ep 3
『鬼神と月兎』 第二章より
「やまねこ亭」での食事を終え、再び石畳の道を歩き始めた二人。ユイは龍魔呂の少し斜め後ろを歩きながら、彼の発する「音」に改めて耳を澄ませていた。先ほどの食堂でのやり取りで、彼の奥底にある悲しみや怒りだけでなく、それを律する強靭な意志、そして不器用な優しさのような響きも感じ取っていた。そして何より、彼の内に秘められたエネルギーの総量は、まるで静かに燃える恒星のように巨大だった。
(龍魔呂様のこの力…もし、もっと引き出すことができたら、きっとダイチ様を守る大きな助けになるはず…!)
ユイはある考えに至り、龍魔呂に声をかけた。
「あの、龍魔呂様! もう一箇所だけ、立ち寄ってみたい場所があるのですが、よろしいでしょうか?」
「……どこだ」
「えっと、この街の少し外れに、古い道具や珍しい石なんかを扱っているお店があるんです。もしかしたら、龍魔呂様のお役に立てる何かが見つかるかもしれません!」
龍魔呂は特に興味もなさそうだったが、黙ってユイの案内に従った。彼女が導いたのは、大通りから何本も脇道に入った、日当たりの悪い場所にひっそりと佇む店だった。看板には掠れた文字で「月影の工房」と書かれている。宝石店というよりは、錬金術師の工房か、あるいは怪しげな骨董品店といった方が近いかもしれない。
埃っぽい木の扉を開けて中に入ると、薄暗い店内には様々な鉱石、古びた装飾品、用途の分からない道具などが雑然と並べられていた。奥のカウンターには、痩身の老人が座り、ルーペを片手に何かの石を磨いている。ユイが声をかける前に、老人はゆっくりと顔を上げた。そして、龍魔呂の姿を認めると、その深い皺の刻まれた目を見開いた。
「ほう……これはこれは。久方ぶりに、途方もない『器』をお持ちのお方がお見えになったわい」
老人はルーペを置くと、椅子から静かに立ち上がった。その目は、値踏みするようでもあり、感嘆しているようでもあった。
「して、お嬢さん。そちらのお方を連れてこられたということは、この御仁の内に秘めたる力を、より引き出すための『縁』をお求めかな?」
「は、はい!店主さん。何か、この方のお力になれるようなものはありますでしょうか?」
ユイが少し緊張しながら尋ねると、老店主は「ふむ」と顎鬚を撫でた。
「これほどの力を持つお方となると、そこらの品では役不足じゃろうな。…少し待っておれ」
老人はカウンターの奥へと引っ込み、ごそごそと何かを探す音がした後、やがて古びた桐の小箱を手に戻ってきた。箱の蓋には、何かの紋様が刻まれている。
「これならば、あるいは…」
老人が厳かに蓋を開けると、中には黒いビロードの上に、一つの指輪が鎮座していた。黒曜石を思わせる漆黒の石がはめ込まれ、台座は鈍い銀色の金属でできている。華美な装飾はない、非常にシンプルなデザインだ。しかし、なぜか不思議な存在感を放っている。
「これは『魂の炉心環』と呼ばれる指輪じゃ。遥か昔、星の力を扱ったという古代の民が遺したもの…という伝承もあるが、真偽は定かではない。じゃが、確かなことは一つ。この指輪は、持ち主の内に眠る生命の奔流…魂の力を汲み上げ、目に見える『闘気』として練り上げる助けとなる」
老人は指輪を手に取り、龍魔呂に差し出した。
「さあ、お試しくだされ。この指輪は気難しく、真に力ある者でなければ反応すら示さん。もし、貴殿がこれに選ばれし者ならば、指輪は必ずや応えるはずじゃ」
龍魔呂は胡散臭げに眉をひそめた。闘気? 古代の民? 馬鹿馬鹿しい。だが、ユイが隣で期待に満ちた瞳でこちらを見ている。それに、老人の言葉には妙な説得力があった。仕方ない、というように、彼は差し出された指輪を受け取り、自身の左手の中指にはめてみた。
その瞬間。
ピリッ、と微かな電流のような感覚が指先から全身へと走った。指輪にはめ込まれた黒い石が、淡く、しかし力強く脈動するように赤い光を放ち始める。そして、龍魔呂自身の内側から、これまで感じたことのない膨大なエネルギーが、まるで堰を切ったように引き出され、全身を駆け巡るのを感じた。それは、熱く、力強く、そしてどこまでも澄んだ力の奔流だった。
「…!」
思わず、龍魔呂は目を見開いた。目に見える大きな変化はない。だが、身体の内側で何かが確実に変わった。力が、以前よりも明確な形で、自分の意志で制御できるエネルギーとして感じ取れる。これが、闘気…?
老店主は、指輪の反応を見て満足げに深く頷いた。
「やはり、貴殿こそがこの指輪の新たな主であったか。長年、この店で埃をかぶっておったが、ようやく日の目を見る時が来たようじゃ。結構、結構」
彼は穏やかに微笑むと、言った。
「代金は結構じゃ。その指輪は、本来あるべき場所へ収まったのじゃからな。どうか、その力を貴殿の往く道で、正しく役立ててくだされ」
龍魔呂は、指輪が放つ微かな光を見つめたまま、何も言わなかった。礼を言う柄でもない。彼は黙って踵を返し、店を出ようとした。
「あ、ありがとうございます、店主さん!」
ユイが慌てて老人に深々と頭を下げ、龍魔呂の後を追った。
薄暗い店から再び陽光の下へ出ると、指輪の光は収まっていた。だが、龍魔呂は確かに感じていた。指輪をつけた左手に、意識を集中させれば、いつでもあの力の奔流を呼び起こせることを。
彼は左の拳をゆっくりと握りしめ、そこに集まる新たな力の感触を確かめた。
「闘気、か……くだらん」
口ではそう吐き捨てながらも、龍魔呂の口元には、ほんの僅かな、獰猛な笑みが浮かんでいたかもしれない。この力が、これからの戦いでどれほどの役に立つのか。試してみるのも悪くない、と。
隣では、ユイが自分のことのように嬉しそうに微笑んでいた。