018:まるで夫婦のような日常
朝7時 満桜宅。
「うぅ……、もう朝か。まだ眠いなぁ……」
満桜はキッチンから聞こえる料理の音によって、眠りから覚めた。
ベーコンの焼ける匂いがベッドにまで伝わってくる。おそらく、三由季が朝食を作っているようだ。
まだ寝たい気持ちを抑えつつ、窓を開けて部屋の換気を済ませる。そして、太陽の陽射しに当たりながら、うとうとした意識を切り替えていく。
ただ、環境が変わったせいなのか、いまいちすっきりとしない気分のままだった。
満桜は視線を広々とした外の景色から、部屋の方へ向け、
「落ち着いたら……部屋の改修、考えよう」
ごてごてとした作業部屋を見比べた。
新しい武器防具などを設計する作業台やら、その試作品を作るための部品の数々。
端にはキッチンや浴室などの生活に必要な空間が配置されているものの、この部屋の大部分を占めるのは作業部屋だった。
マンションの一室にしては異様な広さ。
その理由は、両隣の空き室を大胆につなげてリフォームしたからだ。
誰も住んでいないマンションなので、勝手に改造した違法物件となっている。
というよりも、満桜の気付く合間に、自然と広くなっていた。
満桜が素材集めに苦労している間を利用し、レイティナが拡張を進めていたのだ。
ただ言えることは、レイティナは間取りを考えるセンスを持ち合わせていない。素人の満桜でも見て分かるぐらいに、あべこべな設定だった。
知識があるとはいえ、それを作品として活かすのは苦手なのだろう。とにかく必要なものを詰め込んだ、という作りになっていた。
……もしかして、これも私が調べてやることなのか? レイティナが来てから勉強の量が増えて、謎の知識だけが増えていく。いままでサボっていたツケが来たのか……?
満桜はまた必要な項目が増えたと、手に顔を当てる。
「満桜ちゃん、おはよ。動けるなら、そこのテーブル、片付けてよ」
すると、キッチンの陰から、三由季がちらりと覗いてきた。
「うぃ。ありがと」
「さっさと顔洗って寝ぐせ直してね。今の満桜ちゃん、すごいもこもこ」
三由季の親切、もといお節介が焼き、満桜は洗面台で顔を洗う。
「動けるならそこのテーブル、片付けてよ。物が沢山あって困っちゃう」
「すぐにやる」
三由季の言われるがままに、テーブルもとい作業台を綺麗にする。
傍から見れば、夫婦の日常の一端だった。
「ここも収納スペースを作るべきか」
精密部品の数々や細々としたら工具。そして図面やらスケッチが貼られたボードに、雑に書かれているメモ書き。連日の多忙さが分かる光景だ。
満桜はそれらの物を片付け、物ひとつない綺麗なテーブルにする。
満桜の感性では、そこまでしなくとも、テーブルの端に並べてスペースを確保するだけでもいいと思っていた。ただ、それをやると三由季が怒るので、ちゃんとするようにする。付き合いの長い関係なのか、自然と身についた行動だった。
「はーい、優雅な朝食セット。オニオンスープもあるから、噛み締めて味わうように」
「久々の温かいご飯……。体が沁みる……」
「ちょっと、満桜ちゃんの食生活が気になって来たぞ? 毎日通った方がいいか?」
「あー……。出来るなら有りか? ご飯作る余裕なんて無いから嬉しいし」
「珍しくデレが発生しております。これは異常現象だ」
いや別にデレていないが? 日夜、新武器やら防具の設計などの作業量を考えると、他に気を配る時間が無いだけなんだが?
