001:輔翼の召喚士が誕生する瞬間
――人は迷宮に依存しなければ生きていけない。
その言葉を胸に秘め、息が途切れ途切れになってまで走り続ける少女がいた。
少女は何かを探すように辺りを見渡す。しかし、決してひらけた場所には赴かず、誰かから避けるように隠れながら駆け走っていた。
落ちていく建造物の破片と不安定な音を鳴らす飛び出た鉄骨。まさしく廃墟だと思わせる所以の場所。人間の生活圏を悉く破壊され尽くされた退廃的な光景だった。
だが、これらは迷宮であり、神々の力によって再現した偽りの世界である。
そして、この幾つものある迷宮を攻略することが、人類に課せられた義務でもあった。
神々の介入によって平穏を保たれた人類は、今も尚、迷宮の恩威で生き長らえている。
だからこそ、迷宮に潜り続けるという運命に縛られていた。
そのシステムには誰にも逆らえず、今日も迷宮へと潜り続けていく。
今まさに、この迷宮にいる少女――富士原満桜も同じ理由で迷宮にいた。
満桜は世間から見れば、か弱い少女と呼ばれている。人が強くなれる源である職業にも見捨てられた、落ちこぼれの女性だという認識だった。
「……あと少し。あと少しで目的のものがあるはずだ……」
ただそれでも、満桜は自分の力に見合わない、高難易度の迷宮に挑んでいた。
本来ならば、難易度の低い迷宮で力を蓄えていくものだ。そして、魔物と戦ってランクを昇華させ、職業に付属する能力値とスキルを強くする。これが探索者として基本な行動だった。
しかし満桜には、そのような手筈を行うのは不可能であり、遥々、危険地帯の奥へと進む訳があった。
「解き放て! ――〈眷属召喚〉! ……――〈眷属召喚〉!」
行く道様々な物に対してスキルを唱えていく。それがガラクタでありながらも、手に取って発動させる。
しかし何度も唱えているが、何も反応を示さないままで終わってしまう。
一見、その行動は無意味だと思うが、それが満桜にとって必要だった。
富士原満桜の職業は【召喚士】。
媒体に通じて召喚獣を呼び起こし、戦う後衛職だ。
召喚士はアイテムを手に取った瞬間、召喚できるか否かの判別が可能。けれども満桜には、そのような感覚が一度も訪れず、未だに召喚できていなかった。
それは、とあるスキルが関与していた。
――スキル〈眷属召喚〉。
特殊なアイテムを触媒に、力を持った者を呼び覚ます。
多少の説明は書いてあるが、肝心の用途が分からない不親切な文章。
このスキルによって満桜は、まともに迷宮に潜れない不適者のような扱いをされていた。
神々の義務を果たせないのもそうだが、満桜は亡き両親の願いに従って生きていきたかった。
しかしどれも一向に解決できなく、刻一刻と、時間だけが無くなっていく。
何もできないからこそ無力感が襲いかかり、苦悶とした日々が続いていき、諦めかけた時、
『ここに行けば、満桜ちゃんの見合うものが手に入るかも』
という友人の情報を得て、希望に縋りながら迷宮へと足を運んだのだ。
そして、早二日が経ち、
「……どれも駄目だな。糧食も尽きたし、疲労も酷い……。帰るべきか?」
所詮、噂は迷信に過ぎなかったと思い知る。
最後の希望が打ち壊されてしまい、ひどく落胆した。
長いため息を吐いたことによって、蓄積した疲弊が精神に悪い影響をもたらす。
唯一の望みが断たれると、もうどうしようもない。もはや私の願いは叶わないだろう。
……もういいか。残された時間は適当に過ごせばいい。諦めた方が楽になれるし……――、
「――……ああ、くそっ! ダメだ!」
満桜は頭を壁に打ちつけて、負の感情を振り払った。
諦め切れない! 私の残された命が擦り切るまでは、精一杯足掻いてみせると決めていのだから!
たとえ全ての人間に敵意を向けられたとしても、亡き両親に託された思いを無に返したくない……!
頭に血が流れていてもお構い無しに、満桜は目的の触媒を探し続ける。
――だが、その熱意は急激に冷めてしまった。
「ピピッ!」
警告音。
「――ッ!?」
そう、迷宮には魔物が存在する。
満桜の前に現れたのは、浮遊する機械の兵器。先端には銃らしきものがあり、正確に向けられていた。
動物であれ機械であれ、迷宮で生成され、襲い掛かる敵は総じて魔物に分類する。そして、人はその魔物を倒す必要があった。
それが人類に課せられた義務であり、人が生きるための必要最低限の行為。
神々は魔物を倒し、ランクを上げることを、強く望んでいるのだ。
「今は失せろ!」
満桜は最後の煙幕玉を投げ、魔物の追跡をかわそうと試みた。
白い煙は一帯に充満し、魔物の視界には何も映らなくなる。
その隙に走り始め、路地裏へと逃げ出した。
「うおっ――! 痛い痛い!」
下り坂で瓦礫につまずき、足を滑らす。
だが幸いにも、転んだ先が入り組んだ細道へと繋がっており、完全に逃げ切れた。
魔物の気配が消えたあと、満桜は立ち上がって服に着いた砂を払う。
通路の奥から冷気が傾れ込み、体が震え始めた。
「急に寒くなって来たな……。ここからよじ登るのは、無理だな。さっきの魔物に遭遇する確率の方が大きい」
満桜はこのまま進むしかないと決めて、薄暗い通路を歩き始めた。
少し歩くと、今までとは違って異様な部屋にたどり着く。
仄かに輝く円柱の筒。大量の管が繋がれて、まるで大切に保管しているような場所だ。
その筒の中央には、歯車の形をした物体が浮いていた。
直後、
「これだ……!」
その歯車が、召喚可能な触媒だと気付く。
