転生
目の前が真っ白になった。意識が揺らぎ、ふわりと宙に浮かぶような感覚に襲われる。
──何が起こった?
確かに俺は試合に向けて最後の減量をしていたはずだ。体重計の上で数字を確認し、目標をギリギリ達成した安堵感。その瞬間、眩暈がして、そのまま意識が途切れた……。
だが、次に目を開けた時、そこにあったのは見知らぬ光景だった。
草原。
どこまでも続く緑の絨毯に、涼やかな風が吹き抜ける。遠くに木々が生い茂り、鳥のさえずりが聞こえてくる。
──夢か?
そう思ったが、草の感触も、肌を撫でる風も、あまりにリアルすぎる。俺はゆっくりと起き上がり、周囲を見渡した。
「どこだ、ここ……?」
日本じゃないのは確かだ。都市の喧騒もないし、近くに見える森は、まるでファンタジー映画のワンシーンのような雰囲気を醸し出している。
そこで、自分の体の異変に気づいた。
体が軽い……? いや、違う。ただの空腹だ。減量の疲労感はないものの、身体には力が入らず、手足の動きも鈍い。むしろ、体力がゼロに近い感覚に戸惑う。
試しに拳を握ってみる。指先にかすかな力が入るが、以前のように鋭くは締まらない。
──やばいな。
どうやら俺の体は、異世界に適応しているわけじゃないらしい。格闘技の経験は残っていても、まともに動ける自信はない。
そんな状況で──。
「お、おい! 逃げろ!」
突然、叫び声が聞こえた。
振り向くと、鎧を着た男たちが何人か駆けてくる。そして、その後ろには……。
「なっ……!」
黒々とした巨大な狼。体高は俺の腰ほどもあり、鋭い牙を剥き出しにしながら駆けてくる。
明らかにヤバいやつだ。
兵士たちは一目散に逃げている。だが、俺は足がすくみ、その場から動けなかった。
──来る。
体が震える。これまでの格闘技のどの試合よりも、本能的な恐怖。
狼が飛びかかってきた瞬間、俺は無意識にしゃがみ込み、必死に地面を転がる。かろうじて攻撃を避けたが、砂埃が舞い、息が詰まる。
「くそっ……!」
こんな状態じゃ、戦えない。まともに動けもしないのに、相手は野生の獣だ。次の攻撃を避けられる保証はない。
だが──。
「このまま死ぬのか?」
いやだ。こんなところで終わりたくない。
震える手を握り、立ち上がろうとしたその時──
「【フレイム・スパイク】!」
鋭い声とともに、赤い閃光が狼の脇腹を貫いた。
狼が悲鳴を上げ、のたうち回る。その間に、鎧の男の一人が俺の腕を掴んだ。
「立てるか!?」
「あ、ああ……」
どうにか立ち上がると、男が俺の肩を叩く。
「助かったな。お前、こんなところで何をしていた?」
俺は答えられなかった。ただ、胸の奥に残る感覚──
自分は今、完全に弱者なのだという現実を噛み締めるだけだった。