三由季の発言に反論しても無駄に終わるので、そのままにしておく。変に勘違いをしても迷惑にならないなら、気にしない方がいい。
いちいち気にしたら疲れるだけ。多くの人に後ろ指を指された経験から得た教訓だった。
「はぁ……」
「やっぱり気になっちゃう? バルバ迷宮のこと」
「……別に」
バルバ迷宮の攻防戦から二日が経過していた。
外部の増援によってバルバ迷宮は完全封鎖となった。
だが、戦況は変わらず、膠着状態が続いている。
犯人が潜伏しているとされる最下層を攻略している最中だ。しかしその道中は困難を極め、魔改造された魔物の妨害により、かなりの苦戦を強いられていた。
「まっ、お互いやる気が無いって言うのが一番の理由かなー。犯人もアーカイブも」
顔に湿布を貼っている三由季は、満桜が寝ていた期間までの概要を告げた。
先日までの痛々しい容態から、ほとんど回復している。あとは小さな痣を引かせるための処置を残すのみとなっていた。
迷宮で使うアイテムは、大きな怪我などを回復するが、完全には治せない。あまり頻繁に使用すると、ランクを上げるのが遅くなってしまう。
満桜は内心、怪我をさせたことを申し訳なく思っている。しかし、満桜の罪悪感とは裏腹に、三由季は何事もなかったかのように振舞っていた。
「寝起きで聞く内容が酷い件について」
「満桜ちゃんも気になってるでしょ。話すのは当たり前だと思うけど?」
「そりゃあそうだが……。ってか、なんで両陣営はやる気ないんだよ?」
「犯人の目的は金銭目当てでばら撒いたって明言しちゃってて、それの回収に集中したいんじゃないかな」
「どうせバルバ迷宮の敵は逃げることができないから、後回しにしても問題は無いってか」
「アーカイブもどうせ中身のない偽物だって、気付いているっぽいよー。あっ、満桜ちゃんに目を付けられた"探究者"について調べたから送るね」
三由季はタブレット端末を指先で弾くように押し出し、テーブルの上を滑るようにして満桜の前へと運んだ。
―――
通称:探究者 超上位罪人
アーカイブの目指す理念を妨げる危険人物。
違法アイテムなどを作成し、地下社会に流出している迷惑な存在。
彼の目的は世界の救済と述べているが、それが真実であるとは言い切れない。
記録に「演出家」「エンドコンテンツ」「天秤」などの、超上位罪人と交流をしている模様。
―――
「ほんっとうに、限られた情報しかないな」
「目撃情報も少ないし、その素顔も偽物で本物は誰も見たことからねー」
満桜は渡されたタブレットを三由季の元へと返し、ベッドに寝っ転がる。
語り部クソ人形のことを犯罪者だとは気づいていたが、まさか最上位の重要人物だと位置付けられているとは、思ってもいなかった。
どうやら、今回の犯行も毎回同じような手口で、目的も変わっていないようだ。
しかし、満桜には少し引っ掛かる部分があった。
「うーん……怪しい。怪し過ぎる……」
わざわざ満桜の前に現れて自己紹介をするなど、どうしても気がかりで心が落ち着かない。実際、物影に隠れて仕留めればいいはずだ。
語り部クソ人形の性格を見るに、そんな手段を取る人ではない? それとも他に考えているのか? あー、こういうのは出来るだけ関わらない方が吉だが……――。
満桜は戦術面で考える癖が身に付いてしまったのか、無意識のうちに頭から離れなくなっていた。
「それで、殴り込みしないの?」
「武器と弾薬及び、全ての補充は完了しているぞ」
満桜が毛布に潜り込んでいると、やけに気合いの入っている三由季とレイティナの二人が、話しかけてくる。
「……やだ」
「今度はイヤイヤ期に入っちゃったね。ささっ、いつものようにデレなさい」
「それは普通に嫌だわ」
そもそも、私が戦いに赴く理由などなかった。
語り部クソ人形が待ち構えている最下層には、私よりも高ランクの熟練者が行く予定になっている。まだランク1のへなちょこ探索者以下の私が、率先して行くべきではない。
パーティの連携が出来ない以上、周りの人の迷惑になるだろう。味方殺しするのが落ちだ。
だから行きたくない。というか、準備期間と戦闘の連続で休みたかった。
「経験値はたくさん入ったから休む。騒動が終わるまで迷宮には入りません」
「えー。お礼参り楽しみだったのに」
「しなくていい。二人でどこか出掛けなよ」
三由季の提案を嫌だとばかりに、満桜は布団に潜ってまで拒んでいく。無理矢理にでも連れ出す可能性があったので、意地でも拒否反応を示さなければいけなかった。
「うーん、しゃあない。レイティナ、ちょっと行きたい所があるから付いて来てよ」
「いいのか?」
「あれは頑なに動かないパターンだから、どうやっても無理だね。あとで戻って考えればいいよ」
「……ふむ、分かった」
「じゃあ満桜ちゃん、夕方ぐらいに戻るからねー」
玄関の閉まる音が響くと、にぎやかだった部屋は一転して静寂になった。
……二人の姿は見えないが、音を聴く限り外に出掛けたようだ。
満桜はベッドからそっと起き上がり、気付かれないように身支度を整える。三由季かレイティナのどちらかがいると、どうせ厄介なことになる。出来る限り、一人でいたかったのだ。
「あぁ、やっぱり静かなのはいいな。……っと、うかうかしないで早く行かなければ」
満桜は使徒と対峙し、浮き彫りになった弱点に対抗する手段を作ろうとしていた。三由季が居ると、やかましくする質があって作業にならなくて論外。かと言って、レイティナはいとも簡単に自己犠牲を行う傾向があるので、変に頼ると思わぬ落とし穴に嵌る場合があった。
満桜にとって、戦えないのに身を庇う選択をするのは好ましくない。おそらく、レイティナの過去に深く関わっているのだろう。
「はぁ……駄目だ。ここで考えても何も思い浮かばないな。行きつけの喫茶店にでも寄ろう」
接近戦になった際の戦闘手段を模索。"探究者"を殴る方法。レイティナの性格の問題、等々……。
いざ纏めてみると、想像していたよりも多くの課題が出ており、満桜は深いため息をついてしまった。




