目の前の出来事が信じられないというように、口をぽかんと開けて立ち尽くしている。ユイは、そんなダイチに優しく微笑みかけた。
「もう大丈夫ですよ、ダイチ様。わたくしは月兎族のユイ。あなた様をお守りするために参りました」
それから、彼女は少しだけ緊張した面持ちで、背後のたつまろを振り返りながら紹介した。
「そして、こちらは…えっと、鬼神龍…たつまろ、、龍魔呂様、です! とても強くて、その…頼りになる、お方、です!」
ダイチは、自分たちをいとも簡単に助けてくれたたつまろを、恐る恐るといった様子で見上げた。自分よりもずっと背が高く、纏う雰囲気はどこか近寄りがたい。けれど、その瞳の奥に何か温かいものがあるような気もする…。
たつまろは、そんなダイチの視線を受け止め、ただ黙って少年を見返していた。これが、勇者ダイチ。そして、鬼神龍魔呂。二人の運命が、今、この異世界の片隅で交差した瞬間だった。