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洛中ラヴァーズ  作者: 澄田こころ(伊勢村朱音)
第四章 七夕月

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第七話 廃墟の静けさ

 大島さんとわかれ、日本画のアトリエにむかった。学生の作品展示や日本画の画材、岩絵の具や、にかわ、筆などが展示されていた。

 じっくり見ていると声をかけられた。


「北川さんのお孫さんやないですか?」


 祖父に真壁先生を紹介した村山先生だった。

 ロマンスグレーの村山先生は、およそ、年齢とは釣り合わないような若い服装をしているが、とても似合っていた。


「いやー大きならはって。静子さんによう似てきはったわ。久しぶりに会いましたな。僕の事覚えてる?」


「ごぶさたしてます。先日は絵の修理の事でご迷惑おかけしました」

「いやいや、こちらこそ。よかったら、僕のアトリエにきませんか?」


 そう言って、村山先生は学生に一言声をかけ、私をアトリエに案内してくれた。

 大学教授のアトリエなんて入った事もなく、ドキドキして中に入ると意外にせまかった。スチールの本棚が天井まで設えてあり、そこにびっちりと本が治まっていた。とにかく本と画材と絵で部屋は埋め尽くされていた。


 中央に長テーブルが置いてあるが その上も物であふれている。この部屋でもし、地震にあったら確実に圧死するだろう。

 奥の窓際に女性が立っていた。


「先生いやに早く解放されましたね」

「受験生の相談コーナーなんて僕がいてもなんの相談にもならんって。それより珍しいお客さんに会ったから、お連れしたんや。コーヒー淹れて早川さん」


「またかわいい受験生、ひっかけてきましたね」

「こちら、うちの大学に毎年多額の寄付金をしていただいてる北川さんのお孫さん。失礼のないように」


 そう言って。私をふりかえりウインクした。軽く六〇は超えている村山先生だけど、その茶目っけにどぎまぎしてしまう。


 女性は、早川楓さんと言って大学院一回生。先生に秘書のようにこき使われているとぼやいていた。個性ゆたかな美大生というよりも、本当に秘書のような落ち着いた容姿をしている。


「北川さんといえば、この間真壁君を紹介した方でしょう?」

 長テーブル上の物を隅にどかし、コーヒーを出しながら早川さんが言った。先生の名前が突然出て、私は熱いコーヒーを一口ごくりといきよいよく飲み込んだ。


「そうそう、もう修理は終わったかな?」

 村山先生が私を見て言ったが、のどが焼けつくように痛かったので、こくりとうなずく。


「真壁君も頑固やから、結局僕の提案には従わんかったよ」

 どういう事だろう、提案って? 私は疑問に思った事を質問したら、村山先生は意外な事を教えてくれた。


 真壁先生は、奨学金をもらって大学にかよっていた。大学院に進学したかったが奨学金を返済しなくてはならず、教師の道を選んだ。


 でも、村山先生は真壁先生の才能を埋もれさせたくないと、だれか、パトロンになってもらい奨学金を返済し、画家の活動を始めたらどうかと提案した。そのパトロンに祖父を紹介しようとしたらしい。


「教師をやめるということですか?」

 私は平静を装って聞いた。


「いやいや、やめるんと違うよ。兼業しながら、画家の活動してる人はたくさんいる。というか、画家一本で生活できる人なんて一握り。でも、奨学金の返済しながら活動は経済的に無理や。日本画はほんまお金かかるしね。岩絵の具って宝石をくだいたようなもんや。北川さんは若手作家の支援もされてるから、僕から話をしようって言ったんやけどな」


 真壁先生を祖父に紹介したのには、こういう思惑があったのか。進路相談で最初に学費の話をしたのも、弁当男子の訳もこういう事だったんだ。


「いい話なのに、もったいない。真壁君は昔から何考えてるかわからないとこあったから。ふらっと旅に出かけて、帰ってきたら寝るのも忘れて絵を描きだしたりしてましたね」


 早川さんは真壁先生の同級生。私の知らない先生の事を沢山知っている。

「そうそう、卒業制作のあの絵も旅から帰ってから一気に描いたな。美月さん、真壁君の絵見てみる? でか過ぎて部屋が狭くなるってこのアトリエに置いて行ったんや」


 私はすぐ返事をして見せてもらった。

 五〇号程のとても大きな絵には、廃墟が描かれていた。グレーの色調で壁がくずれ今にも倒壊しそうなビル、むき出しの鉄骨、崩れた煉瓦のアーチ。画面から迫ってくるほどの立体感。


 その上に奥いきのある青空がぽっかり広がっていて、その空高く数羽の鳥が飛んでいた。


「日本画って花鳥風月のような、美しい物を描くのかと思ってました」


「真壁君はこの景色をうつくしいと感じたそうだよ。これは長崎の軍艦島っていう元は炭鉱で栄えて、今は廃墟になっている島や。その島は過去の栄華をしのぶように只々静かで、トンビの声だけがこだましてたって言ってたな。いい絵やろ?」


 私は一言はい、とだけ答え廃墟の絵の中に意識を埋没し、体全体でその静けさを感じていた。

 私は何時も白い紙に向かうたび、ためらってしまう。この白い空間を壊してまで、価値のある絵を描けるだろうかって。


 自分でも納得のいく絵(そんな絵はめったに描けないけど)が描けた時の喜びを知ってしまったら、苦しくても、つらくても何度も白い紙に立ち向かう。

 この絵に向かう、真壁先生の背中が見えたような気がした。


「彼は、いい画家になると思うんやけど。本人があきらめたって言うならしょうがない。パトロンの話は聞かんかった事にしてね。五月の中旬の土曜日やったかな、ふらっとこのアトリエに真壁君が来て、修理してる絵の作者の事調べにきたんや。結局はわからへんかったんやけど、その時口止めされたから」


 画家にはなれなかったと寂しげにつぶやいた、真壁先生の横顔が私の内側でゆれる。

 コーヒーを飲み終えてお礼をいい、アトリエを退出した。


 帰りのバスにゆられ、私の心はあの廃墟の絵の中をさまよっていた。母の事、祖母の事、真壁先生の事。決して明快な答えなんて存在しない問い。


 そんな不毛な問いから逃げ出して、鳥になってあの群青色の空を、大きな羽をはばたかせ自由に飛び回れたらどんなにいいだろう。言葉を超えた答えが、大空のどこかに隠れてはいないだろうか?


                   *


 その夜、英語の問題集と格闘しているとメールがきた。


 ―オープンキャンパスどうだった?


 その初めてのオープンクエスチョンのメールを見て、


 ―すごく、楽しかった。村山先生にもお会いして、真壁先生の軍艦島の絵を見せてもらいました。とても静かな絵で、すいこまれそうだった。


 と返信をうち、送信のボタンに手をかけたけど、押す事はできなかった。


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