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起床

朝日が差し込む木枠の窓。微かに聞こえる鳥のさえずりと、薪を割る音。


 目覚めた俺は、しばらく天井を見つめていた。


 ──夢じゃ、ないんだよな。


 昨日の出来事を反芻する。巨大な獣、光の技、見知らぬ男、そして知らない言葉がなぜか理解できる状況。


 ……とはいえ、だからといって「異世界」なんて、都合のいい言葉で片付けられるか?


 拉致か? 外国? テロ? それとも、誘拐されて見知らぬ土地に連れてこられた?


 だが、どれを取っても現実離れしすぎている。こんな村、現代のどこにある? あんな化け物、ニュースで見たことがあるか? 何より、言葉が自然と分かってしまうことの説明がつかない。


 「異世界」なんて考えは、普通なら妄想でしかない。でも、今の俺にはそれ以外の説明がどんどん消えていく。


 けれど、認めたくなかった。

 認めたら、戻れない気がした。


 しかも──俺は、試合の直前だった。


 ただの道場のイベント。勝ったから何か賞が出るとか、負けたら終わりってわけじゃない。

 けど、俺にとっては意味のある一戦だった。

 ずっと自分より強いと思ってきた、あいつとの試合。


 冷静で、感情を表に出さず、実力で周囲を黙らせるような奴。

 俺のことなんか気にも留めていないような視線が、ずっと悔しかった。


 だから、次こそは勝ちたかった。倒したかった。

 あいつに認めさせたかった。


 だから、無理してでも減量した。水も抜いて、体脂肪もギリギリまで落とした。

 あれほど自分を追い込んだのは初めてだった。


 ……その結果が、これか。


 あの努力も、悔しさも、すべてが無駄だったのか?

 俺の時間は、積み上げてきたものは、何もかも消えたのか?


 「……現実逃避してる余裕なんてないか」


 独り言がこぼれた。だが、内心ではまだ答えを出せずにいる。現実かどうか、というより、認めたくないのかもしれない。


 体の重さは少しずつ引いてきた。だが、完全に元通りとは言いがたい。


 軋む床板の音とともに部屋を出ると、グラードが外で薪を抱えていた。


「起きたか。どうだ、調子は。」


「まぁ、昨日よりはマシってとこです。」


「そうか。なら、礼代わりに少し体を動かしてみせろ。」


 頷いた俺は、村はずれの広場のような場所へ連れて行かれた。

 丸太が転がり、藁でできた人形のようなものが立っている。どうやら、訓練場らしい。


「何ができるんだ?」


 問われて、しばらく考える。俺の武器は……やっぱり拳と足だ。


「格闘技を、少し。日本って国で習ってました。」


「ニホン? 聞いたことねぇな。ま、見せてみろ。」


 深く呼吸を整える。減量直後よりはだいぶマシだ。体に残る感覚を頼りに、シャドーを始めた。


 ワン・ツー、ロー、タックルの入り。

 軽く動いてみせると、グラードが腕を組んで唸った。


「……変わった動きだな。武器を持たないのか?」


「持ってません。素手で戦う技術です。相手を倒す方法なら、それなりに心得があります。」


 そう答えたが、言葉の端に自信はなかった。あんな獣を相手に、俺の技が通じる保証なんてどこにもない。


 するとグラードが木剣を片手に笑った。


「なら、試してみるか。手加減はする。死なねぇ程度にな。」


「……マジですか?」


「助けた相手がどんな奴か、確かめておきたいだけさ。それに、飯をただで食った借りもあるだろ?」


 言い終えると同時に、グラードの足が地を蹴っていた。


 早い──ッ!


 間合いを一瞬で詰め、木剣が振り下ろされる。咄嗟に軸をずらし、肘で払い、距離を取る。


「やるじゃねぇか。反応はいいな。」


 グラードの声に、ほんの少しだけ安堵した。


 だが、俺の息はすぐに上がる。体力がない。集中力も切れ始めている。


 数合交えるうちに、足がもつれた。その瞬間、木剣の先が首元で止まった。


「そこで終わりだ。無理せず休め。」


 地面に手をつき、悔しさを噛み締める。


 ──全然通じないわけじゃない。

 だが、今の俺じゃ“生き延びる”には程遠い。


「悪くなかった。力はともかく、技術は光るもんがある。身体を鍛え直せば、十分通用するだろう。」


 グラードの言葉に、心の中で小さく拳を握った。


 あの試合にはもう戻れない。

 あの舞台に立つことはできない。


 だけど、本当に終わったのか?

 本当に、俺は全部を失ったのか?


 考えるたびに、胸の奥がざわつく。混乱してる。怒ってる。悲しんでる。

 全部がぐちゃぐちゃになって、まともに感情すら掴めない。


 何が起きたのか、なぜこうなったのか。

 誰に文句を言えばいいのかすら分からない。


 握った拳が震えているのは、悔しさか、情けなさか、それともただの混乱か──もう自分でも分からない。


 声を出せば崩れてしまいそうで、ただ、唇をかみ締めて、俯いた。


 ──あいつ、どうしてるだろう。


 ふと、試合の相手の顔が脳裏をよぎった。

 冷静で、強くて、俺のことなんか目に入ってないような奴だった。

 だけど、だからこそ倒したかった。絶対に、超えたかった。


 今ごろ、俺が消えたことに気づいてるんだろうか。

 試合会場で、名前を呼ばれて、返事のないままに終わったんだろうか。


 まるで、自分だけが世界から切り離されたみたいで。

 まるで──いや、もしかして、本当に……。


 その考えが浮かぶのが怖くて、追い払うように頭を振った。

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