ep 23
『鬼神と月兎』 第九章:大都市シルバリア
ロックウッド村を出発してから数日、一行は街道を東へと進み続けていた。道中、シャドウハウルのような魔物に襲われることもなく、ユイが時折感じるという不穏な「音」も、幸いにして現実のものとはならなかった。ダイチは鬼神 龍魔呂との朝の稽古を日課とし、少しずつだが体力もついてきたようだ。ダイヤは相変わらず金策の心配をしているが、ダイチとのやり取りはどこか微笑ましく、ユイはそんな仲間たちの様子を温かく見守っていた。鬼神 龍魔呂は寡黙なままだったが、以前のような張り詰めた空気は少し和らいだように感じられた。
そして、旅を始めてから五日目の夕暮れ時。長く続いた平原の先に、巨大な城壁と、天を突くような高い塔がいくつも見えてきた。目的地である大都市「シルバリア」の威容だった。
「うわぁ……!」
「大きい……!」
ダイチとユイは、そのあまりの規模に感嘆の声を上げる。ロックウッド村とは比べ物にならない、まさしく大都市だ。城壁は高く堅固で、その上を武装した衛兵が規則正しく巡回しているのが遠目にも分かった。
街門は日没が近いこともあり混雑していたが、衛兵によるチェックは厳重に行われていた。様々な人種、商人、旅人、そして冒険者たちが列をなしている。順番が来て、衛兵が一行、特に鬼神 龍魔呂の鋭い雰囲気と、月兎族であるユイ、そして幼いダイチという組み合わせに怪訝な視線を向けたが、ダイヤが慣れた様子で前に出た。
「冒険者よ。依頼でこの街に来たの。これが身分証」
彼女がギルドカードらしきものを提示すると、衛兵はそれを確認し、さらに何かを台帳と照合した後、「…よし、通れ。ただし、街中での揉め事は起こすなよ」と、少しだけ警告するように言いながら門を開けた。ロックウッド村での盗賊団壊滅の報が、既にここまで届いていたのかもしれない。
街の中は、外から見た以上に活気に満ち溢れていた。石畳で舗装された広い道には、多くの人々が行き交い、道の両脇には様々な商店や工房が軒を連ねている。馬車や荷車が忙しく行き交い、威勢の良い呼び込みの声や、人々の話し声、そして遠くからは鍛冶の音や音楽のようなものまで聞こえてくる。まさに坩堝のような喧騒だ。
「わぁ……すごい人……!」
「目が回りそうです……」
ダイチとユイは、その圧倒的な活気に目を白黒させている。
「ふん、相変わらず騒々しい街ね。まあ、これだけ人がいれば情報も集めやすいでしょうけど」
ダイヤは周囲を見回しながら呟いた。鬼神 龍魔呂は、人混みを巧みに避けながらも、その鋭い視線で街の構造、人々の様子、そして時折すれ違う屈強な冒険者たちの実力などを探っているようだった。
「さて、まずは寝床の確保が最優先ね」
ダイヤが一行を先導する。「ギルドにも近くて、そこそこマシで、なおかつ安い宿を知ってるわ。こっちよ」
彼女が案内したのは、「銀竜亭」という名の、少し古いがしっかりとした造りの宿屋だった。ロビーも広く、多くの旅人で賑わっている。ダイヤはカウンターで慣れたように宿の主人と交渉し、二部屋を確保した。(「一部屋じゃ狭すぎるでしょ! 特にミスター鬼神と一緒なんてごめんよ!」と彼女は言った)。支払いは、今回も鬼神 龍魔呂が黙って金貨を数枚、カウンターに置いた。
通された部屋は、街道沿いの宿よりは広く、清潔だった。窓からは、家々の窓にランプの灯りが点り始めたシルバリアの美しい夜景が見渡せる。
「わーい! ベッドふかふかだー!」
ダイチは長旅の疲れも忘れ、早速ベッドに飛び込んだ。
「こら、ダイチ様、そんなにはしたないですよ。まずは荷物を解いて…」
ユイが優しく注意しながらも、その表情は安堵に満ちている。
ダイヤはといえば、部屋に入るなり魔法収納袋から愛剣のレイピアを取り出し、持参したオイルと布で手入れを始めていた。
「ふぅ…やっぱり少し刃こぼれしてるわね。明日は砥石も買わないと…。あーあ、また出費が…」
