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コンフィズリィを削って a carillonist  作者: 梅室しば
三章 穢れに呑まれたヌシ
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遭遇

 手を動かし始めてしばらくしてから、なんだか妙な事になってきたな、と気がついた。

 畑仕事には慣れている。母方の祖父母がたくさん野菜を作っていて、それでずいぶんと助けてもらったのだ。遊びに行った時、手伝う事もあったが、自分にとってはほとんど野遊びのような気分で楽しんだ。

 オルゴールを開けたかっただけなのに、どうしてこんな事になっているのだろう。美蕗は、この状況も予想していたのだろうか。

 史岐を同伴させてくれた事は、確かにありがたい。彼がずっと落ち着いているから、自分も、今のところ差し迫った危険はない、と安堵していられるのだ。

 せめて、史岐と話しながら作業が出来たら良かったのに、と寛奈は小さくため息をつく。暑過ぎず、水で躰を冷やす事もない、良い日和に誰かとのんびり話をしながらやる畑仕事が、一番楽しいのだ。最後の一つだけが欠けている。

 くり返しの作業に慣れてくると、意識は、徐々に過去の記憶を辿り始める。


 初めて美蕗と会った日も、彼女は、このオルゴールを持っていた。

 燃え立つような楓の木立を遠くに臨む池のほとりで、ぽつんと一人、両手で包むようにオルゴールを持ち、何の感情もこもっていない目で見下ろしていた。

 寛奈が近づいていくと、隠すように鞄に仕舞ってしまったので、詳しい事はわからなかったけれど、あの時にはもう、オルゴールは開かなくなっていたのではないだろうか。そうでなければ、蓋を閉じたまま眺めている理由が思いつかない。

 自分が姿を見せなければ、日が暮れるまでそうしていたのではないだろうか。

 そういう、あらゆるものを超越した雰囲気を、あの頃、美蕗は既に纏っていた。


 腹違いの妹がいる事は、小学校を卒業する前に聞かされた。

 その子が、名家の跡取りだという事も。

 写真はなかった。父の婿入り先は、旧家ゆえに複雑な事情があって、気軽に遊びに行けるような間柄ではないのだと説明された。母は、その子の名前すら知らされていないようだった。

 寛奈は、自分の家族に満足していた。強く賢く、溌剌とした母。優しい祖父母。贅沢は全然出来なかったけれど、食べるのに困った事はない。自分にも令嬢として生きる道があったのかもしれないと、夢見た事さえなかった。


 だから、あの日、あの場所で美蕗に出会った事は、運命の悪戯と呼ぶしかない。

 美蕗が野外学習で公園を訪れていた事も、彼女が同級生達の輪から離れて、ともすれば危険なほど人の少ない池のほとりに来ていた事も、寛奈には知る由がなかった。

 創立記念日で学校が休みだった。いつもと同じ時間に起きて、カーテンを開けると、笑ってしまうくらい気持ちの良い秋晴れで、閉じこもっているのは勿体ない、自転車で思いきり遠くまで行ってみようかな、と思い立って、お弁当を作って家を出たのだ。一時間ほどペダルを漕いだ所で景色の良さそうな自然公園を見つけ、そこに入った。


 初めて見た時は、対岸からだった。

 それでも強烈に惹き付けられた。

 無我夢中で走って、対岸に回り、顔を向かい合わせた時には、二人とも同じ結論に辿り着いていた。


 寛奈です、と名乗った。

 美蕗よ、と答えた。

 二人には、それで充分だった。


 あとは、取りとめのない事ばかり。写生会で来たのだという事も、その時に聞いた。

 美蕗が持っていた画板には、とても上手な絵が挟んであった。課題はとっくに終わらせていて、あとは、帰る時刻になるのを待つばかりだったのだろう。

 見せてもらった気がする。

 当たり障りのない風景画だろうと思っていたら、違っていたから驚いた。


 何が描いてあったんだっけ……。


 手が、ひやっとした柔らかいものに触れた。

 寛奈は息を止める。

 畑仕事をしていたら、自分が触ったものが、農作物かそうでないかの区別は直感的につく。ぞわりとした悪寒が背筋を這い上った。

 葉の間に突っ込んでいた手をゆっくりと引き抜く。

 日の光の下へ。

 痛みはない。かぶれも傷もない。緊張で冷えているけれど、それだけだ。まず、それを確認する。

 寛奈は笊を傍らに下ろし、息を整えた。自分一人の手には余る状況だとわかっているが、大声を出して助けを求める行為は禁じられている。

 ウロモモから預かった種は、上着の中に入れてある。それを探り当てて、手の中に握り込んだ。

(確か、急な動きをしちゃ駄目だって言っていなかったっけ……)

