ep 13
『鬼神と月兎』 第五章より
鬼神 龍魔呂の後を必死で追ってきたユイ、ダイチ、ダイヤの三人が、破壊された壁の穴から屋敷の広間へと足を踏み入れた瞬間、彼らは息を呑んだ。
そこは、まさしく地獄だった。
床も壁も夥しい量の血で染まり、賊たちの無残な亡骸が折り重なるように転がっている。鉄錆と死臭が鼻をつき、常人ならば立っていることすら困難な光景だ。歴戦の傭兵であったはずのダイヤですら、そのあまりの惨状に顔を顰め、ユイは悲鳴を上げそうになるのを必死で堪えて口元を押さえた。ダイチは、あまりの衝撃に足がすくみ、その場から動けなくなってしまった。
そして、その凄惨な空間の中心に、鬼神 龍魔呂は立っていた。返り血で濡れた彼の足元には、ボロボロになりながらもまだ息のある、頭目らしき恰幅の良い男が這いつくばっていた。男は顔を恐怖に歪め、必死に命乞いをしている。
「た、頼む! 頼むから命だけは助けてくれ! 金ならいくらでもやる! 女も! 村の宝も全部やるから! だから…!」
頭目は見苦しく懇願するが、鬼神 龍魔呂の瞳には何の感情も映っていなかった。ただ冷たく、底なしの憎悪の色だけが揺らめいている。彼はゆっくりと右手を振り上げた。その拳には、とどめの一撃を放つための、赤黒い闘気が再び集束し始めている。
その瞬間だった。
「やめてぇぇぇぇっ!!」
ダイチが、恐怖を振り絞った金切り声を上げた。彼は、すくんでいた足を無理やり動かし、鬼神 龍魔呂と頭目の間に、小さな身体で飛び出した。そして、まるで大切なものを守るかのように両手を広げ、鬼神 龍魔呂の前に立ちはだかる。
「もう、やめて! たつまろさんっ!」
涙を流しながら、ダイチは必死に叫んだ。
「その人は、もう戦う力なんてないよ! これ以上は……だめだよっ!」
その真っ直ぐな叫びと、自分を恐れずに立ちはだかる小さな背中。それは、鬼神 龍魔呂の意識を、憎悪と殺意の渦巻く深淵から強引に引き戻した。ハッと、彼の動きが止まる。全身を覆っていた禍々しい闘気のオーラが、急速にしぼんでいく。瞳に宿っていた赤黒い炎が揺らぎ、わずかに正気の光が戻ってきた。
「……ダイチ……?」
掠れた、自分でも驚くほど弱々しい声で、鬼神 龍魔呂は少年の名を呼んだ。顔面蒼白なのは変わらないが、彼を支配していた狂気的な殺意は、確かに薄れていた。
だが、その一瞬の隙が、命運を分けた。
命拾いしたと思った頭目は、這いつくばっていた卑屈な表情を一変させ、残忍で狡猾な笑みを浮かべた。
「へへ…しめた! このガキが、役に立ちやがったぜ!」
彼は素早く身を起こすと、自分を庇ってくれたダイチの背後から忍び寄り、その小さな首に腕を回して人質に取ろうとした。あるいは、懐から抜き出した錆びた短剣で、不意を突いて刺し貫こうとしたのかもしれない。
しかし、頭目の卑劣な動きは、鬼神 龍魔呂の覚醒を完了させるための最後の引き金となった。
「――させん」
今度の声は、低く、静かだったが、絶対的な怒りと、守るという明確な意志が込められていた。ダイチに危害が及ぶ、その刹那。頭目の腕がダイチの首にかかるよりも、短剣の切っ先がダイチの背中に触れるよりも速く、鬼神 龍魔呂が動いた。
それはもはや、怒りに任せた破壊ではない。守るべきものを守るための、研ぎ澄まされた一撃。彼の右手が閃き、正確に頭目の心臓の位置を貫いていた。闘気は使われていない。純粋な、鬼神流の技。
「ぐ……ぇ……」
頭目は信じられないという顔で、自身の胸から突き出た鬼神 龍魔呂の手を見つめ、そのまま力なく崩れ落ちた。今度こそ、その命の灯は完全に消え去った。
広間に、再び静寂が戻る。ただ、頭目の亡骸が倒れる音だけが、やけに大きく響いた。
ダイチは、背後で起きた出来事に呆然と立ち尽くしている。ユイとダイヤが、はっと我に返り、ダイチの元へと駆け寄った。
「ダイチ様、ご無事で…!?」
「ボウヤ、無茶するんじゃないわよ!」
鬼神 龍魔呂は、頭目の亡骸からゆっくりと手を引き抜くと、返り血に濡れた自身の拳をじっと見つめた。そして、深く、長く息を吐く。顔色は依然として白いままだが、瞳の奥の狂気は消え、代わりに深い疲労と、わずかな動揺の色が見て取れた。彼は、心配そうにこちらを見るダイチから、ふいと視線を逸らした。
仲間たちの前で、自身の最も醜く、危険な部分を晒してしまった。その事実に、彼は言葉にならない感情を抱えていたのかもしれない。




