ep 12
『鬼神と月兎』 第五章より
鬼神 龍魔呂の足は、迷いなく村で一番大きな屋敷――盗賊団「黒蠍団」が拠点として占拠しているであろう元村長の家へと向いていた。堅牢な木の扉が閉ざされ、中からは下品な笑い声や、誰かを罵るような怒声が微かに漏れ聞こえてくる。略奪した酒で宴会でも開いているのだろうか。
彼は扉を蹴破るまでもない、と判断した。左手の中指にはめた「魂の炉心環」が、彼の内に渦巻く怒りと殺意に呼応するように、鈍い赤黒い光を放ち始める。膨大な闘気が右拳に収束する。
「……邪魔だ」
呟きと共に、闘気を纏った拳を屋敷の分厚い木製の壁に叩きつけた。轟音。壁の一部が、まるで爆発したかのように粉々に砕け散り、大きな穴が開いた。木片と土埃が舞う中、鬼神 龍魔呂は表情一つ変えず、その穴から屋敷内へと足を踏み入れた。
「な、なんだぁ!?」
「敵襲か!? いや、一人だぞ!」
突然の破壊音と侵入者に、屋敷の広間で酒盛りをしていたらしい十数人の盗賊たちが、驚きと混乱の中で武器を手に取った。剣、斧、棍棒…それぞれが手慣れた様子で構える。だが、彼らが侵入者の姿を正確に捉えた時、その顔に戸惑いの色が浮かんだ。そこに立っていたのは、顔面蒼白で、しかし瞳だけが異常な光を宿した、返り血すら浴びていない(まだ)一人の男だったからだ。
「てめえ、何者だ! 村の残党か!?」
リーダー格らしい髭面の男が怒鳴る。
鬼神 龍魔呂は答えない。ただ、冷たく、底光りする瞳で盗賊たちを見据える。その視線だけで、何人かの盗賊の背筋に悪寒が走った。
「殺せ!!」
髭面の男が叫び、盗賊たちが鬨の声を上げて襲いかかってきた。
次の瞬間、広間は地獄絵図と化した。
鬼神 龍魔呂の姿がぶれたかと思うと、一番に飛びかかってきた盗賊の喉が、見えない手刀によって切り裂かれていた。鮮血が噴き上がり、男は声もなく崩れ落ちる。返す刀で隣の男の心臓を貫き手が貫き、背後から迫る棍棒を闘気を纏った裏拳で粉砕し、そのまま持ち主の顔面を陥没させる。
彼の動きは、もはや武術のそれではない。ただただ効率的に、確実に、命を奪うためだけの動作。鬼神流の精密な体術と、新たに得た闘気の破壊力が、恐ろしいレベルで融合し、純粋な殺戮術へと昇華されていた。技名を叫ぶことすらない。ただ、標的を定め、最短距離で接近し、一撃で屠る。その繰り返し。
「う、うわあああっ!」
「ひぃぃっ!」
盗賊たちの怒号は、すぐに恐怖の絶叫へと変わった。弓を射ろうとした者は、矢を放つ前に喉を潰され、魔法を使おうとした者は、詠唱する間もなく頭部を蹴り砕かれた。数で囲もうとしても、まるで幻影のようにその中心をすり抜けられ、気づけば仲間が次々と屍に変わっていく。
「鬼神流…滅…」
時折、彼の口から呪詛のような呟きが漏れる。それは怒りか、悲しみか、あるいはその両方か。闘気は赤黒いオーラとなって彼の全身を覆い、触れるもの全てを破壊する。床を蹴れば石畳が砕け、柱に拳を叩きつければ建物が軋む。
「ば、化け物…! こいつは人間じゃねえ!」
「た、助けてくれぇ!」
屈強なはずの盗賊たちが、赤子のように怯え、逃げ惑う。だが、鬼神 龍魔呂に慈悲はない。逃げる者の背中に闘気の衝撃波を叩き込み、命乞いをする者の頭を踏み砕く。彼の瞳には、目の前の盗賊たちの姿は映っていないのかもしれない。ただ、弟を奪った理不尽な「悪」そのものを、この世から根絶やしにするかのように、無慈悲な鉄槌を下し続けていた。
やがて、広間から人の声は消えた。残ったのは、おびただしい数の死体と、壁や床に飛び散った生々しい血痕、そしてむせ返るような鉄錆の匂いだけだった。
広間の中心に、鬼神 龍魔呂は静かに立っていた。返り血を浴び、顔面は依然として蒼白だが、その瞳だけは赤黒い憎悪の炎を宿して激しく燃えている。肩でわずかに息をしているが、それは疲労ではなく、抑えきれない激情の発露のようだった。彼の周囲には、破壊された家具と折り重なるように転がる盗賊たちの亡骸。常人ならば正気を失うであろう光景の中、彼は一人、まるで死神のように佇んでいた。
彼はゆっくりと顔を上げ、屋敷の奥へと続く階段へと視線を向けた。まだ、この屋敷には、元凶たる頭目が残っているはずだ。彼の怒りは、まだ満たされてはいなかった。




