ep 43
『鬼神と月兎』 第十七章:カナン村の感謝と安堵
オークの大群という未曾有の危機が去り、カナン村には安堵のため息と、しかし同時に戦闘の爪痕が生々しく残る、複雑な空気が流れていた。門の外にはおびただしい数のオークの死体が積み重なり、門の一部は破壊され、村人たちの顔にはまだ恐怖の色が残っている。
教会から無事に出てきた村人たちは、広場に集まっていた一行、特にダイチの元へと駆け寄った。
「坊や、ありがとうよ! あんたが大きな声で呼びかけてくれなかったら、どうなっていたか…」
「勇者様がいる、ってだけで、なんだか勇気が湧いてきただよ!」
「ドラゴンさんたちも、子供たちを安心させてくれてありがとうね!」
避難誘導の際のダイチの必死な姿や、シルヴァとノクスが子供たちに寄り添っていた様子を見ていたのだろう、口々に感謝の言葉が寄せられた。
「えへへ…僕、あんまり役に立てなかったけど…でも、みんなが無事で本当に良かった!」
ダイチは照れながらも、人々の温かい言葉に、先ほどの戦闘の恐怖が和らいでいくのを感じ、嬉しそうに笑った。シルヴァとノクスも、ダイチの隣で「きゅるる!」「…ふん」と誇らしげにしている。
広場の隅では、ユイが戦闘で負傷した衛兵や、避難中に転んで怪我をした老人たちの手当てに追われていた。彼女が優しく手を当てると、傷口が淡い月の光のような穏やかな輝きに包まれ、見る見るうちに塞がっていく。痛みも和らぐのか、苦悶の表情を浮かべていた人々が、安堵のため息をつく。
「おお…痛みが引いていく…」
「これは…聖女様の御業じゃ…」
「ありがたや、ありがたや…」
村人たちは、その奇跡のような光景に驚き、手を合わせてユイに感謝した。
「わたくしにできることは、これくらいですから。皆さまご無事で何よりです」
ユイは額の汗を拭いながらも、謙虚に微笑み、休む間もなく次の怪我人の元へと向かう。
そこへ、村長が息を切らせてやってきて、門の前で後片付けの指示を出していた鬼神 龍魔呂とダイヤの前に進み出た。
「鬼神様! ダイヤ様! この度は、なんとお礼を申し上げたら良いか…! あなた方がいなければ、このカナン村はオークどもに蹂躙され、今頃は…!」
村長は感極まった様子で、深々と頭を下げた。
「これは、最初に受けていただいた護衛依頼の報酬と、そして、今回の村の危機を救っていただいた、我々からの精一杯の感謝の気持ちでございます! どうかお納めください!」
村長は、ずっしりと重そうな金貨の袋を差し出した。報酬に加えて、かなりの額の謝礼が含まれているようだ。
「あらあら、村長さん! 話がわかるじゃないの!」
ダイヤは待ってましたとばかりに目を輝かせ、喜び勇んで金貨袋を受け取った。そして、その場でジャラジャラと中身を念入りに確認する。
「うんうん、これだけあれば、あの大剣のメンテナンスもバッチリだし、新しい装備も…いやいや、まずは当面の食費と宿代よね…それにユイちゃんの薬草代も…」
彼女は真剣な顔で計算を始め、その表情はコロコロと変わる。
一方、鬼神 龍魔呂は報酬には全く興味を示さず、門の外に広がるオークの死体の山を、冷たい目で見下ろしていた。先ほどの戦闘、特にトリガーが発動した際の記憶が蘇っているのかもしれない。
その時、彼の足元に、一人の小さな男の子がおずおずと近づいてきた。昨日、彼が頭を撫でた子とは別の子だ。
「あ、あの…お兄ちゃん…」
声が震えている。
「さっき、オークをやっつけてくれて……ありがとう!」
子供は、恐怖よりも憧れの気持ちが強いのか、キラキラした目で鬼神 龍魔呂を見上げていた。
鬼神 龍魔呂は、ゆっくりとその子を見下ろした。その瞳には、もう戦闘中の狂気も、その後の虚無感もない。ただ静かに、子供の姿を映している。
彼は何も言わず、ただ「……ああ」とだけ、低く応えた。
そして、ほんの少しだけ逡巡するような間があった後、大きな手を伸ばし、男の子の頭をそっと、一度だけ撫でた。それは、昨日よりもさらに不器用で、しかし確かに温もりを感じさせる仕草だった。
男の子は驚いたように目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに顔を輝かせた。
ダイヤは報酬の計算を中断し、その光景を横目で見て、「ふん、素直じゃないんだから」と小さく笑った。ユイも、治療の手を休め、遠くからその様子を見て、心が温かくなるのを感じていた。
オークの襲撃という危機は去り、カナン村には安堵の空気が広がっていた。村人たちの感謝、子供たちの笑顔、そして仲間たちの存在。それらが、鬼神 龍魔呂の凍てついた心にも、ほんの少しずつだが、確かな変化をもたらし始めているのかもしれない。一行は、この村でしばしの休息を取り、次なる一歩へと備えるのだった。




