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洛中ラヴァーズ  作者: 澄田こころ(伊勢村朱音)
第三章 風待月

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第五話 流れ出す時間

 あれから先生のごめんという、一言が頭の中をぐるぐる回り離れない。

 一週間、何も手につかず、模試の結果もさんざんだった。


「なんか、行き詰ってるなー屋上いかへん?」


 昼休み、砂羽ちゃんに生徒が出入りできる西棟の屋上にさそわれた。

 雨は降っていないが、気分が沈むどんよりとした空模様。私達は、他の生徒がいない給水塔の影に座りこみ、足を投げ出す。素足にコンクリートの冷たさが伝わり、うなじのおくれ毛が逆立った。


「先生にキスされたん?」

 断っておくが、私は砂羽ちゃんに先生との事は一切言ってない。


「なんで知ってるん?」

「二人の行動を見てたら、自ずと導き出される解答や。でも、あのボケがビビッてひいたのはわかるけど、なんで美月は暗いん?」


「キスした後、ごめんって言われた」

「しょうもな。謝ったんは、美月の事めっちゃ好きで大切にしたいのに、欲望に負けてキスしてごめんって事違うか?」

 さも、私達の事見ていたみたいに言いきった。


「砂羽ちゃん私達の事見てたん?」

「そんな訳あるか! 私はそんな暇違う!」


「私、ほんまに好かれてるん?」

「あんなあ今日かって、なさけない顔して、美月の事見てたで。こっちがせつなくなったわ」

 先生は私の事見ていたんだ。頬が自然とゆるんでくる。


「美月は先生の事好きなんやろ?」

「うん、好き」

 言えなかった思いを、口に出したら、霧が晴れたように、気分がすっきりした。


「最初はあこがれとか、自分に言い訳してたんやけど、抱きしめられてはっきりわかった」

「キスしてどうやった?」

 砂羽ちゃんがからかいではなく、穏やかな顔で聞いてきた。


「すごく、気持ちよかった」

「好きな人とセックスしたら、もっと気持ちええと思うわ。私はまだほんとに好きな人とはしてないけど。そこそこ気持ちよかった」


「えっ砂羽ちゃん最後までいった人いるん?キスまでかと思ってた。だってそんな話聞いてないもん」


「あんなけ男と付き合って処女なわけないやん。でも、身も心もとろけるような相手には出会わんかったな」

 屋上の柵の、さらにその上の灰色の空を見て言う。


「どんな感じ?」

 私は自分でも顔が赤くなるのがわかった。


「そんなん先生に聞いてみたら? 手取り足取り懇切丁寧に教えてくれるわ」

「もー聞けるわけないやん!」

 砂羽ちゃんの白くてむっちりした脚をぺちっとたたいた。


「あははっ! それが一番早いのに。でも、美月とこんな話ができるようになるなんて、うれしいわ」

 時の流れを喜ぶような声だった。


 九歳の頃、一番に気付いてくれたのは、砂羽ちゃんだった。

 学校で明るかった私がだんだんと表情がなくなり、動作も鈍く、指先はヤモリのようにはれ上がっていた。


 ただ痛みに耐える毎日は、音が存在しないモノクロの空間に閉じこもり、爪の無味を噛みしめ、時が流れるのをただ空しく見送るしかなかった。

 そんな私に砂羽ちゃんは、何にも映さない私の目をじっと見て話しかけてきた。


「明日、うちに遊びに来て」

 有無を言わせない強い口調だったのを覚えている。以前よく遊んでいた砂羽ちゃんを、避けていたのに。


「なんで?」

「なんででも! 明日いっしょに私の家にいこ」


 強引に誘われ、家に遊びに行くと、忙しいはずの、精神科医のお父さんが何故か家にいた。何時もお手伝いさんしかいないのに、私は身構え全身から警戒音を発した。


 でも、お父さんはいろいろ聞く訳でもなくいっしょに遊んでくれただけ。今まで父親に遊んでもらった記憶のない私は、うれしくて荒っぽい遊びにもすぐ夢中になっていた。


 帰り際、お父さんにまた来てね、とやさしく言ってもらい、モノクロの世界からちょっとだけ顔を出し微笑んだ。


 それから数回、砂羽ちゃんの家に遊びにいったが、何時もお父さんがいた。私が打ち解けて安心している様子を見て、初めてお父さんは私の目をじっと見て聞いてきた。


「何か困ってる事ない?」

 やさしく見つめてくれるその目が、私の警戒を解き、硬く閉じていた口先から言葉がこぼれ落ちた。


「お母さんが、私をたたく」


 今まで言いたくても言えなかった、たった一言が私の救いとなった。お父さんはがんばったね、といい背中をやさしくなでてくれた。私はおいおいと赤ちゃんみたいに泣きだした。


 でも、今度は母がみんなに責められるんじゃないかと、心配になってきた。

「おばあちゃんには、言わないで。お母さんが怒られる」


「おばあちゃんに言うよ。だって、おばあちゃんは君のお母さんのお母さんなんやから。お母さんは美月ちゃんといっしょで、今とっても困ってるんや。困ってる子供を心配せん親はいいひんよ」


 それから、母は入院し、私は祖父の家に住むようになり、お父さんのカウンセリングをうけ、治療を始めた。

 あの時砂羽ちゃんが気付いてくれなかったら、私は母と共に死んでいたかもしれない。


「小学生のあの時、私の事気づいてくれてありがとう」

 砂羽ちゃんが私の肩を抱く。


「神さまって平等やから、その人が苦労した分だけの幸せを、後できっちりくれるらしいで。だから美月は後、幸せだけをもらうんやって」


 ふと空を見上げると、真黒な雲の切れ間から、幾筋もの神々しい光が差し込んでいた。


「見て、天使の梯子。きれいやな」


 私の真っ暗だった世界に、光を当ててくれた砂羽ちゃんの言葉通り、こんな私にも幸せがやってくるのだろうか?


                 *


 あの生徒は、いったいどんな魔法を使ったのだろうか?

 つい、数時間前まで俺の事を避けていた彼女。昼休み終了の予鈴がなり、生徒達のかまびすしい声が行きかう廊下で、俺を見つめ微笑んでいる。


 二人が無言ですれ違う時、ずれてしまった不協和音がふたたび重なり、幸福の旋律が流れ始める。その旋律の響きに導かれ、とまっていた砂時計が、サラサラと再び、時を刻みはじめた。

 これで俺は、確実にあの生徒に頭が上がらなくなってしまった。



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