019:幽絶症 人は永久に眠り続ける
◆ side:レイティナ 風花三由季
自販機の飲料が落下し、ガコンッと音が鳴る。その取り出し口は冷気が溢れ出し、容器には雫が滴っていた。
中身を手に取った三由季は蓋を捻り、ゴクリゴクリと喉を鳴らしながら音を立てる。
「ぷふぁあ。春のコーラは最高だね。シュワシュワと冷たさの加減が丁度いいよ」
「……で、用があるとはなんだ?」
三由季のマイペースな行動に、レイティナは不服そうな顔つきになっていた。
レイティナは寄り道するのが苦手なタイプだ。目的があって初めて動くような人間であった。
「そう慌てないの。急いだって満桜ちゃんの機嫌は直らないものだよ?」
「それはそうだが……」
「まあまあ、ここは私の散歩に付き合ってよ」
三由季は炭酸飲料を片手に坂道を歩く。バスなどの乗り物はあるが、彼女は敢えて徒歩を選択していた。
道中、三由季が言う目的の場所まで、他愛のない会話が進む。
最近の食事、お気に入りのスイーツ。さらには、流行物の店などの細かな話題等々。
ただ、それらの話題はすべて三由季が一方的に話した内容だった。
三由季は時折、レイティナの顔色を伺いながら会話を続けていたが、どれも無表情で静かなままだ。
(やっぱり、レイティナからは一切話さないか。満桜ちゃん以上のコミュ障なのか、或いは……――)
「――見えたぞ。ここが三由季の寄りたかった場所なのか?」
歩きながら考え事をしていると、目的地へと辿り着いていた。
三由季が寄りたかった場所は、物静かな建物だった。
平べったい長方形であり、単調な配色であり、警備員や係員も居ない寂びた建物。しかし手入れは行き届いている。誰も訪れなさそうな場所でありながらも、大切に維持しているのだと分かる謎の建造物であった。
「…………」
不思議なことに、レイティナは見上げていた。特に高いわけではないのに、何故かぼんやりと見つめている。
「入るよ。たくさん歩いて汗掻いちゃってて、早く中で涼みたいよ」
「服装選びが難しい気温だからな。行こう」
透明の自動ドアが左右に滑るように開き、わずかに遅れて、空調の風が素肌をかすめる。
「記念碑……」
最初に見えたものは黒い大理石だった。
それがエントランスホールの中央で、目立つように書かれていた。
その内容は……――
『眠る者達に魂の安らぎを。2180年〜2200年』
たった一文。十秒程度で読み終える簡単な文字が刻まれていた。
「さっ、進むよ」
「あ、あぁ……」
三由季は足を止めることなく、磨き上げられた床をコツコツと足音を響かせて、館内を歩き出す。
流れるような動きで角を曲がり、壁に設置された案内表示を一瞥するも、その視線に迷いはなく奥へと進んでいく。
地下へと続くガラス張りのエレベーターの前に立つと、ちょうど扉が開いた。階層ボタンは地下と地上の二つ。あとは開くと閉じるのボタンだけだ。
扉が閉まり、下への重力が掛かり始める。
そして、薄暗かった光は一気に青色へと変わった。
「これは……。ここにいる人は、すべて同じように……」
「うん。さっき書いてあった、20年間で眠った人たちが"保管"されているよ」
深く、青い水の中には、無数の人々がカプセルに包まれて佇んでいた。
いや、静かに眠っていると言うのが正しいのか、規則的に並び、淡い光を受けながらゆっくりと揺らめいている。
小さな気泡が漂い、やがて消えていく。青い水はどこまでも澄んでいて、底知れぬ静寂が広がっていた。
やがて、エレベーターは止まり、地下展望台へと続く扉が開かれる。
「えーと、目の前が私のお母さん。その隣がお父さんかな? 覚える前に眠っちゃったから分からないや」
三由季は館内に備えていたパネルを動かして、カプセルを操作する。カプセル同士がぶつからないように、滑らかに動き、わずかに水の音を鳴らしながら人を動かしていく。
「こことは別の場所に、もっと大きな施設があるよ。過去100年以上の人たちの墓場
が。そこに、おじいちゃんとおばあちゃん。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃ
んもいるのかな」
「…………」
「みんな同じで若いまま"幽絶症"という病気で眠っているね」
「私をここに連れて何がしたい?」
レイティナの疑問を答えるように、水槽を眺めていた三由季は踵を返しながら、
「ただ話したいだけ」
一歩、大きく踏み込んでいき、間近にまで近づいた。
「知ってるでしょ? 私たちの世界は一世紀以上もの、この現象に悩まされてい
る。そして、終わりの見えない問題に出生率は超低下。もう私と同じぐらいの人
なんて数えるぐらいしかいないらしいよ。みーんな、先を見るのに諦めてる。満
桜ちゃんぐらいかな? 最後まで抵抗してやるぞっていう人は」
満桜たちのいる世界は、幾多の世界から移住してきた人が大半に占めている。この世界で生まれ、育った人は限りなく少ない。
その少なからずの若い人も、今を生きるのに必死だった。長い間、蝕む病気はやがて不治の病と化し、誰もが治療できないものだと意思付けられていた。心なしか、人類は諦めているのだ。
「……知っていたさ。私のいた世界でも同じ現象が起きていた」
「やっと喋った」
レイティナは厳しい顔付きのまま、自分がいた世界のことを話した。
「模索しようとも解決の糸口は見つからなかった。……いや、見つかりそうだったな。私の知らないところで動いて、ほとんどの人が一斉に動かなくなった」
「そのあとは、ずっと一人で?」
「違う。子供がいた。まだ繋いでいた手を離すこともできない小さな子供だ。ああ、それからだ。あの……子供は――」
「――もういいよ」
レイティナが子供の話をし始めたところで、三由季は落ち着かせるように遮った。
彼女は無表情のままだが、言葉を紡ごうとするたびに喉を詰まらせ、絞り出すような掠れた声へと変わっていく。彼女の精神に打ち寄せてくる苦痛の波が、呼吸を荒くしていた。
「……酷いな。三由季は」
レイティナは小刻みに肩を上下させながら、三由季の方を見て、
「本当にごめんね。そこまで酷くなるとは思わなかった。でもそのこと、満桜ちゃんにも話してないでしょ? ちゃんと話した方がいいよ。満桜ちゃんってけっこう繊細な性格してるから気になっちゃうよ」
「……いつか話そうと思っていた。その機会が訪れなかった……だけだ」
レイティナの返事に、三由季は視線をななめに向けた。そして、炭酸飲料を回しながら悩み始める。
「うーん……。満桜ちゃんと、どう過ごしたい?」
「召喚獣として呼ばれたから満桜が生きている限り、共にいるつもりだ」
「なら、なおさら話した方がいいよ。君は話さな過ぎてわだかまりを生み出すタイプだ。一度、その自己犠牲の原因を吐き出した方がいいかもね」
「否定できない」
「簡単に認めるんだね」
もうここには要がないと言わんばかりに、三由季は「上で待ってるよ」と言い、来た道を引き返した。
……そして静かな墓場には、彼女一人だけになった。
かすかに泡の弾ける音が鳴り、静かに水の中に広がっていく。それが無数に重なり合い、より大きな波紋を生み出していた。
レイティナは窓越しのカプセルを見つめながら、手を伸ばし、ガラスに触れる。
「……酷く、酷く似ている。私がいた世界と……」