彼女のぼやきはもはや恒例行事だ。鬼神 龍魔呂は、部屋の隅に荷物(と言ってもほとんどないが)を置くと、窓辺に立ち、眼下に広がる大都市の喧騒を静かに見下ろしていた。何を思っているのか、その表情からは窺い知れない。
一息ついた後、一行は宿の食堂に向かった。
食堂も広く、多くの客で賑わっている。メニューも豊富で、肉料理、魚料理、スープ、パン、見たこともないような異国の料理まで並んでいた。ロックウッド村の素朴な料理とは違い、どれも手が込んでいて美味しそうだ。
「わあ、美味しそう!」
「目移りしちゃいますね、ダイチ様!」
ダイチとユイは目を輝かせる。ダイヤもメニューを吟味し、「よし、今夜は奮発してこれ! この街名物の『グリフォンステーキ』にしましょ!」と少し高そうな肉料理を注文した(報酬が入ったばかりで気が大きくなっているのだろう)。鬼神 龍魔呂は、メニューにはほとんど目もくれず、壁に書かれていた「本日の定食」のようなものを頼んだ。
やがて運ばれてきた料理は、見た目も香りも素晴らしかった。特にダイヤが頼んだグリフォンステーキは、分厚く巨大で迫力がある。
「さあ、食べましょ食べましょ!」
ダイヤは上機嫌でナイフとフォークを手にした。
しかし、ダイチは運ばれてきた自分の料理(これも肉料理だった)を前に、少し困った顔をしていた。骨付きの大きな肉で、慣れないナイフとフォークではうまく切り分けられないようだ。
「もう、不器用ね、ボウヤ」
隣に座っていたダイヤが、呆れたように言いながらも、自分のナイフで手際よくダイチの肉を骨から外し、一口サイズに切り分けてやった。
「ほら、こうやって食べるのよ。分かった?」
少しぶっきらぼうな口調だが、その手つきは驚くほど丁寧で優しい。
「わ、ありがとう! ダイヤさん!」
ダイチはぱっと顔を輝かせた。
反対側に座る鬼神 龍魔呂は、自分の定食を黙々と口に運びながらも、その視線は時折ダイチに向けられていた。ダイチが付け合わせの野菜(例の、彼が苦手そうな紫色の根菜だ)を皿の隅に寄せているのに気づくと、彼はやはり何も言わずに、自分のフォークでそれを掬い取り、自分の皿へと移した。さらに、ダイチが遠くのテーブルに置かれた塩の小瓶を取ろうと手を伸ばしているのに気づくと、さっと立ち上がり、その小瓶を取ってきてダイチの前に無言で置いた。
「あ、ありがとう、たつまろさん!」
ダイチが嬉しそうにお礼を言う。鬼神 龍魔呂は「ふん」とだけ鼻を鳴らして席に戻った。
その後も、ダイチがスープを飲んで口元を汚すと、ダイヤが「あーもう、子供なんだから!」と少し顔を赤くしながらナプキンで拭いてあげようとするのと、鬼神 龍魔呂が(まるでそれが当然であるかのように)新しい清潔なナプキンをすっと差し出すのが、ほぼ同時になる場面もあった。二人は一瞬、互いの行動に気づいて視線を交わすが、すぐに何事もなかったかのようにそれぞれの食事に戻った。
食事が終わりに近づき、デザートとして甘い蜜がかかった焼きリンゴが運ばれてきた。
「わーい、デザートだ!」
喜ぶダイチを見て、ダイヤは自分の皿に乗っていた焼きリンゴを、フォークで半分ほど切り分けると、ダイチの皿にことりと乗せた。
「へっ!? い、いいの、ダイヤさん?」
「べ、別にアンタのために取っておいたわけじゃないわよ! 私がもうお腹いっぱいで、食べきれないだけなんだからね! 勘違いしないでよね!」
ダイヤは顔を赤くしながら、早口でまくし立てる。その様子は、誰が見ても照れ隠しだった。
ダイチは、そんなダイヤの態度にきょとんとしつつも、「ありがとう、ダイヤさん!」と満面の笑みで焼きリンゴを頬張った。
ユイは、そんな微笑ましい(そして少し甘酸っぱい?)光景を、目を細めて見守っていた。
「(ふふ、ダイヤさんも龍魔呂様も、なんだかんだでダイチ様のことが可愛くて仕方ないのですね)」
彼女は、二人の不器用な優しさを示す「音」を聞きながら、心が温かくなるのを感じていた。




