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コンフィズリィを削って a carillonist  作者: 梅室しば
二章 カメラは替わって
10/20

膨らむマシュマロ

「茉莉花。マシュマロに火が当たっていませんよ」

 その事を教えてやるのは、もう二度目だ。茉莉花はコテージの入り口に背を向けて座っている為、中を窺おうとすると、大きく躰をひねって振り返らなければならない。それでいながら、串の先のマシュマロを均等に炙らなければいけないという意識だけは働くようで、時々、思い出したように串を動かすので、徐々に火から離れていってしまうのだ。

 茉莉花は、心ここにあらずといった顔でシングルバーナの火に向き直った。

「どうしてそんなに冷静でいられるのかしら」

「やましい事をしている訳ではありませんからね」

「そうか、そうか……」茉莉花は低い声で呟き、頷く。「この状況をやましいと思う、わたしの心が汚れているのね」

 疲れているな、あとで熱い紅茶を淹れてあげよう、と利玖は思った。

 利玖も自分の串を持ち上げて、マシュマロの弾力を確かめる。少し膨らんだような気がするが、まだ求める柔らかさには達していないようだ。再び串を下げて、火にかざす。

 初めて訪れるコテージの軒先で勝手にこんな事をやっていたら、やましいどころの騒ぎではないが、もちろん許可はもらっている。車を降りた後、テントの設営場所を探して茉莉花と二人でうろうろしていたら、コテージの扉が開いて、管理人と名乗る男性が出てきたのだ。

 事情を話すと、そのうち雨が降ってきそうな空模様だから、テラス席を使ってくれて構わない、設備を傷つけないのなら、火をおこして料理をしたり暖を取ったりしても良いが、コテージの中には絶対に入って来ないように、と念を押して戻っていった。

『なんだか変わった管理人さんね』

と言いながらも、茉莉花は一緒に残ってバーナの準備や荷ほどきを手伝ってくれた。少し休んだら、帰ると言う。それなら一つくらいはキャンプらしい思い出を作ろうと、二人はマシュマロの大袋を開封して串に刺し、火で炙っていた。

「帰りは熊野先輩に乗せてもらうのね?」茉莉花が串を回しながら訊く。

「はい」

「それまで待つ、と」

「はい」利玖も串を微妙に回転させる。「少し、特殊な事情があって。さっきも話したように、怒っている訳では、全然ありません。わたしが嫌なら話を断ると、史岐さんも言ってくれました。でも、わたしはそんな風に感じませんでしたし、茉莉花には詳細を話せないのですが、中身を聞いたら、大切な用事だと思いました。少々の危険も伴うのです。だから、全部終わった時、一番に出迎えられる場所で待っていたいと思いました」

「一番に、ね」茉莉花は、ちらっと後ろに目をやった。「まあ、貴女に限って、討ち入りなんて事もないでしょうけれど。彼女持ちが、後輩の可愛い女子と二人でごはんを食べている目の前で、こうしてマシュマロを炙っているしかないっていうのは、当事者の友人としては忸怩(じくじ)たる思いよ」

「可愛いらしい方でしたね」

「ええ、悔しいけどそれは……、認めるわ……」

「茉莉花、串を貸してください」利玖は片手を伸ばす。「運転してお腹が空いたでしょう。遠慮しないで、じゃんじゃん食べてください」

「わわ」

「何ですか、わわって」

「それなのよ」茉莉花は指をさす。「一人でドライブに出ると、『集中して疲れたから』とか、『無事に走り切ったから』とか、色々と理由をつけて、ぽろっと買い食いしちゃうのよ。肉まんとか。とんでもない事でしょう? だから、制止の為にも利玖がいてくれるとありがたかったの」