長かった。これでようやく、満桜は探索者としての活動が始まるだろう。
満桜を待ち続けている友人と共に、迷宮へと行ける。そして同時に、満桜の願いを叶うための一歩を進むことができるかもしれない。
すぐさま満桜は、手を円柱の筒へと置き、唱える。
「――〈眷属召喚〉!」
スキルに反応して歯車が動き出し、満桜の元へと飛び込んだ。
光が溢れて視界を覆い尽くされる。
しかし、そう感じたのは一瞬であり、満桜はすぐに目を開く。
「呼んだか?」
そこには、可愛らしい少女がいた。
しかし彼女は、ただの人間ではなかった。
顔や胴体、腕には深い亀裂が出ており、電気的なスパークが散っていた。傷跡の中身が覗けるまでに肌のパーツが欠け、そこが継ぎ接ぎで修復する様子も見られている。
――そう機械だ。
満桜に呼び起こされた者は、とても痛々しい姿をした機械の少女であった。
「……おい。ここは何処なのか教えてくれ」
機械の少女は、不機嫌な表情を浮かべながら問い掛ける。
「えーと……ここは迷宮であって――」
「――迷宮? 初めて聞く単語だな。他には?」
「他にはって……」
機械の少女が発する威圧に飲み込まれ、満桜は困惑してしまう。
このまま彼女の質問について、悠長に答えていけば、魔物に見つかる可能性が高くなる。しかし、彼女の機嫌を損ねるのも危険であった。召喚したとしても絶対服従とはいかず、場合によっては襲ってくる可能性があるからだ。
しかし満桜は、ここで友好を図るべきだと決めていた。
戸惑いながらも受け答えするために、声を出そうとした瞬間、
「ビービー!」
再度、警告音。
魔物が現れる。
「――ッ!?」
満桜が気付いた時には手遅れだった。敵集団の動きの方が速く、すでに退路をふさがれいた。銃口も向けられており、あと少しのところで発砲するであろう。
「巡回用ドローン……君は重犯罪でも犯したのか?」
「急に襲われただけだ。悪いことなどしていない」
「なるほど? ならば誤解は解けるはずだ。話してみよう」
緊迫している満桜に対して、機械の少女は悠々と会話を続けていた。魔物に目を向けることすらせずに、呑気に立って舞っている様子から、かなりの余裕を感じられる。
「ビー……ピピッ!」
極限までに発砲音を落とした銃声がした。
それは一瞬でしか認知できない乾いた音だった。
「――おい」
しかし、それは機械の少女の手によって防がれていた。
魔物が放った銃弾は、うっすらと見える半透明な壁を前にして止まっている。
いや、弾速だけを動けなくさせ、回転力はそのままだった。
そして、その回転力も失い、弾丸が落ちる。
機械の少女は魔物に向けて口を開いた。
「なぜ、理由なく殺そうとする。それに、何も反応しないのはどういうことだ?」
機械の少女は淡々と話すが、その言葉の裏には恐ろしい激怒が潜んでいた。無表情のままでいながらも、彼女の激しい感情は隠されていない。
「答えろ」
世界が揺らぎ始めた。
微細な振動と共に空間が歪み、異様な空気が包み込む。
次の瞬間、強烈な衝撃音が響き渡り、天井に大穴が空いた。光が差し込み、埃が舞い、少女の長い髪がふわりと宙に浮かぶ。
「バグを起こしているようだな。――壊れろ」
機械の少女が腕を振るうと、部屋のケーブルが蠢いた。
瞬く間に魔物を縛り上げ、絡み合うように一点に集めていく。魔物たちは、それを抵抗しようと身をよじらせるが、いとも簡単に封じ込められてしまった。
そして、眩い光が放たれた。
絶え間ない轟音が響き渡る。
爆発は連鎖して重なり合い、燃え盛る破片が空に散らばった。
「………………え?」
その残骸は煌めきながら、ゆっくりと落ちていく。薄暗い夜空に彩る光景は、まるで花火のようだった。
「そうか……。私は……」
襲い掛かる敵を倒したのにも関わらず、機械の少女は白い息を吹き、どこか哀愁を漂わせていた。
やる事を終えた機械の少女は立ち上がり、呆然としている満桜に話しかける。
「さて、全く状況は分からない……が、一つだけ分かったことがある。私は君に呼ばれ、目覚めたらしい」
「は、はい……」
「だから、付いていくことにした」
「……はい?」
満桜は思わず「はい」を連呼して、バチバチと体を鳴らす少女との約束を交わしてしまった。
「レイティナと呼んでくれ。私は見ての通り、機械の体。人よりかは頑丈だ」
「富士原、満桜……です」
「そうか、満桜……満桜と言うのか。よろしく頼む」
機械の少女――レイティナは、いま一度、満桜の名前を忘れないように口ずさんだ。
そして、何かを思い出したかのように声を出す。
「ああ、そうだ。先程のでオーバーフローを起こしてしまった。私から離れた方がいい」
「うえ?」
レイティナが少々危険な言葉を残した瞬間、急に彼女の発する火花が酷くなり――
「――ちょっ!? 爆発した!? あっついいぃぃッッ!?」
満桜を巻き込んで爆ぜてしまった。
この出会いによって、富士原満桜の日常は一変し、彼女の人生は劇的な転機を迎えた。
それは世界を巻き込み、さらには神々の望みにまで影響を及ぼすことになっていく。
そして、知られなかった謎と、これまで語られることのなかった過去が呼び起こされた。長い間欠けていた最後の歯車が、ぴたりと嵌るようになった。
それが幾多の歯車を動かす結果となり、全てが廻り始める。
――正しい世界を取り戻す物語が始まったのだ。
002:12時頃に公開予定。
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