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戦果

 森から戻ってきたとき、村の広場にはまだ緊張の余韻が漂っていた。


 誰もが口数少なく、それぞれの仲間と戦果や無事を確認している。

 俺はというと、特に声をかけられることもなく、ただ自分の居場所を探すように立ち尽くしていた。


 膝が笑っていた。全身の筋肉が悲鳴を上げている。

 だが、それよりも重たかったのは心のほうだった。


 自分の力で、命を奪った。

 それが必要なことだったとはいえ、魔獣とはいえ、全身にこびりつくような重さが抜けない。


 死にものぐるいだった。必死だった。

 それでも、あの一撃を加えたときの感触は、今も手に残っている。

 あれは確かに、生き物の息が絶える瞬間の感触だった。


 殴ったわけじゃない。

 極端な打撃を加えたわけでもない。

 組んで、崩して、締めた。


 俺が最後に選んだのは、殴ることじゃなかった。

 関節と、体重と、動きの中にある“ずれ”を利用した。


 だが、それも本質じゃない。

 格闘技ってのは、殴るのも、極めるのも、全部が“手段”なんだ。

 戦うための道具じゃない。生きるための、手段。

 俺はそう教わってきたし、今もそれを信じている。


 しばらくして、グラードが近づいてきた。


「無事だったな。」


 その言葉に、俺は曖昧にうなずいた。

 何をどう答えていいか分からなかった。


 彼の目は、俺を値踏みするようでも、同情するようでもなかった。

 ただ一人の戦士を見るような、そんな目だった。


「見てたぜ。あれはお前の技か?」


「……格闘技、です。自分の世界で、習ってました。」


 グラードは短く頷くと、それ以上何も言わなかった。

 言葉はなかったが、なぜかその沈黙が、ほんの少しだけ俺の体から緊張を抜いた。


 戦いを見ていた人間の目だった。

 勝ったかどうかではなく、どう戦ったかを見ていた──そんな気がした。


 その晩、小屋に戻ってもなかなか寝つけなかった。


 藁の寝床に横たわりながら、何度も目を閉じては、あの時の感触を思い返す。

 獣の体温、吠え声、毛皮の硬さ。

 そして、決定的な音。


 ──俺は、殺したんだ。


 思っていたよりも、現実味がなかった。

 けれど、手の感触がそれを否応なく思い出させてくる。


 闘争の最中は考える余裕もなかった。

 反射のように動いた。体が勝手に反応した。


 でも、今になってから、いくらでも思い出してしまう。

 あの時、あの瞬間、もし俺がためらっていたら──。


 そうしたら、俺が死んでいた。


 逃げたかった。だが、逃げなかった。

 倒せた。

 そのことに、ほんの少しだけ自分を誇りたい気持ちと、同じくらい強い罪悪感が交錯する。


 だけど、もし次があったら?

 俺はまた、同じように動けるのか?

 あの瞬間に、自分の命と相手の命の重さを天秤にかけるような判断ができるのか?


 わからない。自信はない。

 それでも──俺は、目をそらさなかった。


 村人たちの中で、俺の扱いは少し変わった。

 翌日から、俺に向けられる視線は、どこか興味と警戒が入り混じったものになった。


 「魔獣を倒したよそ者」として、完全に受け入れられたわけではない。

 だが、無視される存在から、“評価される対象”に変わったのは確かだった。


 それが居心地が良いのか悪いのか、自分でも分からなかった。


 誰もはっきりとは言わない。けれど、少しずつ空気が変わっていくのが分かる。

 昨日までは向けられなかった目線が、今日になってちらりとこちらを覗く。

 干していた洗濯物を拾い集める俺を見て、通りがかりの老婆がパンのかけらをくれた。

 小さなことだ。

 それでも、その一つひとつが、ここにいていいのかもしれないという感覚に繋がっていく。


 ある朝、広場で雑用をしていたときのことだ。

 朝露に濡れた洗濯物を取り込んでいると、背後から声がかかった。


「おい、あんた……拳の戦い、教えてくれよ。」


 振り向くと、少年が立っていた。

 十四、五歳くらい。背は低いが、目つきは真剣そのものだった。

 何日か前にも見かけた気がする。いつも遠巻きにこちらを見ていた少年だ。


 俺は驚いて言葉を失った。


 戦いたいのか? 戦いたくなるのか、あれを見て。

 それとも──俺のように、何かを確かめたいのか?


 ──いや、俺もそうだった。


 格闘技に惹かれたのは、誰かを倒したかったからじゃない。

 自分を知りたかったからだ。

 体を動かすことで、自分の限界や恐怖や、ほんの少しの勇気を確認したかった。


 それに、格闘技ってのは、殴るのも、極めるのも、どれも“手段”だ。

 本質は、自分がどう生き延びるか、自分をどう保つか。

 戦うってのは、ただ敵を倒すことじゃない。


 この世界でも、そういう奴はいるのかもしれない。


「……分かった。だけど、殴るのは最後だ。いいか?」


 少年は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに真剣な顔で頷いた。


 俺はその様子を見て、やっと少しだけ笑えた気がした。


 あの戦いが、ただの殺し合いで終わらなかったことが。

 俺の拳が、ただの武器ではなかったことが。

 ほんの少しだけ、救われたような気がした。

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