「食べたら良いじゃないですか」

「そうね、そういう姿勢だったわよね、貴女は」茉莉花は項垂れる。「免許を取ってこんな事になるとは、とんだ誤算よ。健康診断も近いのに……」

 自分のマシュマロが良い焼き具合に達したので、利玖は串を引っ込める。

 一旦、串に刺したまま紙皿の上に乗せ、別の菓子の袋を開けた。薄くスライスしたチョコレートとビスケットをくっつけて二層にしたものだ。二つ開封して、それぞれのチョコレートの面でマシュマロを両側から挟む。

「すごいものを作っているわね」茉莉花が険しい顔で言った。

「雑誌で見かけて、美味しそうだと思ったので……」利玖はビスケットを上から押さえて、マシュマロの熱がチョコレートに伝わるのを待つ。「このお菓子、英語で何か、洒落た名前がついていた気がするのですが、思い出せません」

 それを聞くと、茉莉花は意味ありげに笑って自分の串を持ち上げた。ちょっと息を吹きかけて冷ましてから、どこか急ぐように口に詰め込む。

 ほふほふと熱そうに息を吐きながら、

「見てたら、お腹空いちゃった」と片手を広げて差し出した。

「利玖。もう一つもらえる(サム・モア)?」

「わ……」利玖は驚いて、目を丸くする。「すごい。茉莉花、知っていたんですか?」

「おほほ」

「おほほって」

「うーん、気持ち良い。頭が回ってきた感じだわ」茉莉花は左右に首を傾ける。「ねえ、マシュマロ、本当にもう一つもらって良い?」

「もちろん」

 利玖が袋を渡すと、茉莉花は薄いブルーのマシュマロを取り出して串に刺した。ちりちりと火に絡めるように焼き目をつけながら、リラックスした様子で頬杖をつく。

「たまには、こういうのも良いわねえ」

「まだ、虫が少ない時期で、助かりましたね」

「ええ、本当に……」

 啓蟄(けいちつ)を過ぎると、虫は増える。生物科学科に籍を置く二人は、その事を嫌というほどわかっている。

 虫が話題に出た事で、思いついたのだろうか。

「研究室、どこにするか決めた?」

 茉莉花は珍しくそんな質問をした。

 生物科学科では、学部三年生の後期から研究室に所属して指導を受ける。今から前期が終わるまでの間に、自分がどんなテーマで卒論を書きたいのか、どの教官から指導を受けたいのか、しっかりと考えて行動しなければならない。

「まだ決めていませんが、うーん……」利玖は上を向く。「いえ、実は、ぼんやりと考えている事はあるのですが、実現は難しいかもしれません」

「貴女で無理なら、うちの学科で出来る奴はいないわね」

「そういう事でもないのですが」チョコレートが完全に固まる前に、利玖はスモアを一口食べた。「あの、潮蕊湖(うしべこ)を研究しているゼミがありますよね」

「え、そうだっけ?」茉莉花は一瞬、不思議そうな表情になるが、すぐに「ああ」と言って眉を開く。

「そういえば、一年生の時、一緒に講義を受けたわね。よくわからないけれど、レポートを出したら、単位がもらえたっけ……。でも、理学部なのは同じだけど、学科が別じゃなかった?」

 そこまで言ってから、茉莉花は合点がいったように、あ、と呟く。

「そうかあ……、そういう事ね」

 利玖は黙って頷いた。

 学科の違いというのは、少なくとも潟杜大学理学部の中では、ある程度ファジィなものである。特定の分野に秀でていると評価されれば、その素質をより伸ばす事の出来る他学科の研究室に所属する事は、十分に可能だ。