 高く放り投げろ、という指示と思い切り矛盾するではないか、とじれったい思いを抱きながら、寛奈は立ち上がり、ゆっくりと後ずさる。


 ばん、と笊が跳ねた。

 何かを叩きつけたような。


 花豆の莢が、右に左にぐいぐいと引っ張られ、中身がこぼれてくる。


 少なくとも、二つの手が、

 葉の向こうから、こちらに伸びていた。


 形だけは人間の手を真似ているが、あとは似ても似つかない。タンカから溢れた油のように、黒く、どろどろとして、絶えず形を変えていた。

 体は見えない。

 見えない方が、ありがたい。

 寛奈は片手で口を塞ぎ、さらに後退する。肩に、葉が触れるのを感じた所で、大きく腕を振って種を投げ上げた。

 種は、ある高さで、見えない壁にぶつかったようにぱんと砕け、花火のような光を振りまきながら四方へ飛び散った。

 前方と後方で茂みが揺れ、先に飛び出してきたのは、ウロモモだった。

「ウタバチ!」ウロモモは、莢をばらばらにしている真っ黒な手に向かって叫んだ。「この娘が持っている物に、見覚えがあるだろう。術を解いてやれ。おまえじゃないと外せないんだ」

 手が止まった。

 豆を握ったまま、するりと奥へ引っ込む。


 この世の生きものが出しているとは思えないおぞましい咆哮が大気を震わせた。


 寛奈は堪らずに耳を塞ぎ、よろめきそうになる。その肩を、脇から伸びてきた手が支えた。

 仰ぎ見ると、史岐が立っている。花豆を傷つけないように、植え込みを迂回して駆けつけたのだろう。息を切らし、髪が目もとにかかっていた。

「あれは……」

 史岐が言いかけた時、目の前の花豆の株が激しく揺れた。

 何かが、中を物凄い勢いで上へ突き抜けたようだ。一瞬、大きな黒い塊のようなものが見えた気がしたが、それは日射しに溶けるようにすうっと薄らぎ、見えなくなった。

 飛び散った葉の切れ端と、かすかな腐臭だけがその場に残された。

「ウタバチだ」眩しいものでも見上げるように目を細めて、ウロモモが呟いた。「もう、ものを考える力もない。自分が閉じ込められている事にも気づかず、ああやって徘徊し、腹が空いたらここへやってきて豆を食う。それだけの存在だ。だけど、穢れが強過ぎて、おれにはまだ殺せない」

 ウロモモは視線を下げると、蝶のように慎ましい赤色で咲いている花に、そっと触れた。

「元々、ここのヌシはウタバチだった。ヌシだった頃からろくでもない事ばかりしていて、終いには、抱え込んだ穢れを処理出来なくなって、あんな姿に成り果てた。

 あいつの手口、想像出来るか? 最悪だよ。自分の眷属が、可愛らしい兎の姿をしているのを良い事に、まだ心の柔らかい子どもに言葉巧みに近づいて、恐怖や憎悪を植えつけるんだ。その感情が最高潮に達した所で、八尋壺に連れ込んで、獣に姿を変えさせて侍らせていた」

「じゃあ、大切なオルゴールが開かないようにして悲しませる、というような事もやっていたの?」

 寛奈が訊ねると、ウロモモは自嘲するように首を振った。

「そんな生易しいものじゃない。誰にも明かせない心の傷、辛い記憶、取り沙汰するまでもない些細な不安……。そういうものを片っ端からほじくり返して、手の込んだやり方で、じわじわと熟れさせる。好みの味になるまで、何年かかってもな……」

 ウロモモが振り返る。

 その瞳は深く透きとおり、無機質だが、確かに誰かを思いやる優しさを湛えて、寛奈を見つめていた。

「たとえ言葉が通じていても、ウタバチは術を解かないだろう。解いてくれと、わざわざこんな所までやって来て頼む人間がいる限り、絶対にな。

 だから、寛奈、祓ってくれるか。ろくでもない化物だけど、おれをここまで育ててくれたんだ」

 寛奈は、手を口に当てたまま史岐を見る。だが、彼の助言を受けるまでもなく、すでに決心はついていた。

「その為に、わたしはここに来たから」ウロモモを見つめ返し、寛奈は頷く。「やるよ。ちゃんとウタバチさんを祓って、帰るよ」

 ウロモモは、つかの間、寂しさを紛らわそうとする子どものような顔で笑った後、目を瞑って深く頭を下げた。

「ありがとう」

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