ep 35
『鬼神と月兎』 第十四章:赤黒い衝動
シルバリアからカナン村へと続く街道は、穏やかな平原を抜け、再び深い森へと差し掛かっていた。ダイチはシルヴァとノクスに交互に話しかけ、ユイとダイヤも時折会話を交わしながら、比較的和やかな雰囲気で旅は進んでいた。鬼神 龍魔呂は黙々と先頭を歩き、一行を先導している。
その時だった。
「―――キャァァァァァッ!!」
「助けてぇぇぇっ!!」
森の少し奥の方から、複数の子供たちの甲高い悲鳴が響き渡ってきた。それは明らかに尋常ではない、恐怖に満ちた叫び声だった。同時に、複数の大型モンスターが放つ、地を揺るがすような獰猛な咆哮も聞こえてくる。
「!! 子供の声!?」
「この気配…大型の魔物が複数!?」
ユイとダイヤの表情が険しくなる。
「みんな、急いで!」
ダイヤが叫び、一行は音のする方へと駆け出した。護衛対象のバルガスたちも、不安げな顔で後に続く。
木々をかき分け、開けた場所にたどり着いた彼らが目にしたのは、絶望的な光景だった。
5、6人の幼い子供たちが、恐怖に泣き叫びながら、巨大な魔物たちに囲まれていたのだ。鋭い嘴と鉤爪を持つグリフォンのような飛行型魔獣が空から襲いかかろうとし、サイのような硬い皮膚を持つ突進型魔獣が地面を抉りながら迫り、巨大な毒蛇型の魔獣が鎌首をもたげて子供たちを睨んでいる。その数、合わせて5体以上。子供たちは完全に包囲され、もはや逃げ場もなく、ただただ泣き叫ぶことしかできないでいた。
その光景を目にした瞬間。
鬼神 龍魔呂の纏う空気が、一変した。
サッと、彼の顔から血の気が引いていく。顔面は紙のように蒼白になり、しかしその瞳だけは、過去の悪夢――蹂躙され、守れなかった弟の姿を映し出し、赤黒い、憎悪と狂気の炎に染め上がった。
「…………ッッッ!!!」
言葉にならない、獣が喉を鳴らすような、あるいは魂が軋むような音が彼の喉から漏れた。次の瞬間、彼の全身から、制御が効かないほどの膨大で禍々しい赤黒い闘気が、嵐のように噴き出した! その圧倒的なプレッシャーに、周囲の木々がざわめき、空気そのものがビリビリと震える。
「龍魔呂様!? まさか…!」
「待ちなさい、たつまろ! 落ち着いて!」
ユイとダイヤが、彼の異変に気づき叫ぶ。しかし、もはやその声は届かない。トリガーは引かれたのだ。子供たちが、無力な存在が悪意によって蹂躙されようとしている、その光景こそが、彼の魂に刻まれた決して癒えることのない傷を抉り、彼を復讐の化身へと変貌させるスイッチだった。
彼は仲間たちの存在も、護衛任務のことも、全てを置き去りにして、ただ目の前の「悪」を滅ぼすためだけに、大型モンスターの群れへと単身で突撃した。
そこからは、もはや戦闘ではなかった。一方的な、苛烈極まる殲滅戦だった。
飛行型魔獣が空から急降下してきても、彼は見上げることすらせず、闘気を纏った拳を突き上げ、その身体を空中で爆散させる。突進型魔獣の突撃は、正面から受け止め、その角を掴んでへし折り、そのまま頭蓋を粉砕する。巨大な毒蛇型が巻き付こうとすれば、その胴体を掴み、凄まじい力で引きちぎってしまう。
彼の動きには、もはや技の名前も、戦術的な思考もない。ただ、純粋な怒り、憎悪、そして破壊衝動。赤黒い闘気の奔流が彼の周囲を渦巻き、触れるものすべてを薙ぎ払い、粉砕していく。大型モンスターたちは、目の前の存在が一体何なのか理解できないまま、その圧倒的な暴力の前に、次々とただの肉塊へと変えられていった。恐怖に駆られて逃げ出そうとした魔獣も、背後から放たれた闘気の奔流に飲み込まれ、跡形もなく消し飛んだ。
ダイヤ、ユイ、ダイチ、そしてバルガスと傭兵たちは、その人間離れした、あまりにも凄惨な殺戮劇を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。鬼神 龍魔呂の放つ、純粋な殺意と破壊のオーラは、近づくことすら許さないほどに強烈だった。
「(なんて力……なんて、禍々しい気配なの……これが、彼の本当の……?)」
ダイヤは戦慄し、ゴクリと息を呑んだ。
「龍…呂様……」ユイは彼の変わり果てた「音」に怯えながらも、その奥にある深い悲しみを感じ取り、胸を痛めていた。
ダイチは、ただただ怖くて、しかし目が離せずに、涙を流しながらその光景を見つめていた。シルヴァとノクスも、主人の恐怖を感じ取り、小さく震えている。
やがて、最後の魔獣が絶命し、森には不気味な静寂が戻った。辺りには、大型モンスターたちの無残な亡骸と、生々しい血の匂いだけが残されている。
その中心に、鬼神 龍魔呂は立っていた。全身から立ち昇っていた赤黒い闘気は未だ収まらず、浅く速い呼吸を繰り返している。顔面は蒼白なままだが、瞳の狂気的な光はわずかに揺らいでいるようにも見えた。
助けられた子供たちの一人、一番年長らしき少年が、恐怖に震えながらも、勇気を振り絞って鬼神 龍魔呂の前に進み出た。
「あ、あの……」
声が震えている。
「た、助けてくれて……ありがとう……ございます……」
その、か細く、しかし真っ直ぐな感謝の言葉。それが、狂気の淵にいた鬼神 龍魔呂の意識を、現実へと引き戻す一筋の光となったのかもしれない。
彼の瞳の赤黒い炎が、すっと和らぐ。噴き出していた闘気も、急速にその勢いを失っていった。彼はゆっくりと、目の前の少年を見下ろした。
そして、まだ微かに闘気の残滓が漂う、血に濡れた大きな手を、そっと、本当にそっと、少年の頭の上に乗せた。そして、まるで壊れ物に触れるかのように、一度だけ、優しく撫でた。
その瞬間、彼の表情は読み取れなかった。すぐに手を離し、彼は子供たちに背を向けた。その背中は、ひどく疲れているようにも、あるいは、拭いきれない深い孤独を湛えているようにも見えた。
彼は、駆け寄ってきた仲間たちに一瞥もくれず、ただ黙って、カナン村へと続く道を再び歩き始めた。