 だが、利玖の知る限り、それは大学院に進学した後の話であって、卒論も書いていない学部生に同じ事が出来るのかどうかはわからない。

 一応、生物科学科の学部生として卒論を書き、院試に通った後に転属を願い出るという方法もあるが、腰掛けのつもりで研究室を選ぶのは気が咎めた。

「お兄さんには相談した?」

 利玖は首を振る。

「どうして?」茉莉花は少し首を斜めにした。「口利きをしてあげるだなんて言われたら、不公平だから?」

「まさか……」利玖はぶるぶると首を振った。「無理ですよ、そんな事。兄には何の権限もありませんし、それに、特別、わたしに甘い訳でもありません」

「あそう」茉莉花が片目を細くする。「うちの学科でアンケートを取ったら、『そう思わない』に過半数の票が集まるでしょうね」

「えぇ……」

「一度、相談してみたら良いと思うけれど」マシュマロの串を回しながら茉莉花は言った。「相談するだけよ? 別に、卑怯じゃないと思うわ。先生方だって、匠さんは匠さん、利玖は利玖で、それぞれが優秀なんだって、きちんとわかっていらっしゃるわよ」

 利玖は黙ってスモアをかじる。

 中心部には、炙られた時の熱が残っていて、触れた唇の内側が、じくんと痛んだ。


 兄に言い出せないのは、口利きをして欲しくないからではない。もちろん、それも欲する所だが、本当の動機は別にある。

 自分と潮蕊の間には、無視する事の出来ない結びつきがある。いつ、いかなる時も影響を受けずにはいられないほど濃密なものではない。だが、指標を用いて、こういうものだと一括りにまとめる事も出来ない。縁、と言い表すのが無難なのかもしれないが、彼との関係を説明する為に、その言葉を使ってしまうのは嫌だった。

 潟杜市と潮蕊湖は三十キロメートルほど離れている。この距離が、自分を守ってくれているとも考えられるが、同時に理解の妨げにもなっている。湖や、その周りにある四つの神社を、ゆっくりと見た機会は片手で数えられるほどしかない。潮蕊が、原初はどのような地形であったのか、どのようにしてそこに人が住み、歴史や信仰が紡がれてきたのか、利玖はほとんど知らなかった。

 だから、近づいてみたい、と思った。

 自分の躰に情報を蓄積する事で、恐怖を小さくする事が出来るかもしれない、と考えた。

 進んで潮蕊湖に近づくような真似をしたら、危険だと止められるのではないかと思って、兄には黙っていたのだが、ふいに、そうではないかもしれない、と思った。

(甘いのは、むしろ、自分の計算の方かもしれない)

 潮蕊湖、ひいては銀箭(ぎんせん)に近づこうとすれば、兄はきっと心配して、制止する。そう予測するのはとても簡単で、自然な事だ。

 だが、ここ一年で利玖を取り巻く状況は大きく変わった。史岐と出会い、それまで見えていなかった様々な世界の巡り方を知り、兄の婚約者・淺井(あざい)瑠璃(るり)についての記憶を、断片的にではあるが取り戻した。

 兄は、今年の正月に帰省した時、学業に専念するように母から釘を刺されている。今までのように大っぴらには動けないだろう。

 彼にとって今や、利玖は、危険のない籠の中に閉じ込めておきたいだけの存在ではない。思うように身動きの取れなくなった自分の代わりに、幾つかの仕事を任せられる、有用な駒としての価値もあるのではないか……。

 ため息をつきたいような気持ちになる。

 実の兄妹なのに、こんな事さえ、訊いて確かめる事が出来ない。

 冷めたスモアを食べようと口を開きかけた時、ガラン、と太い金属音が響いた。

 利玖と茉莉花は、まん丸に見開いた目で見つめ合い、同時にコテージの入り口の方を振り返る。音の出所は、間違いなくそちらだった。

 ドアが開いている。

 ちょうど、人間が一人通り抜けられるくらいの幅だった。

 ドアの上部では、音色に違わず煤けたような鈍い輝きのベルが揺れている。二人が呆然と見つめる前で、ドアはしばらくしてから、ひとりでに閉まった。その時にもう一度、今度はドア越しに、くぐもったベルの音が聞こえた。

「今……」茉莉花が息を殺して言う。「誰も、出てこなかったよね?」

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